しらぬがまもの

夕奥真田

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求むるは命

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かち、かち、かち……。

しんしんと降り続ける外の雪が、まるで時計の針の音だけを残し、他の音という音を食べてしまったかの様に、この応接室は耳が痛くなる程の静寂に支配されている。

その身をぼろぼろにしながらも、ターイナたちを連れて、ガルディエーヌやアトゥ、そしてペルメルが帰還してから数時間。

窓から見える景色は、真っ白な雪が夜の闇を和らげてくれているとはいえ、陽のあった頃よりも暗くなり、明かりの灯る内からは、雪が降っていることは分かっても、遠くの様子はよく分からない。

ごたごただった事態がようやく落ち着いたは良いものの、いつの間にかそんな時刻になっていた為か、つい先ほど、トゥバンがオネなどを連れだって、急いで夕食を作りに、厨房へと向かった。

……我もついていけば良かっただろうか?

トゥバンたちが厨房へ、ターイナはガルディエーヌなど、先の一件で傷ついた者たちを治療、部屋に寝かしつけた後、プレシエンツァと共に実験部屋へと籠ってしまったこの現状、応接室にいるのは、我を含め、リウと傷の治療を終え、ソファで眠るペルメルだけ。

それ故の、静寂だったのだ。

あの屋敷において、彼らの“母親”でもあったらしい、我が“主様”を傷つけたというペルメルたちの、懺悔とは程遠い告白に怒り狂ったものの、それを力によって押さえつけられてからは、リウとはまともに口を利けていない。

しかし、未だ口を利くのも嫌なほど怒っているかと問われれば、決してそういう訳ではない。

リウが止めてくれたおかげで、彼らが“主様”を傷つけた、多少なりとも納得の出来る話を聞くことが出来たのだ。

そういう意味では、リウにはひどく感謝さえしている。

もっとも、彼らの話に納得し、同行している理由は、リウがいるからというのもあるが、リウに再会したことで甦った、我自身の心の寂しさを埋めるためでもある。

もうあんな血生臭く、薄暗い地下室で、生きるために“家族”を“弔い”続ける、一人ぼっちで寂しい日々に戻るのは嫌だった。

だから、もしかしたら、自身を傷つけた者たちと共にいることを怒っているやもしれぬ、胸の内の“主様”から目を背け、彼ら、“家族”と一緒にいるのだ。

だが、正直、彼らと共にいるのは、少しだけ苦でもある。

……我は人との付き合い方が良く分からないから。

主様が生きていた頃は、幼かったリウのお守りと称する遊び相手として、戸惑いながらも、その責務を果たしてこれたと思うのだが、今はそのリウも大きくなり、遊び相手を欲してはいないうえに、せがんではくれない。

それ故、何をして良いのか分からないのだ。

思えば、どれほど古い記憶を手繰り寄せたとしても、己で自発的に何かを決め、行動したことはない気がする。

使えないとガラクタとして捨てられるまでは、あの男、ヘルトの言いなりであり、その後、拾ってくださった主様には、そのご恩を返す為と服従し、その主様が愛していたリウの言うことも聞いてきた。

良くか悪くか、皆我に命令を与えてくれたのだ。

そして、それと同時に、その短い間だけの、絶対的に約束された“生”を与えてくれた。

主様とリウは勿論、命令を完遂するまでの間は、あのヘルトさえ、我を傷つける様なことはなかったのだ。

だから、殺せと命令されれば殺し、共に暮らしましょうと命令されれば共に暮らし、一緒に遊べと命令されれば一緒に遊んだ。

矢継ぎ早に下される命令という名の“生”に縋り付き、それが正しいかどうかや、己自身がしたいことかなど、何も考えず、ただ与えられた命令に従ってきた。

だが、ここにいるほとんどの者が命令してはくれない。

“生”を与え、我の存在を肯定してくれないのだ……。

唯一命令してくれるのは、リウの幼い頃によく似たソルくらいなものだが、あの子も、やはり醜い我などよりも、フーたちについて行ってしまった。

「はぁ……」

名前も忘れてしまった蜘蛛の魔物の足を開き、人の身体をひんやりとした床に降ろすと、自然、ため息が漏れる。

ソファで眠り、傷を癒すペルメルは勿論、椅子に座り、真っ黒な杖を握りしめたまま、じっと目を瞑るリウでは、“生”を与えてはくれそうにない。

それに、昨夜のフーの様に、話し掛けてくれそうにもない。

……やはり、我も厨房へとついて行き、命令を下されるのを待つべきだったか。





「ん~……。今のはぁ、スクレちゃんのため息ぃ~……?」

聞こえるはずもないと高を括っていたため息に反応した突然の声に慌て、すぐさま顔を持ち上げると、先ほどの引き締まったものとは別人の様に、ふにゃふにゃで、欠伸さえも混ぜた、如何にも力の抜けた顔をしたペルメルがこちらを向いていた。

「お、起きていたのか……?」

「今ねぇ~。ふぁぁ……ねむ……。それでぇ~?スクレちゃんも、何かお悩み事~?」

「……」

「んふふ~。スクレちゃんのそういう正直なところ、お姉ちゃん好きよ~」

ソファからゆっくり上体を起こし、眠気を散らす為か、身体を思い切り伸ばすペルメル。

その表情が痛みに歪まぬあたり、プレシエンツァにコハブの状態などを報告していた時、態度こそ余裕ぶっていたものの、その身体を可能な限り動かさぬよう、明らかに気を遣わなければならなかったらしい傷は回復したらしい。

ペルメルの傷はプレシエンツァやアトゥたちを襲ったという、例の“あの女”にやられたと言っていたが、大事に至らなくて本当に良かった。

「んふふ~。スクレちゃん、今ホッとしてるでしょ~?」

「……どうして分かる?」

「だぁ~って~、スクレちゃんの顔すっごくわかりやすいもん!」

「えっ……?」

人間の手が動くよりも先に、背中に生えた四本の手が、頬や額などに伸びる。

だが、自分が今一体どんな表情をしているかは良く分からない。

そんな我の咄嗟の行動がおかしかったのか、ペルメルは優し気な笑みを浮かべる。

「んふふ~。ねぇ?リウちゃんもそう思うでしょ~?」

ソファの肘掛けにもたれ掛り、眠気を払う様に片足だけをぶらぶらと垂らしながら、ペルメルが声を掛けるとリウはすぐに目を開き、その厳し気な表情を向けた。

「……なんだ?」

「……リウちゃんって毎回通知表に、“人の話を聞きましょう”って書かれそうよね」

「……」

「まぁでも、そんなこと言ったら、他の子たちもどっこいどっこいかぁ~。んふふ~」

ペルメルは一人自嘲する様な、或いはほくそ笑む様な小さな笑みを零す。

彼らの性格などを全てを知っている訳ではないが、もしリウの批評がそれならば、他の者たちのものはもっと、特にペルメルのものが最もひどいことになりそうな気もするが、敢えて口にすることはなかった。

余計なことを言っては、またリウに泣きつき、平手打ちを浴びさせてしまいそうだ。

「……それで、今なんと言った」

「え、あぁ、そっか。スクレちゃんの表情って分かりやすいでしょ?って話」

「……」

質問の内容を理解したのか、リウは無言でこちらに顔を向けると、その後はほんの少しも瞳を揺らすことなく、じっと我を見つめ続けた。

あまりの急な事に、忽然と恥ずかしさが吹き立ち、頬などに宛がっていた背中の四本の手で、そのまま顔を覆い隠したかったが、その想いをぐっと堪える。

我も大人となったリウの顔をよく見たかったのだ……。

幼いの頃にはよく見たものだが、こうして大人になったリウの顔を真正面から、しかもまじまじと見つめるのは初めてだった。

ちょくちょくその横顔を覗き込んでいた時にも思ったが、やはり成長しても、その整った可愛らしい顔はあまり変わらない。

それ故、あの屋敷で出会った時、すぐに気付くことが出来たのだろう。

表情こそ、昔以上に厳しく、何処か他人を嫌悪している様なものだが、それでも変わらず、あの時の様に、主様と一緒にその柔らかな頬を突っつきたくなってしまう。

「……そうかもな」

一頻りこちらの顔を見つめたリウは、何事も無かったかの様に杖に視線を戻すと、静かにペルメルの言葉に頷いて見せた。

「んふふ~。でしょ~?今もお顔真っ赤だもんね~」

「……っ!」

顔が熱くなっていることには気がついていたが、まさか遠目に分かる程に赤く色づいているとは思わなかった。

慌てて顔を覆うと、リウやペルメルたちへ背を向ける。

さすがに恥ずかしさも限界だった。

「んふふ……。ほんと正直者過ぎるくらいよね~。それに、話し方のせいもあって、まるで、“イヴちゃん”みたい……。ね?リウちゃん?」

「……」

先ほどの我を揶揄う質問の時とは違い、いつもの喜びの色を無くした、むしろ、どこか寂しげなペルメルの言葉に、リウは変わらず無言を貫く。

“イヴ”……。

その名には勿論聞き覚えはない。

正直なところや話し方が似ていると言われても、それだけでは想像も出来ないものだ。

しかし、ペルメルが話を振るあたり、リウも知っている者なのだろう。

……少し胸の内がざわつく。

そもそも我の心は、その感情を取り戻したものの、主様や幼いリウと過ごした時のものとは少し様変わりしている様に感じる。

というのも、リウが誰かと話し、仲良くしている姿、特に、朝にリウがフーの紅髪を梳かしている姿などを見ると、心の奥底から、何とも形容し難い、ひどく不快で、薄気味悪い想いが登ってくるのだ。

そして、鋭利な痛みこそ無いものの、心全体を雲の様に覆い、暗い気持ちにさせる。

何故急にこんな想いが登ってくる様になったのかは分からない。

しかし、その想いが確実に我を苦しめているのは確かだった。

もっとも、今回のざわつきは、リウとフーの仲の良さそうな姿を見ている時と似ているものの、それ以上に何処か、もどかしさがある。

決してしたくはないのだが、フーがリウと仲良くする分には、それを止め、仲を断ち切ることも出来るのだ。

だが、その“イヴ”という者を我は知らず、リウは知っているということを、今更変えることは出来ない。

それ故のもどかしさなのだろう。

背を向けたまま、一人そんな想いに囚われていることなど、我の顔を見ていない為か、露程も知らぬペルメルは声色を変えぬまま、リウに言葉を掛け続ける。

「……ねぇ、リウちゃん、“イヴ”ちゃんに“お姉さん”がいるって知ってたぁ?」

「……聞いたことがない」

「ふぅ~ん、そっか……。ところで、もしも“イヴ”ちゃんともう一度戦ったら、リウちゃん勝てると思う~?」

「無理だ」

「あら?即答とは、ちょっと意外かも……。でも、それは何故ぇ~?」

「……あいつの剣捌きについていけない、それだけだ」

「なるほどねぇ……。でも、強いといっても、アトゥちゃんやオネちゃんは一度裏切り者として彼女を倒しているしぃ……。だとすると、やはりあの“装備”によるところが大きい……?いや、でも、あの十人をプレシエンツァは捌き切った……。となるとぉ……」

