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本章
第12話:「勝手に愛称つけないで」
しおりを挟む<土曜日>
球体が現れてから、既に六日が過ぎていた。歌の内容から何の糸口も掴むことができずに、二人は次第に焦燥の募る時間を過ごしていた。
志音が部屋に戻ると、アミカナは、窓際で膝を抱えて、夕闇の迫る海を見ていた。沖合のブイの赤い点滅が目立つようになっている。潮が満ちているのか、ブイは、それとは分からない位の速度で、ゆらゆらと位置を変えていた。
「……どこ行ってたの?……」
背中を向けたまま、彼女は聞いた。
「ああ、旅館のおじさんの船に乗せてもらって、漁を手伝ってきた」
「……ふ~ん……」
抑揚のない声で、彼女は答えた。
やがて、夕食が運ばれてきた。海の幸が乗せられた大小様々な皿がテーブルに並ぶ。旅館の主人が目の前の海で採って来た品々は、豪華とは言えないかも知れないが、新鮮であることは間違いなかった。アミカナは窓の外を見つめたままだったが、仲居が去ると、チラリとテーブルの上に目をやった。
「ん?」
彼が言う。
「……何?」
彼女は眉を顰めた。
「今、喉鳴らしたよね?」
「……鳴らしてない……」
「食べたいんでしょ?」
「……別に……」
「食べてみなよ」
「要らない!」
「何で?」
「……」
「せっかくだからさ……」
「食べたくても食べられないんだからしょうがないじゃない! しつこいわね!」
不意に立ち上がると、恐ろしい剣幕で彼女は叫んだ。軽口のつもりだった志音は、思わずたじろいだ。
「どうしてそう暢気なの?! もう時間がないのよ!」
そういうと彼に背を向ける。ポニーテールが小刻みに震えていた。やがて、彼女はゆっくりと長い息をついた。
「……ごめん……八つ当たりだった……」
急に明るい声色で、彼女は言った。
「……本当は、喉、鳴らした……」
乾いたように笑うと俯く。
「……こんな時に喉を鳴らす自分に腹が立つ……」
そう言うと、彼女は襖に手をかけた。
「……頭、冷やしてくるわ。一人で食べて……」
志音は、その背中を見送るしかなかった。
* * *
アミカナが戻ってからも、二人の間には会話がなかった。彼女は、再び膝を抱えて座りながら、床の間の掛け軸を見るともなしに眺めている。志音の方も、窓際に腰を下ろして、外の夕闇を見つめていた。部屋の隅には、試行錯誤したメモの山ができていたが、今日の昼以降、その山に追加されたものはなかった。焦ることが何のプラスにもならないことは分かっていたが、それでも、二人から滲み出す波動で、空気がチリチリと音を立てているような気がした。
ふと、アミカナは、床の間の鷲の置物を手に取った。
「……そう言えば、オーパーツのこと話してたわね」
彼女は呟いた。
「考えてみたんだけど、もし、未来人が装置を持って過去に転送して、過去にある……例えば水晶を材料にして、とんでもなく精巧な髑髏を作ったとする」
彼女は彼の方を向き、彼は頷いた。
「時間が来れば、未来人も装置も消えてしまうけど、未来からの物質じゃない髑髏は残るわ。それなら、オーパーツになるかも知れない」
「なるほど……」
彼は顎に手を当てた。彼女は置物を床の間に戻すと、天井を仰ぎ見る。
「まあ、そこまで頑張って、髑髏を残すことに何の意味があるかってことだけど……」
……確かに、その時代の物体なら消えることはない。ということは、未来の情報をそれに焼き付ければいい。それで、未来の情報を残すことができる。
メタクニームがメシアを欲するのは何故か? メシアによって、彼らの教義を遍く世界に広めたいからだ。そのためには、経典や彫像よりも、教え説いてくれる人間の方が断然効果的だ。だからメシアは人間である必要がある。では、その時代の人間に、未来の情報を刻み込むには……
ぞくりとする感覚があった。
「……髑髏はしゃべれない……」
志音は呟いた。
「どういうこと?」
彼女は眉を顰めた。彼は彼女へと向き直った。
「例えば、例えばさ、未来人が過去人に会って、未来で起きる出来事を伝えたら、その過去人は預言者になれるよね?」
「まあ、そうだけど、5分では伝えられることに限度があるわ。例えば、本の形にして渡したとしても、あっという間に消えてしまうし……」
彼女は肩をすくめた。
「……あの球体は、この世界に一週間位は存在できるんだよね?」
「まあ、そうね」
彼は思わず喉を鳴らした。
「それだけあれば、いろんなことを教えられるよね?」
「え……」
怪訝そうな顔をした彼女の瞳が、次第に見開かれる。
「まさか……」
「あの球体が、この世界の人間に、未来のことを教えたら、教えられた人は……預言者になれるってことはない?」
彼は虚空を見つめた。記憶が蘇る。
「あの歌は、預言者の再来を讃えていた。ということは……」
思わず彼女は立ち上がっていた。
「事前にスローンをばら撒いて、過去人を球体の座標におびき寄せ、捕獲して洗脳する!」
彼女の叫ぶような推測に、彼は頷いた。
「僕と同じように導かれた人が、あの中にいるのかも……」
「……じゃあ、あの球体は!……」
「……預言者製造装置なんじゃ……歌の言う、神の子宮さ……」
「……もし……もしそうだとすると……」
彼女は血の気の失せた顔で、ゆっくりと彼に歩み寄る。
「預言者は、既に産み落とされているかも知れない! もう六日経ってるわ」
それまで見せたことのない怯えた表情で、彼女は両耳を掻きむしるように両手で覆った。乱れた髪が顔にかかる。
「どうしよう! このままじゃメタクニームの思い通りだわ! 必ずやり遂げるって言ったのに……何もできてない!……どうやってその人を見分ければ?!」
後ろへとよろめきながら、彼女は叫び出した。瞠られた青い瞳は焦点を失っていた。
「アミ! アミ! 落ち着いて!」
驚いた彼は立ち上がり、彼女の両肩を掴んだ。乱暴に揺する。
「奴らは、メシアを劇的に登場させるつもりだ!」
彼女に顔を近づけて、瞳を覗き込む。
「もしかしたら、時間が球体を迂回して、自然消滅した時に、それをメシアの仕業にしたいんじゃ? 『全ての災厄の元凶を光に変えながら』ってあるけど、これって球体のことだろ?」
自分の言葉が、確実に彼女に沁み込むように、ゆっくりと彼は言った。
「……だとしたら、まだ手遅れじゃない。メシアは子宮である球体の中だ」
そう言った彼は微笑んだ。
「子宮をぶっ潰そう!」
彼女は肩を震わせていた。任務の失敗を予感して、責任の重さに押し潰されてしまったのだろう。彼女はいつも不安を抱えていた。夜になると、それが顔を出す。無理もないことだ。
彼の目を見つめる彼女の瞳に、徐々に落ち着きの色が戻ってくるのが分かった。糸が切れたように、急に跪く。思わず彼も後を追いかけ、膝立ちで彼女を抱えた。次第に呼吸の乱れが戻っていく背中を優しく擦る。彼の肩に顎を載せて、彼女は一際長い息をついた。
「ごめんなさい、取り乱して……。この数日、凄く不安で……。私、カッコ悪いね……」
呟くように言う。彼は、彼女の背中を軽く叩くと、微笑んだ。
「大丈夫。僕らはもうバディだろ? 僕だけカッコ悪いのはフェアじゃない」
彼女はゆっくりと彼の腕を掴むと、彼の胸の中から体を起こした。心地よさと気まずさの同居する微笑みで、彼の顔を見つめる。
「……勝手に愛称つけないで……」
「ああ、ごめん! つい……」
彼女は、狼狽する彼の胸に再び右の頬を埋めた。
「……まあ、別にいいけど……」
背中に両手を回して抱きしめながら、しかし、彼女は表情を変えた。青い瞳に戦士の光が宿る。
「今から作戦会議ね」
* * *
二人はテーブルの上に大判の地図を広げていた。
「武器が要るわ」
鼻先を擦りながら、彼女が言う。
「武器?」
……一体、どこにそんなものがあるというのか……
頷いた彼女は、海際の博物館を指さした。そこは、火曜日に二人が訪れた場所だった。
「博物館に、刀が何本か置いてあったはず。あれを回収できれば……」
「刀?!」
そんなもので、あの球体と戦おうというのか?!……
「でも、切れるかどうか分からないよ!」
彼の懸念に、彼女は微笑んだ。
「いいのよ。別に人を斬るわけじゃない。自動機械を叩き壊せればいいの」
「でも……扱えるの?」
真剣を持ったこともある志音は、その重さを知っていた。
「剣術は既にインストールしたわ」
軽やかに応える彼女に、彼は眉を顰めた。
「インストール?」
彼女はにやりと笑う。
「物の例えよ。問題は、どうやって街に入るかよね……」
腕を組んで、彼女は話題を変えた。街へと続く国道は、全て陸軍が封鎖していた。平和的な突破は不可能としか思えなかった。彼女が暴れ回れば別かも知れないが、そうなれば必ず追跡される。
「……やっぱり、海からかな……」
地図を眺めながら、志音は呟いた。
「却下」
言下に彼女が答える。
「?……何で?」
恥ずかしがるように体を小さく前後させながら、目を逸らして彼女は答えた。
「……私、泳げない……と思う……」
意外な答えに、志音は目を瞠った。何でもできそうな彼女だったが、苦手なものもあるのか……
彼は宥めるように微笑んだ。
「大丈夫。ここの旅館の漁船がある。それを……その……ちょっと拝借すれば……」
それは、以前の彼なら考えもしないような提案だった。ただ、彼女の力になりたいと思った。いや、もしかしたら、彼女のようになりたかったのかも知れない……。とにかく、問題の解決のために、考えられるあらゆる選択肢を考慮する必要があると思った。
「操縦はどうするの?」
尋ねながら、彼女の心は少し動いたようであった。彼は自信を持って答えた。
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明るく輝く顔の前で両手を合わせて、彼女は尊敬のまなざしを彼に向ける。それは、彼をうぬぼれされるには十分であった。突然、物語の主人公になった気分で、彼は芝居がかったように言った。
「夜のうちに内海を渡れば、軍の目をかいくぐれる。早い方がいい」
彼女は頷く。
「あと、水が要るわ」
「水?」
彼は眉を顰めた。
「6リットルくらい。それならリュックで背負えるでしょ?」
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