徒花の彼

砂詠 飛来

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虚偽の彼

一、

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 新年。

 気がついたら明けようとしていた。いつものように、先生のベッドで、先生と一緒に。

 親なんていないも同然の俺は、いままで、まともな新年を迎えたことがなかった。それが、今年は好きな人の腕のなか。俺もなかなかに頑張っていると思う。

 ふと時計を見て、長針と短針が12の位置で重なったとき、俺は小さな声で先生に言った。

「今年もよろしく、実幸さん」

***

 朝はせわしなかった。

「雑煮! おせち!」

 シャワーを浴びて間もない先生は、濡れた髪もそのままにキッチンに立っていた。

「風邪ひきますよ」

「準備するの忘れてたんだよ」

「俺がやりますから」

 先生の手から包丁を奪おうと、まだ湯気がたちのぼるその手を握る。このまま先生が料理する姿を見ていたいと思ったが、風邪をひかれるのは困る。でも、ぐったりしている先生の看病をするのも悪くないか‥‥?

「僕は理科の教師だぞ」

「は?」

「実はね、理科室でひそかに調理してたんだよ。実験器具を使って」

「それいいんですか」

「理科室と実験室の責任者は僕だからね」

 俺は先生の手から包丁を奪ったけれど、そんなことなんともないといった顔で、先生は新しい包丁を取り出していた。

 ――これもまたいいか。

 先生と一緒に料理をする。またひとつ、思い出ができた。

「9時になったら出かけるからね」

「なにかあるんですか」

「初詣に行こう。この近くに、小さいけれど良い神社があるんだ」

 時計は、8時半を指している。

「時間ありませんよ」

「やりかけでいいよ。約束してるんだ、9時に神社って」

「9時に家を出るんだったら、約束に間に合わないじゃないですか‥‥それに、約束って誰とですか」

 ふたりきりじゃない。そう思ったら、自分でも驚くほど声が低くなった。

「知らない人じゃないよ、君も」

 先生は、適当に切った具材を鍋に投げ入れた。

 結局、誰と約束しているか訊き出せず、そのうえバタバタと調理を進めたので、俺の機嫌は最高に最低だった。

 せっかくの先生と新年なのに。せっかくの初詣なのに。

 それに、雑煮もおせちも完成せず、空腹のまま出かけることになって、イライラもピークになる。

 玄関でコートを羽織り、マフラーを巻く。履きなれたブーツで先生を待つ。

 先ほど、ちょっと待ってて、とだけ言い残して先生は自室にこもってしまったのだった。もう、9時になってしまうのに。

「先生、まだですか! ひとりで行っちゃいますよ!」

 朝から大きな声を出したくない。それでも、先生がすぐに履けるように、俺と色違いのブーツを揃えてあげる。

「神社の場所、知らないでしょ。あ、それは履いて行かないから」

 顔をあげた俺の目の前には、藍色の着物に身を包んだ先生が立っていた。

 いつも着ている薄汚れた白衣とのギャップか、髪は普段と同じくボサボサなのに、うなじや、色白さが強調された喉元、ひっそりと裾から覗く足首、なんてことない部分が色っぽく、息をするのも忘れるほどに見入ってしまった。

「和服‥‥」

「どう? 似合う?」

「‥‥‥」

「お気に召さなかった?」

 先生は靴箱の奥から下駄を取り出して、埃をはたき、ふう、と息で吹き飛ばす。

「‥‥とっても、お似合いです」

 それまでのイライラがすべて、埃と一緒に吹き飛んだ。
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