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本章
第11話:「調子に乗るな、バ~カ」
しおりを挟む『希望の声が高らかに鳴り響き
見よ、メシアは再び光と共にやって来る
神の御業から搾り取ってできた結晶の森を遍く砕き、
群がる赤い一つ目のイナゴのはらわたを膠にして、
メシアの歩く道を作ろう、メシアの住む宮殿を作ろう
プロメテウスが与えし理、
その数百年の理を以て、タロスの如き器を手にし
世界を真実の方向に導く彼の再来を讃えよ
もはや、彼の行く手を阻むものはない
彼の大いなる預言は、彼の再来を阻む灰色の服の者たちを悉く跪かせるであろう
偽りの歴史を守る三人の魔女の申し子は磔となり、汚れた黒い血を滴らせる
ひれ伏さぬ民は等しくアラクネの牙の露と消えるであろう
神の車輪に導かれた彼は、神の子宮から現れる
全ての災厄の元凶を光に変えながら
そして、彼の王国は千年続くであろう』
「やっぱり、メシア再来の歌よね……」
全歌詞のメモをテーブルに置いた彼女は鼻を擦った。志音は腕を組んだ。
「メタクニームは未来から人を送れないのだとしたら、何かの例えなのかな?」
「……仮にメシアとなる未来人を転送できたとしても、あの球体がメシアだったとしても、そのうち消え去るはず。王国が千年続くという意味が分からないのよね……」
「この、タロスっていうのは?」
志音はメモを指差した。
「ああ、ギリシア神話に出てくる青銅製の機械人形のことよ」
「ふ~ん……。アラクネは?」
「アラクネは蜘蛛ね」
……蜘蛛?……何故か、ドキリとするような響きがあった。
「それから、この『魔女の申し子』というのは、多分私ね……磔にされるらしいわ」
彼女は苦笑した。
「あと、神の車輪はスローン。黒いドーナツでもあり、メタクニーム自体でもある」
「じゃあ、神の子宮は?」
彼に聞かれて、彼女は眉根を寄せた。
「これが分からないのよね……」
……神の子宮か……
「受精卵は、生きたまま時間転送できるの?」
ふと思い付いて、彼は聞いた。彼女は肩をすくめた。
「そこまでは分からないわ」
「じゃあ、もしかしたら、受精卵の状態で時間転送させて、それを子宮の中で成長させてメシアにすることは可能だよね?」
「それはそうなんだけど……その赤ん坊は、未来の情報を一切持ってない。それをメシアと呼べる? ただ、未来から来たってだけで…」
彼は言葉に詰まった。彼女は続ける。
「そもそも、一週間で消え去るなら、生まれ落ちることすらできないわ……」
メモを凝視しながら、彼女は左手で頭を抱えた。
「奇蹟は未来からしか来ないのに、それを一週間しか維持できない。それでも、奴らは千年続くと歌っている。そこが問題なのよね……」
* * *
深夜、志音はふと目を覚ました。隣のアミカナの布団が空になっていた。窓が開いていて、波音が近くに聞こえる。彼は窓際へと立った。
月明かりの中、浴衣のままの彼女が湯殿に膝を付き、湯気の立ち上る露天風呂に右手を漬けていた。彼に気付いて一旦顔を上げたが、再び目線を揺らめく湯面に落とす。彼は彼女に近づいた。
「……あったかい……」
彼女は呟いた。お湯の中で、ゆらゆらと右手を揺らす。かける言葉に迷って、志音は黙っていた。彼女は、お湯から上げた人差し指の脇腹で鼻の頭を擦った。
「……僕でよかったら、話聞くよ……」
不意に彼に聞かれ、彼女は驚いて顔を上げた。彼は思わず目を逸らす。
「……いや、その……君は、困ったりした時に、そうやって鼻を擦るからさ……」
意外な指摘に、思わず手を顔から離す。志音の横顔を見ると彼女は肩をすくめた。
「……何だかなぁ……」
どうとでも取れる言葉を、再び彼女は呟いた。再び右手をお湯に漬ける。
「……夜は好きじゃない。何ていうか……揺らぐから……」
目を伏せたまま、彼女は言った。
「心が?」
彼が聞いたが、彼女は顔を上げなかった。
「……眠れない時は、朝が待ち遠しいよね……」
そう言って、彼は夜空を見上げた。
「朝日は、『そんなことで悩んでんじゃねぇよ、バ~カ』って、明るい感じで言ってくれる気がしてさ……」
彼女は右手の動きを止めた。
「……だから、そういう時は……」
続けた彼の言葉に、彼女は顔を上げる。
「……そういう時は?……」
「……バカだからしょうがないなぁ……って思うことにしてる……」
「……何それ?……」
彼女は苦笑した。
「夜は全てが止まるから、何も決められない。決められないから迷う。だから、何というか……ゼンマイが巻かれていく時間だと思えばいい。分かる? ゼンマイ」
彼女は頷いた。
「夜の間にゼンマイが巻かれて、朝が来たら一気に跳躍できる。夜はギリギリと軋んだりするけど、朝になれば、それも必要なことだったんだって分かる。だから、それが分からない自分はバカなんだなぁ……って」
……彼自身、それで納得できていたわけではない。そして何より、彼の悩みなど、彼女が感じている重圧には較べられるようなものではなかった。ただ、同じように悩む彼女の心の重荷を、何とか少しでも取り除いてあげたかった。その言葉が、彼女に届いたのかは分からない。いや、届くとも思えなかったが、それでも、何かしらの糸口になって欲しいと願った。
「……ゼンマイか……」
彼女は呟いた。右手で、湯船の中に渦を作り始める。湯面で月明かりが乱舞した。
「よし! 決めた!」
急に立ち上がる。
「やっぱり、露天風呂入る!」
明るい声で彼女は宣言した。それがごまかしであることは分かっていたが、志音は大きく頷いた。
「いい選択だ。僕も一緒に入ろうか?」
軽口を叩くと、不意に彼女は真顔になった。青い瞳で彼を見つめる。波音の中、ゆっくり近づくと、彼の胸に右手を載せて、耳元に唇を近づけた。
「調子に乗るな、バ~カ」
そう言って顔を離した彼女は、伏し目がちに、彼の浴衣の襟をそっとなぞった。
志音は頭を掻いてわざとらしく笑うと、後ろ手で手を振りながら、露天風呂を後にした。心の弱みに付け込むのはフェアじゃない。彼女のゼンマイの軋みが少しでも和らぐのなら、それでいい――それが彼の選択だった。
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