しらぬがまもの

夕奥真田

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他者を殺す正義

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鼻を突く様な焦げ臭さが立ち込め、あらゆるものが炭色へと変貌した領主の部屋から、足跡をなるべく殺し、逃げる様に抜け出る。

幸いなことに、数多くの疑問に翻弄され、頭を抱えるばかりの他の騎士たちは、こちらを引き止めようとはしなかった。

不安そうな顔で話し合う使用人や、館への出入りを封鎖する騎士、そして、それに群がる群衆を横目に通り過ぎると、近くの路地裏へ急ぎ足で向かう。

領主での一件に吸い寄せられ、普段以上に人気の無い路地裏には、短い黒髪と、反った形の不思議な剣を腰に携えた“彼女”が一人、ぽつりと立っていた。

こちらの足音に気がついたのか、“彼女”は生気のない微かな笑顔をこちらへと浮かべる。

「必要なものは手に入ったかい?」

「領主がレイダット・アダマーと繋がっていたことを示す、新しい証拠は手に入りました。でも、肝心の領主と魔王の繋がりを明白にする証拠は見当たりません」

「ふ~ん、良かったじゃないか」

「どこが…!?やっと彼らの陰謀を暴けるというのに、これじゃあ、中途半端に終わる!」

「しぃ…。聞こえてしまうよ?」

態とらしく人差し指を目の前に立たせ、囁く様に忠告する“彼女”に従い、慌てて口を噤む。

路地裏という狭い空間に、微かに反響しかけた僕の声は、通りから流れ込む雑音に運良くすぐ掻き消された。

一応周囲を確認するが、やはり路地裏には人と魔物、どちらの気配もない。

「…もう少し気を遣った方が良い。もし彼らに、何かを知っているとバレたら、君も何をされるか分からないよ?」

「…今更僕に何を恐れろと?」

もはや“彼女”の計画に乗り、領主に刃を向けた時から、僕は全てを覚悟している。

自分の命、家族、全てを投げ捨ててでも、領主や魔王の“悪行”を暴き、このシエルを、もはや権力者に与することのない、清く、美しい者たちが統べる、強い国にしなくてはならないのだ。

各国に与えられた、情け無い権力にしがみつき、国民が疲弊していることなど気にもかけなかった実父を殺害し、異形の魔物たちと手を組んででも、奪われていた領土と誇りを取り戻した、前シエル王が望んだ様に。

「ふむ…それもそうか。ごめんよ、君の覚悟を甘く見ていたようだ。それで、新しい証拠で、魔王に関するものはないと言っていたね?本当によく探したのかい?」

「貴女が魔法で守ってくれた机や棚などは、表面こそ焼け焦げていたが、中身は殆ど無事でした。でも、その中にも、魔王と関係を示す様なものは見当たらない」

本来であれば、あの場で領主を取り押さえ、市民の前に、数々の証拠と共に突き出し、厳正なる裁きを下すはずだった。

しかし、トゥバンと呼ばれた、ただの人とは思えぬあの執事服の女が部屋中を燃やすだけでなく、領主を連れて逃げてしまったために、計画を大きく修正する羽目になったのだ。

もっとも、幸いなことに、“彼女”の咄嗟の判断のおかげで、机や棚などは表面こそひどく焼け焦げたが、中に入っていた、証拠となりそうな書類や手紙などの殆どは燃やされることなく、そのままの形で発見することが出来た。

結果として、今のコハブは、この様な正義の熱気に包まれている。

「そうか…。なら、また一度その新たな証拠を市民にばら撒くべきだろうね。因みに何を見つけたんだい?」

「まだよく確認していません。何かを輸送していたリストの様だったのですが…」

ポケットから先ほど領主の部屋で見つけた封筒を取り出し、中の書類を“彼女”と共に確認する。

書類は全部で数枚、一枚目と思われるそれの表題には“レイダット・アダマーへの輸送品…死骸”と書かれ、後は名前と日付がずらりと羅列されていた。

ひどくおどろおどろしい題名だが、実際のところ、一目では、このリストが何を示し、何の為に残されていたのかは良く分からない。

「さて、これは一体何のことなのだろうね…?死骸という文字から察するに、ここに載っている者たちはたぶん死んでいるのだろうが…」

「…」

“彼女”の言う通り、表題から察すると、このリストに名を連ねている者たちは皆死骸となって、レイダット・アダマーへ輸送されたと見るのが自然だろう。

しかし、気になるのは、リストに載った名前の主たちは、その名前から判断するに、おそらく全て魔物だという点と、何故魔物たち、それも死骸に成り果てたものを、レイダット・アダマーに送る必要性があったのか、という点だ。

厄介だな…。

領主がレイダット・アダマーと繋がり、フェンガリやソレイユの街を襲撃させる日時を入念に打ち合わせていたことを示す証拠の様に、あからさまなまでにその意図が読めるものであれば、こちらも迷わず、市民に真実をばら撒けるのだが、何の説明も無しにこの様な情報を渡しては、困惑する者はもちろん、個々の解釈に相違が生まれ、まとまりつつあるコハブ市民に溝が出来てしまう。

それでは、意味がない。

人と魔物など関係なく、皆が一様にシエルの者として、歪んだ権力に振り回された犠牲者たちを悼み、弔い、そして、それらを引き起こした者たちを、“真実”によって、この国から追い出す必要性があるのだから。

「どうだい?君はどう思う?」

「ざっと、目を通したところ…ここに書かれているのは、全て魔物の名前です。日付については…うん、直近のものでも三年前、レイダット・アダマーの蹶起が起こる少し前くらいですね」

「ふむ…。つまり、彼らは、“自作自演”の戦いを起こすまでの間、魔物の死骸をレイダット・アダマーへと引き渡していたということか…」

「…その理由も不可解ですが、一体どこからそんな死骸を?」

「おや?君は死骸の創り方も知らないのかい?」

こちらが尋ねたものとは、少々ニュアンスの異なる気がするが、さも意外そうに、しかし、何処か得意げに“彼女”は肩を竦めた。

「…どうやって創るんですか?」

「殺せば良い。そうすれば、“生物”は皆“死骸”になる。今回でいえば、魔物の死骸だから、魔物を殺せば良い」

「…」

生気が無いにも関わらず、その頬を薄く引き上げ、微かな笑みさえ浮かべながら、当然といえば当然の戯言を、流暢に告げる“彼女”には、ぞわりと背筋が凍りつき、恐怖心が煽られる。

しかし、それも今更なことだ。

“彼女”は会った当初から、何処か得体の知れない、不気味な存在だったのだから。







三年前、レイダット・アダマーの蹶起が公式的に発表されるそれ以前、僕は彼、“アル・ハイル・ミッテル”と共に、フェンガリと呼ばれる街…いや、過去にはそう呼ばれていた街があったであろう、煤と瓦礫だけが残る場所を訪れていた。

当時は何も分からず、何故フェンガリがこの様な事になったのか、何故階級の低かった自分に、他言無用の任務が与えられたのか、その理由を考えては、想像や妄想と読んでも構わない、拙い物語を勝手に頭の中で構築していた。

そして、そんなことに自分勝手に疲れては、それを愛する家族と共にいることで忘れ去っていたのだ。

しかし、その後、フェンガリの近くにあった、ソレイユという街が襲われ、すぐにレイダット・アダマーの蹶起が発表されると、僕は確信した。

これら一連の流れ全てが怪しい、と。

一市民としての手にした、愛する家族という、変え難い幸せを離したくない想いは勿論あった。

しかし、最終的には、高潔なシエルの者として、最も信じ、貫きたい想いを優先させる形となった。

それは、フェンガリでの惨状を目にしたこともあるが、何よりは、一晩とはいえ、ソレイユで出会った人や魔物の、あまりに変わり果てたその姿を目の当たりにしたせいだった。

レイダット・アダマーの拠点においては、白髪のリウと何故か戦い、最後は瓦礫の下敷きになってしまった、ソレイユの宿屋で出会った黒髪の女性。

ソレイユの街とその近郊では、既に事切れた状態で発見された、後にソーレという名であったことが分かった、ソルの母親と、その父親、ブラックドッグ。

見知った、と言うには、あまりに接点は少なかったが、数日前に出会い、その笑顔などの表情を覚えている者たちが、意図も定かには読めぬ、領主や魔王の策略に利用され、剰え命を落としてしまったことに、かつてない悲しみと、憎しみにも近い怒りが込み上げてきたのだ。

…やはり、ただの権力者など当てにできない。

何が領主だ…。

何が魔王だ…。

何が平和だ…。

シエル国民をまるで道具の様に扱ってきた、各国のゴミ共が幾ら死のうとも知ったことではないが、シエルの者たちをこうも犠牲にせねば生み出せぬ平和など、真の平和とは呼べない。

故に、こんな世に満足してはいけない。

そして、こんな世を広めたいと思う、領主や魔王を勝手の為に、再びシエルの者が利用されるのを許してはならない。

そんな想いから、彼らを引き摺り下ろす手掛かりを探し始めたのだ。

しかし、どんなに想い強くとも、一市民である自分一人に出来る事はひどく限られていた。

証拠が存在するであろう領主の部屋に入るのは勿論、更にその上に位置する、魔王への手掛かりを得るのは困難を極めた。

同志を見つけようとも思ったが、何の証拠も無しに、下手なことを告げれば、それを耳の良い領主が聞きつけ、余計にこちらの動きが制限されであろうことは容易に想像出来た。

それ故、こちらから不用意に声を掛けることは憚られ、“彼女”と出会うまで、僕は大したことが出来ずにいた。

…そう、“彼女”と出会うまで、は。




“やぁ、君がビルゴ君かい?”

“彼女”と出会ったのは、二週間ほど前。

領主の部下である同僚の騎士たちは勿論、領主と少なからぬ関係のありそうなアル・ハイル・ミッテルを慕う家族に対しても、次第に心を許せなくなり、フェンガリの一件で悩んでいた頃よりも、更に悶々とした日々を過ごしていた頃、気取らぬものの、ひどく馴れ馴れしい声が、不意に背後から掛けられたのだ。

前日と変わらぬ様に日が暮れ、家路に就く者や、商品を片付け始める者、或いは逆に、商いの準備をこれから始める者、あらゆる日常が時と共に進んでいく中で、“彼女”を迷わず見つけた。

人や魔物の流れに紛れながらも、それら日常の空気に溶け込まぬ、まるで時が止まってしまったかの様な、感触も、感覚も、色さえもない、異様な空気に包まれた“彼女”を見つけるのは、決して難しくはなかった。

その時の“彼女”も今の様な、薄ら笑みを浮かべていた気がする。

“彼女”は最初から全てを知っていた。

僕がこそこそ領主たちの、権力に汚れた化けの皮を剥ごうとしていることも、彼らがレイダット・アダマーに繋がり、先の戦いを引き起こしたことも。

何故かは分からない。

領主たちの秘密についてならまだしも、家族にすら打ち明けていない、僕のことを知っているのは不可解であった。

…しかし、正直なところ、深く気にすることはなかった。

自分で選んだ道とはいえ、終わりの見えない孤独に精神が疲弊し、どんな相手であろうとも、その苦しみを理解してくれる仲間を、導いてくれる者を、心の奥底で欲していたからかもしれない。

何にしても、僕は見ず知らずの、名前さえ教えてくれぬ“彼女”を信用し、その言葉と計画を疑うことはなかった。

今回の領主襲撃も、“彼女”が計画してくれた。







「し、死骸の創り方は分かりましたが…。しかし、そんなものを一体どうしようと…?」

「ふむ…。まぁ、普通に考えて、軍資金代わり、という訳ではないだろうね。どんな物好きであろうと、三年前では魔物…それももはや死骸に成り果てたそれを、買おうなどという者はいなかっただろうしね」

「では、何のために…?それに、一体こんな数の魔物たちを何処から…?」

「理由はいまいち分からないが、魔物ならばこの国に腐る程いるだろう?それに、これくらい大きな街であれば、多少の数であっても、少しずつ消えれば、気づくことも、取り沙汰にされることもない」

「そんな…!?」

改めて手に持っていたリストを確認する。

そこには、たとえ一枚といえど、数えるのが億劫になるだけの名前がびっしりと書かれている。

これが数枚となれば、簡単に見積もっても、かなりの者たちが犠牲になったということだ。

…犠牲者はフェンガリやソレイユの者たちだけではなかった。

「くそっ…!」

「おっと…」

怒りと悲しみのあまり、持っていた紙を引き裂きそうになるが、“彼女”はそんな大切な証拠品を手から奪い取る。

「おいおい、気をつけておくれよ?大切な証拠品なんだよ?」

「…」

「はぁ、全く…。そう不貞腐れた顔をするものじゃないよ?謝れない男はモテないからね」

「もう、関係ありません…」

「ふぅ…。まぁ、それも、そ…ん?これは…?」

あの男との会話を彷彿とさせる言葉に辟易していると、“彼女”が不意に証拠品に顔を近づけ始める。

「何してるんですか…?何か見つけましたか?」

「…君のお嫁さんの名前は、確かこんなじゃなかったかい?」

そう言うと、“彼女”はとある一点を指差しながら、証拠品をこちらへと向ける。

見ると、そこには確かに“ラミア”の文字があった。

「えっ…?」

「おや?違ったかな?」

「い、いえ、確かにラミアです…。で、でも、何故ラミアの名がここに…?だって、ラミアは…」

生きているではないか、あまりの驚きと動揺のせいか、上手く呂律が回らないながらも、そう言おうとしていた口が動きを止める。

そうだ…。

妻はその光を、各国の者たちによって奪われたと言っていた。

しかし、戦闘には参加せず、シエル領内で安全に暮らしていたはずの彼女を攫うなど、そもそも各国の者たちにはひどく難しいことのはず。

…だが、既に領内に入っていた“彼ら”ならばどうだろうか。

“彼女”が言っていた様に、この大きな街において、一人二人の者たちが消えても、時代の状況もあって、そう簡単に気づかれることはないだろう。

ましてや、領主となって、証拠を隠蔽するとなれば尚更、彼らは自由に動くことが出来たはずだ。

そうか、やはり、妻が襲われたのも、奴らの仕業だったのか…!

フェンガリでの一件の時、“彼”が僕に近づいてきたのも、本当は殺しそこなった彼女の命を、遠からず狙っていたからなのだろう。





…どうやら、あの男が処方していた目の薬を、無理矢理にでも取り上げ、焼いてしまったのは正しかったようだ。





「…まぁいい。一度新聞社へ向かおう。この新しい証拠を差し出して、新たな記事を書いてもらうとしよう」

「で、でも、これが何を指し示すものか、まだいまいち分かりませんが…?」

これが何であるかを説明出来ないままに新聞社に持って行っても、証拠品として、新たな記事の材料として使って貰えるか分からない。

それに何より、表題以外は魔物の名前と日付だけが羅列された、こんなリストを見せたところで、他の市民たちの心を扇動できるのかひどく怪しい。

それなのに、一体どうしてもう新聞社に向かおうなどと言えるのか、その意図が理解出来ず、そっと尋ねる。

すると、“彼女”はひどく意外そうな顔をこちらへと向けた。

「ん?その証拠品が示すものを正しく理解する必要が何処にあるんだい?」

「えっ…?」

言っていることの意味がよく分からず、目を丸くする。

すると、“彼女”は少し困った様なぎこちない笑みを浮かべる。

「ふふっ…。君は真面目だね。でも、これら証拠が本当の意味するところや、記された意図を正しく理解する必要性は無いよ」

「どういう意味ですか…?」

「これまで見つけてきた証拠品は、見れば九割以上の者たちが、その意味と、記した者の意図を理解出来るものだった。レイダット・アダマーへ宛てた書簡などがその最たる例だろうね。そして、それら証拠品を見て、市民たちは一斉に領主を信用しなくなった。それは何故だと思う?」

「領主がレイダット・アダマーに繋がっていると知ったからでは?」

「少し違う。あの証拠品を見て、きっとそうなのだろうと、彼らが“勝手に”、頭の中で判断したからだよ」

「…?」

「つまりね、これら証拠品が、本当に意味するところや意図されたことなどを理解しなくとも、それらしく見えれば、彼らは“勝手に”判断するということさ」

…何となくではあるが、“彼女”の言いたいことが分かった気がする。

結局、どんな事象や事実、証拠であれ、何をどう判断するのかは、その者の思考に委ねられており、重要なのは、真に示すものや、作られた意図などではなく、そう見える、或いはそう判断、解釈出来る、“分かりやすさ”ということなのだろう。

即ち、既に新聞社に提供した証拠とは、“分かりやすい”ものであり、今の証拠はひどく“分かり辛い”ものということだ。

「…何となく分かったようだね?そんな顔をしている。ふふっ、嬉しいよ」

「…でも、だとすると、この証拠は明かさない方が良いのでは?これは決して“分かりやすい”証拠とは言えない」

「そうだね。これはあまり不明瞭で曖昧だ。このまま公表されれば、必ず市民の中に戸惑いが生まれる」

「…はぁ」

自然、煤と落ち込んだ気持ちに汚れていそうな、重い空気を肺から吐き出す。

他の騎士たちに隠れて、こそこそと領主の部屋を調べることに、途方も無い危険がある訳ではないのだが、案外心臓の負担になるだけに、それが徒労に終わったと思うと、どうしても気分が落ち込んだ。

そんな僕を気遣ってか、“彼女”は優しく肩を叩いてくれる。

「まぁ、そう落ち込まないでおくれ。安心したまえよ。このまま公表しないとはいえ、灰にするつもりはない。ここに“創り話”を加えてやれば良いのさ」

「“創り話”?」

「解釈、と言った方が近いかもしれない。つまり、この証拠品に、その意味と意図を付け加えるということだよ。勿論、“分かりやすい”且つ“都合の良い”、ね」

こちらへと見せていた証拠品を封筒へとしまい込むと、“彼女”はくすりと笑う。

その顔は、相変わらず正気の無い、人らしいと呼ぶには憚られるものであった。







“彼女”の付け加えた“創り話”は、ひどく市民受けしやすいものだった。

それというのも、あの証拠に名を連ねていた者たちは皆、恰も魔物を殺せるだけの実力があるかの様に見せかけ、その求心力を更に高めようとしていたレイダット・アダマーに対して、領主が送りつけたものだとする“創り話”だ。

何故か多くのことを知っている“彼女”だけに、まるでそれが真実であるかの様に錯覚してしまうが、実際はどうでも良い。

重要なのは、多くの市民が、証拠と共に、“彼女”の付け加えた“創り話”を目にすることで、より領主への不信感や嫌悪感を募らせていることだ。

“彼女”曰く、あの“分かり辛い”証拠に対して、先に模範解答とも見える“創り話”を添えておくことで、市民たちはそれこそが真実であると“勝手に”判断し、新たな“創り話”を自ら考えることが無くなるのだという。

「ふむ、出来はそう悪くはないようだね」

夕暮れに街に、まるで紙吹雪の如く撒き散らされる、先ほどの証拠と“創り話”が載せられた号外を拾い上げ、“彼女”は小さくほくそ笑む。

しかし、僕は共に嬉しがることは出来なかった。

「でも、あの新聞屋、情報を買っておきながら、他の街に配達するのは、明日以降なんてふざけたことを言ってましたよ?」

「まぁ、情報の取捨選択をして、より良い新聞を作り上げているのだろうさ。そう目くじらを立てるものじゃないよ」

「しかし、この熱気だっていつまで続くか分からないんですよ…!?早くシエル中に知らせなくちゃ、また揉み消されてしまいます…!」

人や魔物たちが領主への不平不満を叫び、館前には、その主人がいないにも関わらず、先ほど以上の人集りが出来上がっている。

だが、この熱気も明日以降となれば、徐々に下火になっていくはずだ。

そして、熱が冷め切ってしまったその折に、あの狡猾な領主が帰って来るのを許しては意味がない。

故に、この熱気は一刻も早くシエル中に伝播させなくてはならないのだ。

あの新聞屋はそれが分かっていない…。

「そう心配せずとも、きっと大丈夫だよ。これだけ街が活気付いているなら明日以降でも特に問題はない。それに、よく言うだろう?正義は必ず勝つ、と」

「…そう、ですね」

「では、今日は別れるとしよう。君は家族と一緒にいるといい。“こんな時”だからね、職務を放棄して、プライベートな時を過ごしてもいいだろうさ」

「貴女は?」

「他にも調べたいことがあるのでね、そっちに」

「手伝いましょうか?」

「ありがとう。だが、気持ちだけで十分さ」

広場近くにある店のテラス席に座り、市民たちの様子を共に見つめていた“彼女”はそう告げると、席を立ち、人混みに押し潰されることなく、静かにその姿を消した。

他の者たちとは違う異質な空気に包まれながらも、消える時には、まるで煙の様に消える、そんな“彼女”の後ろ姿が見えなくなった、いつもとは違う、どこか人や魔物の動きに慌しさを感じる広場をぼんやり見つめていると、自然、とある少年に目がいった。

ぼさぼさではあるが、焼ける夕陽を受け、一際輝く金色の髪の少年は、忙しない大人や魔物たちの間をするすると避けながら、地面に散らばった号外の紙を拾い集めている。

清掃活動か何かに駆り出されているのだろうか…。

初めの内はそう思い、何とはなしに、人や魔物の陰に隠れては、出てくる少年を見つめていた。

しかし、少年は一向にゴミ箱へ向かわない。

既に、その小さな片手では持ち切れなくなるほど、拾い集めた紙たちは厚くなっているにも関わらず。

…何している?

そっと、席から立ち上がろうと、腰を持ち上げる。

すると、その時、例の少年の元に、青紫色の髪をした少年が駆け寄って来た。

髪色や髪型こそ違うが、遠目ではよく似た顔の二人だ。

友だちというよりは、兄弟の様に見える。

金髪の少年が拾い集めた号外を、どこか得意げに見せるも、青紫色の髪の少年はため息を吐きながら、頭を抱えた。

そして、持っていた号外をごみ箱に捨てさせると、その手を引いて、人混みへと消えていった。

兄弟の様に見える、二人の少年の何気ないやり取りに見えたが、どうも釈然としない。

もっとも、だからといって、特段何が、どう気に掛かっているのか、上手く説明出来る訳ではないのだが、何か気になって仕方がなかった。

“彼女”の様に、色の無いおかしな雰囲気がある訳でもない、普通の少年たちのはずなのに。

しかし、二人が何処かへ消えてしまった今、この胸騒ぎの様な、何とも言えぬ気持ちを向ける矛先はもう無い。







「ただいま…」

「あっ…。お帰り…」

もはや騎士としての務めなど忘れ、“彼女”に言われた通り、そのまま自宅へと戻ると、台所で料理の下準備をしていた娘のヴィエルジュが小さな声で出迎えてくれた。

ここ数日はずっと娘のヴィエルジュが台所に立ってくれている。

というのも、あの薬を止めさせてから、妻のラミアの眼の調子が悪くなり、料理さえまともに出来ない程だからだ。

「お母さんは…?」

「…部屋で寝てると思う」

「…お父さんも手伝おうか?」

「いい…。一人で出来る…」

「…そっか」

挨拶の時、こちらをちらりと向いただけで、ヴィエルジュは下を向いて黙々と作業を続ける。

その横顔はひどく妻に似てきているが、その態度も、目が見えず、塞ぎ込んでいた頃のものに似ていた。

あの時は何と言って、妻を励ましただろうか…?

遠い記憶を呼び起こすが、妻のこと“だけ”を上手く思い起こせない。

妻の横にはいつも“彼”がいた。

視力が回復した時も、結婚した時も、娘が生まれた時も…。

“彼”はいつだって傍にいて、助けてくれた。

仲良くやっていたつもりだし、信頼しているつもりだった。











…でも、本当は、最初から“彼”のことを憎んでいたのかもしれない。









いつだって冗談混じりにこちらを小馬鹿にし、嘲笑い、説教垂れていた“彼”は、あからさまに僕よりも、全てにおいて秀でていながら、妻との関係を後押した。

…ラミアへのその内心を、見え隠れさせながら。

本人は隠しているつもりだったのだろうが、僕の目には、ばればれだった。

喋り方やその態度などを見れば、否が応でも気がつく。

勿論、退くことは出来た。

でも、僕はそれら全てに見ない振りを決め込み、妻を手に入れた。

“彼”に勝ちたい、一つくらい僕が優位だと誇れるものが欲しいという、情け無い自尊心を慰める思いも、少なからずあったのだろう。

しかし、一番は、それだけラミアのことを愛していたからだ。

それ故、“彼”には君を幸せに出来ないとか、“彼”は外見ばかりで、性格の悪い奴だとか、告げ口紛いのことはせず、ただただラミアに、自身の想いを告げていた。

ラミアが“彼”の気持ちに気付いていたかは分からないが、最終的には僕のプロポーズを受け入れてくれた。

それからは、僕も“彼”のことを認められる様になった、と思っていたが、実際にそんなことはなかった。

結局、“彼”に文句が言えなかったのも、“彼”と仲良くしていたのも、本当は“彼”を慕う妻の機嫌を伺っていただけなのかもしれない。

心の奥底では、“彼”のことなんか、これっぽっちも認めてなんかいなかったのかもしれない。

だから、コハブの今の状況を、僕は二重に喜んでいる。

シエルに生まれ、生きる者として、腐敗した権力者と、それに共謀していた君を追い詰められることを。

そして、小蝿の様にいつまでも妻に付き纏う君を、大義名分の名の下に討てることを。




君はどう?医術士、“アル・ハイル・ミッテル”。
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