「す、すまない、その“イヴ”というのは一体な……」

天井を見上げ、ぶつぶつと独り言を告げるペルメルに、意を決して、例の“イヴ”について尋ねようとしたその時、廊下へと続く扉が勢いよく開いた。

「御飯出来たわよ!さっさと、食堂に集まりなさい!」

見ると、紅髪を軽く後ろで纏め、その高価そうな服を惜しげも無く腕捲りしたフーが、少し苛立った様子で立っている。

「えぇ~、お姉ちゃん、身体が痛くて立てな~い!フーちゃん抱っこぉ~!」

「あんたさっきまで寝てたんでしょ!?それに、私より色々大っきいあんたを抱っこ出来る訳ないでしょ!」

「え~ん、リウちゃん!フーちゃんがおっぱい大きいことを虐めてくる~」

「誰もおっ……胸の話なんかしてないでしょ!?身長のことよ!」

結局、顔を真っ赤にしたフーは、ペルメルの元まで鼻息荒く近くと、その継ぎ接ぎだらけの両手を躊躇なく引っ張り、強引にソファから立ち上がらせる。

そして、さっさと部屋を出ろとばかりに、その柔らかそうなお尻を軽く叩き、ペルメルを先に廊下へと追い出すと、こちらへと顔を向けた。

「リウとスクレも早く来なさいよ?遅いと、御飯抜きにするわよ?」

「……あぁ」

「わ、分かった……」

急かされるままに廊下に出ると、フーはリウの手を引いて、廊下を進んでいく。

「ふふ~ん!リウ、今から楽しみにしておくことね?なんせ今日の晩御飯は私が手伝ったんだから!」

「……お前が手伝ったたら何かあるのか?」

「そ、それは、その……お、美味しくなるのよ!」

「……」

「な、なんでそこで変な顔をするのよ!馬鹿にしてるの!?」

楽しそうに話す二人を見つめながら、その数歩後ろをついて行く。

心の奥底から這い上がってくるざわつきに心が揺さぶれていることを、決して表情から気取られぬよう、内頬を噛みしめながら。







フーが先ほどと同じように、勢い良く扉を開けると、廊下を漂う冷たい空気たちが、我先にと、逃げ込む様に部屋へと入り込む。

その急な寒気が背中にぶつかったらしい、入口付近に立っていたがトゥバン、その伸び切った背筋を更に伸ばさんばかりに身体を震わせる。

「ひぃぃ……!」

「あれ?トゥバンどうしたの?」

「フー……!どうしたの、ではありません!扉を開けるのならば、もっと静かに開けてください!やっと温まってきた空気が逃げてしまうじゃないですか!」

そう厳しく注意するトゥバンが指差す方向には、食欲をそそる湯気がとめどなく沸き立つ、美味しそうな料理の数々が乗った大きな長方形の机と、更にその先に、入り込んだ冷気に震え、音を立てて激しく燃える暖炉があった。

「あっ、ごめんって……。それより、三人を連れてきたわよ?これでやっと食事を始められる?」

「そうですね……。プレシエンツァ様如何しますか?」

少しだけ悩む素振りを見せたトゥバンだったが、すぐに振り返り、既に頭を抱える様にして椅子に座るプレシエンツァに尋ねる。

すると、プレシエンツァはゆっくりと頭を持ち上げ、一度静かに部屋を見渡した後、頷いて見せた。

「あぁ……。ターイナ以外皆いるのなら、構わないだろう」

「分かりました、それでは皆さま、席に……」

「待ってくれ、何故ターイナがいなくても良いんだ?」

手を叩き、食堂内にいる者たち全員に席に着くよう合図するトゥバンを慌てて止める。

見渡すと確かに、ターイナ以外の者たち全員が既に集まっているものの、そのターイナだけを省除する意味が分からなかったのだ。

しかし、おかしな問いを発したつもりはなかったのだが、プレシエンツァは何処か渋い表情を浮かべながら、重たそうな口を開いた。

「……今は、彼をそっとしておくべきだと考えたからだ」

「それは……」

「まぁ……大好きなお兄ちゃんが“首”だけになっちゃえば、そりゃあ、ねぇ……」

「ペルメル……!」

冷やかすつもりはないのだろうが、あまりに直接的なペルメルの言い草を、プレシエンツァは軽く窘める。

だが、ペルメルのおかげで、やっとプレシエンツァの言い分が理解できた。

……確かに、今はターイナを一人にしてあげた方が良いのかもしれない。

ペルメルやアトゥの報告によれば、あのコハブにおいて、アルがその首を落とされていたらしい。

ターイナの暴走はそれを見つけたことによる、あまりに強い精神的ショックが原因で、急にあの三人を呼び寄せたのも、無意識的に自分やアルを助けてくれる者を欲していたからだと、ペルメルは推測していた。

ターイナがアルとどれ程の関係だったのかは、二人と出会ったばかりの我には分からないが、目覚めた時の、プレシエンツァに泣きつく様な慌てぶりから察するに、その想いかなり強かったのだと思う。

そんなターイナの様子を今更ながらに思い出し、そっと口を噤んだ。

「……では、よろしいでしょうか?」

「あぁ、すまない……」

本当はこういう時こそ、ターイナを皆で囲み、慰め、温かく励ますべきではないか、そう思わないではないのだが、人との付き合い方が分からぬ我に何かを言う資格などありはしないだろう。







ターイナやアルの一件もあり、昨夜の旅館での様な、和気藹々とした夕食は望めないものだと意気消沈していたが、案に相違して、食堂内は騒がしかった。

事情を上手く理解していないらしいソルは勿論、ターイナに呼び寄せられた時のことを覚えていないらしいフィリアとツルカ、それに生まれて初めての料理だったらしいフーが、それぞれに騒ぎ立て、それにペルメルやガルディエーヌたちが相槌を打つことで、食堂は暖炉以外の温かさに包まれていたのだ。

「じゃあ……ソルをお風呂に入れてくる……」

「ん~、ガルちゃんも一緒に入っちゃって、そのまま寝ちゃいなさいよ~?怪我ひどいんだから~」

「うん……」

アトゥやプレシエンツァの傷を治した、例の薬による治療がターイナによって施されたとはいえ、未だ痛々しささえ感じる、身体中にひどい火傷を負ったガルディエーヌは小さく微笑むと、リウの太ももの上で、穏やかな波に揺れるソルを右腕で抱き上げ、食堂を出て行った。

これで、食堂に残っているのは、我を含め、リウとプレシエンツァ、トゥバン、そしてペルメルだけだ。

他の者たちは、夕食の後片付けや、一足早く宛がわれた部屋へと向かった。

もっとも、では食堂に残っている者たちが何をしているかと問われれば、特段何かしているという訳ではない。

プレシエンツァは夕食前同様頭を抱え、トゥバンはそんなプレシエンツァの背中を優しく撫でている。

その向かい側に座るペルメルは、そんな二人の様子を見つめながら、絶えず、その継ぎ接ぎが解れてしまうのではないかと、心配になる程大きな欠伸をし、リウに横目で、何とも嫌そうな視線を向けられていた。

そして我といえば、先ほどの応接室の時同様、誰にも命令を与えてもらえないが故に動けずじまいだった。

「……あっ、そういえばぁ~、ターイナちゃんの分の御飯は取ってあるの~?」

ふと、目頭に大粒の涙を貯め、欠伸混じりの声で尋ねるペルメルに、トゥバンは静かに頷く。

「はい、ちゃんと取ってあります。いつ来ても食べれるよう準備も……」

「う~ん……ターイナちゃんのことだから、たぶん、届けなきゃ食べないと思うんだけどなぁ~。あの子研究熱心過ぎるし、それに、アルちゃんのこともあるからぁ……」

「届けたほうが良いということですか?」

「そうねぇ……。ねぇ、スクレちゃん行ってくれない?」

「えっ……?」

机に頬杖を突いたまま、ペルメルは不意に目だけをこちらへと向けた。

「スクレちゃん、まだターイナちゃんとまともに話も出来てないでしょ~?それなら、ちょうど良いかなぁ~、っと思って」

「し、しかし、彼女は……」

「もうぜぇ~んぶ今更よ~。隠したってしょうがないでしょ~?」

「……」

「それに~、スクレちゃんにしたって、悪い話じゃないと思うわよぉ~?」

顔はぴくりとも笑ってはいないが、ペルメルのその目はいやらしげな笑みを浮かべている。

その笑みが決して良いものでないことは、食堂内の空気や、ペルメルが発する空気から重々気がついてはいた。

だが、それでも断るつもりは毛頭ない。

……ようやく与えられた“生”なのだから。

「分かった。ターイナに夕食を持っていけば良いのだろう?すぐに行ってくる」

「ん、ありがと~。でもぉ、か弱い女の子一人じゃ大変そうだからぁ、リウちゃんも手伝ってあげてくれな~い?」

「……」

突いていた頬杖の手を逆にし、ペルメルは今度、相変わらず嫌悪感を隠さぬリウの方へと顔を向ける。

すると、リウは無言のまま椅子から立ち上がり、さっさと扉へと歩いて行ってしまう。

やはり、やりたくないのだろうか、少し残念な思いでその後ろ姿を眺めていると、リウは扉を小さく開けた後、軽くこちらを振り返った。

「早く来い」

「えっ……あっ……」

そして、短くそれだけを告げ、あまりに予想外だった故、返事も出来ずにいた我を置いて、食堂を出て行ってしまった。

「……えっと、ターイナ様の物は厨房においてありますので、まずそちらに行ってください。恐らく、まだ後片付けしているはずなので、その者たちに聞くと早いはずです」

「あ、あぁ……!分かった、ありがとう!」

「んふふ~。じゃ、よろしくねぇ~」

戸惑いつつも、説明を欠かさぬトゥバンもそうだが、今度こそ満面の笑みを浮かべるペルメルにも礼を言い、リウの後を追いかける。

“生”を与えてくれたこともそうだが、リウと一緒にいられる時間を作ってくれたことが嬉しかったのだ。





廊下に出ると、少し離れた位置で待っていてくれたリウは静かに向きを変え、歩き出した。

「ま、待ってくれ……!」

廊下の随所に設置された花瓶などを壊さぬよう、蜘蛛の足や背中の手の位置に気を付けつつ、急いでリウの隣に並ぶ。

「まず厨房へ向かおう、そこにターイナ用の食事が取ってあるらしい」

「……」

「聞こえているのか……?」

「あぁ……」

返事の声こそ小さいが、気怠げという感じはしない。

しかし、昔の様に不機嫌そうな顔をしつつも、年相応に甘え、遊び相手を欲しがっていた頃のリウを知っていると、今の冷たい態度は何処か物悲しい。

ただ、今のリウにはあの頃にはない、何かを感じてしまうために、全部が全部悲しいという訳でもないのだ。

もっとも、その何かというのが何であるかはいまいち分からないのだが……。

ちらりと、横を歩くリウを見やる。

……リウは、何かを感じているのだろうか?

「リ、リウ……、リウは、そ、その、聞きたいことがあるんだが、聞いても良いだろうか……?」

「……何だ?」

「リウは……リウは我の事を覚えているのか……?」

「……」

リウと離れてからどれ程の月日が経ったのか、その正確な日数は勿論分からぬが、リウがここまで大きくなったあたり、相当な時間が流れたのだろう。

我はその間ひたすらに、リウとの再会を夢見ながら、主様や家族を“弔い”続けてきた。

それ故、一昨日、あの屋敷でリウと出会えた時には、涙が出る程歓喜し、今こうして一緒にいられることが嬉しくて仕方がない。

しかし、それだけでは我慢出来なくっている……いや、焦っている自分がいるのだ。

それ故に聞きたくて仕方がなかった。

「……」

「ど、どうなのだ……?」

「……」

我の言葉には反応せず、無言で廊下を進み続けたリウは、そのひどく長い沈黙の末、厨房へと通じる扉の前でゆっくりとこちらに顔を向けた。

「覚えていない」

「……っ!」

覚悟はしていたつもりだった。

しかし、心の何処かで、そんなことはないと高を括っていたのだろう。

大きくなり、その性格が少しだけ気難しくなっただけだと、言い聞かせていたのだろう。

だが、リウの残酷な一言は、そんな軽率な推測と情けない自己暗示はいとも容易く打ち壊し、その先に立つ脆弱な覚悟さえも貫いた。

「は、はは……。そ、そうか……。う……ん、そうだな……。我のことなんか……」

「だが……」

「……っ!?リ、リウ……!?」

がっくりと肩を落とし、ひどく落ち込む我の手を突如、優しく握ると、リウはそれを自身の頬に持っていく。

……柔らかくて、とても温かい、まるであの頃の様に。

「……この温もりは覚えている」

「リ、リウ……。そうか……そうか……!」

それだけで十分だ。

我の事など覚えていなくても、この温もりのことを覚えていてくれたのなら、それで良い。

それだけで、リウに一歩近づけた気がするのだから。





厨房でターイナの夕食を受け取った我とターイナはそれ以上無用な話はせず、黙々とフィリアたちに教えられた通りの道順でターイナの実験室があるという地下へと向かった。

道中、ガルディエーヌたちと入れ替わる様に、お風呂から出たらしいフーが、命令遂行に協力することを申し出てくれたが、我は勿論、リウもそれを断ってくれた。

リウ曰く、絶対に落とすとのことらしい。

……我の理由とは違った。

当然、フーは露骨に不満そうにリウに抗議したが、我の気持ちは、いつもの二人のやり取りを見ている時よりもひどく落ち着いていた。

その理由は勿論、分からない……。

フーと別れると、すぐにフィリアたちが言っていた、実験室へと続くらしい、ひどく薄暗い階段が見つかった。

蝋燭もなく、廊下から入り込む明かりだけが微かに照らしだす、用が無いのであれば、決して降りたくはないも階段だ。

しかし、“生”という名の、命令を与えられた今、それを完遂させなくては、また捨てられてしまうかもしれないという恐怖心は、“弔い”暗闇の中で感じた、孤独への恐怖心を遥かに上回り、自然、身体は階段を下っていた。

薄暗い階段を慎重に下り、その先にあった、暗闇で見えないものの、恐らくは実験室と書かれているであろう表札がぶら下がる扉を開ける。

すると、その先に……。










“主様”がいた。








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