もう、追いかけない

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 「殿下、今宵はお招きいただき誠にありがとうございます」

 壮年の男性がエミル殿下の前に進み出て、やや大仰な仕草で礼をした。
 ヤノシュ伯爵令嬢の父、ヤノシュ伯爵だ。
 
 「ああ、ヤノシュ伯爵。先日は大層世話になった」

 「いえいえ、こちらこそ十分すぎるほどの品々を賜っただけでなく、娘まで……身に余る光栄にございます」

 周囲によく聞こえるように、わざと声量を上げている。
 娘が皇太子に見初められたことで一躍時の人となり、注目を浴びるヤノシュ伯爵の表情は悦に入っていた。

 「おや、これはこれは、コートニー侯爵令嬢ではありませんか」

 壁際にいた私を見つけたヤノシュ伯爵が声を上げた。
 (なぜこのタイミングで私に?)
 しかも爵位の序列は私の方が上。
 気安く声を掛けるような間柄でもない。
 しかしヤノシュ伯爵の隣にはエミル殿下がいて、彼もこちらの方へ視線を向けている。
 このまま無視するわけにもいかず、私は彼らの側に寄り、礼を取った。

 「帝国の若き太陽、エミル殿下にご挨拶申し上げます。そしてヤノシュ伯爵も、ご機嫌よう」

 けれど、エミル殿下からは「ああ」としか返ってこなかった。
 ヤノシュ伯爵は、私に対するエミル殿下の素っ気ない態度を見るなり喜色をあらわにした。

 「これはこれはご丁寧にありがとうございます……しかしコートニー侯爵令嬢、私の娘に挨拶はしていただけないのですか?」

 耳を疑った。
 二人はまだ婚約もしていない。
 確かに今宵彼女がエミル殿下のエスコートを受けたことで、実質婚約者と同じ立ち位置にいるのかもしれないが、それでも私から挨拶をしなければならない理由なんてどこにもない。
 (まさか……)
 知っているのだろうか。
 私がエミル殿下の婚約者に内定していたということを。
 それでわざとこの場で私に恥をかかせようと?
 今日父はこの場にいない。
 情けない顔を見せたくなくて、側にいると言ってくれたのを私が断った。
 父がこの場にいたら、決してこのような無礼を許さなかっただろう。
 けれど今さら後悔しても遅い。
 私たちのやり取りを黙ったまま見つめているヤノシュ伯爵令嬢の瞳には、優越感が滲んでいた。
 悔しかった。
 けれどそれ以上に胸を抉られたのは、感情のない目で私を見据えるエミル殿下の姿だった。
 
 「ユーリア様、ご機嫌よう。今宵はとても素敵なお召し物でいらっしゃいますね」

 ドレスの裾を飾るレースも、ふんだんにあしらわれた宝石も素晴らしい。
 例え高位貴族と言えど、おいそれと手を出すことのできない品だ。
 とすれば、自然と贈り主は誰なのか想像がつく。
 
 「ありがとうございます。これは、エミル殿下が贈って下さったものなのです」

 うふふ、と頬を染めるヤノシュ伯爵令嬢は恋する乙女そのもの。
 それは見る者を思わず笑顔にしてしまうほど愛らしく、花が綻ぶような可憐さだった。

 「とても良く似合っている」

 彼女に向けるエミル殿下の優しい眼差しに、心臓が握りつぶされるように痛んだ。
 たった一度でいい。
 私もあんな風に見つめられたかった。
 けれど、そんな願いはもう永遠に叶うはずもない。
 いっそ、もっと傷付けてくれればいい。
 そして二度と希望なんて持てないくらいに、この思いをズタズタに引き裂いてくれたら、いつかエミル殿下を忘れられるだろうか。

 「では、私はこれで」

 「待って、ルツィエル様」

 下がろうとした私をヤノシュ伯爵令嬢が呼び止める。

 「今度ぜひお茶をご一緒したいのですが、よろしいでしょうか」

 派閥の違う彼女とお茶の席を共にした事などこれまでに一度もない。
 それなのになぜ突然、しかもこのような場所で言うのか。
 (社交辞令かしら?それとも……)
 もしかしたらこれを機に、新たな人間関係を構築するつもりだろうか。
 皇太子の婚約者として、自分自身の派閥を?
 (でもなぜ私なの……?)
 彼女の意図がわからず戸惑う私は、ただ「ええ」と答えることしかできなかった。




 
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