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第一章
#05
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「じゃあ、俺、団長に報告してくるから」
そう言って、キースは自警団本部に戻るなり、団長の常勤室へと一人向かった。
別に魔物を倒した数とか、一々報告する義務もなければ必要もないと言うのに・・・
「・・・帰るか」
出世のための点数稼ぎに余念のない相棒に対して呆れ半分、感心半分のため息を吐いてから、エリックは宿舎に戻ることにした。
いや、戻ろうとしたのだが・・・
目の前に広がるのは、人、人、人。
どこを見ても人で溢れかえっている光景。
すっかり忘れていたが、今日は町の大通りにまで商いを広げることの許された、市の解放日だった。
月に一度の頻度で開催されていたのだが、ここ二月ばかり続いた悪天候により、延期に延期を重ね、先延ばしにされ続けてきた。
季節外れの長雨は、まるで亡くなった前の領主様の死を天が嘆いているようだという噂が人々の間で囁かれていた。
エリックは会ったこともなければ見かけたこともないのだが、そんな風に言われて惜しまれるのだから、きっと立派な人柄の、いい領主様だったのだろう。
そんなわけで。
売る側も買う側も待ちに待った今日という日は、いつも以上に盛り上がり、混雑していた。
この町の住人は勿論、外からやってきた商人、近隣の町や村からやってきた者、旅の途中に立ち寄った旅人など、ありとあらゆる人々が、そこに集って賑わいをみせている。
夕暮れも近い時刻だというのに、その人だかりは一向に減る様子は見られない。
普段エリックは、この大通りを通って宿舎へ帰っている。
他に道がないわけではなのだが、ここが一番の近道だからだ。
普段なら何の躊躇いもなく歩みを進めるその足は、しかし大通りに入る一歩手前で止まっている。
人の多さに驚いたという事もあるが、それ以上にエリックの足を進むことを躊躇わせているのは、人の波の中に見える危険因子の存在からだ。
密集する人だかりの中にちらほらと見える女の姿。老いもいれば若いも幼いもいる。
とにかくあらゆる年代の女が勢揃いの状態であった。
これだけ人が密集している中に踏み入り、女だけを上手く避けて進むというのは、どんな神業を以てしても不可能だろう。
つまり今、この道を行くことは死の中に飛び込むようなものである。
仕方ない。相当遠回りになるが、今日は路地裏の道を通って行くしかない。
嘆息を一つ。路地裏に向けて歩き出したその時だった。
「あれ? 何でこんなところにいるの?」
雑踏の中から、明らかに自分に向けて放たれたその言葉。
振り返ると同時に、人混みの中から鮮やかな色彩が飛び出してきた。
一人の少女である。
まず、何よりも目に付いたのは、腰よりも長さのあるその髪の色。
赤毛と言えば野暮ったい印象を持たれがちだが、その髪は人参のように安っぽい赤ではなく、燃え盛る炎、または鮮血を連想させる、一切混じりけのない真の紅だった。
年の頃は十三、四。多く見積もっても十五。背丈や女としては未完成の体つきから、それ以上と言うことはないだろう。
磨き抜かれた黒玉のような、無邪気な輝きを閉じこめた大きな瞳がじっとエリックを見つめている。
どこかで、会っただろうか?
最近の記憶を遡ってみるが、覚えがない。
無意識のうちに首を傾げるエリックを真似るように、少女も同じ動作を取った。
はずみで、長い紅髪がさらりと揺れる。
紅・・・紅い色。
この色を知っている。どこか見たーーー
そう、あれは、昨日・・・山賊一味と対峙したときーー
これと全く同じ色を見た。
「お前、まさか・・・・」
質す言葉は、しかし確信を抱いてないなかった。それを確たるものとしたのは少女が放ったその台詞。
「キミ、山賊じゃなかったの?」
それでエリックは全てを理解した。
今、目の前にいるこの少女こそ、昨日自分をぶっ飛ばしてくれた張本人だということを。
「俺のどこをどう見たら山賊に見えるんだよ!」
よく見ろと、自身の着ている自警団の制服を指差す。
言われた通り、自警団の制服をまじまじと見つめた少女は、そこでようやく気付いたとばかりに大きく頷いた。
「ほんとだー。山賊と一緒にいたから間違えちゃった」
まるで悪びれた様子のない、些細な失敗であるかのようにへらへらと笑うのを見て、当然ながらエリックは心穏やかであるはずもない。
まず、謝れ。話はそこからだ。
大体、人を背後からぶん殴っておいてヘラヘラ笑っているとは、どういう了見だ。
あと、持ち去った制服と装備品一式返しやがれ!
握りしめた拳を震わせながら、心の中に浮かんだ言葉を片っ端から吐き出してやろうとしたが・・・
抗議しようと口を開きかけたところで、少女が動いた。
「!」
反射的に、思わず大きく一歩後ろへ飛び退く。
過剰なほどのエリックの反応を見て、少女はきょとんとした表情を浮かべる。
しばし、二人の間に沈黙が流れた。
と、少女がもう一度一歩を踏み出す。
エリックはその分、一歩後ろへと後退する。
少女が二歩進めばエリックは二歩下がる。三歩進めば三歩下がる・・・
「・・・」
再び、二人の間に沈黙が流れた。
顔を強張らせているエリックを見つめていた少女だったが、やおら破顔する。
その笑顔は、言葉として例えるならばこう言っていた。
ーーーすっごい面白い玩具見つけた!
戦慄が背筋を駆け上がると同時に、エリックの体は動いた。
素早く身を翻すなり、全速力で路地裏へと駆け込んだ。
エリックは足が速い。言霊の力を使い脚力を強化したものならいざ知らず、尋常な駆け勝負ならば負ける気はしない。
加えてこの街の路地裏は複雑に入り組んでおり、慣れていないと住民ですら迷うほどである。
あの少女が追いついてくることなど万が一にもありえないだろうと、勝ち誇った笑みを口元に浮かべた時である。
「ねえねえ、急にどうしたの?」
ありえない声がありえないほど近い距離から聞こえた。
ぎょっとして声が聞こえた方へ視線を向けると、すぐ傍らにあの少女が姿を現せる。
エリックは今、全力で駆けている。
その傍らにぴったりと寄り添うようにいるということは、少女も駆けていることに他ならない。
俊足自慢のエリックに全くひけをとらない速度で駆けているという事実に、目ん玉が飛び出そうなほどの驚愕を受けた。
たが、その驚愕は長くは続かない。
それよりも重大な事実に、はたと気付いた。
この狭い路地裏の道を並走しているということは、その距離感は当然ーー
「のわああああ!」
その時、頭上から声が降ってきた。
反射的に上を見上げたエリックはそこで起きている事象を目の当たりにして、呆気にとられる。
人、だ。
男が一人、文字通り降ってきていた。
何故、人が・・・なんて考えるまでもない。
これは間違いなく女が間合いに入ったことにより引き起こされた災難であることは明白だった。
ーーーどうする? 避けることは・・・可能だ。かろうじて。
だが、その場合、あの男はどうなる?
どれ程の高さから落ちてきたかは知らないが、あのまま地面に叩きつけられれば大怪我・・・或いは打ちどころがわるければ死ーーー
なら、受け止めるか? いや、不可能だ。
非力の類ではないが、小さな子供ならまだしも、高所から落ちてきた大人の男を受け止めきれるほど屈強ではない。
時間にすれば、ごく短い間の出来ことだというのに、その一瞬はひどく遅く長く感じられた。怒濤のように思考を巡らせていた、その時ーー
物凄い衝撃が全身に走った。
体が吹き飛ぶ感覚がしたのも束の間、再び衝撃ーーー何か硬いものに叩きつけられたような気がしたが、それ以上のことはわからない。
急速に意識を失う中、妙な既視感を感じつつも、結局なにがなんだかわからないままエリックの視界と思考は喪失の底へと落ちていった。
そう言って、キースは自警団本部に戻るなり、団長の常勤室へと一人向かった。
別に魔物を倒した数とか、一々報告する義務もなければ必要もないと言うのに・・・
「・・・帰るか」
出世のための点数稼ぎに余念のない相棒に対して呆れ半分、感心半分のため息を吐いてから、エリックは宿舎に戻ることにした。
いや、戻ろうとしたのだが・・・
目の前に広がるのは、人、人、人。
どこを見ても人で溢れかえっている光景。
すっかり忘れていたが、今日は町の大通りにまで商いを広げることの許された、市の解放日だった。
月に一度の頻度で開催されていたのだが、ここ二月ばかり続いた悪天候により、延期に延期を重ね、先延ばしにされ続けてきた。
季節外れの長雨は、まるで亡くなった前の領主様の死を天が嘆いているようだという噂が人々の間で囁かれていた。
エリックは会ったこともなければ見かけたこともないのだが、そんな風に言われて惜しまれるのだから、きっと立派な人柄の、いい領主様だったのだろう。
そんなわけで。
売る側も買う側も待ちに待った今日という日は、いつも以上に盛り上がり、混雑していた。
この町の住人は勿論、外からやってきた商人、近隣の町や村からやってきた者、旅の途中に立ち寄った旅人など、ありとあらゆる人々が、そこに集って賑わいをみせている。
夕暮れも近い時刻だというのに、その人だかりは一向に減る様子は見られない。
普段エリックは、この大通りを通って宿舎へ帰っている。
他に道がないわけではなのだが、ここが一番の近道だからだ。
普段なら何の躊躇いもなく歩みを進めるその足は、しかし大通りに入る一歩手前で止まっている。
人の多さに驚いたという事もあるが、それ以上にエリックの足を進むことを躊躇わせているのは、人の波の中に見える危険因子の存在からだ。
密集する人だかりの中にちらほらと見える女の姿。老いもいれば若いも幼いもいる。
とにかくあらゆる年代の女が勢揃いの状態であった。
これだけ人が密集している中に踏み入り、女だけを上手く避けて進むというのは、どんな神業を以てしても不可能だろう。
つまり今、この道を行くことは死の中に飛び込むようなものである。
仕方ない。相当遠回りになるが、今日は路地裏の道を通って行くしかない。
嘆息を一つ。路地裏に向けて歩き出したその時だった。
「あれ? 何でこんなところにいるの?」
雑踏の中から、明らかに自分に向けて放たれたその言葉。
振り返ると同時に、人混みの中から鮮やかな色彩が飛び出してきた。
一人の少女である。
まず、何よりも目に付いたのは、腰よりも長さのあるその髪の色。
赤毛と言えば野暮ったい印象を持たれがちだが、その髪は人参のように安っぽい赤ではなく、燃え盛る炎、または鮮血を連想させる、一切混じりけのない真の紅だった。
年の頃は十三、四。多く見積もっても十五。背丈や女としては未完成の体つきから、それ以上と言うことはないだろう。
磨き抜かれた黒玉のような、無邪気な輝きを閉じこめた大きな瞳がじっとエリックを見つめている。
どこかで、会っただろうか?
最近の記憶を遡ってみるが、覚えがない。
無意識のうちに首を傾げるエリックを真似るように、少女も同じ動作を取った。
はずみで、長い紅髪がさらりと揺れる。
紅・・・紅い色。
この色を知っている。どこか見たーーー
そう、あれは、昨日・・・山賊一味と対峙したときーー
これと全く同じ色を見た。
「お前、まさか・・・・」
質す言葉は、しかし確信を抱いてないなかった。それを確たるものとしたのは少女が放ったその台詞。
「キミ、山賊じゃなかったの?」
それでエリックは全てを理解した。
今、目の前にいるこの少女こそ、昨日自分をぶっ飛ばしてくれた張本人だということを。
「俺のどこをどう見たら山賊に見えるんだよ!」
よく見ろと、自身の着ている自警団の制服を指差す。
言われた通り、自警団の制服をまじまじと見つめた少女は、そこでようやく気付いたとばかりに大きく頷いた。
「ほんとだー。山賊と一緒にいたから間違えちゃった」
まるで悪びれた様子のない、些細な失敗であるかのようにへらへらと笑うのを見て、当然ながらエリックは心穏やかであるはずもない。
まず、謝れ。話はそこからだ。
大体、人を背後からぶん殴っておいてヘラヘラ笑っているとは、どういう了見だ。
あと、持ち去った制服と装備品一式返しやがれ!
握りしめた拳を震わせながら、心の中に浮かんだ言葉を片っ端から吐き出してやろうとしたが・・・
抗議しようと口を開きかけたところで、少女が動いた。
「!」
反射的に、思わず大きく一歩後ろへ飛び退く。
過剰なほどのエリックの反応を見て、少女はきょとんとした表情を浮かべる。
しばし、二人の間に沈黙が流れた。
と、少女がもう一度一歩を踏み出す。
エリックはその分、一歩後ろへと後退する。
少女が二歩進めばエリックは二歩下がる。三歩進めば三歩下がる・・・
「・・・」
再び、二人の間に沈黙が流れた。
顔を強張らせているエリックを見つめていた少女だったが、やおら破顔する。
その笑顔は、言葉として例えるならばこう言っていた。
ーーーすっごい面白い玩具見つけた!
戦慄が背筋を駆け上がると同時に、エリックの体は動いた。
素早く身を翻すなり、全速力で路地裏へと駆け込んだ。
エリックは足が速い。言霊の力を使い脚力を強化したものならいざ知らず、尋常な駆け勝負ならば負ける気はしない。
加えてこの街の路地裏は複雑に入り組んでおり、慣れていないと住民ですら迷うほどである。
あの少女が追いついてくることなど万が一にもありえないだろうと、勝ち誇った笑みを口元に浮かべた時である。
「ねえねえ、急にどうしたの?」
ありえない声がありえないほど近い距離から聞こえた。
ぎょっとして声が聞こえた方へ視線を向けると、すぐ傍らにあの少女が姿を現せる。
エリックは今、全力で駆けている。
その傍らにぴったりと寄り添うようにいるということは、少女も駆けていることに他ならない。
俊足自慢のエリックに全くひけをとらない速度で駆けているという事実に、目ん玉が飛び出そうなほどの驚愕を受けた。
たが、その驚愕は長くは続かない。
それよりも重大な事実に、はたと気付いた。
この狭い路地裏の道を並走しているということは、その距離感は当然ーー
「のわああああ!」
その時、頭上から声が降ってきた。
反射的に上を見上げたエリックはそこで起きている事象を目の当たりにして、呆気にとられる。
人、だ。
男が一人、文字通り降ってきていた。
何故、人が・・・なんて考えるまでもない。
これは間違いなく女が間合いに入ったことにより引き起こされた災難であることは明白だった。
ーーーどうする? 避けることは・・・可能だ。かろうじて。
だが、その場合、あの男はどうなる?
どれ程の高さから落ちてきたかは知らないが、あのまま地面に叩きつけられれば大怪我・・・或いは打ちどころがわるければ死ーーー
なら、受け止めるか? いや、不可能だ。
非力の類ではないが、小さな子供ならまだしも、高所から落ちてきた大人の男を受け止めきれるほど屈強ではない。
時間にすれば、ごく短い間の出来ことだというのに、その一瞬はひどく遅く長く感じられた。怒濤のように思考を巡らせていた、その時ーー
物凄い衝撃が全身に走った。
体が吹き飛ぶ感覚がしたのも束の間、再び衝撃ーーー何か硬いものに叩きつけられたような気がしたが、それ以上のことはわからない。
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