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隙間の彼 -裏庭編-
喫煙の彼
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喫煙の彼
橋本結城、秋。
「やあ」
生活係の教室の扉を開けると、奴が居た。中央の席に座り、ぼんやりと黒板を見ていた奴。もう二度と見たくねぇと思っていたツラだったが、それは向こうも同じだったらしく、誰が見ても判りやすく俺を避けていた。
「‥‥どうも」
原瀬亮太。
恋敵と言うにはもったいなく、ただの後輩にしては胸糞が悪い奴だ。まともに会話をしたのはあの春の日から何ヶ月ぶりだ? 同じ委員会だから顔を合わせることはあっても、会話を交わすことはしないし、それ以外、校内でもすれ違わない。
夏休みも終わり、卒業後の進路が決まっていなければならないこの時期に、俺はいまだふらふらとしている。潤一と同じ大学に行きたい。ただそれだけだったが、いろいろと足りないものがある。学力とか。
頼りになるかは別として、俺は生活係顧問の須堂先生に相談に来たのだが、教室には原瀬しか居なかったというわけだ。
「先生は」
乱暴に閉まった扉の音に、原瀬は肩をびくつかせる。
「‥‥あなたがよくご存知なんじゃないですか」
はあ? なんだそれは。
「お前、なんで居るの」
「あなたはどうして来たんですか」
俺を見ようともしない。俺だって目と目を合わせて会話なんざごめんだけど。
「――お前、まだ」
潤一のことが好きなのか。
この教室で潤一がこいつに襲われているのを見たとき、一気に頭に血がのぼったのをいまでも覚えている。その行為自体よりも、俺ですら打ち明けられないで燻ぶらせていた想いを、出逢って数日の歳下が軽々しく口にしていることに腹が立っていた。
「俺がこう言うのもおかしいけど、なんか変わったな」
「?」
ここで初めて目が合った。だけど、原瀬はすぐに下を向いてしまった。
「なんかこう、もっとまわりが見えてなかったというか、ガキ丸出しだったというか」
「この期に及んでまだ俺を痛めつけますか」
「ちがう、そうじゃない。変わったって言ったろ。ガキ丸出しじゃなくなったって言いたいんだ」
「‥‥だから?」
「お前が俺を避けてることも知ってたし、だからって無理やり絡もうって気もなかったし。なんつーか、しばらく接してないうちに大人? になったというか?」
「‥‥誉め言葉も誰に言われるかによって、嬉しくありませんね」
「‥‥可愛くねぇガキ」
存外、厭な奴じゃなさそうってのは判ってたが、ちゃんと話してみると前の悪い印象が消えてゆく。
「生活委員、お前だけらしいな」
俺は適当な席に腰かける。
「あなたのこと、須堂先生が心配してましたよ」
「ホントか?」
「あの先生があなたのことを心配しないわけないでしょう」
どういう意味だ? 俺以上にふらふらしている印象がある先生が、俺の心配を?
「進路、まだ決まってないんですよね。頼むから決めてくれませんか。先生と居るといつもあなたの進路の心配ばかりで参ってるんですよ」
「須堂先生が? お前と俺の話をしてるのか?」
「俺は話してません。先生がひとりで喋ってるんです」
「どうして?」
「自分で訊いたらどうですか。そのほうが先生だって喜びますよ」
「は? さっきからなに言ってんのお前」
俺がそう言うと、原瀬は音をたてて立ちあがった。
「こんな奴のどこがいいんだか!」
ひとつ声を荒げて教室を出て行ってしまった。情緒不安定というか、俺がそうさせているのか。
原瀬がなにについて怒っているのか判らない。さすがに以前は潤一と俺の敵として原瀬のことを見ていたが、いまでは別に害があるとは思っていない。だからといって過去のことを水に流して慣れ合うつもりもない。
潤一はあの調子だから原瀬に普通に話しかけたりするが、俺的には逆効果なのでは、と思っている。だって、さっき俺が入ってきたときの不服そうな顔よりも、潤一に話しかけられている原瀬の顔のほうが苦しそうだからだ。
やはり、まだ潤一のことが好きなのか――
「あれれ」
扉が開き、須堂先生が入ってきた。
「待ってたんですよ先生」
「原瀬が居なかった?」
「居ましたけど、なんかキレて出て行きましたよ」
「そっか。まあいいや。――僕も君のこと待ってたんだよ」
「らしいすね」
「原瀬から聞いた?」
「すこしだけ」
先生はにっこりすると、俺の前の席に座り、向かい合ってこう言った。
「煙草、ちょうだい」
***
薄暗い理科室で、先生とふたり肩を並べて煙草を吸う。換気扇の下で、黙って煙を揺らしている。
驚いた。煙草、と言われたとき一瞬で目の前が真っ暗になった。高校三年の秋にもなって、退学か。進路がどうのこうのじゃない――青ざめた俺を見て先生はさらに笑ってこう付け加えた。
「僕の無くなっちゃったんだよね。同じ銘柄でしょ? だから橋本のをちょうだいよ」
俺が恐る恐るポケットから取り出して先生の手のひらに乗せると、先生は俺の手を取って、
「僕のところで」
と、この理科室に連れてこられたのだった。
完全に怒られると思ったが、そんな気配はなく、ただただふたりでゆっくりと一本ずつ火を点けて咥えている。
「ね、先生。どうして俺の煙草のこと知ってるの」
「たまたまだよ。どこかで嗅いだことある匂いがするなぁと思ったら君の煙草だったってだけね」
「へ、へぇ。同じの吸ってるなんてなんかちょっと嬉しい、ような‥‥?」
「ふふ、僕も嬉しいよ。あ、でも吸殻をあの庭に捨てておくのは感心しないなぁ」
「あ。すんません。いつもはちゃんと携帯灰皿を持ってんすけど」
「君がバレちゃうと、僕もバレちゃうからね」
それから特に会話することなく、その日は帰った。先生にいろいろ相談したかったのに、忘れていた。
***
「須堂先生ってばおかしいよ。結城にはなんだか甘い気がする」
「え?」
数日後。いつもの裏庭。
俺は須堂先生と一服した話を潤一に話したのだが、潤一は不満そうに頬を膨らませた。
「別に怒られたわけじゃねぇし、咎める気もなさそうだし、このままでいいだろ。ひとつ不安があるとすれば、いつまでも俺の煙草にたかられるのはちょっと困るってくらいで」
「結城も須堂先生に甘い!」
「持ちつ持たれつって言葉があるだろ、それだよ」
「僕にだけいい加減な気がするんだよなぁ、あの先生。最近だと原瀬くんともなんだか親密でさ」
「あー‥‥そうか、潤一は知らなかったっけ」
「なにが?」
「あのふたりさ――」
俺は、空になった煙草の箱を、ぐしゃりと握りつぶしてポケットにしまった。
隙間の彼 -裏庭編-
喫煙の彼
了
橋本結城、秋。
「やあ」
生活係の教室の扉を開けると、奴が居た。中央の席に座り、ぼんやりと黒板を見ていた奴。もう二度と見たくねぇと思っていたツラだったが、それは向こうも同じだったらしく、誰が見ても判りやすく俺を避けていた。
「‥‥どうも」
原瀬亮太。
恋敵と言うにはもったいなく、ただの後輩にしては胸糞が悪い奴だ。まともに会話をしたのはあの春の日から何ヶ月ぶりだ? 同じ委員会だから顔を合わせることはあっても、会話を交わすことはしないし、それ以外、校内でもすれ違わない。
夏休みも終わり、卒業後の進路が決まっていなければならないこの時期に、俺はいまだふらふらとしている。潤一と同じ大学に行きたい。ただそれだけだったが、いろいろと足りないものがある。学力とか。
頼りになるかは別として、俺は生活係顧問の須堂先生に相談に来たのだが、教室には原瀬しか居なかったというわけだ。
「先生は」
乱暴に閉まった扉の音に、原瀬は肩をびくつかせる。
「‥‥あなたがよくご存知なんじゃないですか」
はあ? なんだそれは。
「お前、なんで居るの」
「あなたはどうして来たんですか」
俺を見ようともしない。俺だって目と目を合わせて会話なんざごめんだけど。
「――お前、まだ」
潤一のことが好きなのか。
この教室で潤一がこいつに襲われているのを見たとき、一気に頭に血がのぼったのをいまでも覚えている。その行為自体よりも、俺ですら打ち明けられないで燻ぶらせていた想いを、出逢って数日の歳下が軽々しく口にしていることに腹が立っていた。
「俺がこう言うのもおかしいけど、なんか変わったな」
「?」
ここで初めて目が合った。だけど、原瀬はすぐに下を向いてしまった。
「なんかこう、もっとまわりが見えてなかったというか、ガキ丸出しだったというか」
「この期に及んでまだ俺を痛めつけますか」
「ちがう、そうじゃない。変わったって言ったろ。ガキ丸出しじゃなくなったって言いたいんだ」
「‥‥だから?」
「お前が俺を避けてることも知ってたし、だからって無理やり絡もうって気もなかったし。なんつーか、しばらく接してないうちに大人? になったというか?」
「‥‥誉め言葉も誰に言われるかによって、嬉しくありませんね」
「‥‥可愛くねぇガキ」
存外、厭な奴じゃなさそうってのは判ってたが、ちゃんと話してみると前の悪い印象が消えてゆく。
「生活委員、お前だけらしいな」
俺は適当な席に腰かける。
「あなたのこと、須堂先生が心配してましたよ」
「ホントか?」
「あの先生があなたのことを心配しないわけないでしょう」
どういう意味だ? 俺以上にふらふらしている印象がある先生が、俺の心配を?
「進路、まだ決まってないんですよね。頼むから決めてくれませんか。先生と居るといつもあなたの進路の心配ばかりで参ってるんですよ」
「須堂先生が? お前と俺の話をしてるのか?」
「俺は話してません。先生がひとりで喋ってるんです」
「どうして?」
「自分で訊いたらどうですか。そのほうが先生だって喜びますよ」
「は? さっきからなに言ってんのお前」
俺がそう言うと、原瀬は音をたてて立ちあがった。
「こんな奴のどこがいいんだか!」
ひとつ声を荒げて教室を出て行ってしまった。情緒不安定というか、俺がそうさせているのか。
原瀬がなにについて怒っているのか判らない。さすがに以前は潤一と俺の敵として原瀬のことを見ていたが、いまでは別に害があるとは思っていない。だからといって過去のことを水に流して慣れ合うつもりもない。
潤一はあの調子だから原瀬に普通に話しかけたりするが、俺的には逆効果なのでは、と思っている。だって、さっき俺が入ってきたときの不服そうな顔よりも、潤一に話しかけられている原瀬の顔のほうが苦しそうだからだ。
やはり、まだ潤一のことが好きなのか――
「あれれ」
扉が開き、須堂先生が入ってきた。
「待ってたんですよ先生」
「原瀬が居なかった?」
「居ましたけど、なんかキレて出て行きましたよ」
「そっか。まあいいや。――僕も君のこと待ってたんだよ」
「らしいすね」
「原瀬から聞いた?」
「すこしだけ」
先生はにっこりすると、俺の前の席に座り、向かい合ってこう言った。
「煙草、ちょうだい」
***
薄暗い理科室で、先生とふたり肩を並べて煙草を吸う。換気扇の下で、黙って煙を揺らしている。
驚いた。煙草、と言われたとき一瞬で目の前が真っ暗になった。高校三年の秋にもなって、退学か。進路がどうのこうのじゃない――青ざめた俺を見て先生はさらに笑ってこう付け加えた。
「僕の無くなっちゃったんだよね。同じ銘柄でしょ? だから橋本のをちょうだいよ」
俺が恐る恐るポケットから取り出して先生の手のひらに乗せると、先生は俺の手を取って、
「僕のところで」
と、この理科室に連れてこられたのだった。
完全に怒られると思ったが、そんな気配はなく、ただただふたりでゆっくりと一本ずつ火を点けて咥えている。
「ね、先生。どうして俺の煙草のこと知ってるの」
「たまたまだよ。どこかで嗅いだことある匂いがするなぁと思ったら君の煙草だったってだけね」
「へ、へぇ。同じの吸ってるなんてなんかちょっと嬉しい、ような‥‥?」
「ふふ、僕も嬉しいよ。あ、でも吸殻をあの庭に捨てておくのは感心しないなぁ」
「あ。すんません。いつもはちゃんと携帯灰皿を持ってんすけど」
「君がバレちゃうと、僕もバレちゃうからね」
それから特に会話することなく、その日は帰った。先生にいろいろ相談したかったのに、忘れていた。
***
「須堂先生ってばおかしいよ。結城にはなんだか甘い気がする」
「え?」
数日後。いつもの裏庭。
俺は須堂先生と一服した話を潤一に話したのだが、潤一は不満そうに頬を膨らませた。
「別に怒られたわけじゃねぇし、咎める気もなさそうだし、このままでいいだろ。ひとつ不安があるとすれば、いつまでも俺の煙草にたかられるのはちょっと困るってくらいで」
「結城も須堂先生に甘い!」
「持ちつ持たれつって言葉があるだろ、それだよ」
「僕にだけいい加減な気がするんだよなぁ、あの先生。最近だと原瀬くんともなんだか親密でさ」
「あー‥‥そうか、潤一は知らなかったっけ」
「なにが?」
「あのふたりさ――」
俺は、空になった煙草の箱を、ぐしゃりと握りつぶしてポケットにしまった。
隙間の彼 -裏庭編-
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