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外伝

セラフィ編 その手の温もりを 3

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 街に出て、エルダーと連れだって歩く。
 相変わらず活気のある街だ。この国がどれだけ平和で、幸せに満ちているかが窺える。

「フェリクス様は、いつもこうして外へ?」
「ああ。街に出ては人々の手仕事を手助けしていらっしゃるようなんだ。毎日のように人々から感謝の手紙やらが送られてくるよ」
「へぇ」
「しかも、フェリクス様は勉学も熱心で、宿題などもきっちりこなしてからこのように外に出られるからなぁ。叱れるに叱れない」

 もしかして、自分が出会った時も王子は脱走していて、本気でセラフィを助けようとしていたのか。あの王子の人となりをセラフィは理解し切れていないが、相当の善人なのだろう。
 フェリクスはあっという間に見つかった。毎日のように繰り返される脱走にエルダーも慣れているのだ。セラフィはただ着いていくだけだ。

「殿下、探しましたよ」
「あ、エルダーとセラフィだ!」
(名前、覚えていたのか)

 数ヶ月前にリンゴをもらってから、セラフィはフェリクスと会話をする機会がなかった。それでも名前を覚えてくれていたことに素直に感嘆する。
 フェリクスは花屋で店番をしていたらしい。「花屋のおばあちゃんが風邪を引いてしまったらしいんだ! おばあちゃんの娘さんが来るまで、俺が花屋さん」とそれが当たり前であるかのように話していた。

「殿下、勝手にお部屋を出てはいけないと何度も言ったでしょう」
「でも、言ったら部屋から出してくれないだろ?」
「それは――」
「あの」

 エルダーがフェリクスに注意をしようとして口ごもったところへ、セラフィが前に出て割り込む。長引く説教を聞くよりも早く仕事がしたかった。

「しばらく話し相手としてお仕えすることになりました。セラフィです。以後よろしくお願いします」
「あぁ、また会えて良かった! えっと、よろしくお願いします! で、いいのかな」
「はい、よろしくお願いします。と言うわけでフェリクス様、どうぞお城へお戻りください。お話したいことがあるのです」

 淡々と打ち合わせ通りの台詞を述べると、フェリクスは困ったように肩をすくめた。

「でも」
「花屋には別の者を寄こしますのでご安心を。今日もフェリクス様の優しさに、街の人々は救われていますよ」
「……じゃあ、お願い。俺、おばあちゃんに挨拶してくるからそこで待ってて!」

 エルダーが傷のある顔でにこやかに微笑むと、フェリクスは渋々引き下がったようだった。そのまま奥の部屋へ消えていく。
 エルダーはため息をついて、セラフィに笑いかけた。困っているような感情はなく、愛しい子供に向けるような、そんな笑みだった。

「このように殿下は人が良すぎる。勉学が終われば休みなくこのように街へ出ておられるのだ。将来この国を統べる者としては、民を大切にすることは良いことなのだが……このままでは、自分のことよりも他人ばかりを気にしてしまうだろう。いいか、セラフィ。少しでも良い。殿下に自分を大切にするように教えて差し上げてくれ」
「はい」
「お待たせ!」

 エルダーの言葉は真剣そのもので、本当にフェリクスを案じているものであることはセラフィでも理解できる。セラフィはそこまで思い入れがないために本気にはなれないが、引き受けた仕事はできる限りこなそう、と心に決めたのだった。
 フェリクスが奥の部屋から戻ってくる。その手には木の枝のようなものが握られていた。枝には黄色と橙色を混ぜたかのような小さな花が沢山咲いている。

「殿下、それは?」
「花屋さんのお庭で咲いていたキンモクセイっていうお花だって。枝が折れちゃったみたいで、良かったらもらってくれって! 良いにおいがする」

 確かに、存在感のある甘い香りがその花から漂っていた。
 セラフィは思う。色合いが似ているせいでもあるのか、その花はフェリクスによく似合っていると。

「では、フェリクス様のお部屋に生けましょう。短い間でも、お部屋を彩ってくれるはずです」


***


 フェリクスは案外すんなりと部屋に戻ってきた。
 繊細な彫刻が施された木製の椅子に腰掛け、行儀良く脚をそろえる。セラフィはというと、メイドにお茶の用意を頼んで、フェリクスの向かいに座った。小花の刺繍が散りばめられたシルクのクロスがかかったテーブルの上には、年配のメイドが焼いたというクッキーがのった皿が置かれている。

「改めましてフェリクス様。これから話し相手を務めさせていただきます、セラフィと申します」
「ああ、よろしくな! セラフィはここで働くことになったんだな」
「はい。あの日、フェリクス様にお会いしていなければこうはならなかったでしょう。感謝しています」
「そんなことないって。あ、そうだ」

 メイドが湯気のたつ紅茶をカップに注ぎ終わるのを待って、フェリクスは椅子から立ち上がる。そしてセラフィの側に近寄ると、セラフィの顔に手を伸ばした。
 むにゅ。
 フェリクスの両手はセラフィの頬を軽くつまむ。一文字を貫いていた口に笑みを浮かばせるかのように。

「ふぇ、ふぇりくしゅしゃま?」
「笑ってた方が絶対いいよ。それに王族だからって緊張しなくてもいいよ。年も近いんだから」
「ひゃい」
「よろしい」

 フェリクスは満足げに頷くと、両手を離した。それから腰に手を当てて、にっこりと笑う。

「じゃあ自分で笑ってみてよ」
「……」

 セラフィは言われたとおりに笑おうと、頬に力を込める。セラフィにとっては笑っているつもりでも、その見た目は不格好でぎこちないものだった。随分と笑うことのない日々を送っていたせいだろうか、笑い方を忘れてしまったのかもしれない。
 フェリクスはそれを見て吹き出した。

「あはは、変な顔」
「笑っているつもりだったんですが」
「できてないって。いいよ、これから俺が鍛えてみせる」
「えぇ……? しかし」
「遠慮しなくてもいいよ! こっちは遠慮なくいくからな!」

 なぜだか、この王子の笑みを見ているとこちらが折れてしまいそうだ、とセラフィは思う。色々と強引なのだ。セラフィが引き気味に抗議の言葉を述べようとすると、フェリクスは満面の笑みで封じてくる。どうにもこの笑顔に逆らえる気がしない。おそらくは逆らえる人間はそうそういないだろう。その証拠に、城の者は何度も脱走を許している。もしも本当に止めて欲しいならもっと強硬な措置をとることも出来ただろうに。

「じゃ、何から話そうか」

 フェリクスは自分の席に戻り、紅茶のカップを手に取った。実に丁寧な仕草で飲む。教育をきちんと施され、真面目に取り組んでいるという話は事実のようだ。
 エルダーに頼まれたことはただ一つ。「自分を大事にさせろ」だ。セラフィはよく分からないが、兵舎で暮らし始めてしばらくしても、フェリクスについての話は「民を助けた」「城の者を助けた」など、他人のことを思いやった内容ばかりだ。エルダーは、あまりにも自分のことを気にしないフェリクスをどうにかしたいらしい。

「そうですね。殿下は何がお好きですか?」
「何がっていうと?」
「なんでもです。食べ物でも、趣味でも」

 まずは当たり障りのない質問から。「嫌いなものなんてないよ」という答えが返ってきそうな予感もするが、そう来たらなんとか対処しよう。
 思考は顔に出さず、セラフィは無言で待つ。
 フェリクスは自分の指を使って何か数えているらしく、しばらくしたらセラフィに視線をもどして答えた。

「基本的に何でも好きだけど」

 そう前置きをして、机に並べられたクッキーを指す。

「食べ物なら甘い物が好き、かな。みんな、俺のためにお菓子を作ってくれるんだ。今日はレーナさんが作ってくれたんだけど、レーナさんのクッキーは少し分厚くて、ほろほろするんだ。優しい味がして俺は好きだよ。先週はクレアさんがマフィンを焼いてくれてさ、クレアさんの料理は――」
「なるほど」

 フェリクスは楽しそうに語る。セラフィは耳を傾け、その言葉からフェリクス自身の好みを探り出そうとした。
 セラフィの作戦はシンプルだ。フェリクス自身の“好き”を確認し、それをどうにか押しつけることでフェリクスの興味をフェリクス自身に向けることだった。甘い物が好きだと言うのなら毎日甘い物を食べさせてやろう。「また食べたい」と言わせてやるのだ。今は自分の望みすら言わない、八歳という年齢に見合わぬ少年だが。言わないだけで望みはあるのだろう。なかったら困る。それが引き出せたなら、そして自覚させたなら、少しは自分の望みを大切にしてくれるかもしれない。
 しばらくフェリクスの話を聞いていたセラフィだが、あることに気がついた。

「それで、メアリーさんが――」
(あれ?)

 話の内容はいつの間にか“甘い物”から“侍女のお菓子の特徴”、そして“兵を含めた城の者の日常”へと変わっていた。得られた情報は“フェリクスは一応甘い物が好き”だけである。それも話しぶりからして特別大好物というわけではないようだ。そんなことよりも、フェリクスには城の者との何気ない会話や、困った民を助ける方がよっぽど好きらしい。

(重傷だなぁ。好きなものを聞いたのに、ここまで自分のことを話さないとか。普通なにか出てきそうなものだけど)

 日は傾きはじめ、レースのカーテン越しに差し込んでくる日差しは弱くなっている。用意されていたお茶もお菓子もすべて胃の中に消えた。
 フェリクスはひとしきり語って、一息ついた。そして、目を眇めて微笑んだ。

「ここまで聞いてくれてありがとう」
「いえ。フェリクス様のお話は内容に富んでいて面白いですよ」
「そう。お城のみんなのおかげだよ」

 事実、フェリクスの語った話はセラフィにとってつまらないものというわけではなかった。城で働く従者の個性を捉え、面白おかしく言葉にするのはさぞかし難しい事なのだろう。それを簡単にやってのけるのだから、フェリクスの人の良さがよく分かる。

「これまで話し相手として会ってきたみんなも、俺のこと思ってくれていて。会えて良かったと思っているけれど」

 果たしてその言葉が本当かどうかはセラフィには分からない。エルダーから聞いた話によると、実の兄による根回しがあるはずなのだ。それでも穏やかな顔をしているからか、本当に会えて良かったと思っているのかもしれない。

「最後まで俺の話を聞いてくれたのはセラフィが初めてだよ」

 セラフィはぱちくりと瞬きをした。特別なことはしていないつもりだったが、フェリクスの話を聞き取るのに夢中で相槌くらいしかしていなかったことに今更ながら気がついた。

「申し訳ありません。僕は聞くばかりで……」
「違うんだ、セラフィ。みんな、俺のこと心配してくれているだろう? 自分のことを全く気にしていないって。だから、俺がみんなの話をすると途中で止められてしまって……。でも、今日は満足するまでお話できたから嬉しくて」
「あぁ、なるほど。確かにそうかもしれませんね。フェリクス様が外に出られて活動されることを心配している方もいますからね。僕だってそういう目的で抜擢されましたからね」
「うわぁ正直」

 セラフィがサラリと言ってのけた台詞にフェリクスが苦笑いをする。理由はそれだけではないのだが、そこは言わなくてもいいだろう。
 セラフィの態度が思った以上に清々しかったからだろうか、フェリクスはセラフィの事を気に入ったらしい。

「はは、セラフィみたいなタイプが来たの初めてだ。変わってる。前にも言ったけど、会えて良かったよ」
「そうでしょうか。そんなに変わってます?」
「変わってる変わってる。少なくとも俺はそう思う。俺さ、一応王子だろう? 普通さ、王族の前だと取り繕ったりするだろう? 話し相手になった理由だって、本当の理由でないにしたって、それをはっきりと認めないよ。普通はね」
「はぁ」
「そうそう、後はその態度。俺と話してくれる人はみんないい人だし楽しいだけど、どうしても王族としての会話になってしまうし。そんな気怠そうな『はぁ』は初めて聞いたかも。でもちゃんと話は聞いてくれる辺りは好きだよ」

 フェリクスは椅子から立ち上がる。

「君となら、長くやっていけるかも」

 暗にそれは、今までの話し相手達とは長くは続かなかったということだ。筋金入りの他人思いのフェリクスについて行けなくなったのか、兄王子達の嫌がらせに勘づいたエルダーに解雇されたか。真相は定かではない。

「フェリクス様、ご夕食のお時間です」

 控えめなノックの後、年配の侍女が部屋に入ってきた。
 
「はい、今行きます」

 侍女に返事をした後、フェリクスは改めてセラフィに向き直る。

「それじゃあセラフィ、今日はここまでだな。良かったらまた話を聞いてくれ! あぁ、今度はセラフィの話も聞きたいな!」
「は、はい。それでは、夕食を楽しんできてください」
「ありがとう!」

 フェリクスはあっという間に部屋から出て行った。
 一人部屋に取り残されたセラフィは、机の上に置かれたままの食器をまとめながら考えた。

(エルダーさんにはどうにかしろと言われたけど、別にこのままで良い気がしてきた)

 棚の上に置かれた花瓶には、今日もらったばかりのキンモクセイが甘い香りを放っていた。ぼんやりとそれを見つめていると、小さな花が一つ、枝から落ちた。
 セラフィはなんとなくそれを拾い上げる。
 金色の花。
 ちょうどその時、ガチャリと扉が開いた。
 フェリクスが出て行ってから数分しか経っていない。セラフィが疑問に思って振り向くと、そこには金赤の髪を持つ少年が立っていた。フェリクスと全く同じ色彩の、けれど明らかに違う雰囲気の。

「アンタ、新しい話し相手か」

 ザ・悪ガキといった笑みをニイと浮かべ、少年は大股でセラフィに歩み寄ってくる。元気ながらも品のある仕草をするフェリクスとはかけ離れた動きだ。セラフィは素早く脳を回転させて、この少年の名前を思い浮かべた。

「ソルテ様。どうしてここに」
「そんなの決まっているだろ」

 セラフィの前に立つと、シアルワ王国第二王子であるソルテは皮の袋を持ち上げた。かすかな金属がこすれる音が聞こえる。

「命令だよ」
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