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第一章
#19
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無惨な最期を迎えながらも、これまで扱ってくれたことに対して報いるように、エリックの双剣は最後の意地を見せた。
破片となりながらも言霊の力を維持し続けることで、主を鋭い爪から守り抜いたのである。
しかし、攻撃自体を完全に防ぎ切るには流石に力及ばず、エリックはその際に生じた衝撃で後方に吹き飛ばされることとなった。
二度三度と地を跳ねながら吹き飛ばされた後、勢いを減じた身体は地面を数度転がり、ようやく停止した。
相当の距離を飛ばされたようで、その間に立ち並ぶ木々のどれにも衝突しなかったのは奇跡に等しい。
だが、現状はそんな幸運を喜んでもいられなかった。
先の一撃により脳が揺れてしまい、立ち上がることすら出来ない状態である。
絶体絶命という言葉が、エリックの頭に浮かぶ。
頼りの愛剣を失い、身動きすらままならないのであれば、待っている結末は一つしかない。
それでも何とか足掻こうとするが、地響きを伴い現れた巨影を見た瞬間に、身体から力が抜けた。
もはや逃れること、助かることは叶わないと諦観を受け入れてしまった。
近付いてくる死の気配を感じながら、エリックはこれまでの自分の半生を省みる。
思い返せば、本当にロクでもない人生であった。
女に関わると不幸になる呪いを背負わされて、事ある事に不運な目にあってばかりの日々。
当たり前の幸せすら早々に諦め、慎ましく静かな日々さえ送れればいいと思っていたのに・・・
それすら奪われ、追い立てられるかのように各地を放浪する羽目になり・・・
安住の地とまではいかないまでも、ようやく見つけた居場所でそれなりの平穏を過ごしていたのに・・・
何故、こんなことになったのだろう・・・考えかけて、止めた。今更そんなことを考えたところで、何の意味も、答えもない。
女と関わると不幸になるこの呪いは、前世から持ち越したものだというが、このまま自分が死んだ場合、どうなるのだろう。
今際の際であるというのに、ふとそんなことが気になった。
今世でも足りぬとばかりに、また持ち越されるのか。はたまた、エリックが不幸な目に遭った分だけ呪いの度合いは軽減されるのか。
せめて後者であって欲しいと、ささやかに願いながら目を閉じるーーー一陣の風がその場に吹いたと感じたのは、その時だった。
ただ、風が吹いただけである。その程度のこと何の不思議もなく、だが、エリックの閉じた瞼をもう一度開かせるだけの不可思議な力を秘めていた。
「・・・」
今一度開いた視界に写ったのは、思いも寄らぬ人物の姿だった。
紅い髪。黒い大きな瞳が印象的な端整な容貌。
成り行き上ここまで行動を共にしてきた同伴者であるあの少女ーーーそういえば名前を尋ねたことがないと今更ながらにエリックは気付いた。
「ねえ、どうしてキミは、戦っているの?」
唐突に、少女がそう言葉を投げかける。
その問いに、エリックはしばし呆気にとられて返答できなかった。
そんなエリックの様子を見て、少女は言い方を変えてから、もう一度尋ねた。
「どうして、キミはここまで来たの? キミには何の関係もなかったのに・・・」
・・・そうだ。少女の言う通りである。
赤の他人の些末な事情だ。エリックには何の関係もないことだった。
見て見ぬ振りだってできたはずだというのに・・・
なのに何故、自分は今、ここにいるのだろうか?
少女に問いかけられた言葉を、今度は自問として胸中に投げかける。
優しさや思いやり、同情・・・ではないだろう。そんな人としての善き面に起因しているとは思えなかった。
だとすれば、何故・・・
重ねて自問したところで、脳裏に浮かんだのは一人の女性の面影。
彼女はいつも泣いていた。泣きながら、謝り続けていたーーー母の姿。
そこでようやく、エリックは気付いた。
自分を突き動かしていた理由に。
「俺は・・・」
掠れた声で、見つけたばかりの答えを知らずうちに口に出していた。
「泣いている女を見るのが、嫌いだから・・・」
泣いている女の姿は、どうしても母を想起させる。
エリックが呪いを受けて生まれたばかりに、毎日のように自分を責めて涙に暮れていた母ーーー別れるその時まで、ずっと泣いていた・・・
結局のところ、エリックがしたかったのは単なる罪滅ぼしでしかない。
ただ泣いている誰かに母の姿を重ね合わせて、泣きやんでくれたのなら・・・それで、あの時叶わなかったことを、母を泣きやますことができたと、償った気になりたかった。・・・だた、それだけであった。
あまりにも幼稚に過ぎる、滑稽で馬鹿馬鹿しい理由である。エリック自身すら思わず失笑を漏らしそうになった。
しかし、少女は・・・
目を閉じ、黙したまま何の反応も返さなかった。
呆れ果てて言葉も出ないのかと思ったが、その顔には侮蔑も嘲りもなく、どこまでも静謐に満ちていた。
ややあって、少女はゆっくりと閉じていた瞼を開く。再びエリックを見つめた後、その顔に浮かべた笑顔は、これまで見てきた表情の中で一番明るく、朗らかで、嬉しげなものだった。
「やっぱり僕、人間のことが大好きだ」
言祝ぐように満面の笑顔でそう告げた少女の頭上に振り下ろされる凶爪。
いつの間にか接近していた怪物級の魔物が、目の前の標的を仕留めにかかる。
もはや何をどうやっても間に合わない。
次の瞬間に待ち受ける絶望的な光景に、エリックが凍りつく。
だが、刹那より短い時間隔の中、少女の口が動くのを見た。
何らかの言葉を発したはずなのに、その音はまるで世界から切り取られたように聞こえなかった。
そしてーーー
閃光が闇夜に走る。
まるで稲光のように、一瞬だけ夜の世界を照らした。
瞬き一つ程度の間の出来事。何が起きたのか見届けることが出来なかったエリックだったが、もたらされた結果だけは驚愕の光景として見て取ることが出来た。
宙を舞う巨大な凶爪。もっと正確に言うのなら、それは切断された巨大な前足だった。
怪物級の魔物が咆哮する。自身の一部が損失したことの驚きか、それとも痛みによるものなのか、森中に響き渡らんばかりの大音量を喉から迸らせた。
その場に立ち尽くしていた少女が、ゆっくりと動く。後退る怪物級の魔物を視界に捉えるため、背後を振り返る。
少女の両手には一対の、陽炎のように揺らめく光が握られていた。
その形状はエリックが扱うものと同等ーーー双剣という類のものに見えなくはない。
清涼な青の輝きを宿し、ゆらゆらと揺れて不確定な形を成すーーーまるでこの場に存在しない、幻のようであった。
少女が地を蹴って跳んだ。
怯み、後退していた怪物級の魔物は、一直線に向かってくる姿を迎え撃つために立ち止まる。
残ったもう一方の前足で薙ぎ払わんと横振るいの一撃を繰り出した。
慌てることもなく、避ける素振りも見せずに、少女は無造作に片手を振るう。
大して力を込めている様子もない一振りは、しかし、容易く巨大な左前足を寸断した。
その鱗の硬さを、身を以て体験しているエリックは、驚きのあまり息を呑む。
近接攻撃手段の二つ目をあっという間に失った怪物級の魔物は、しかし、今度は吼えることはしない。
代わりに一切勢いを落とすことなく向かってくる少女めがけて牙を剥いた。
大きく開いた上下の顎が閉じ合わさり、生え揃った牙同士がガチンと音を打ち鳴らす。
が、そこに少女の姿はなかった。
空中で身を捻り、難なく迎撃を回避した少女は独楽のように回転しながら言獣の首筋辺りを一直線に切り裂く。
強固な鱗の硬度など、無いも同然とばかりの切れ味である。
これにはたまらず二度目の咆哮が上がり、動きが止まるが、少女は止まらない。
着地と同時に地を蹴って、再び両手を振るう。
優雅であり苛烈であるその姿を、地に伏したまま見つめていたエリックは不思議な既視感を抱いていた。
この姿を知っている。その勇姿を見たことがある。
どこかで・・・そう、幼い頃に何度も読み返した、あの絵本。
文章の一節が頭の中に流れる。飽きが来るほど読み返した結果、今でもすんなりと思い出すことの出来る、あの綴り。
ーーー燃え盛る炎のような深紅を身に纏い、清涼な輝きを放つ一対の剣を両手に携え、英雄は戦いました。
動く度に舞い乱れる紅が、一際目を引く。両手の輝きが、目を奪う。
ーーーその一太刀は、世界を覆い尽くさんばかりの絶望を薙払い、人間たちに希望をもたらしました。
あれは・・・一体誰だろう。
自分ではまるで敵わなかった絶望に立ち向かっているのは・・・
ーーー英雄は戦い続けます。数え切れないほどの魔物を打ち払い、そしてついに神様すらも倒してしまいました。
知っている。覚えている。その姿に憧れを抱き、羨望を向けていたから・・・あれは、あの姿は・・・まさにーーー
はたと我に返ると、全てが終わっていた。
打ち倒された巨体は、ボロボロとその形を崩して灰燼と帰するように消えていく。
その様を見届ける、小さな後ろ姿が見える。
だが、そんな頼りなげな矮躯よりも背を流れる鮮烈な紅が、まるで焼き付くように強くエリックの脳裏に印象となり残った。
破片となりながらも言霊の力を維持し続けることで、主を鋭い爪から守り抜いたのである。
しかし、攻撃自体を完全に防ぎ切るには流石に力及ばず、エリックはその際に生じた衝撃で後方に吹き飛ばされることとなった。
二度三度と地を跳ねながら吹き飛ばされた後、勢いを減じた身体は地面を数度転がり、ようやく停止した。
相当の距離を飛ばされたようで、その間に立ち並ぶ木々のどれにも衝突しなかったのは奇跡に等しい。
だが、現状はそんな幸運を喜んでもいられなかった。
先の一撃により脳が揺れてしまい、立ち上がることすら出来ない状態である。
絶体絶命という言葉が、エリックの頭に浮かぶ。
頼りの愛剣を失い、身動きすらままならないのであれば、待っている結末は一つしかない。
それでも何とか足掻こうとするが、地響きを伴い現れた巨影を見た瞬間に、身体から力が抜けた。
もはや逃れること、助かることは叶わないと諦観を受け入れてしまった。
近付いてくる死の気配を感じながら、エリックはこれまでの自分の半生を省みる。
思い返せば、本当にロクでもない人生であった。
女に関わると不幸になる呪いを背負わされて、事ある事に不運な目にあってばかりの日々。
当たり前の幸せすら早々に諦め、慎ましく静かな日々さえ送れればいいと思っていたのに・・・
それすら奪われ、追い立てられるかのように各地を放浪する羽目になり・・・
安住の地とまではいかないまでも、ようやく見つけた居場所でそれなりの平穏を過ごしていたのに・・・
何故、こんなことになったのだろう・・・考えかけて、止めた。今更そんなことを考えたところで、何の意味も、答えもない。
女と関わると不幸になるこの呪いは、前世から持ち越したものだというが、このまま自分が死んだ場合、どうなるのだろう。
今際の際であるというのに、ふとそんなことが気になった。
今世でも足りぬとばかりに、また持ち越されるのか。はたまた、エリックが不幸な目に遭った分だけ呪いの度合いは軽減されるのか。
せめて後者であって欲しいと、ささやかに願いながら目を閉じるーーー一陣の風がその場に吹いたと感じたのは、その時だった。
ただ、風が吹いただけである。その程度のこと何の不思議もなく、だが、エリックの閉じた瞼をもう一度開かせるだけの不可思議な力を秘めていた。
「・・・」
今一度開いた視界に写ったのは、思いも寄らぬ人物の姿だった。
紅い髪。黒い大きな瞳が印象的な端整な容貌。
成り行き上ここまで行動を共にしてきた同伴者であるあの少女ーーーそういえば名前を尋ねたことがないと今更ながらにエリックは気付いた。
「ねえ、どうしてキミは、戦っているの?」
唐突に、少女がそう言葉を投げかける。
その問いに、エリックはしばし呆気にとられて返答できなかった。
そんなエリックの様子を見て、少女は言い方を変えてから、もう一度尋ねた。
「どうして、キミはここまで来たの? キミには何の関係もなかったのに・・・」
・・・そうだ。少女の言う通りである。
赤の他人の些末な事情だ。エリックには何の関係もないことだった。
見て見ぬ振りだってできたはずだというのに・・・
なのに何故、自分は今、ここにいるのだろうか?
少女に問いかけられた言葉を、今度は自問として胸中に投げかける。
優しさや思いやり、同情・・・ではないだろう。そんな人としての善き面に起因しているとは思えなかった。
だとすれば、何故・・・
重ねて自問したところで、脳裏に浮かんだのは一人の女性の面影。
彼女はいつも泣いていた。泣きながら、謝り続けていたーーー母の姿。
そこでようやく、エリックは気付いた。
自分を突き動かしていた理由に。
「俺は・・・」
掠れた声で、見つけたばかりの答えを知らずうちに口に出していた。
「泣いている女を見るのが、嫌いだから・・・」
泣いている女の姿は、どうしても母を想起させる。
エリックが呪いを受けて生まれたばかりに、毎日のように自分を責めて涙に暮れていた母ーーー別れるその時まで、ずっと泣いていた・・・
結局のところ、エリックがしたかったのは単なる罪滅ぼしでしかない。
ただ泣いている誰かに母の姿を重ね合わせて、泣きやんでくれたのなら・・・それで、あの時叶わなかったことを、母を泣きやますことができたと、償った気になりたかった。・・・だた、それだけであった。
あまりにも幼稚に過ぎる、滑稽で馬鹿馬鹿しい理由である。エリック自身すら思わず失笑を漏らしそうになった。
しかし、少女は・・・
目を閉じ、黙したまま何の反応も返さなかった。
呆れ果てて言葉も出ないのかと思ったが、その顔には侮蔑も嘲りもなく、どこまでも静謐に満ちていた。
ややあって、少女はゆっくりと閉じていた瞼を開く。再びエリックを見つめた後、その顔に浮かべた笑顔は、これまで見てきた表情の中で一番明るく、朗らかで、嬉しげなものだった。
「やっぱり僕、人間のことが大好きだ」
言祝ぐように満面の笑顔でそう告げた少女の頭上に振り下ろされる凶爪。
いつの間にか接近していた怪物級の魔物が、目の前の標的を仕留めにかかる。
もはや何をどうやっても間に合わない。
次の瞬間に待ち受ける絶望的な光景に、エリックが凍りつく。
だが、刹那より短い時間隔の中、少女の口が動くのを見た。
何らかの言葉を発したはずなのに、その音はまるで世界から切り取られたように聞こえなかった。
そしてーーー
閃光が闇夜に走る。
まるで稲光のように、一瞬だけ夜の世界を照らした。
瞬き一つ程度の間の出来事。何が起きたのか見届けることが出来なかったエリックだったが、もたらされた結果だけは驚愕の光景として見て取ることが出来た。
宙を舞う巨大な凶爪。もっと正確に言うのなら、それは切断された巨大な前足だった。
怪物級の魔物が咆哮する。自身の一部が損失したことの驚きか、それとも痛みによるものなのか、森中に響き渡らんばかりの大音量を喉から迸らせた。
その場に立ち尽くしていた少女が、ゆっくりと動く。後退る怪物級の魔物を視界に捉えるため、背後を振り返る。
少女の両手には一対の、陽炎のように揺らめく光が握られていた。
その形状はエリックが扱うものと同等ーーー双剣という類のものに見えなくはない。
清涼な青の輝きを宿し、ゆらゆらと揺れて不確定な形を成すーーーまるでこの場に存在しない、幻のようであった。
少女が地を蹴って跳んだ。
怯み、後退していた怪物級の魔物は、一直線に向かってくる姿を迎え撃つために立ち止まる。
残ったもう一方の前足で薙ぎ払わんと横振るいの一撃を繰り出した。
慌てることもなく、避ける素振りも見せずに、少女は無造作に片手を振るう。
大して力を込めている様子もない一振りは、しかし、容易く巨大な左前足を寸断した。
その鱗の硬さを、身を以て体験しているエリックは、驚きのあまり息を呑む。
近接攻撃手段の二つ目をあっという間に失った怪物級の魔物は、しかし、今度は吼えることはしない。
代わりに一切勢いを落とすことなく向かってくる少女めがけて牙を剥いた。
大きく開いた上下の顎が閉じ合わさり、生え揃った牙同士がガチンと音を打ち鳴らす。
が、そこに少女の姿はなかった。
空中で身を捻り、難なく迎撃を回避した少女は独楽のように回転しながら言獣の首筋辺りを一直線に切り裂く。
強固な鱗の硬度など、無いも同然とばかりの切れ味である。
これにはたまらず二度目の咆哮が上がり、動きが止まるが、少女は止まらない。
着地と同時に地を蹴って、再び両手を振るう。
優雅であり苛烈であるその姿を、地に伏したまま見つめていたエリックは不思議な既視感を抱いていた。
この姿を知っている。その勇姿を見たことがある。
どこかで・・・そう、幼い頃に何度も読み返した、あの絵本。
文章の一節が頭の中に流れる。飽きが来るほど読み返した結果、今でもすんなりと思い出すことの出来る、あの綴り。
ーーー燃え盛る炎のような深紅を身に纏い、清涼な輝きを放つ一対の剣を両手に携え、英雄は戦いました。
動く度に舞い乱れる紅が、一際目を引く。両手の輝きが、目を奪う。
ーーーその一太刀は、世界を覆い尽くさんばかりの絶望を薙払い、人間たちに希望をもたらしました。
あれは・・・一体誰だろう。
自分ではまるで敵わなかった絶望に立ち向かっているのは・・・
ーーー英雄は戦い続けます。数え切れないほどの魔物を打ち払い、そしてついに神様すらも倒してしまいました。
知っている。覚えている。その姿に憧れを抱き、羨望を向けていたから・・・あれは、あの姿は・・・まさにーーー
はたと我に返ると、全てが終わっていた。
打ち倒された巨体は、ボロボロとその形を崩して灰燼と帰するように消えていく。
その様を見届ける、小さな後ろ姿が見える。
だが、そんな頼りなげな矮躯よりも背を流れる鮮烈な紅が、まるで焼き付くように強くエリックの脳裏に印象となり残った。
応援ありがとうございます!
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