11 / 114
第3節 村上 正人 其の2
(1)
しおりを挟む
10月16日
ー 村上宅 ー
7時05分
正人は、重力に身を任せた人形のような状態の千里を、無我夢中で床に下ろした。横たえた身体は、既に硬直を始めており、冷たくなっていた。
正人は直ぐに救急車を呼び、待っている間何度も声掛けをし、心臓マッサージをし、人工呼吸もしたが、人形から人間に変わることはなかった。
救急車はすぐに来たが、その場で死亡が確認され、その後警察が来て現在に至っている。
「神奈川県警の池畑です。ご主人様でよろしいですか。」
正人より少し歳上に見える、長身で痩せ形の刑事が、ソファーに座り込み、下を向きっぱなしの正人に問いかけた。
「……はい。」
力のない声で正人が答えた。正人はもう何がなんだかわからなくなっていた。昨日の夜に千里から親友の由実が自殺したと聞き、半日経たないうちに今度は千里が自殺した。きっとこれは現実じゃないと心の中で願っていた。
「…あの…妻は…死んだ…んですか…」
「はい、先程、検死官から報告を受けております。救急隊員がこの場所に来た時はもう亡くなられていたと。…本当に御愁傷様です。」
正人は、千里が既に死亡していることは救急隊員から聞いていたため分かっていたはずだが、何も考えずに質問をしていた。
次に、千里が死んだことを改めて理解すると、何故千里は死ななければならなかったのかと考え、結果、自分を責めるような思考になってきていた。
「…私が…いけないんです。」
池畑は顔を強張めた。
「何か気になることがありますか。」
「…彼女の親友が…自殺したんです。そ…それで、未来に…絶望したんじゃ…ないかと。…私は…支え…になってやれなかった。…情けない。」
涙声で言葉に躓きながら正人が言った。
「あの、これご覧になりましたか?」
池畑の手には指紋がつかないようにビニール袋に入れられた紙切れが入っていた。その紙切れには殴り書きで「ごめんなさい」と記されていた。
「…これは?」
「お気付きになられませんでしたか。そこのダイニングテーブルの上にありました。」
「ごめんなさい…って、隣…で寝てた…んだから…ちょ…直接…言えばいいの…に。」
正人は何について謝られてるのか、全くわからなかったが、何か不満や不安があるのなら、叩き起こして直接言って欲しかった。そうすれば、こんな結果には…いや、千里より先に寝てしまった自分がいけなかった、昨日はとても寝付ける精神状態じゃなかったのだろう、夜は深くなれば深くなるほど不安や恐怖という化け物を連れてくる。千里は化け物に負けてしまったのか、俺が、俺が助けなきゃいけなかった。
そんな後悔の念がひたすら正人を苦しめていた。
「心中お察しします。状況から見て、この紙は奥様が書かれた遺書という見方ができますが、筆跡は奥様のものでしょうか?」
池畑は紙切れを正人の顔に近づけた。正人は、涙を拭って紙を凝視した。
「…わかりません。」
正人は千里のこんな汚い雑な字は見たことがなかった。ただ、千里の書いた最後の文字と考えるとそんな文字さえも愛しくてしょうがなかった。
「そうですか。奥様の死亡推定時刻ですが、朝方三時から四時とのことです。一応の確認ですが、その時間帯はどちらに。」
「…寝室で寝てました。…昨日は妻から親友が亡くなったと連絡を受け、仕事を切り上げて帰ってきました。そのあとは妻を励まし、お互い泣き疲れて風呂も入らずに、知らぬ間に寝ていました。」
正人は段々精神状態を落ち着かせようと自ら努力し始めた。涙を拭き、昨日の出来事を簡潔に述べた。
「そうですか。ちなみにその親友の方のお名前教えていただけますか?確かさっき自殺されたとおっしゃってましたよね。」
「南雲由実(なぐもゆみ)です。詳しくは知りませんが駅で自殺したということを妻からは聞いています。」
池畑は若めの刑事を呼び、南雲由実について調べさせた。少し落ち着きをとり戻してきた正人はこの事を千里や自分の両親に連絡していないことに気付いた。
「あの、電話をしてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ。」
正人は警察のいない寝室に行き、まずは千里の母親に電話をした。
正人は、最初うまく言葉が出ずに沈黙してしまったが、深呼吸をし、起きた出来事を簡潔に伝えた。
千里の母親はあまりのショックで電話の向こうで泣き崩れているのがわかった。途中から父親に電話が替わり、事の流れをもう一度説明した。
千里の父親は正人を責めることは一切せず、逆に申し訳ないと涙声で繰返し正人に謝罪をした。
正人も自分が至らなかったと謝罪を繰返した。千里の父親は、直ぐにこっちに向かう旨を正人に伝え電話を切った。
次に自分の実家に電話をいれた。出たのは父だった。正人は、同じように出来事を簡潔に説明した。
お前は本当に何も悪いことをしてないのか、千里を泣かせるようなことをしていないのか、と再三聞いてきたが、多分としか答えられなかった。
父は、正人も今は精神状態が普通じゃないだろうからと、支度出来次第こっちに向かう旨を告げて電話を切った。
父は母には電話を替わることはしなかった。母が電話に出てたら千里の母親と同じようになっていたと思う。父が気遣ったのだと思った。
正人はまたリビングへと戻った。池畑は千里がどのようにして首を吊ったのかを検証していたが、正人が戻ってきたことに気づいて一回作業を止めた。
「ご両親にお電話ですか?色々お辛いとは思いますが、我々の捜査にご協力いただけますか?」
「はい、勿論です。」
池畑は正人に千里を発見した時の様子などを質問した。正人は思い出すのも辛かったが、頭の中で記憶をたどり、出来るだけ詳細に語った。
いくつかの質問に答えると、池畑はメモを取っていた手帳を胸ポケットに締まった。
「今日はこれで最後にさせていただきますが、千里さんのご遺体ですが、死因特定のため解剖にかけさせていただいてもよろしいですか。」
「え?だって死因って…」
「理由は二つです。まず、現況からして自殺なのはほぼ間違いないですが、正直あなたへの疑いが全く無いわけではありません。死因を究明して自殺ということを特定させます。」
刑事からのまさかの言葉に正人は恐怖を覚えた。
「私が妻を殺したとでも…」
「我々は全てに疑いを持たなければなりません。先入観を持たずに、公平な目で判断を、可能性のあるものは潰していく。消去法なんですよ。私個人的には、あなたを疑ってはおりません。先程の聞き取りでも嘘を付いてるそぶりは一切ありませんでした。」
「おっしゃることはわかります。でも…これ以上妻の身体にキズを付けるのは…。」
「理由は二つあると申しましたが、もう一つは、自殺だった場合、本当に彼女自身の意思で命を絶ったのかを確認するためです。」
正人は、この池畑の言葉の意味がわからず、キョトンとしてしまった。
ー 村上宅 ー
7時05分
正人は、重力に身を任せた人形のような状態の千里を、無我夢中で床に下ろした。横たえた身体は、既に硬直を始めており、冷たくなっていた。
正人は直ぐに救急車を呼び、待っている間何度も声掛けをし、心臓マッサージをし、人工呼吸もしたが、人形から人間に変わることはなかった。
救急車はすぐに来たが、その場で死亡が確認され、その後警察が来て現在に至っている。
「神奈川県警の池畑です。ご主人様でよろしいですか。」
正人より少し歳上に見える、長身で痩せ形の刑事が、ソファーに座り込み、下を向きっぱなしの正人に問いかけた。
「……はい。」
力のない声で正人が答えた。正人はもう何がなんだかわからなくなっていた。昨日の夜に千里から親友の由実が自殺したと聞き、半日経たないうちに今度は千里が自殺した。きっとこれは現実じゃないと心の中で願っていた。
「…あの…妻は…死んだ…んですか…」
「はい、先程、検死官から報告を受けております。救急隊員がこの場所に来た時はもう亡くなられていたと。…本当に御愁傷様です。」
正人は、千里が既に死亡していることは救急隊員から聞いていたため分かっていたはずだが、何も考えずに質問をしていた。
次に、千里が死んだことを改めて理解すると、何故千里は死ななければならなかったのかと考え、結果、自分を責めるような思考になってきていた。
「…私が…いけないんです。」
池畑は顔を強張めた。
「何か気になることがありますか。」
「…彼女の親友が…自殺したんです。そ…それで、未来に…絶望したんじゃ…ないかと。…私は…支え…になってやれなかった。…情けない。」
涙声で言葉に躓きながら正人が言った。
「あの、これご覧になりましたか?」
池畑の手には指紋がつかないようにビニール袋に入れられた紙切れが入っていた。その紙切れには殴り書きで「ごめんなさい」と記されていた。
「…これは?」
「お気付きになられませんでしたか。そこのダイニングテーブルの上にありました。」
「ごめんなさい…って、隣…で寝てた…んだから…ちょ…直接…言えばいいの…に。」
正人は何について謝られてるのか、全くわからなかったが、何か不満や不安があるのなら、叩き起こして直接言って欲しかった。そうすれば、こんな結果には…いや、千里より先に寝てしまった自分がいけなかった、昨日はとても寝付ける精神状態じゃなかったのだろう、夜は深くなれば深くなるほど不安や恐怖という化け物を連れてくる。千里は化け物に負けてしまったのか、俺が、俺が助けなきゃいけなかった。
そんな後悔の念がひたすら正人を苦しめていた。
「心中お察しします。状況から見て、この紙は奥様が書かれた遺書という見方ができますが、筆跡は奥様のものでしょうか?」
池畑は紙切れを正人の顔に近づけた。正人は、涙を拭って紙を凝視した。
「…わかりません。」
正人は千里のこんな汚い雑な字は見たことがなかった。ただ、千里の書いた最後の文字と考えるとそんな文字さえも愛しくてしょうがなかった。
「そうですか。奥様の死亡推定時刻ですが、朝方三時から四時とのことです。一応の確認ですが、その時間帯はどちらに。」
「…寝室で寝てました。…昨日は妻から親友が亡くなったと連絡を受け、仕事を切り上げて帰ってきました。そのあとは妻を励まし、お互い泣き疲れて風呂も入らずに、知らぬ間に寝ていました。」
正人は段々精神状態を落ち着かせようと自ら努力し始めた。涙を拭き、昨日の出来事を簡潔に述べた。
「そうですか。ちなみにその親友の方のお名前教えていただけますか?確かさっき自殺されたとおっしゃってましたよね。」
「南雲由実(なぐもゆみ)です。詳しくは知りませんが駅で自殺したということを妻からは聞いています。」
池畑は若めの刑事を呼び、南雲由実について調べさせた。少し落ち着きをとり戻してきた正人はこの事を千里や自分の両親に連絡していないことに気付いた。
「あの、電話をしてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ。」
正人は警察のいない寝室に行き、まずは千里の母親に電話をした。
正人は、最初うまく言葉が出ずに沈黙してしまったが、深呼吸をし、起きた出来事を簡潔に伝えた。
千里の母親はあまりのショックで電話の向こうで泣き崩れているのがわかった。途中から父親に電話が替わり、事の流れをもう一度説明した。
千里の父親は正人を責めることは一切せず、逆に申し訳ないと涙声で繰返し正人に謝罪をした。
正人も自分が至らなかったと謝罪を繰返した。千里の父親は、直ぐにこっちに向かう旨を正人に伝え電話を切った。
次に自分の実家に電話をいれた。出たのは父だった。正人は、同じように出来事を簡潔に説明した。
お前は本当に何も悪いことをしてないのか、千里を泣かせるようなことをしていないのか、と再三聞いてきたが、多分としか答えられなかった。
父は、正人も今は精神状態が普通じゃないだろうからと、支度出来次第こっちに向かう旨を告げて電話を切った。
父は母には電話を替わることはしなかった。母が電話に出てたら千里の母親と同じようになっていたと思う。父が気遣ったのだと思った。
正人はまたリビングへと戻った。池畑は千里がどのようにして首を吊ったのかを検証していたが、正人が戻ってきたことに気づいて一回作業を止めた。
「ご両親にお電話ですか?色々お辛いとは思いますが、我々の捜査にご協力いただけますか?」
「はい、勿論です。」
池畑は正人に千里を発見した時の様子などを質問した。正人は思い出すのも辛かったが、頭の中で記憶をたどり、出来るだけ詳細に語った。
いくつかの質問に答えると、池畑はメモを取っていた手帳を胸ポケットに締まった。
「今日はこれで最後にさせていただきますが、千里さんのご遺体ですが、死因特定のため解剖にかけさせていただいてもよろしいですか。」
「え?だって死因って…」
「理由は二つです。まず、現況からして自殺なのはほぼ間違いないですが、正直あなたへの疑いが全く無いわけではありません。死因を究明して自殺ということを特定させます。」
刑事からのまさかの言葉に正人は恐怖を覚えた。
「私が妻を殺したとでも…」
「我々は全てに疑いを持たなければなりません。先入観を持たずに、公平な目で判断を、可能性のあるものは潰していく。消去法なんですよ。私個人的には、あなたを疑ってはおりません。先程の聞き取りでも嘘を付いてるそぶりは一切ありませんでした。」
「おっしゃることはわかります。でも…これ以上妻の身体にキズを付けるのは…。」
「理由は二つあると申しましたが、もう一つは、自殺だった場合、本当に彼女自身の意思で命を絶ったのかを確認するためです。」
正人は、この池畑の言葉の意味がわからず、キョトンとしてしまった。
0
あなたにおすすめの小説
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―
MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」
「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」
失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。
46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。
炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~
悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。
強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。
お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。
表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。
第6回キャラ文芸大賞応募作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる