久遠のプロメッサ 第三部 君へ謳う小夜曲

日ノ島 陽

文字の大きさ
10 / 51
1章 贖罪の憤怒蛍

8 怨嗟の嵐

しおりを挟む
***


 その男は、しがない猟師だった。
 森に入り込んでは害獣を狩り、捌いては売り、妻子とささやかな生活を送ってきた。罪に手を染めたこともなく、周りからは善良な人間であると評され、実に爽やかで理想的な父親であった。
 彼が、いつも通り森に向かった時のことだった。
 いつも通りの猟師仲間と出かけ、妻が作ってくれた弁当を食した後。気分転換にと散歩していたところ、ふいに頭に衝撃が走って意識を失った。

 目覚めた先は森ではなく、真白な部屋だった。
 冷たい床に転がされ、武器も奪われ、何も出来ない状態にされていた。周りには老若男女関係なく多くの人が震えており、どうやら男が最後に目覚めたようだった。
 不審に思いながら起き上がると、部屋に鉄格子が設置されていることに気がつく。
 しっかりとした鉄格子の向こうには、椅子に座らされた少女がいる。両手両脚を鎖で縛られて、真っ黒な布で目隠しをされて、可哀想なくらい震えている。
 男には少女と似た年齢の息子がおり、そのせいもあって彼女のことをとても不憫に思った。出来れば助けてあげたいが……。

「こんなもんで良いかなー。お膳立てもしておいたし、後はメインキャストがいつ来るか……」

 大勢いる方の空間の中、一人だけ場違いな笑顔を浮かべていた男がいた。
 白衣を身に纏い、手には物騒なダガー。くるくると器用に回して遊んでいる。
 猟師の男は、白衣の男に不快感を覚える。
 これは本能に近い。用心しろ。何をしでかすか分からないぞ。彼は獣のような――狂人だ。そんな確信がこんこんと湧きだしてくる。普段から野生の獣と対峙しているからこそ分かる、橙色の瞳の奥の、むき出しの狂気。
 今この場に居る人間全てが困惑と恐怖を滲ませているのに対し、男だけが上機嫌なのもそう思わせる原因かもしれない。

「待ってても仕方ないし、やっちゃうかー。俺っちは短気だからね、仕方ないね」

 白衣の男は口元の笑みを深めると、おもむろに猟師の男に近づいてしゃがみ込んだ。ふわりと揺れた白衣の裏に、何一つとして理解出来ないメモ書きが乱雑に刻まれていたのが妙に目に映った。

「君は奥さんとお子さんの三人暮らし。周りからの評判も随分良いらしいね、羨ましいことだ」

 褒めてくれる口とは裏腹に、ダガーが握られる片手が持ち上げられる。

「……何を言っているんだ。君の目的は何なんだ、ここはいったい」
「きっとお葬式にも沢山の人が来てくれるんだろうね。良かったね」

 困惑を隠しきれない猟師の男が最期に見たのは、眼前に迫る白銀の刃だった。


***


 一人の男の絶叫と、複数人の悲鳴が壁に反射しながらキンキンと響く。
 歓声ではないことだけは明らかであり、シャルロットは震えることしか出来なかった。
 目隠しをされて何も見えない状態であるため、近くで何が起こっているのかさっぱり分からない。視覚を奪われているために聴覚が研ぎ澄まされ、耳に入るものが全情報だ。
 故に、何も分からない。
 これから何が起きようとしているのか、何をされるのか。
 次第に激しさを増していく声の数々。その全てが、シャルロットに恐怖の楔となって穿たれる。

「止めて、止めて!」
「あぁ、ああぁああぁぁ……」
「おかあさん、たすけて、おかあさん」
「ごめんなさいごめんなさい、許して……!!」

 最後に聞こえた子どもの声が一番強く聞こえた。

「いやだ、死にたくない」

 知らない男の絶叫から始まった狂乱の嵐。
 始めは耳からしか襲ってこなかったが、やがて嗅覚と触覚にも情報がなだれ込んでくる。
 鉄のような臭い。
 チリチリと肌を焼くような弱い痛み。
 恐慌状態に陥っているシャルロットが、状況を確信するには充分過ぎるほど強烈な情報量だった。

「何を、してるの」

 心なしか、絶叫の数が減っている気がする。いや、確実に減っている。
 目の前で無慈悲な殺戮が行われているのは確実となったのに、それでも問わずにはいられなかった。

「あぁそうだ、教えてあげる」

 シャルロットが必死に自我を保とうと絞り出した問に、聞いているのかいないのか殺戮者――シトロンは楽しそうに口を開く。足音だろうか、床を踏む硬質な音と何かを踏みつける粘着質な音が不協和音を奏でる。

「レガリアって知ってる?」
「……」
「精霊のお気に入り。この世界の新しい神様なんだってさ。そいつが俺に教えてくれたんだよ。あぁホント、間抜けな従兄弟でも血を浴びといて良かった良かった。痛い思いをした甲斐があったってものさ」
「何を、言って」

 レガリアは神の因子を持つ者――神子と交信する術を持っているのだが、シャルロットにそれを知る術はない。さらにシトロンの発言からイミタシアとも交信できるまで力が戻りつつあることが窺えるが、知っていたとしてもそこまで思考は及ばなかっただろう。
 理解出来ずにいる彼女が知りたがったことに一切答えることなく、シトロンは続ける。

「ごめんね、話が逸れたね。それで、その神様が俺っちにお告げをくれたのさ。『大神子には瘴気を浄化する力がある』――世界を蝕む毒に抗えるなんてすごいじゃん? でもさ、どれくらいの量を一度に浄化出来るんだろう? 限界値はあるのかな? 瘴気は可視化されるとも聞いたけど、浄化された後はどうなるのか? すっごく気になるんだよねぇ、俺っちは探究心旺盛な研究者だから!」

 それに、と上ずった声が続く。

「君はルシたんと血縁関係だ。あいつの反応も気になるんだよねぇ! 弟クンが無様に死んでからの反応は見られなかったからね、今度こそ見ようと思ってさ」
「――っ」

 兄セラフィを侮辱するに等しい発言に、ついカッとなってしまう。それに、セラフィが亡くなってからのルシオラはシャルロットも見ていられないほどに沈み込み、苦しんでいた。
 歩んだ道は違えど、二人ともシャルロットの大切な家族だ。
 たった一人の傲慢な好奇心に穢されて良い存在ではない。

「あなたに何が分か――」
「君は既に感じているだろう? ここに生まれた瘴気を。この空気のままだと増え続ける一方だ。次第に濃くなる毒に、この場にいる人間のどれほどが生き残るだろう? 俺っちにはどうしようもないなぁ、誰か浄化してくれないと死んじゃうなぁ?」
「許せない……絶対に許さない!」

 その糾弾はシトロンに響かない。響く隙はない。
 目が熱い。涙が溢れる。
 この男をどうにかして罰したかった。それが叶わず、怒りと歯がゆさがない交ぜになる。
 そして、結局はこの男の言いなりになるしかない自分にも嫌悪が溢れ出す。
 顔も名前も知らない人々を殺さないために、そして自分が生き残るために――シャルロットが浄化をしないという選択肢はなかった。

 大丈夫。私ならやれる。
 痛いのは知ってる。でも、やるしかないんだ。
 シャルロットは歯を食いしばる。
 大丈夫。きっとすぐに助けが来て、あの男を倒してくれる。

「お兄ちゃん。――レイ」

 その儚い希望も、おまけと言わんばかりの一言で打ち砕かれる。

「あ、そうだ。せっかくだし、君にもこのパーティーを見てもらおうか」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写と他もすべて架空です。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

還暦妻と若い彼 継承される情熱

MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。 しかし、その幸せの裏側で、娘の愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。 母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。 同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。

元バリキャリ、マッチ売りの少女に転生する〜マッチは売るものではなく、買わせるものです

結城芙由奈@コミカライズ連載中
ファンタジー
【マッチが欲しい? すみません、完売しました】 バリキャリの私は得意先周りの最中に交通事故に遭ってしまった。次に目覚めた場所は隙間風が吹き込むような貧しい家の中だった。しかも目の前にはヤサグレた飲んだくれの中年男。そして男は私に言った。 「マッチを売るまで帰ってくるな!」 え? もしかしてここって……『マッチ売りの少女』の世界? マッチ売りの少女と言えば、最後に死んでしまう救いようがない話。死ぬなんて冗談じゃない! この世界で生き残るため、私は前世の知識を使ってマッチを売りさばく決意をした―― ※他サイトでも投稿中

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...