神殺しの英雄

淡語モイロウ

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第一章

#01

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 飛んで火に入る・・・という言葉がある。
 はたから見れば今の自分は、まさにそれなのだろうと、どこか他人事のようにエリックは思った。

「飛んで火に入る何とやらとは、このことを言うのだろうな!」

 どうやら対峙している相手も同じ事を思っていたらしい。
 巨漢の男である。身の丈は平均的な一般男性よりも頭一つ分以上大きい。奇妙な文様の描かれたむき出しの両腕は、まるで丸太のような太さであり、熊でも絞め殺せそうな膂力をうかがわせる。
 胸と胴を覆う革製の軽鎧に包まれた体も、はちきれんばかりの筋肉がその下に息づいていることが見ただけで分かった。
 顔立ちは極めて強面。鼻下から口周りを囲むように生やした髭と、禿頭。
 どこからどう見ても、山賊。
 そう。今、エリックの目の前に立っているこの男は、山賊の頭目である。
 最近、この近辺の村々に悪さをしているという山賊一味がいるとは聞いていた。
 そんな山賊一味らしき人影をこの森の入り口で見つけたのが、この担当地域の巡回をしていたエリックである。
 二手に分かれて巡回している相棒に知らせようかと逡巡はしたが、結局一人でその後を追っていった結果、今に至る。
 おそらくは、この森が連中の根城。そして、森に立ち入った侵入者の存在を知らせる、何かしらの仕掛けでもあるのだろう。
 細かいことなど全く気にしなさそうな見た目とは裏腹に、意外な周到さである。

「その格好、どこぞの町か村の自警団員か・・・。フン、どうせ手柄を独り占めして出世でも目論んだクチだろう」

 小馬鹿にしたように鼻で笑う頭目の言葉に、思わず相棒の顔が脳裏に浮かんだ。
「俺、出世したいし」が、口癖の同期で同い年の相棒ではあるまいし、そんなわけあるか、と言葉には出さずに心の中で吐き捨てる。
 エリックが言葉を返さないので、その場にしばしの沈黙が流れた。
 頭目は黙したまま、顎の無精ひげを指で撫でながら、じっとエリックの顔を見つめている。
 と、その目が次第に険しさを増す。強面が更に威力を増す。子供とかが見たら絶対に泣き出しそうな顔になった。

「よもや、この俺ーーー南部地域では知らぬ者のいない大山賊と対峙して、無事に帰れるなどと思ってはいまいな」

 知るか、と再びエリックは吐き捨てる。勿論、心の中でのみ。
 というか、南部でどれだけ名を馳せたか知らないが、ここ北部だぞ。しかも大陸の最北端地域。自身を大山賊呼びしたところで、知らない人間は自分も含めて大多数だ。
 そんなことを気付きもしない、もしかしたら考えてすらいないであろう、自称大山賊の頭目はにやりと笑みを浮かべる。

「身の程知らずな若輩者には、体に教え込まねばなるまい。覚悟してもらう。特にーーー」

 険しい表情がより一層強まる。まるで親の仇でも見るような目で、憎しみすら宿らせて、吼える。

「特にその、如何にも女にモテそうな顔! ただで済むと思うなよ!」

 叩きつけるような怒声を浴びせられても、エリックは怯むどころか若干脱力し、呆れた。
    同時に「またか・・・」とうんざりしながら思う。
 そんなエリックの心情など知り得ない手下たちが、「そうだ、そうだ!」と一斉に斉唱する。

「頭には愛する女がいたんだぞ!」

「その女をイケメン実業家に盗られたんだぞ!」

「つい一月前のことなんだぞ!」

「現在、失恋中真っ盛りなんだぞ!」

 心底どうでもいい情報を次々と発表する、二十人はいるであろう手下たちは、頭目の背後にずらりと控えている。

「うおおおおおお! マリアンヌ! ハゲが嫌いならそう言ってくれれば・・・! 俺は、俺は、どんな手段を以てしても、この頭をフサフサにしてみせたのにー!」

 天に向かって野太い叫び声を上げながら、涙を流す頭目。
 手下たちはそんな頭目を囲み、「男は見た目じゃないですよ!」だの、「もっといい人がきっと現れますよ!」など励ましの言葉をかけている。
 どうやらこの山賊一味、絆は相当深いようである。
 というか、なんだコレ・・・
 完全におていけぼり状態のエリックは、この場の雰囲気についていけず、山賊一味の友愛劇を冷め切った目で見つめるばかりであった。

