50 / 56
月明かりの下で
しおりを挟む
2時間後。
生駒が叫びながらノックもせずに処置室の扉を開けた。
「ゆうた!!」
生駒の目に飛び込んできたのは、静かに眠る祐太郎と、祐太郎を囲うように立っている祐太郎の両親、加奈子夫妻、紗希の父親、鶴井班長、天野の姿だった。
皆、肩を震わせ涙を流していた。祐太郎の母のゆかりは、祐太郎の手を両手でギュッと握り、嗚咽を漏らしながら声を出して泣いていた。
「…そ、そんな。」
「生駒先輩…。」
天野が生駒に気が付き、涙を拭いながら生駒に近づいた。そして、生駒の腹にパンチを喰らわせた。
「ぐっ…いった!」
「遅い!先輩遅いですよ!!…榊先輩…もう…もう…。」
その場で泣き崩れる天野。生駒は天野の頭を優しく撫でて、ゆっくりと祐太郎が寝そべるベッドへと近付いた。
「…生駒。榊は、ついさっき旅立った。皆死に目に会えたよ。…お前にも間に合って欲しかった…。」
鶴井はそう言うと、生駒の肩をポンと叩き、処置室から出ていった。
「…ゆうた。」
生駒はゆっくりと祐太郎の頬に触れた。まだ温かかった。
「…ゆうた、頑張ったな。頑張り過ぎちゃったな。…だけど、最後に紗希ちゃんと北海道旅行行けて良かったな。…紗希ちゃんも…あれ?」
生駒は、この部屋に紗希がいないことに気が付き、辺りをキョロキョロと見回した。
「紗希なら、この場に居れないからちょっと外の空気を吸ってくると言って、さっき出ていったよ。追い掛けようかと思ったが
、男の先生が追い掛けてくれた。」
紗希の父親の孝夫が生駒に言った。孝夫は、目の前の現実が受け入れられずに、壁に寄り掛かって放心状態だった。
「…紗希ちゃん。」
生駒は処置室の入口を見つめながら呟いた。
病院の中庭のベンチ。外灯と月明かりに照らされ、神々しく光って見えるその場所に、紗希と片野医師が腰掛けていた。
片野医師は、紗希を追い掛けて探しているうちに、ベンチに座る紗希の姿を見つけ、無言で一人分スペースを空けた位置に腰を下ろしていた。
紗希は、地面を見つめたまま、重い口を開けた。
「…先生、色々とありがとうございました。」
「いえ、私は何も…何もしてませんよ。彼を支えていたのは、紗希さん貴方ですよ。」
「結局、私にはゆうちゃんが望むものを叶えてあげられませんでした。…結婚も…間に合わなかった。」
「…祐太郎さんは…きっと紙切れを役所に提出するような…そんな形じゃなくて、紗希さんの気持ちを知りたかったんだと思います…ですから、きっと満足したと私は思いますけどね。」
「…結局、父に反対されたんです。その直後に倒れて…こんな…こんな最期って…。」
紗希は我慢して溜めていた涙を一気に溢れさせた。
「そうですか…。でも…お父さんのお気持ちも理解してあげてください。さっきも言いましたが、祐太郎さんは紗希さんの気持ちを知りたかったのだと思いますから。…お一人の方がよろしいですかね?」
片野医師は、そう言うとベンチから立ち上がり、ゆっくり歩き出した。
「…先生。」
去ろうとする片野医師を紗希が呼び止めた。片野医師が足を止めて紗希に振り返ると、紗希はそっと顔を上げ、片野医師の目を見つめて問い掛けた。
「先生は、ゆうちゃんの容態が良くないのを知ってて退院させたんですか?」
意表を突く質問に片野医師は目を丸くした。
「…もう身体がボロボロだったんじゃないんですか?」
紗希の質問に片野医師は、ニコリと微笑み空を見上げて呟いた。
「…医者としては失格ですよね。」
「…先生、それじゃ…。」
紗希は驚いた表情を見せた。
「もう祐太郎さんの命は短いことがわかっていました。…私は、まだ若い祐太郎に後悔のないように最期を全うして欲しかった。…医者としては間違っていたかもしれませんが、私個人として判断したものです。責任は私にあります。」
片野医師はそう言うと、胸ポケットから封筒を取り出した。
月明かりと外灯で、ぼんやりとしか見えなかったが、紗希には『辞職願』と書かれているのが見えた。
「祐太郎さんの最期は見届けたいと思ってました。…皆さん、死に目に立ち会えて、とても良い最期だったと思います。…それに…私も、時間がないんですよ。」
「…どういう意味ですか?ゆうちゃんの最期を見届けて、お辞めになるんですか?…私は、先生がゆうちゃんを退院させたこと、悪いこととは思っていませんよ。先生を責めたりはしません。」
「…ありがとうございます。しかし、医者としては誤った判断です。仮に、退院させたことで、彼の命が短くなったと訴えられたら負けますよ。…彼のご両親が知ったら…。」
片野医師はそう言うと、軽く会釈をして病院内への入口に向かって歩き出した。
紗希は、どうすれば良いのか分からなかった。確かに、祐太郎の両親がこのことを知ったら、片野医師を責めるであろうと思った。ただ、紗希としては、結果はダメであっても、祐太郎が直接両親に結婚の話をする機会を与えてくれた、そのことには感謝しかなかった。
「ゆうちゃんだったら…。」
紗希は今は水が止まっている噴水を見つめながら考えていた。
片野医師は病院内に入り、祐太郎がいる処置室を目指し歩いていると、ポタリと左手の甲に何か液体が垂れたことに気が付いた。
涙だった。
医師を辞めると決断したことに対する涙か、祐太郎が亡くなったことに対する涙か、それとも他の理由か…片野医師自身、その答えは分からなかった。
ブーッ、ブーッ。
突如、胸ポケットに入れていたスマホが鳴り、片野医師は慌てて涙を拭いながらスマホを取り出した。
「…え?晃子(あきこ)…。」
片野医師はスマホの画面を見て驚いた表情を浮かべ、直ぐに着信を取った。
「…もしもし。」
生駒が叫びながらノックもせずに処置室の扉を開けた。
「ゆうた!!」
生駒の目に飛び込んできたのは、静かに眠る祐太郎と、祐太郎を囲うように立っている祐太郎の両親、加奈子夫妻、紗希の父親、鶴井班長、天野の姿だった。
皆、肩を震わせ涙を流していた。祐太郎の母のゆかりは、祐太郎の手を両手でギュッと握り、嗚咽を漏らしながら声を出して泣いていた。
「…そ、そんな。」
「生駒先輩…。」
天野が生駒に気が付き、涙を拭いながら生駒に近づいた。そして、生駒の腹にパンチを喰らわせた。
「ぐっ…いった!」
「遅い!先輩遅いですよ!!…榊先輩…もう…もう…。」
その場で泣き崩れる天野。生駒は天野の頭を優しく撫でて、ゆっくりと祐太郎が寝そべるベッドへと近付いた。
「…生駒。榊は、ついさっき旅立った。皆死に目に会えたよ。…お前にも間に合って欲しかった…。」
鶴井はそう言うと、生駒の肩をポンと叩き、処置室から出ていった。
「…ゆうた。」
生駒はゆっくりと祐太郎の頬に触れた。まだ温かかった。
「…ゆうた、頑張ったな。頑張り過ぎちゃったな。…だけど、最後に紗希ちゃんと北海道旅行行けて良かったな。…紗希ちゃんも…あれ?」
生駒は、この部屋に紗希がいないことに気が付き、辺りをキョロキョロと見回した。
「紗希なら、この場に居れないからちょっと外の空気を吸ってくると言って、さっき出ていったよ。追い掛けようかと思ったが
、男の先生が追い掛けてくれた。」
紗希の父親の孝夫が生駒に言った。孝夫は、目の前の現実が受け入れられずに、壁に寄り掛かって放心状態だった。
「…紗希ちゃん。」
生駒は処置室の入口を見つめながら呟いた。
病院の中庭のベンチ。外灯と月明かりに照らされ、神々しく光って見えるその場所に、紗希と片野医師が腰掛けていた。
片野医師は、紗希を追い掛けて探しているうちに、ベンチに座る紗希の姿を見つけ、無言で一人分スペースを空けた位置に腰を下ろしていた。
紗希は、地面を見つめたまま、重い口を開けた。
「…先生、色々とありがとうございました。」
「いえ、私は何も…何もしてませんよ。彼を支えていたのは、紗希さん貴方ですよ。」
「結局、私にはゆうちゃんが望むものを叶えてあげられませんでした。…結婚も…間に合わなかった。」
「…祐太郎さんは…きっと紙切れを役所に提出するような…そんな形じゃなくて、紗希さんの気持ちを知りたかったんだと思います…ですから、きっと満足したと私は思いますけどね。」
「…結局、父に反対されたんです。その直後に倒れて…こんな…こんな最期って…。」
紗希は我慢して溜めていた涙を一気に溢れさせた。
「そうですか…。でも…お父さんのお気持ちも理解してあげてください。さっきも言いましたが、祐太郎さんは紗希さんの気持ちを知りたかったのだと思いますから。…お一人の方がよろしいですかね?」
片野医師は、そう言うとベンチから立ち上がり、ゆっくり歩き出した。
「…先生。」
去ろうとする片野医師を紗希が呼び止めた。片野医師が足を止めて紗希に振り返ると、紗希はそっと顔を上げ、片野医師の目を見つめて問い掛けた。
「先生は、ゆうちゃんの容態が良くないのを知ってて退院させたんですか?」
意表を突く質問に片野医師は目を丸くした。
「…もう身体がボロボロだったんじゃないんですか?」
紗希の質問に片野医師は、ニコリと微笑み空を見上げて呟いた。
「…医者としては失格ですよね。」
「…先生、それじゃ…。」
紗希は驚いた表情を見せた。
「もう祐太郎さんの命は短いことがわかっていました。…私は、まだ若い祐太郎に後悔のないように最期を全うして欲しかった。…医者としては間違っていたかもしれませんが、私個人として判断したものです。責任は私にあります。」
片野医師はそう言うと、胸ポケットから封筒を取り出した。
月明かりと外灯で、ぼんやりとしか見えなかったが、紗希には『辞職願』と書かれているのが見えた。
「祐太郎さんの最期は見届けたいと思ってました。…皆さん、死に目に立ち会えて、とても良い最期だったと思います。…それに…私も、時間がないんですよ。」
「…どういう意味ですか?ゆうちゃんの最期を見届けて、お辞めになるんですか?…私は、先生がゆうちゃんを退院させたこと、悪いこととは思っていませんよ。先生を責めたりはしません。」
「…ありがとうございます。しかし、医者としては誤った判断です。仮に、退院させたことで、彼の命が短くなったと訴えられたら負けますよ。…彼のご両親が知ったら…。」
片野医師はそう言うと、軽く会釈をして病院内への入口に向かって歩き出した。
紗希は、どうすれば良いのか分からなかった。確かに、祐太郎の両親がこのことを知ったら、片野医師を責めるであろうと思った。ただ、紗希としては、結果はダメであっても、祐太郎が直接両親に結婚の話をする機会を与えてくれた、そのことには感謝しかなかった。
「ゆうちゃんだったら…。」
紗希は今は水が止まっている噴水を見つめながら考えていた。
片野医師は病院内に入り、祐太郎がいる処置室を目指し歩いていると、ポタリと左手の甲に何か液体が垂れたことに気が付いた。
涙だった。
医師を辞めると決断したことに対する涙か、祐太郎が亡くなったことに対する涙か、それとも他の理由か…片野医師自身、その答えは分からなかった。
ブーッ、ブーッ。
突如、胸ポケットに入れていたスマホが鳴り、片野医師は慌てて涙を拭いながらスマホを取り出した。
「…え?晃子(あきこ)…。」
片野医師はスマホの画面を見て驚いた表情を浮かべ、直ぐに着信を取った。
「…もしもし。」
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる