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第一章
#08
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日中賑わいを見せていた大通りも、時間の経過とともに徐々にその熱は薄れていく。
客足が減りだした店や露天商などがそろそろ店じまいのために動き出した頃ーーー
行き交う人の数が減ったことにより歩きやすくなった大通りの道を、エリックは一人歩いていた。
キースの姿はない。先刻、客と商人との間で勃発した口喧嘩の仲裁に入ったため、エリックはその場を任せて町中を彷徨い中である。
いくら通行人の数が減ったとは言え、町中にいる以上気を抜けるような状況ではないはずなのに、どうしても普段のように警戒心を研ぎ澄ますことが出来ない。
幸い、道中に天敵と遭遇することもなければ、襲われる・・・というか、近付いてくるような輩もいなかったが、そのことに安堵する気持ちも、今は湧かなかった。
心ここにあらず状態で、ぼんやりと考えているのは、あの女性のことだ。
大事な一人娘を領主に攫われたかもしれないと、相談にきていた女性の望みは、結局叶えられなかった。
対応したキースは完璧だった。
娘の詳細な特徴などを聞き取り、親身になって話に耳を傾け、今後のことを詳細に説明した。
唯一、女性の望みである領主への聞き込みについては、団長と相談の上善処する、とだけ述べるに尽きたが。
精一杯の対応をしてくれたことは、女性にも理解できたのだろう。
去り際に深々と頭を下げて、礼を言っていた。それでも、無意識のうちにこみ上げる無念は涙となり、目元に浮かんでいた。
悄然と肩を落として去っていくその後ろ姿が、エリックの脳裏に焼き付いて離れなかった。
もしも、自分が自警団員じゃなかったら・・・不意に、そんなことを考え出してしまう。
畏れるものもなく、失うものもなく、ただ信念のまま自由に行動できる漂白の身の上だったなら、あの女性を泣き止ますことが出来たのではないだろうか。
ふと我に返った途端、現実に面した冷静な部分がそれはあまりにも馬鹿な考えだと叱咤する。
当然だ。そんなことをしたら、全てを失うだけである。
だが・・・
自分なら・・・、この地に養うべき家族もなく、もともと流れ者である自分なら、或いは・・・
再び愚かしいまでの考えに没頭しかけた時、背後から聞こえた軽快な足音。
その足音が誰のものなのか、振り返らずとも理解しながら、振り返る。
案の定、そこにいたのは二度と関わりたくないと願って止まない、あの人物だった。
「やあ」
相変わらず、気安く挨拶をしてくるにこやかな笑顔に、エリックは仏頂面で応じた。
「何か元気ないねー」
どうしたの? と訊いてくるも、エリックは何も答えずにその場から歩き出す。
正直、今はとてもこの少女に構っていられる気分ではない。
相手にしなければ、そのうち飽きてどこかへ行くだろう。
そう思っていたのだが、背後から聞こえてくる足音はどこまでもついてくる。
「・・・」
次第に苛立ちが募るも、徹底して無視を決め込んでいたのだが、それでも足音はついてくる。
「・・・・・・」
どこまでも、どこまでもついてくる足音。ついにエリックの溜めに溜めた苛立ちが爆発した。
「何でついて来るんだよ!」
振り向き様に怒鳴りつけられても、少女は怯えることも驚くこともなく、きょとんとした表情で首を傾げた。
「何でって、僕もそっちに用があるから」
少女の言うそっち・・・指さす方を見やれば、その先にあるのは、町の内と外を隔てる巨大な入り口だ。
時刻は夕暮れも間近。そろそろ門が閉まる頃である。
そんな時間に外に出るつもりなのか。
思わず視線にそんな意味を込めてしまったせいか、少女はにこにこと笑いながら話し始める。
「さっきね、すごく落ち込んでいる女の人に会ってね。何でも娘さんを領主様に連れて行かれちゃったかもしれないって言うんだ」
その女性というのは、もしかしないでも、先程会ったあの女性のことだろうか。
「だからね、僕が連れ戻してあげるよって、約束したんだ」
胡乱げな視線を向けるエリックの前で、少女は朗らかに、何の気負いもなく、とんでもない発言をさらりと言い放った。
「・・・は?」
思わず、そんな呆けた声が出たと同時に、辺りに鳴り響く鐘の音ーーー出入り口の門が閉まる合図である。
「あ、大変。門がしまっちゃう! じゃあ、僕行くね」
手を振って、脇をすり抜けるように駆け出した少女を、エリックは咄嗟に後方へと下がってやり過ごした。
「え、ちょっ、待て!」
その背中に制止の声をかけるも、少女は止まらない。
どうするか一瞬迷った後に、エリックはその後を追った。
丁度その時、門へと続く道の角からキースが現れる。
「いたいた。おーい、エリックー」
暢気に相棒を呼びかけるキースの前を、少女が紅い髪をなびかせて駆け抜けていく。
その後ろ姿を追うように目の前を素通りしていったエリックに、キースは慌てて声をかける。
「お、おいおい! 何処行くんだよ!?」
何処・・・それはエリックではなく少女に投げかけるべき言葉だろうが・・・
「領主のとこだ! あいつ止めてくる!」
それだけ言い残して、入り口を潜り抜けて走り去っていくエリックの姿を、キースはぽかんとした表情で見送った。
ふと、エリックが追いかけていた紅い髪の少女を思い出す。ここ数日つきまとっていたというのは、あの少女で間違いないだろう。
一瞬だけだが、目にしたその横顔・・・どうにも記憶に引っかかるものがある。
「あの子、どこかで・・・」
記憶を探りつつ呟くキースの視線の先で、出入り口の門が重い音を立てながら閉じられようとしていた。
客足が減りだした店や露天商などがそろそろ店じまいのために動き出した頃ーーー
行き交う人の数が減ったことにより歩きやすくなった大通りの道を、エリックは一人歩いていた。
キースの姿はない。先刻、客と商人との間で勃発した口喧嘩の仲裁に入ったため、エリックはその場を任せて町中を彷徨い中である。
いくら通行人の数が減ったとは言え、町中にいる以上気を抜けるような状況ではないはずなのに、どうしても普段のように警戒心を研ぎ澄ますことが出来ない。
幸い、道中に天敵と遭遇することもなければ、襲われる・・・というか、近付いてくるような輩もいなかったが、そのことに安堵する気持ちも、今は湧かなかった。
心ここにあらず状態で、ぼんやりと考えているのは、あの女性のことだ。
大事な一人娘を領主に攫われたかもしれないと、相談にきていた女性の望みは、結局叶えられなかった。
対応したキースは完璧だった。
娘の詳細な特徴などを聞き取り、親身になって話に耳を傾け、今後のことを詳細に説明した。
唯一、女性の望みである領主への聞き込みについては、団長と相談の上善処する、とだけ述べるに尽きたが。
精一杯の対応をしてくれたことは、女性にも理解できたのだろう。
去り際に深々と頭を下げて、礼を言っていた。それでも、無意識のうちにこみ上げる無念は涙となり、目元に浮かんでいた。
悄然と肩を落として去っていくその後ろ姿が、エリックの脳裏に焼き付いて離れなかった。
もしも、自分が自警団員じゃなかったら・・・不意に、そんなことを考え出してしまう。
畏れるものもなく、失うものもなく、ただ信念のまま自由に行動できる漂白の身の上だったなら、あの女性を泣き止ますことが出来たのではないだろうか。
ふと我に返った途端、現実に面した冷静な部分がそれはあまりにも馬鹿な考えだと叱咤する。
当然だ。そんなことをしたら、全てを失うだけである。
だが・・・
自分なら・・・、この地に養うべき家族もなく、もともと流れ者である自分なら、或いは・・・
再び愚かしいまでの考えに没頭しかけた時、背後から聞こえた軽快な足音。
その足音が誰のものなのか、振り返らずとも理解しながら、振り返る。
案の定、そこにいたのは二度と関わりたくないと願って止まない、あの人物だった。
「やあ」
相変わらず、気安く挨拶をしてくるにこやかな笑顔に、エリックは仏頂面で応じた。
「何か元気ないねー」
どうしたの? と訊いてくるも、エリックは何も答えずにその場から歩き出す。
正直、今はとてもこの少女に構っていられる気分ではない。
相手にしなければ、そのうち飽きてどこかへ行くだろう。
そう思っていたのだが、背後から聞こえてくる足音はどこまでもついてくる。
「・・・」
次第に苛立ちが募るも、徹底して無視を決め込んでいたのだが、それでも足音はついてくる。
「・・・・・・」
どこまでも、どこまでもついてくる足音。ついにエリックの溜めに溜めた苛立ちが爆発した。
「何でついて来るんだよ!」
振り向き様に怒鳴りつけられても、少女は怯えることも驚くこともなく、きょとんとした表情で首を傾げた。
「何でって、僕もそっちに用があるから」
少女の言うそっち・・・指さす方を見やれば、その先にあるのは、町の内と外を隔てる巨大な入り口だ。
時刻は夕暮れも間近。そろそろ門が閉まる頃である。
そんな時間に外に出るつもりなのか。
思わず視線にそんな意味を込めてしまったせいか、少女はにこにこと笑いながら話し始める。
「さっきね、すごく落ち込んでいる女の人に会ってね。何でも娘さんを領主様に連れて行かれちゃったかもしれないって言うんだ」
その女性というのは、もしかしないでも、先程会ったあの女性のことだろうか。
「だからね、僕が連れ戻してあげるよって、約束したんだ」
胡乱げな視線を向けるエリックの前で、少女は朗らかに、何の気負いもなく、とんでもない発言をさらりと言い放った。
「・・・は?」
思わず、そんな呆けた声が出たと同時に、辺りに鳴り響く鐘の音ーーー出入り口の門が閉まる合図である。
「あ、大変。門がしまっちゃう! じゃあ、僕行くね」
手を振って、脇をすり抜けるように駆け出した少女を、エリックは咄嗟に後方へと下がってやり過ごした。
「え、ちょっ、待て!」
その背中に制止の声をかけるも、少女は止まらない。
どうするか一瞬迷った後に、エリックはその後を追った。
丁度その時、門へと続く道の角からキースが現れる。
「いたいた。おーい、エリックー」
暢気に相棒を呼びかけるキースの前を、少女が紅い髪をなびかせて駆け抜けていく。
その後ろ姿を追うように目の前を素通りしていったエリックに、キースは慌てて声をかける。
「お、おいおい! 何処行くんだよ!?」
何処・・・それはエリックではなく少女に投げかけるべき言葉だろうが・・・
「領主のとこだ! あいつ止めてくる!」
それだけ言い残して、入り口を潜り抜けて走り去っていくエリックの姿を、キースはぽかんとした表情で見送った。
ふと、エリックが追いかけていた紅い髪の少女を思い出す。ここ数日つきまとっていたというのは、あの少女で間違いないだろう。
一瞬だけだが、目にしたその横顔・・・どうにも記憶に引っかかるものがある。
「あの子、どこかで・・・」
記憶を探りつつ呟くキースの視線の先で、出入り口の門が重い音を立てながら閉じられようとしていた。
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