最期の時間(とき)

雨木良

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父として、人として

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片野医師の診察室では、弓削看護師が片野医師の戻りを待っていた。

普段、この時間には誰もいないはずの診察室。紗希と片野医師を探しに出た日比野医師は、廊下を通り掛かった際に、診察室の明かりを見つけて顔を出した。

「片野先生…あれ、弓削さん?」

「あ、日比野先生、お疲れ様です。」

「弓削さんも出勤ですか?」

「えぇ、片野先生が榊さんの件で出勤されると聞いて。…最近、先生お身体が悪いような気がして、心配だったもので。」

「え?片野先生、体調悪いんですか?」

全く気が付かなかった日比野医師は驚いて、診察室の丸椅子に腰を掛けた。

「…先生、皆さんには隠してるようですけど、重い病気みたいなんですよ。私にも病名は教えてくれないんですけどね。…自分はまだ医者としてやるべきことはできる、もしそれが叶わなくなったら自分は辞職するって…私が心配して声を掛けるといつもそう言うんです。」

「片野先生が…重い病気…?」

日比野医師は全くの初耳だった。

「…弓削さん。片野先生は身体に無理して仕事されてるんですか?」

弓削看護師は、悲しげな表情を浮かべながら答えた。

「…片野先生、一人ぼっちなんですよ。」

「…どういう意味ですか?」

「片野先生、奥さんを10年前に脳梗塞で亡くしてるんです。娘さん…晃子さんてお名前なんですけど、奥さんの死をきっかけに、片野先生とは縁を切ってしまったようで…。」

「何かあったんですか?」

弓削看護師はコクンと頷いて答えた。

「奥さんは娘さんと夕食の準備をされていた時に突然倒れたようで、当時20代前半だった晃子さんが、直ぐに救急車を呼び、片野先生にも電話をしたんです。…ですが…片野先生は仕事を…患者さんを優先し、結局奥さんの死に目には会えなかったんですよ。奥さんが運ばれてきたのはこの病院だったのに…。」

「それで娘さんは…。」

「えぇ、晃子さんは相当ショックだったようですよ。仕事漬けの父を誰よりも理解し、支え続けた母に対し、あんまりな最期だったんじゃないかって…。葬儀が終わると娘さんは家を出ていってしまい、片野先生とはそれきり音信不通になってしまったって、先生から聞きました。」

「片野先生は娘さんを探さなかったんですか?」

「探す資格がないって、家族に対して何もしてこなかった自分にそんな資格はないって…苦笑いで話してましたよ。…でも…本当は、先生物凄く後悔してると思います。…先生に万が一がある前に、晃子さんとは仲直りしてほしいんですけどね…。」

「唯一の家族ですものね…。そうか、先生にそんな過去が…。あ、そうだ!」

日比野医師は、片野先生と紗希を探している途中だったことを思い出し、立ち上がって弓削看護師にお礼を言って診察室を出ていった。



「…父さん?」

「…晃子か?ありがとう…電話くれて。」

片野医師は立ち止まり、中庭側のガラス窓に写る自分の姿を見つめながら電話を続けた。

「…泣いてるの?」

「え、あ…あぁ、すまない。」

「別に謝ることじゃないけど。…着信がきてたのに、返信が遅くなっちゃってごめんね。」

「…ありがとう。」

「…どうしたの?」

「ずっと、10年間、番号変えないでいてくれたんだな。正直、もう繋がらないかもしれないって思ってたよ。」

「…べ、別に父さんのためってわけじゃ…、はぁもう10年か…。…なんかさ、自分で飛び出したはいいけど、月日が経って、自分から父さんのとこに戻るのはどうしても嫌で、父さんからの連絡を待ってた自分がいたの…。」

「…そうか。すまない…時間がかかりすぎたな…。」

「父さんの性格はわかってるよ。だから、連絡は一生来ないかもって覚悟はしてたから。…でも、どうして今のタイミングで?」

「あぁ、お前には言っておかなきゃならない話があってな。近い内に会えないか?」

片野医師は翌日に晃子と会う約束をし、電話を切った。電話の向こうの晃子は、父が言う大事な話の中身を想像しているのか、少し落ち着かない雰囲気だったが、電話で告げる内容ではないと考え、謝ってから電話を終えていた。

「あっ!片野先生!!」

廊下の向こうから名前を呼ばれ、振り向くと日比野医師が手を振りながら走って向かってくる姿が見えた。

「やっと見つけましたよ!…あれ、紗希さんは?…先生、何かあったんですか?」

日比野医師は、片野医師の涙を見て問い掛けた。

「何でもありませんよ。紗希さんなら中庭にいるはずです。…やはり同じ女性の方が良いと思うんで、お願いしてもよろしいですか?」

片野医師はそう言うと、日比野医師の返事を待たずに足早に去っていった。

「…片野先生…?」

日比野医師は、頭の中で片野医師の涙の理由を考えながらも、中庭にいる紗希を迎えに向かって走り出した。


片野医師が処置室に着くと、調度、祐太郎が霊安室に運ばれるところだった。

片野医師は、手を合わせながら運ばれる祐太郎を見送った。

処置室にいた皆も祐太郎と一緒に霊安室に向かって歩き出したが、ゆかりが片野医師の前で立ち止まり、頭を下げた。

「先生、今までありがとうございました。以前は失礼なこともしてしまい申し訳ございませんでした。」

また退院させたことを責められるのではと内心考えていた片野医師は、ゆかりの言葉が胸に突き刺さった。

「…いえ、とんでもないです。祐太郎さんは今を精一杯生き続けてました。私も感服です。」

片野医師の言葉に、ゆかりはもう一度頭を下げて、先を行っている祐太郎の元に小走りで向かった。

片野医師は、子どもに先絶たれる親のツラさ、悲しみ…当然自分は体験したことがないので第三者的な見方になるのは否めないが、心が痛いほど理解していた。

自然の摂理でいけば、晃子より自分が先に死ぬことになる。…正直、死ぬことに対しては恐怖はない。ただ、孤独に死ぬことに恐怖を抱いていた。

医師という仕事上、毎日のように人の死に向き合い、その家族や友人の悲しむ姿も数え切れないくらい見てきた。

若いときは、仕事だと割り切っていたため、さほど考えもしなかったが、妻を亡くし、更に同時に娘も目の前から消え、“孤独“という恐怖を覚えるようになった。

患者が死を迎える瞬間、周りに家族や親族、親しい人たちがいることが、どれだけ幸せなことなんだろうと、孤独になってから思い知らされるようになっていた。

人として、死ぬときも立派に死を迎えたい。それは、自分にとってかけがえのない人たちに見守られながらその瞬間を迎えることではないかと、片野医師は常々感じていた。

祐太郎は幸せな最期だった。

両親や友人にはただただツラい出来事だったろう。勿論、祐太郎自身もツラかっただろうが、死を覚悟した瞬間、良い死をむかえたいと祐太郎も考えたはずだ。そういう意味で、祐太郎はやはり幸せな最期だったろうと片野医師は感じていた。

「お疲れ様、祐太郎さん。」

片野医師は、祐太郎や家族たちが乗ったエレベーターの扉が閉まるまで、手を合わせ続けていた。
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