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第一章
08 束の間
しおりを挟む「心ここに在らずのようだね」
お婆さんの声に我にかえる。
いつもの夜。
話をしていたところだった。
「……すみません……」
「いいさ。このへんでやめておこう。ここまでは十分な量が集まったからね」
「明日から織るとしようかね」と言ったお婆さんの手には私の、これまでの話を聞きながら紡いだ糸玉。
――「これほどつまらない女だとは思わなかった」――
彼の言葉が聞こえた気がした。思わず目を瞑る。
生々しく聞こえた気がするのは夜ごと彼のことを、お婆さんに話していたせいなのか。
お婆さんは糸玉を籠に入れると窓のカーテンを閉めに行った。
息を吐きながら言う。
「夜は寒くなったね」
そういえばここ数日、夜は冷える。暖炉を焚べるくらいだ。
私はまだ大丈夫だがお婆さんには辛いかもしれない。
「お身体が冷えるようでしたら私が使わせていただいているベッドカバーを持ってきましょうか。
私は平気ですから」
「……《あれ》は温かいのかい?」
「はい、とても」
お婆さんは何故か吹き出した。
「そうかい。ああ、良いんだよ。《あれ》はお前さんが使いな」
「え……でも……」
「いいんだ。《あれ》はお前さん専用だからね。私が使っても温かくないよ」
「え?」
私専用?
どういう意味なのか教えてもらおうとしたが――お婆さんはただ愉快そうに笑うだけだった。
「……そういえば。クルス……さんは以前から通いのお弟子さんなのですか?」
「そうだけど?クルスがどうかしたのかい?」
「いえ、あの。
もしかしたら……私が、部屋を取ってしまったんじゃないかと思って」
この家には個室が二つしかない。
うちひとつはお婆さんが使い、もうひとつは今、私が使っている。
「ああ、お前さんが使っている部屋は客間だよ。たまに客が来るんだ。
お前さんのようにね」
つまりもとからクルスはここに住んではいないということだ。
私はほっとした。
「じゃあクルスさんには自分の家があるのですね」
「さあ、どうだろうか」
「え?」
「家は必要ないんじゃないかね。クルスならどこでも寝られるだろうから」
「………どこでも……?」
お婆さんはやはり笑うだけだった。
そんなやり取りがあったからだろうか。
「……どうかしたのか?」
「いえ……」
無意識にクルスの顔を見ていたようだ。
私は慌てて目を逸らした。
クルスが買ってきてくれたパンやチーズをいつものように受け取る。
「……ありがとう……」
「それと、これを」
「え?」
差し出されたクルスの手の中にあったのは――小さな髪留めだった。
「横髪だけとめるといい」
「―――」
私に髪留めを渡すとクルスは帰って行った。
私は髪の量が多い方だ。
逃げる途中、馬車の中で切った私の髪はいま肩にかかるくらい。
家事をするのに流れる横髪が邪魔で耳にかけるのだが、すぐにぱらりと落ちる。
一日に何度も耳にかけ直していた。彼はそれに気づいたのだろう。
……宝石など付いているわけではない。素朴な髪留めだった。
けれどクルスはどんな顔をしてこれを買ったのだろう。
思わず笑みが溢れた。
お礼を言えなかったことを悔やむ。
透き通るように綺麗な紫色の瞳を、優しく揺らしてくれただろうに。
手の中の髪留めはほんのりとあたたかかった。
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