「そういうわけで、貴様のように恵まれたイケメンを俺は絶対に許さん! その神の寵愛を受けまくった顔、じゃがいも面にしてくれるわ!」

 何がそういうわけなのか、全く分からないが、とりあえず茶番は終わったようである。
 ようやく本題に入れるようだが、頭目が放った先の言葉は、エリックにとって聞き捨てならないものであり、思わず眉を吊り上げてしまう。
 恵まれている? ふざけるな。この顔のせいで俺がどれだけ苦労しているかも知らずに、勝手なことばかり抜かしやがって!
 どれだけ、そう言ってやりたかったか。
しかし、言ったところで理解などされないだろうし、一々事情を説明するのも面倒だ。無駄なことはしないに限る。
 ちなみに沈黙している理由は、それだけではなく、喋ったら絶対に「声までいいとは、ますます許さん!」とか言い出して余計怒らせそうだから、である。
 すでに炎上しているところに、わざわざ油を注ごうなどとは思わない。
 そんな怒り炎上中の頭目が身構える。戦いの口火を切る言葉を発した。

<言霊を以て命ずる。我が拳の一撃は、岩をも砕く鉄槌の如し!>

 その言葉に応えるかのように、両腕に描かれた奇妙な文様がぼうっと、淡い光を発した。
 と、エリックに背を向けて、頭目が突然走り出す。
 おい、どこへ行く? というエリックの視線に見送られながら駆けていく先にあったのは、手頃な岩。

「ぬりゃああああ!」

 気合いの叫びと共に繰り出した拳の一撃が、破壊音を伴って岩を砕く。
「おおー!」と、手下たちから歓声と拍手が湧いた。
 そんな歓声を受け、ゆっくりと振り返った頭目の顔は、「どうだ!」と言わんばかしの得意満面だった。

「ふはははは! 見たか、この威力。これで、貴様の顔面もじゃがいも面にしてくれるわ!」

 いや、岩も砕くような拳打を人間の顔面に打ち込んだら、じゃがいも面どころか、色々飛び散って大変なことになるぞ?
 冷静に、相変わらず心の中のみで反駁するエリックを、どうやら驚愕のあまり声も失っていると勘違いしたらしいこの筋肉馬鹿は、得意満面な表情を崩さずに、ふんっと鼻で笑った。

「貴様のその、サラサラツヤツヤな頭髪も気に入らん! ついでに刈り取ってやる。ハゲの苦しみを思い知るがいい!」

 じゃがいも面にするだけではなく、丸坊主にもされるようだ。
 丸坊主にはされたくないな、と自身の長めの前髪を見ながら心の内で呟いたエリックだったが、不意に小さな閃きを思いつく。
 この頭髪を全部刈り落としてしまったのなら、自分の呪われている体質も少しはマシになるのではないだろうか・・・
 至極真面目に検討しかけたが、すぐにその考えは却下となる。
 何せここは、大陸の最北端に位置する場所。冬には氷点下を余裕で下回る極寒の地だ。
 多少この呪われた体質がマシになる程度と引き替えに、わざわざ寒い思いはしたくない。
 もしも、これが完全に克服できるというのであれば、考えるまでもないことなのだが・・・
 小さく吐息を吐くと、わずかに膝を落としてエリックは身構える。
 腰に下げていた一対の剣柄に手をかけ、もうこれ以上無駄なやり取りに付き合う気はないということを相手に訴えた。
 頭目は意外そうに少し目を見張った後、小馬鹿にするように口元を歪めて笑い、両拳を顔の前に掲げて戦闘態勢を取る。
 それに倣ったかのように、手下たちはそれぞれの得物に手をかけ、または引き抜いて、エリックを包囲する。
 数十対一。多勢に無勢。絶対絶命の窮地。
 そんなただ中にいながらも、エリックの口元には小さく不敵な笑みが浮かんでいた。
 ーーー上等だ。
 相手にとって不足はない、むしろ物足りないほどである。
 柄を握る両手に力を込め、エリックが自信に裏付けされたその実力を言葉と共に発しようとした、その瞬間。

「あー。いたいたー!」

 その場に突然、割って入ってきた声。
 あまりにも場違いな、暢気な響きの言葉に思わず振り返ろうとしてーーー
 空前絶後の衝撃がエリックを襲った。
 全く予期せぬ事態。不意打ちーーーそう呼ぶほかにあるまい。
 視界に映る景色が反転する。身体が地面を離れて浮き上がるのを感じた。
 一体、何が起きたのか・・・
 空白と化した思考の中で、唯一理解できたのは、何者かの攻撃を受けたという事だけ。
 しかし、誰が、何故、どうやってという不可解な点が解けぬ疑問として残る。
 結局、いきなり自身を襲った怪異の正体を掴むことは叶わずに、意識は徐々に薄れていく。
 その中で、鮮烈な紅い色を見た気がした。
 けれどそれが何であるのか、やはり理解することなく、エリックは意識を失った。
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