15 / 51
2章 蒼穹の愛し子
0 決意の夜
しおりを挟む
僅かに蝶番の軋む音がしても、シャルロットは動かない。
シアルワ城の客室、そのベッドに腰掛けて窓越しの満月を見上げる。小さな足音が耳をくすぐり、やがて彼が自分の隣に訪れる。同じようにベッドに腰掛けて、肩を寄せてくれる。
こつん、と優しい衝撃。
いつから彼が隣にいることが当たり前になっただろう、と考えてみる。
そう、あれは約一年前。精霊ビエントに襲われて逃げた先で彼が自分を助けてくれたのだ。あれが全ての始まりだったように思う。
あれからずっと共にいた。『一緒にいよう』と約束もした。彼の傷を知って、癒やしてあげたいと願った。何より、彼が隣にいてくれるだけで世界が明るく染まっていった。
人知れず孤独を胸に秘めた少女もまた、彼という存在に救われていたのだ。
それほどまでに気を許していた。だからこそ、心からの弱音を吐いてしまえる。
「……レイ」
「うん」
「私ね、私ね」
炭のように黒い左手と、元々の肌の色の右手を握りしめる。
孤独とは言いつつも、彼女は確かに自分を愛してくれていた兄たちや両親が大好きだった。側にいられない故の寂しさがあるだけだった。
シャルロットが生まれ落ちた直後に精霊から庇って命を落とした両親。
自らの意志を貫き通し、苦しむ仲間を救う代わりに命を落とした二番目の兄。
罪を償うため、そして妹を苦しめた元凶への復讐を遂げて命を落とした一番目の兄。
全員、シャルロットを深く愛してくれていた。
それを全て理不尽に奪われて、どうして笑顔でいられようか。
どうして怒りを覚えずにいられるだろうか。
「許せない。許せないの」
「うん」
「私がちゃんとしていればみんな生きていられたかもしれないのに。なんで、なんで……」
もしもを考えればきりがない。しかし、弱った心に思考の坩堝を切り抜ける力はなかった。
抜け出せない苦しみが……胸に拘泥し続けていた感情が喉に、目に、体中にこみ上げて爆発する。
「なんでお兄ちゃんたちが死ななければならなかったの!? なんで私は理不尽に家族を奪われなければならないの!? 身体もずっと痛いの、痛みが止まらないの、沢山声が聞こえるの、お前を許さないって、憎いって……私が何をしたっていうの!?」
少女の華奢な身体は瘴気に蝕まれ、焼けるような痛みと誰とも知らぬ怨嗟の声が常に襲い来る。それは耳を塞ごうが無意味で、脳裏に延々と囁かれ続けていた。黒く染まった皮膚の触覚は最早機能しておらず、温かさも冷たさも感じない。痛みと虚無だけを与えてくるこの黒色もまた酷く憎かった。
静かに怒りを受け止めてくれていた青年は、耐えきれくなったようにシャルロットの身体を抱き寄せてくれる。
優しい匂いと柔らかな感覚。目から涙が溢れる。
「シャルロットは何も悪くない。誰がなんと言おうと、悪くない」
「わたし、わたし……!!」
シャルロットは僅かに感じ取れる温もりを手放すまいと青年の背中に腕を回した。そのまま声をあげて泣きじゃくる。
そんな可哀想な少女を包み込む青年は、少し顔の位置をずらすと、互いの額をこつりとぶつけ合う。
「……シャルロット。俺、決めたよ」
「う……あぁ……」
「どんな手段を使おうと、君を必ず救ってみせる。かつて君が俺を救ってくれたように……今度は俺の番だ」
涙に濡れた目で青年を見上げると、彼は闇を孕んだ眼差しで見つめ返してくる。
シャルロットの心はもうはち切れそうなほどいっぱいになっていて、青年の言葉の意味を深く理解することが出来なかった。ただただ与えられる温もりにすがりついて泣くことしか出来ない。
泣いて泣いて泣いて泣いて、どれくらい泣いたか。
泣くこと、そして絶え間ない痛みに疲れてしまった少女はやがて自然と眠りに落ちる。削られ続けた体力は彼女が起きていることを許さず、生きるための本能が意識を深淵へと連れて行く。
瞼を閉じる間際、ぼんやりと認識した青年の表情は――これ以上になく美しく、哀しく微笑みを湛えていた。
シャルロットをベッドに横たえ、苦しげな寝顔をそっと撫でる。
今のところ治す手段は存在せず、このままであれば彼女はいずれ激痛と怨嗟に飲まれて壊れてしまうかもしれない。大神子の直径の血筋がもう残されていない以上死ぬことはないだろうが、それは永遠の苦しみを意味し、死ぬ以上の地獄となる。
少女を失うことを誰よりも恐れている自覚がある分、胸に秘めた決意はより強固なものとなる。
頬を撫でているうち、身体が勝手に彼女の側へ近づこうとしていることに気がついた。ただでさえ隣にいたのに、さらに近くへ。やがてもう一度額同士が触れて、そして。
触れるだけの、キスをした。
あまりにも身勝手な行為に、好意に、自分で嫌気が差す。
音を立てないように立ち上がった彼はまた泣きたくなるような感情に襲われて――しかし、やはり涙は出ない。
「……君に誓う」
満月の中、女神に忠誠を誓う騎士のように跪く。
「俺は君を救う。そのために――あいつを必ず殺す。絶対に。だから」
神殺しを口にした青年が再び立ち上がったとき、その顔から迷いは抜け落ちていた。
部屋に懺悔がひとつ零れる。
「約束、守れなくてごめんね」
***
次の日、シャルロットが目覚めた時に愛しき青年の姿はどこにもなかった。
***
シアルワ城の客室、そのベッドに腰掛けて窓越しの満月を見上げる。小さな足音が耳をくすぐり、やがて彼が自分の隣に訪れる。同じようにベッドに腰掛けて、肩を寄せてくれる。
こつん、と優しい衝撃。
いつから彼が隣にいることが当たり前になっただろう、と考えてみる。
そう、あれは約一年前。精霊ビエントに襲われて逃げた先で彼が自分を助けてくれたのだ。あれが全ての始まりだったように思う。
あれからずっと共にいた。『一緒にいよう』と約束もした。彼の傷を知って、癒やしてあげたいと願った。何より、彼が隣にいてくれるだけで世界が明るく染まっていった。
人知れず孤独を胸に秘めた少女もまた、彼という存在に救われていたのだ。
それほどまでに気を許していた。だからこそ、心からの弱音を吐いてしまえる。
「……レイ」
「うん」
「私ね、私ね」
炭のように黒い左手と、元々の肌の色の右手を握りしめる。
孤独とは言いつつも、彼女は確かに自分を愛してくれていた兄たちや両親が大好きだった。側にいられない故の寂しさがあるだけだった。
シャルロットが生まれ落ちた直後に精霊から庇って命を落とした両親。
自らの意志を貫き通し、苦しむ仲間を救う代わりに命を落とした二番目の兄。
罪を償うため、そして妹を苦しめた元凶への復讐を遂げて命を落とした一番目の兄。
全員、シャルロットを深く愛してくれていた。
それを全て理不尽に奪われて、どうして笑顔でいられようか。
どうして怒りを覚えずにいられるだろうか。
「許せない。許せないの」
「うん」
「私がちゃんとしていればみんな生きていられたかもしれないのに。なんで、なんで……」
もしもを考えればきりがない。しかし、弱った心に思考の坩堝を切り抜ける力はなかった。
抜け出せない苦しみが……胸に拘泥し続けていた感情が喉に、目に、体中にこみ上げて爆発する。
「なんでお兄ちゃんたちが死ななければならなかったの!? なんで私は理不尽に家族を奪われなければならないの!? 身体もずっと痛いの、痛みが止まらないの、沢山声が聞こえるの、お前を許さないって、憎いって……私が何をしたっていうの!?」
少女の華奢な身体は瘴気に蝕まれ、焼けるような痛みと誰とも知らぬ怨嗟の声が常に襲い来る。それは耳を塞ごうが無意味で、脳裏に延々と囁かれ続けていた。黒く染まった皮膚の触覚は最早機能しておらず、温かさも冷たさも感じない。痛みと虚無だけを与えてくるこの黒色もまた酷く憎かった。
静かに怒りを受け止めてくれていた青年は、耐えきれくなったようにシャルロットの身体を抱き寄せてくれる。
優しい匂いと柔らかな感覚。目から涙が溢れる。
「シャルロットは何も悪くない。誰がなんと言おうと、悪くない」
「わたし、わたし……!!」
シャルロットは僅かに感じ取れる温もりを手放すまいと青年の背中に腕を回した。そのまま声をあげて泣きじゃくる。
そんな可哀想な少女を包み込む青年は、少し顔の位置をずらすと、互いの額をこつりとぶつけ合う。
「……シャルロット。俺、決めたよ」
「う……あぁ……」
「どんな手段を使おうと、君を必ず救ってみせる。かつて君が俺を救ってくれたように……今度は俺の番だ」
涙に濡れた目で青年を見上げると、彼は闇を孕んだ眼差しで見つめ返してくる。
シャルロットの心はもうはち切れそうなほどいっぱいになっていて、青年の言葉の意味を深く理解することが出来なかった。ただただ与えられる温もりにすがりついて泣くことしか出来ない。
泣いて泣いて泣いて泣いて、どれくらい泣いたか。
泣くこと、そして絶え間ない痛みに疲れてしまった少女はやがて自然と眠りに落ちる。削られ続けた体力は彼女が起きていることを許さず、生きるための本能が意識を深淵へと連れて行く。
瞼を閉じる間際、ぼんやりと認識した青年の表情は――これ以上になく美しく、哀しく微笑みを湛えていた。
シャルロットをベッドに横たえ、苦しげな寝顔をそっと撫でる。
今のところ治す手段は存在せず、このままであれば彼女はいずれ激痛と怨嗟に飲まれて壊れてしまうかもしれない。大神子の直径の血筋がもう残されていない以上死ぬことはないだろうが、それは永遠の苦しみを意味し、死ぬ以上の地獄となる。
少女を失うことを誰よりも恐れている自覚がある分、胸に秘めた決意はより強固なものとなる。
頬を撫でているうち、身体が勝手に彼女の側へ近づこうとしていることに気がついた。ただでさえ隣にいたのに、さらに近くへ。やがてもう一度額同士が触れて、そして。
触れるだけの、キスをした。
あまりにも身勝手な行為に、好意に、自分で嫌気が差す。
音を立てないように立ち上がった彼はまた泣きたくなるような感情に襲われて――しかし、やはり涙は出ない。
「……君に誓う」
満月の中、女神に忠誠を誓う騎士のように跪く。
「俺は君を救う。そのために――あいつを必ず殺す。絶対に。だから」
神殺しを口にした青年が再び立ち上がったとき、その顔から迷いは抜け落ちていた。
部屋に懺悔がひとつ零れる。
「約束、守れなくてごめんね」
***
次の日、シャルロットが目覚めた時に愛しき青年の姿はどこにもなかった。
***
0
あなたにおすすめの小説
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
還暦妻と若い彼 継承される情熱
MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。
しかし、その幸せの裏側で、娘の愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。
母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。
同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。
元バリキャリ、マッチ売りの少女に転生する〜マッチは売るものではなく、買わせるものです
結城芙由奈@コミカライズ連載中
ファンタジー
【マッチが欲しい? すみません、完売しました】
バリキャリの私は得意先周りの最中に交通事故に遭ってしまった。次に目覚めた場所は隙間風が吹き込むような貧しい家の中だった。しかも目の前にはヤサグレた飲んだくれの中年男。そして男は私に言った。
「マッチを売るまで帰ってくるな!」
え? もしかしてここって……『マッチ売りの少女』の世界? マッチ売りの少女と言えば、最後に死んでしまう救いようがない話。死ぬなんて冗談じゃない! この世界で生き残るため、私は前世の知識を使ってマッチを売りさばく決意をした――
※他サイトでも投稿中
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる