3 / 71
3
しおりを挟む「殿下、今宵はお招きいただき誠にありがとうございます」
壮年の男性がエミル殿下の前に進み出て、やや大仰な仕草で礼をした。
ヤノシュ伯爵令嬢の父、ヤノシュ伯爵だ。
「ああ、ヤノシュ伯爵。先日は大層世話になった」
「いえいえ、こちらこそ十分すぎるほどの品々を賜っただけでなく、娘まで……身に余る光栄にございます」
周囲によく聞こえるように、わざと声量を上げている。
娘が皇太子に見初められたことで一躍時の人となり、注目を浴びるヤノシュ伯爵の表情は悦に入っていた。
「おや、これはこれは、コートニー侯爵令嬢ではありませんか」
壁際にいた私を見つけたヤノシュ伯爵が声を上げた。
(なぜこのタイミングで私に?)
しかも爵位の序列は私の方が上。
気安く声を掛けるような間柄でもない。
しかしヤノシュ伯爵の隣にはエミル殿下がいて、彼もこちらの方へ視線を向けている。
このまま無視するわけにもいかず、私は彼らの側に寄り、礼を取った。
「帝国の若き太陽、エミル殿下にご挨拶申し上げます。そしてヤノシュ伯爵も、ご機嫌よう」
けれど、エミル殿下からは「ああ」としか返ってこなかった。
ヤノシュ伯爵は、私に対するエミル殿下の素っ気ない態度を見るなり喜色をあらわにした。
「これはこれはご丁寧にありがとうございます……しかしコートニー侯爵令嬢、私の娘に挨拶はしていただけないのですか?」
耳を疑った。
二人はまだ婚約もしていない。
確かに今宵彼女がエミル殿下のエスコートを受けたことで、実質婚約者と同じ立ち位置にいるのかもしれないが、それでも私から挨拶をしなければならない理由なんてどこにもない。
(まさか……)
知っているのだろうか。
私がエミル殿下の婚約者に内定していたということを。
それでわざとこの場で私に恥をかかせようと?
今日父はこの場にいない。
情けない顔を見せたくなくて、側にいると言ってくれたのを私が断った。
父がこの場にいたら、決してこのような無礼を許さなかっただろう。
けれど今さら後悔しても遅い。
私たちのやり取りを黙ったまま見つめているヤノシュ伯爵令嬢の瞳には、優越感が滲んでいた。
悔しかった。
けれどそれ以上に胸を抉られたのは、感情のない目で私を見据えるエミル殿下の姿だった。
「ユーリア様、ご機嫌よう。今宵はとても素敵なお召し物でいらっしゃいますね」
ドレスの裾を飾るレースも、ふんだんにあしらわれた宝石も素晴らしい。
例え高位貴族と言えど、おいそれと手を出すことのできない品だ。
とすれば、自然と贈り主は誰なのか想像がつく。
「ありがとうございます。これは、エミル殿下が贈って下さったものなのです」
うふふ、と頬を染めるヤノシュ伯爵令嬢は恋する乙女そのもの。
それは見る者を思わず笑顔にしてしまうほど愛らしく、花が綻ぶような可憐さだった。
「とても良く似合っている」
彼女に向けるエミル殿下の優しい眼差しに、心臓が握りつぶされるように痛んだ。
たった一度でいい。
私もあんな風に見つめられたかった。
けれど、そんな願いはもう永遠に叶うはずもない。
いっそ、もっと傷付けてくれればいい。
そして二度と希望なんて持てないくらいに、この思いをズタズタに引き裂いてくれたら、いつかエミル殿下を忘れられるだろうか。
「では、私はこれで」
「待って、ルツィエル様」
下がろうとした私をヤノシュ伯爵令嬢が呼び止める。
「今度ぜひお茶をご一緒したいのですが、よろしいでしょうか」
派閥の違う彼女とお茶の席を共にした事などこれまでに一度もない。
それなのになぜ突然、しかもこのような場所で言うのか。
(社交辞令かしら?それとも……)
もしかしたらこれを機に、新たな人間関係を構築するつもりだろうか。
皇太子の婚約者として、自分自身の派閥を?
(でもなぜ私なの……?)
彼女の意図がわからず戸惑う私は、ただ「ええ」と答えることしかできなかった。
182
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
愛してしまって、ごめんなさい
oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」
初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。
けれど私は赦されない人間です。
最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。
※全9話。
毎朝7時に更新致します。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
7歳の侯爵夫人
凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。
自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。
どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。
目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。
王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー?
見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。
23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。
教養が足りない、ですって
たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる