神殺しの英雄

淡語モイロウ

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第一章

#20

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 どこまでも世界を黒く覆っていた夜陰が、時間の経過と共にその濃さを失っていく。
 夜の帳は徐々に追い払われて、空は次第に明るさを取り戻す。
 やがて、世界に曙光が差し込んだ。
 夜は終わりを告げ、朝の訪れを祝福する陽光の恩恵を受けて、世界は新たな一日を迎えようとしていた。
 森を出た途端、照らされた朝日の眩しさにエリックは目を細める。
 探していた姿は、思いのほか簡単に見つけることが出来た。
 森からさほど離れていないところに立つ、目当ての人物。
 次第に明るさを増していく空を見つめている後ろ姿に歩み寄る。
 近付ける限界ーーーこれ以上踏み込めば不運が襲いかかってくるであろう間合いの距離で立ち止まるのと、目当てとしていた人物が動くのは同時だった。
 エリックが近付いてくることは気配で察していたのだろう。驚いた様子もなく、軽快な動作で振り返る。 視線をかち合わせた途端、人懐っこい、天真爛漫な笑みを浮かべて見せた。
 見る者を魅了する笑顔だというのに、エリックは表情を微動だにせず、相手を真っ直ぐに見据えたまま口を開く。

「英雄、キュラ・・・」

 エリックが発した言葉を聞いた瞬間、その顔から笑顔が消える。軽く目を見開いた、きょとんとした表情へと変わった。

「あれ? どうして僕の名前知っているの?」

 意外そうな口調でそう返されて、エリックは顔を片手で覆いながら深い深いため息を吐いた。
 もはや問うまでもなく、疑うまでもなく、その正体を認めるしかなかった。
 だが、エリックにはどうしても一つだけ、納得できない点がある。

「・・・何でだ」

 しばしの沈黙の後、地の底から響くような声が、エリックの口から漏れた。

「何で、あの「かみさまを倒した英雄」が女で、しかも子供なんだよ!?」

 怒鳴りつける勢いで質されて、しかし相手は一切物怖じした風はなく小首を傾げている。
 エリックの言いたいことが、イマイチ理解出来ないとでも言いたげな表情だ。
 本当は訊きたいこと、言いたいことは他にも山ほどある。
 あれ、御伽話とは名ばかりの作り話じゃなかったのか、とか。
 本当のことなら、お前今、何歳なんだよ、とか。
 お前の使っていた双剣って、もしかしないでも話の中に登場する伝説の剣なのか、とか。
 怒濤の如く問いを投げつけたいが、やはりそれより何よりも、何故「かみさまを倒した英雄」の正体がこんな少女なのかという事実・・・今からでもその点だけは嘘だと言って欲しかった。
 だが・・・

「でも、キミの言ってる「かみさまを倒した英雄」の中に、僕が男なんて一言も書いてなかったと思うんだけど・・・」

 時間差でようやくエリックの言いたいことを理解したことによる返答が返ってくる。
 正論中の正論を返されて、エリックは返す言葉を全て失った。
 確かに、書いてない。
 だが、全身鎧甲冑を纏った姿で描かれていたら、誰だってこの英雄は男だという勘違いは起こすだろう。
 そう、あの絵本を読んだことのある世界中の人間に同意を求めたくてたまらない気持ちになった。
 納得できない。全然納得できない。
 もはや幼稚な子供の屁理屈も同然に、尚も食い下がろうとした時である

「おーい!」

 遠くから、誰かが呼びかけてくる声が聞こえた。
 声の聞こえた方に視線を向けると、こちらに駆け寄ってくる人物の姿が目に入る。 
 徐々に近付いてくるその姿が、あまりにも意外な人物だったことに気付いたエリックが、思わずその名を呼ぶ。

「キース!?」

 よほど長い距離を走ってきたのか、相棒であるキースは二人の許に辿り着くなり身を屈めて両手を膝に当てる体勢で、乱れた息を整えることに専念した。
 ややあって、呼吸を落ち着かせたところで上体を起こし、森の方を指さす

「な、何かあっちの方にボコボコにされたおっさんたちが転がっていたんだけど。木に吊されてる太っちょの奴・・・あれ、領主様だろ?」

 お前がやったのか? と訊かれて、エリックは返答に詰まった。
 キースのいうおっさんたちーーー昨夜森で開かれていたふざけた催しの参加者たちをボコボコにしたのは、言うまでもなくエリックが視線を向けた先にいる人物である。
 だが、他のおっさんたち同様にボコボコにされた領主を木に吊したのは、紛れもないエリックだ。
 ぶん殴ってやりたい気持ちはあったが、それを実行する前に鉄拳制裁を打ち込まれすぎた顔面は、もう殴るところがなかった。
 それ故に、せめてもの腹いせとして木に吊しておいた。
 ちなみに拐かされてきた娘たちーーーなんと十人もいたーーーは、森の開けたところに全員保護してある。
 目当ての人物、自警団に相談に来ていた女性の娘もその中にいて、無事だった。

「いや、それよりお前、何で・・・」

 さりげなく、エリックは話題を変える。同時に疑問も口にする。
 この場にキースが登場するというのは予想外のなにものでもなく、その理由が知りたかった。

「思い出したんだよ、その子のこと!」

 キースのいうその子・・・二人のやりとりを黙って見守っていた紅い髪の人物に視線を向けてから、一枚の羊皮紙を取り出してエリックへと差し出した。
 受け取ったエリックは、そこに書かれている情報を見るなり目を剥いた。
 それは手配書だった。何らかの罪を犯し、捕まることなく逃げ延びている罪人たちの情報提供を呼びかけるため、各地へと配られている書状。
 人相図が描かれることもあるが、特徴を簡略化して描かれている場合がほとんどで、似ているかどうか微妙なことは珍しくはない。
 しかし、エリックが手にしている手配書に描かれているのは、そんなうろ覚え描き程度の出来ではない。
 輪郭や細部に至るまでしっかりと描かれた線の力強さ。それなりに有名な画家が手掛けたと言われても納得してしまいそうな、肖像画の如き出来映え。
 絵という、目で確かな情報を得ることの出来るその人相図は、どこからどう見ても、今目の前にいる人物を描いたとしか思えない仕上がりとなっていた。
 満面の笑顔で、右手の人差し指と中指の二本を元気よく立てているという、罪人にあるまじき構図は、何も知らぬ者が見たら冗談としか受け取れない・・・けれどエリックからすれば、疑う余地なく本人だと断定できるものだった。

「おーおー、罪状がこれまた、すげえのな」

 手配書を凝視したまま固まっているエリック。その傍らより覗き込んできたキースが、そこに書かれている罪状を読み上げる。

「器物破損、悪徳商人半殺し、西の大貴族ウェルシュ邸全焼、ゴロツキの身包み剥いで金品強奪・・・」

 人相図の下の空欄には、その人物が行ってきた罪状が書かれている。
 普通は一つか二つ、多くても三つ四つ程度だが、信じられないことにエリックが手にしている手配書はその空欄全部がびっしりと文字という文字で埋まっていた。
 よくもここまで罪という罪を重ねられたものだと、その経歴の多さに感心してしまう。・・・まったく褒められたものではないことは理解した上で。
 最後の一文字までキースが読み終えたところで、ようやくエリックは顔を上げる。
 見た目はただの少女。しかし、その正体は、あの神さまを倒した英雄その人ーーー未だ納得しきれていないが・・・
 そして犯罪という犯罪を重ねまくった重罪人は、視線をかち合わせた途端、いたずらが見つかった子供のように無邪気な仕草で、小さく舌を出した。

「あー、バレちゃった」

 小さく肩を竦めてから、くるりと身体を反転させるなり、猛然と駆け出した。
 一瞬にして消えたかのように見えるほどの速さに、エリックもキースも呆気にとらわれる。
 はたと気が付いた時には、その姿は遙か遠方まで行ってしまっていたが、まだかろうじて見失ってはいない。

「おい、あいつを追うぞ!」

 その場から駆け出そうとしたエリックだったが、キースは静かに首を横に振った。

「いや、その必要はない」

「はあ? 何でだよ」

 不可解な物言いに振り返ったエリックに、キースは朗らかな笑顔を浮かべながら告げる。

「俺は、お前を捕まえに来たんだよ」

「・・・は?」

 唐突な相棒の言葉に理解が及ばず、エリックは呆然と聞き返した。
 しかしキースはさも当然とばかりに、堂々と胸を張りながら自らの言い分を主張する。

「だってお前、共犯だろう?」

「・・・」

 思わず、黙する。
 主犯として実際に手を下したわけではないにせよ、多少なりとも犯行に加わったという事実が、エリックに即答する機会を奪った。
 その沈黙を肯定と見て取ったらしい。キースはどこからともなく手縄を取り出して、にっこりと微笑みながら告げる。

「そういうわけで、神妙にお縄につけ」

「ふ、ふざけんなああああああああ!」

 手縄をかけるために延びてきた手から逃れるため、抗議の叫びを上げながらエリックは駆け出した。
 その後をキースが追いかける。

「お前、ふざけるのも大概にしろよ!」

「ふざけてない。俺は本気だ」

「つーか、色々と事情があるんだよ! まずは話くらい聞け!」

「勿論、聞くとも。お前を縛り上げてから、な」

「相棒を売り飛ばしてまで点数稼ぎしたいのかよ!」

「うん」

「即答!?」

「だって、俺出世したいし」

「お前・・・! そればっかりじゃねえかあああああああ!!」

 晴天の空に、朝の爽気に包まれたその辺り一帯に、エリックの叫びが遠く広く、どこまでも響き渡った。
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