徒花の彼

砂詠 飛来

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虚偽の彼

三、

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「‥‥どういうつもりですか」

「なにが」

 橋本結城がキッチンに入ってきて、調理のつづきをはじめる。と言っても、あとは皿や椀に盛りつけるだけ。

「くだらない痴話喧嘩のせいで飯が遅くなるのが厭なだけだ」

「痴話喧嘩って‥‥! 誰のせいだと思ってんですか」

「おれと潤一は招待されただけ。お前らの問題だろ」

「‥‥先生と俺の関係、知ってるんですか」

「知らない」

 橋本結城は、使い終わった調理器具を洗う。泡を流したそれを、俺が受け取って布巾で拭く。

「じゃあ‥‥先生があなたのことをどう思ってるかは?」

 訊いていいのか判らないが、この人とふたりきりになるのは、金輪際ないだろう。せっかくなら、なんでも訊いてしまおう。

「――知らない。おれは、潤一のことしか考えてない」

 ふいに香る、煙草の香。腹が立つけど、先生と同じ匂い。先生が、この人の煙草を没収しては、吸っているからだ。

「まだその煙草吸ってんですか」

「え?」

「ここ禁煙ですから」

「馬鹿か。さすがにもう辞めるわ。受験生だからな、おれは」

「進学ですか」

「まぁな。潤一が大学に行くって言ってるから、おれも同じところに」

「あなたが潤一さんと同じところに入れるんですか」

「うるせぇな。入るんだよ。潤一をひとりにしておけるわけないだろ。あの見た目だぞ。いつ誰に襲われてもおかしくない」

 こいつはなにを言っているんだ。そんなことは俺にも納得できるが、俺に話すことか? 実際に、潤一さんを襲ったことのある俺に。

「さっきはひとりで行かせましたよね」

「須堂先生がいるだろ」

「でも、先生が変な気を起こしたら?」

「あー‥‥」

 なにか言い返されると思っていたが、妙に納得されてしまって、俺もなんだか気持ちが悪い。

「先生、約束したって言ってましたけど、どちらから声をかけたんですか」

「約束?」

「初詣と、いまです」

「ああ。先生からだよ。学業成就とかいろいろ良い神社が近所にある、って教えてもらったんだ。で、ついでにうちにおいでよって言ってくれた」

「そう、ですか」

 俺だけが知らないことを、三人で共有している。

「俺がいることは聞いてました?」

「先生からは聞いてないけど、潤一が言ってたんだよ。きっと原瀬も一緒だろうって」

「え。なんで」

「さあ。でさ、なにに腹を立ててるわけ?」

 洗いものを終えた橋本結城は、俺を見る。

「なにって‥‥全部です。先生が約束のこと黙ってたのと、あなたの煙草と同じ匂いがするのと、それから‥‥」

「もう判った、判った。訊いたおれが悪かった」

 言いながら、橋本結城は俺の腹を叩いた。

「腹減るとイライラするもんな。先生、早く戻ってくるといいな」

 リビングへと消える奴の背中を見ながら、叩かれた腹をさする。俺は、いろんな人から気を遣われている。気にかけてもらっている。自分がいかにガキかが判ってしまい、悔しくて涙が出た。

 その場に座り込み、声を殺して泣いた。

 涙でぐしょぐしょになった俺をキッチンで発見したのは、帰ってきた潤一さんだった。いちばん見られたくない人に見つかってしまった。

「どうしたの」

「見ないでください」

「結城になにか言われた?」

「見ないでください」

 これ以上、溢れ出てしまわないように同じ言葉しか言えない。俺を心配する顔も声も、肩に置かれたその手も、もう諦めたはずなのに。

「あれ。どした」

 先生もやってきた。もう、最悪だ。

「先生たちの帰りが遅くて、拗ねちゃってんですよ」

 橋本結城までやってきて、なにか喋っている。

「そうか、ごめんな」

 先生はしゃがみ込むと、俺の涙を拭う。冷たい手で。

「悪かった。飯にしよう。僕も腹減ったよ、さすがに」
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