28 / 60
虚偽の彼
三、
しおりを挟む
「‥‥どういうつもりですか」
「なにが」
橋本結城がキッチンに入ってきて、調理のつづきをはじめる。と言っても、あとは皿や椀に盛りつけるだけ。
「くだらない痴話喧嘩のせいで飯が遅くなるのが厭なだけだ」
「痴話喧嘩って‥‥! 誰のせいだと思ってんですか」
「おれと潤一は招待されただけ。お前らの問題だろ」
「‥‥先生と俺の関係、知ってるんですか」
「知らない」
橋本結城は、使い終わった調理器具を洗う。泡を流したそれを、俺が受け取って布巾で拭く。
「じゃあ‥‥先生があなたのことをどう思ってるかは?」
訊いていいのか判らないが、この人とふたりきりになるのは、金輪際ないだろう。せっかくなら、なんでも訊いてしまおう。
「――知らない。おれは、潤一のことしか考えてない」
ふいに香る、煙草の香。腹が立つけど、先生と同じ匂い。先生が、この人の煙草を没収しては、吸っているからだ。
「まだその煙草吸ってんですか」
「え?」
「ここ禁煙ですから」
「馬鹿か。さすがにもう辞めるわ。受験生だからな、おれは」
「進学ですか」
「まぁな。潤一が大学に行くって言ってるから、おれも同じところに」
「あなたが潤一さんと同じところに入れるんですか」
「うるせぇな。入るんだよ。潤一をひとりにしておけるわけないだろ。あの見た目だぞ。いつ誰に襲われてもおかしくない」
こいつはなにを言っているんだ。そんなことは俺にも納得できるが、俺に話すことか? 実際に、潤一さんを襲ったことのある俺に。
「さっきはひとりで行かせましたよね」
「須堂先生がいるだろ」
「でも、先生が変な気を起こしたら?」
「あー‥‥」
なにか言い返されると思っていたが、妙に納得されてしまって、俺もなんだか気持ちが悪い。
「先生、約束したって言ってましたけど、どちらから声をかけたんですか」
「約束?」
「初詣と、いまです」
「ああ。先生からだよ。学業成就とかいろいろ良い神社が近所にある、って教えてもらったんだ。で、ついでにうちにおいでよって言ってくれた」
「そう、ですか」
俺だけが知らないことを、三人で共有している。
「俺がいることは聞いてました?」
「先生からは聞いてないけど、潤一が言ってたんだよ。きっと原瀬も一緒だろうって」
「え。なんで」
「さあ。でさ、なにに腹を立ててるわけ?」
洗いものを終えた橋本結城は、俺を見る。
「なにって‥‥全部です。先生が約束のこと黙ってたのと、あなたの煙草と同じ匂いがするのと、それから‥‥」
「もう判った、判った。訊いたおれが悪かった」
言いながら、橋本結城は俺の腹を叩いた。
「腹減るとイライラするもんな。先生、早く戻ってくるといいな」
リビングへと消える奴の背中を見ながら、叩かれた腹をさする。俺は、いろんな人から気を遣われている。気にかけてもらっている。自分がいかにガキかが判ってしまい、悔しくて涙が出た。
その場に座り込み、声を殺して泣いた。
涙でぐしょぐしょになった俺をキッチンで発見したのは、帰ってきた潤一さんだった。いちばん見られたくない人に見つかってしまった。
「どうしたの」
「見ないでください」
「結城になにか言われた?」
「見ないでください」
これ以上、溢れ出てしまわないように同じ言葉しか言えない。俺を心配する顔も声も、肩に置かれたその手も、もう諦めたはずなのに。
「あれ。どした」
先生もやってきた。もう、最悪だ。
「先生たちの帰りが遅くて、拗ねちゃってんですよ」
橋本結城までやってきて、なにか喋っている。
「そうか、ごめんな」
先生はしゃがみ込むと、俺の涙を拭う。冷たい手で。
「悪かった。飯にしよう。僕も腹減ったよ、さすがに」
「なにが」
橋本結城がキッチンに入ってきて、調理のつづきをはじめる。と言っても、あとは皿や椀に盛りつけるだけ。
「くだらない痴話喧嘩のせいで飯が遅くなるのが厭なだけだ」
「痴話喧嘩って‥‥! 誰のせいだと思ってんですか」
「おれと潤一は招待されただけ。お前らの問題だろ」
「‥‥先生と俺の関係、知ってるんですか」
「知らない」
橋本結城は、使い終わった調理器具を洗う。泡を流したそれを、俺が受け取って布巾で拭く。
「じゃあ‥‥先生があなたのことをどう思ってるかは?」
訊いていいのか判らないが、この人とふたりきりになるのは、金輪際ないだろう。せっかくなら、なんでも訊いてしまおう。
「――知らない。おれは、潤一のことしか考えてない」
ふいに香る、煙草の香。腹が立つけど、先生と同じ匂い。先生が、この人の煙草を没収しては、吸っているからだ。
「まだその煙草吸ってんですか」
「え?」
「ここ禁煙ですから」
「馬鹿か。さすがにもう辞めるわ。受験生だからな、おれは」
「進学ですか」
「まぁな。潤一が大学に行くって言ってるから、おれも同じところに」
「あなたが潤一さんと同じところに入れるんですか」
「うるせぇな。入るんだよ。潤一をひとりにしておけるわけないだろ。あの見た目だぞ。いつ誰に襲われてもおかしくない」
こいつはなにを言っているんだ。そんなことは俺にも納得できるが、俺に話すことか? 実際に、潤一さんを襲ったことのある俺に。
「さっきはひとりで行かせましたよね」
「須堂先生がいるだろ」
「でも、先生が変な気を起こしたら?」
「あー‥‥」
なにか言い返されると思っていたが、妙に納得されてしまって、俺もなんだか気持ちが悪い。
「先生、約束したって言ってましたけど、どちらから声をかけたんですか」
「約束?」
「初詣と、いまです」
「ああ。先生からだよ。学業成就とかいろいろ良い神社が近所にある、って教えてもらったんだ。で、ついでにうちにおいでよって言ってくれた」
「そう、ですか」
俺だけが知らないことを、三人で共有している。
「俺がいることは聞いてました?」
「先生からは聞いてないけど、潤一が言ってたんだよ。きっと原瀬も一緒だろうって」
「え。なんで」
「さあ。でさ、なにに腹を立ててるわけ?」
洗いものを終えた橋本結城は、俺を見る。
「なにって‥‥全部です。先生が約束のこと黙ってたのと、あなたの煙草と同じ匂いがするのと、それから‥‥」
「もう判った、判った。訊いたおれが悪かった」
言いながら、橋本結城は俺の腹を叩いた。
「腹減るとイライラするもんな。先生、早く戻ってくるといいな」
リビングへと消える奴の背中を見ながら、叩かれた腹をさする。俺は、いろんな人から気を遣われている。気にかけてもらっている。自分がいかにガキかが判ってしまい、悔しくて涙が出た。
その場に座り込み、声を殺して泣いた。
涙でぐしょぐしょになった俺をキッチンで発見したのは、帰ってきた潤一さんだった。いちばん見られたくない人に見つかってしまった。
「どうしたの」
「見ないでください」
「結城になにか言われた?」
「見ないでください」
これ以上、溢れ出てしまわないように同じ言葉しか言えない。俺を心配する顔も声も、肩に置かれたその手も、もう諦めたはずなのに。
「あれ。どした」
先生もやってきた。もう、最悪だ。
「先生たちの帰りが遅くて、拗ねちゃってんですよ」
橋本結城までやってきて、なにか喋っている。
「そうか、ごめんな」
先生はしゃがみ込むと、俺の涙を拭う。冷たい手で。
「悪かった。飯にしよう。僕も腹減ったよ、さすがに」
0
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ふたなり治験棟
ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。
男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!
告白ごっこ
みなみ ゆうき
BL
ある事情から極力目立たず地味にひっそりと学園生活を送っていた瑠衣(るい)。
ある日偶然に自分をターゲットに告白という名の罰ゲームが行われることを知ってしまう。それを実行することになったのは学園の人気者で同級生の昴流(すばる)。
更に1ヶ月以内に昴流が瑠衣を口説き落とし好きだと言わせることが出来るかということを新しい賭けにしようとしている事に憤りを覚えた瑠衣は一計を案じ、自分の方から先に告白をし、その直後に全てを知っていると種明かしをすることで、早々に馬鹿げたゲームに決着をつけてやろうと考える。しかし、この告白が原因で事態は瑠衣の想定とは違った方向に動きだし……。
テンプレの罰ゲーム告白ものです。
表紙イラストは、かさしま様より描いていただきました!
ムーンライトノベルズでも同時公開。
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる