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昔話
昔話 ※後編
しおりを挟む次に生まれた時、私には前世の記憶があった。
そして皆からは
「《次代の巫女》様だ」
そう呼ばれた。
だが呼ばれずとも私は理解していた。
私は《次代の巫女》となる運命の娘。
《竜》に生まれながら《竜》にはなれず
人の形しかとれない。
だが、かわりに様々な《力》を持ち
《巫女》と呼ばれ
そして
《始祖の記憶の宿る織り物》を持ち
永遠ともいえる時を生きる。
次に《同じ者》が誕生するまで―――――
これが前世で彼に――《番に食われた私》の今世だと。
私は早々に両親から離され《当代の巫女》に引き取られた。
王宮の小さな離宮。
世話をする者はいたが、ほぼ《当代の巫女》と二人きりの暮らしだった。
寝食を共にし、そして糸の紡ぎ方。織り方を教わった。
《当代の巫女》はいつも笑みを浮かべている方、だった。
若い女性にしか見えなかったが、これでも何代かの竜王の側にいたと笑った。
そもそも《巫女》に年齢はない。
幼女でも妙齢でも、老婆でも。
好きな《見た目》でいることができるのよ、と彼女は言った。
私は不思議だった。
何故、彼女は笑みを浮かべられるのか。
彼女は私と同じだ。
前世《番に食われた番》。
今世は《巫女》と呼ばれ《始祖の記憶の宿る織り物》を持ち
永遠ともいえる時を生きる者。
次に《同じ者》が誕生するまで生きる者だ。
つまり
次代の私が誕生したということは
彼女はもうすぐ《逝く》ということなのに。
私は彼女の命を終わらせる存在なのに。
そんな私を見て何故、彼女は笑えるのだろう。
わからなかった。
それでも私は彼女と二人の暮らしが苦痛ではなかった。
だがそれも続くわけではない。
私が成長すると、いよいよ最後の儀が行われた。
《当代の巫女》――彼女が羽織っている《始祖様の記憶を織った布》。
それを彼女の話を聞きながら《次代の巫女》――私が糸に戻していく。
織ってあるはずのその布は、不思議なことにあっさりと糸に戻っていった。
けれども重い糸だった。
さすが《始祖様の記憶の糸》だと思った。
練習で紡いだ糸とは比べ物にならない。
まるで紡ぐ私の力までも奪うような重い糸。
だがそれでも、するすると解けた。
《当代の巫女》様の肩にあった布はどんどん小さくなっていき、
三日かけて
全て糸に戻った。
ふふふ、と笑ったのは……長く肩にあった布をなくした当代の――否。
先代の巫女だった、彼女。
ふふふ……
ふふ……あははは……
あはははははっ
あーーーはっはっは!
私は呆気に取られた。
最期の時に何故、彼女は笑うのか。
私が呆然としている間にも、笑い声はどんどん大きくなっていった。
立ち上がり上を向き狂ったように笑う彼女を――私は、ただ見ていた。
「やったわ」と、彼女は言った。
―――やったわ。
やっと。やっと、終わったわ。
もうあの忌々しい布ともおさらばよ。
長かった。
本当に、気が遠くなるほど長かった。
ああ、けれど
やっと終わった。
やっと逝ける。
やっと《あの人》のところへ逝ける。
逝けるのよ。
逝けるの―――――
彼女の言う《あの人》とは《前世の彼女の番》だとすぐにわかった。
前世の《彼女を食った番》のことだ。
だが、会えるはずがない。
《番を食った番》の行く末は《無》だ。
彼女の魂が行き着く先に、彼女の言う《あの人》はいない。
もうどこにもいないのだ。
彼女は、それをわかっているはずなのに。
《あの人》のところへ逝ける。
逝けるのよ。
逝けるの―――――
笑い、歌うように言い
舞うように室内から庭に出て行くと
空に向かって両手を広げ
彼女は、さらりと砂になり
一瞬の風に攫われていった。
亡骸は髪の毛一本残らなかった。
彼女は魂に戻った。
次は前世も今世も忘れ、新しい者として生を受けるのだろう。
《番》はいない。
竜ではなく人間になるのかもしれない。
ひとり残った私は、《始祖様の記憶の糸》を織っていった。
糸はやはり重かった。
練習で布を織った時には感じなかった重みはもはや痛み、と言って良かった。
織るのにも時間がかかった。
何日もかけて布を織り
やがて織りあがった《始祖様の記憶を織った布》は
ひとりでにふわりと舞い上がり、私の肩にかかった。
布が発する《始祖の竜気》が《私の竜気》を包んでいく。
やがて《始祖の竜気》は《私の竜気》をとらえ絡まり
そして、ひとつに交わった。
《番》の間にあるそれと、同じように。
王宮で宴が催された。
「新しい《巫女》様の誕生だ」
誰かが言い、皆が沸いた。
《巫女》か、と私は思った。
今世の私に名前はない。
《巫女》を名で呼ぶ者はいない。
そもそも一人しかいないので名は必要がない。
名もなく
《始祖様の記憶を織った布》を持ち
永遠ともいえる時を《番》なしで生きるのだ。
《始祖の記憶を持つ者》として《皆》に敬われながら。
次の《巫女》が――前世《番に食われた番》が誕生するまで。
彼女のように……
身体が沈んだと思うほど
《始祖様の記憶を織った布》はずしりと重かった。
彼女は、この布を忌々しいと言っていた。
けれど、私はそうは思わなかった。
かわりに雨のようだと思った。
濃厚な香りのする
重く……しとしとと降る雨―――
彼女に糸の紡ぎ方、織り方を教わってすぐ
私が練習で織ったのは
前世の《私を食った番》の記憶だった。
彼の記憶を糸に紡ぎ、織り、形にした。
形にしたつもり、だった……
けれど
布はただの布、でしかなかった。
私が《彼》の名を思い出すことも
その布に《彼》の《竜気》が宿ることも……なかった。
当然だった。
《番を食った番》の行き着く先は《無》だ。
《彼の魂》は存在しない。
初めから存在していなかった者となってしまった。
前世の私の両親、村の仲間たち。
《彼》を知っていたはずの皆。
誰の記憶にも《彼》は……いない。
《彼》を覚えているのは《彼に食われた番》――私だけ……
私が織ったのは……ただの私の……夢のような前世の記憶。
それでも織った布は愛しかった。
なんの記憶も宿らないその布に触れてみる。
その布に顔を埋めてみる。
前世、彼の胸にしていたように。
けれど当然、
彼の《竜気》に包まれたりは……しない……
何故、と
思わずにはいられなかった。
何故、前世の記憶が残っているのだろう。
何故、彼の――《私を食べた番》の記憶があるのだろう。
彼の魂は無くなった。
誰の記憶の中にも彼はいない。
彼の――《私を食べた番》のことを覚えているのは私だけだ。
これはせめて《番》であったお前だけでも彼を覚えていてやれという
神か始祖か、それとも他の誰かの情けなのだろうか。
先代の巫女の、彼女の最期の姿が脳裏に浮かんだ。
《あの人》のところへ逝ける。
逝けるのよ。
逝けるの―――――
笑い、歌うように言い
舞うように室内から庭に出て行くと
空に向かって両手を広げ
さらりと砂になり
一瞬の風に攫われていった彼女。
前世の記憶などなければ
《番》の記憶などなければ
彼女も、過去の《始祖の記憶を持つ者》たちも
もっと楽に。幸せに生きられたのではないのか。
名前も《竜気》も思い出せないのに
愛しい記憶だけがあるのは残酷なことではないのか。
なのに、何故―――――
私の肩には《始祖様の記憶を織った布》。
身体が沈んだと思うほど
ずしりと重い布。
濃厚な香りのする
重く、しとしとと降る雨のような、布。
……雨は嫌いだ。
あの人の《竜気》がまっすぐに届いてこないから。
花が好きで
絵を描くことが好きで
優しくて
彼が彼であるだけで、愛しくてたまらなかった《彼》。
最期の日
初めて彼と私の《竜気》が甘く混ざった瞬間、感じた幸せ。
そして―――――
雨は嫌いだ。
雨が
雨だけが……思い出させる。
いつまで?
いつまで……あの日を思い出せば……終わる?
彼女が次代の私を笑顔で迎えたわけを
私は、知った。
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