久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

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夜明けの幻想曲 2章 異端の花守

29 導きの旗

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 前が見えないほどの風は止み、舞い散る花弁がゆるやかに降ってくる。
 フェリクスは抱きしめ合う二人を確認して、ホッと息をついた。

「お似合いですね」

 近くで声が聞こえ、そちらを見るとアルが寂しそうに笑っていた。両手に力を込めて握りしめている。口こそ笑みの形を浮かべているものの、声音は実に悔しそうでもあった。

「ずっと愛し合っていたのですから当たり前なのですが」
「アル君、君は……」
「皆さん、気を抜くにはまだ早いですよ」

 アルに声をかけようとしたフェリクスを遮るようにしてセラフィが声を張る。二人を守るようにしてセラフィとミセリアが前に出る。
 フェリクスは思い出した。脅威はまだ目の前にいる。
 ビエントは膝をついていた。その右肩には白い細身の剣が突き刺さり、赤い血が垂れている。ビエントは大きなため息をつくと、剣の柄を掴んで容赦なく引き抜いた。血しぶきが白い花の清廉さを穢していく。

「ったく、どうしていつも上手くいかないんだ」

 確かな苛立ちを滲ませた小さなつぶやきは誰にも届くことはない。
 血に濡れた右腕を見下ろし、次いでフェリクスを見る。

「お前か。余計なことをしてくれる。神子の力でも自覚したのか?他人への影響力が強くなってるみたいだな?」
「俺にはよく分からない。でも、ひとつ言えることがあるよ、ビエント。ミラージュさんの悲しみにつけ込んで利用しようとしたこと。それに、世界中の人々を苦しめていること。俺は、それを許すことができない」
「ほーん?」

 ビエントは薄く笑む。だが、楽しそうな雰囲気は微塵も感じない。どれくらいかは予想ができないが、怒りの感情が浮上しているようだ。ようやくフェリクス達はそれを感じ取って冷や汗をかく。

「元はと言えばお前ら人間が好き勝手に暴れたせいで女神が消え、俺たち精霊が荒れてるんだぜ?その辺は分かってるのか?」
「俺たちにとってはずっとずっと昔のことで分からないさ。人間が戦争を繰り返したせいでお前達が傷ついたのなら、人間は償わないといけない……」
「だろ?」
「でも」

 フェリクスの切り返しにビエントが片眉を上げる。

「それを理由に罪もない人間達を殺したり、イミタシアにすることは間違っている。それじゃあ何の解決にもならないじゃないか」
「……」

 はぁ、と盛大なため息。ビエントの機嫌が急激に悪くなっていくのが手に取るように分かる。この場にいる全員が肌で感じとる。

「なら、教えてもらおうか。お前ならどうする?その身をもって俺に示してみろ!!」

 ビエントの目が勢いよく見開かれる。それと同時に青漆の風が衝撃波と化してフェリクス達を襲った。

「うわっ」
「フェリクス!」

 上手く受けきれずに体勢を崩したフェリクスを側に居たミセリアが腕を掴んで支える。そのため膝をつかずに済んだ。

「ありがとう、ミセリア」
「礼はいい、だがどうする?どうやってアイツに勝つんだ?」
「そ、それは――」

 勢いで怒りをぶつけるんじゃなかった、とフェリクスは焦る。しかし、本気で許せなかったのだ。考えを変えることはできない。

「殿下。僕が時間を稼ぎますので、その隙に逃げてください」
「それは駄目だセラフィ。いくらセラフィでも大精霊と生身で戦うのは危険すぎる!」

 槍を手にしたセラフィの言葉を急いで否定し、フェリクスは思考を巡らせる。自分がビエントの怒りの引き金になってしまった以上、自分自身で糸口を見つけなければいけない。

「フェリクス君、君が導くんだ!君にはそれができる!!」

 風圧にも負けない大声でエールが叫ぶ声が聞こえた。はじかれたようにエールを見ると、彼はミラージュを守るように抱きしめながらフェリクスをじっと見つめていた。その力強い瞳に圧倒されそうになる。

「導く……俺が?」
「そう、さっき僕を導いてくれたみたいに!」
「……殿下、指示をください。殿下の思うとおりに動いてみせましょう」
「私もだ、フェリクス。さぁ言ってみろ、お前の直感を」

 エールに引き続き、セラフィとミセリアもフェリクスを見つめる。

「フェリクスさん、貴方の力は他者の意志を導くもの。貴方の指示は、皆の意志になるわ。この私を止めてみせた貴方だもの、出来るわよね」
「う、それはかなりのプレッシャーだけど……」
「フェリクスさん、僕も信じてますから」

 ミラージュとアルからも言葉を受け取り、フェリクスはようやく決心がついた。

「分かった。できる限りやってみよう」
「おしゃべりは終わったか?それじゃあ、行くぜ!!」

 強風を身に纏いながらビエントが地から身体を浮かす。そのまま重心を前に沈め、勢いよく飛び出した。

「エール!」
「任せて」

 この場で一番早く動けるのは精霊ゼノの力を持つエールのみ。エールはフェリクスの呼びかけと同時に飛び出し、新たに作り出した白の剣を持ってビエントの行く手を遮った。ビエントもそれを分かっていたのか華麗に避けようとする。

「セラフィ、目くらまし!」
「仰せのままに!」

 そこへセラフィが槍を大きく振りかぶった。攻撃のための一手ではない。セラフィの槍は辺りに咲き乱れる花々を散らし、白い花びらの壁を作り上げた。イミタシアとは言え普通の人間と大差のないセラフィが直接ビエントと刃を交えることは危険だと判断したからこその指示だった。フェリクスにとって無意識の指示であったが、セラフィ自身は意図を正確に読み取っている。

「!」

 ビエントは驚き、スピードを緩めた。花びらを振り払おうと腕を持ち上げたところをフェリクスは見逃さない。

「ミセリア、ナイフを!」
「ああ!」
 
 そこへミセリアが手にしていたナイフを思い切り投げつけた。正確にまっすぐ飛んでいくナイフの存在にビエントが気付いたのは花びらを振り払った後だった。ビエントは無言でナイフをたたき落とす。

「エール、今!」
『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 気がつくとフェリクスは手に大きな旗を持っていた。先に刃のついた武器のような旗だった。ビエントに向けて切っ先が向けられ、優美にはためいている。
 エールが剣を大きく振った時、彼の声が重なって聞こえた。ゼノとエール。二人は共に戦ってくれていたのだ。

「ビエント様……ゼノ様からの伝言があります」

 チラ、とビエントはミラージュを見やる。
 吹っ切れた魂の女王は大きく息を吸い込んで、エールと共に口を開いた。

『これからは新しい時代なんだから適応しろよ懐古主義ども!!』

 白い軌跡を描きながら剣はビエントの背中を切り裂いた。鮮血が舞う。
 ビエントの動きが止まる。うつむいたまま立ち尽くす。表情はよく見えなかったが、うっすらと笑んでいるようだった。笑みに隠された心情までは読み取ることができなかったが。

「はは……ははは……。もういいや、降参だ降参」

 ビエントは昏く淀んだ瞳でフェリクスを見る。大きな旗を持った少年は緊張した面持ちでビエントを見つめ返していた。

「少し消耗してしまったな、俺らしくもない。神子どもの実力も見られたのだし良しとしよう」

 人間達から背を向けたビエントはひらりと手を振る。

「さようなら。また会う日まで」

 そう言うとビエントは風に溶けるようにして消えていった。零していた血さえ、跡形もなく。

「助かった……」
「フェリクス、それは」

 ホッと息をついたフェリクスの手にある旗を指さしてミセリアは問う。先ほどまでこんなに大きな旗は持っていなかったはずだ。これにはフェリクスも困惑気味に小首を傾げる。

「ほんとだ、いつの間に……。俺、こんな大きな旗持ってないのに」

 その瞬間、旗が霧散した。文字通り、霧のように。風にはためいていた旗は空気に溶け込んでいく。

「え、え、何だこれ!」
「よく分からないけれど、それがフェリクスさんの力なのかもしれないわね。貴方の心が持っていたものかも。神子としての力が強化されたから具現化したのね」

 そこへミラージュがアルと手を繋ぎながら歩み寄ってきた。その顔は晴れ晴れとして明るい。

「ミラージュさん」
「フェリクスさん、貴方には――いえ、貴方たちにはたくさん迷惑をかけました。ごめんなさい」

 ミラージュはフェリクス達の前に立つと、頭を下げた。それを見たアルとエールもミラージュの隣に立って同じように頭を下げた。
 いきなりの謝罪に驚いたフェリクスはセラフィとミセリアに目配せをした。二人とも軽く頷いて、フェリクスに返答を促した。

「謝らないでくれよ、三人とも。怖いこともたくさんあったけど、その分沢山知ることができたから……それに、みんなが無事で、しかもミラージュさんとエールが再会できて良かったよ。みんな良い結果に終わった。これからはみんな仲良く――」
「そのことなのだけど、少しお話があるの」

 うんうん、とセラフィとミセリアが頷いて同意したところでミラージュが話を切り出した。目を合わせてからフェリクスに視線を戻した。

「私、女王を引退しようと思うの」
「……どういうこと?」
「シエルに引き継ぐのよ。いつまでも私が生きているワケにもいかないもの」

 フェリクスがギョッとした表情を浮かべる前にアルが大慌てでミラージュの袖を引っ張る。唇は震え、アルが不安を抱えていることは誰にでも分かる。ミラージュはアルを安心させるように微笑んだ。

「まさか、まさか……」
「あぁ、心配しなくてもいいわ。今すぐ死のうっていうワケではないの。シエルに仕事を引き継いで、それから……」

 ミラージュはエールを見上げた。彼等は微笑みあって、揃って前を向く。

「身体の主導権も引き継ぎます。私はシエルへ、エールはゼノ様へ。そしてシエルがお婆さんになって人間としても生涯を終えたとき、私たちも後を追うつもりです」
「僕たちは再び巡り会えた。それで充分。だから苦しめてしまった彼等を解放してあげないとって思っただけだよ」
「二人とも……」

 二人の意志が不動のものであることは明白だった。たとえフェリクスが止めろ、と言っても聞かないだろう。そう思わせる空気が二人にはあった。

「私たちは真に私たちを必要とする場合を除き、表に出ることはないと誓うわ。これからは私たちの時代ではないもの」
「ミラージュ様……」
「アル、貴方にも沢山迷惑をかけたわね。私は貴方という花守が居てくれて本当に嬉しかったの。私のことを真剣に考えてくれて心配してくれていたことはちゃんと分かっているわ。……私のことを見ていてくれたように、シエルのことも見ていてあげてね」
「ミラージュ様……僕は、貴方のことが好きです。離れてしまうことが怖いのです!!」

 アルは今までにないくらいに声を張り上げた。うっすらと前髪から見え隠れする目には大粒の涙が溜まっている。
 ミラージュは驚いたように一度瞬きをして、そして嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、アル」

 ミラージュはアルの長い前髪をかき分けると、白く丸い額に優しく口づけた。そして寂しそうに目を細めると、ゆっくりと身体を離してエールの側に寄る。

「ミラージュ、少し待って」
「え?」

 その時、エールがミラージュを呼び止めた。小さく首を傾げるミラージュの前でエールはしゃがみ込み、地に残っている花をするすると編んでいく。花冠が出来るまで大した時間はかからなかった。
 エールは立ち上がって、真っ白な花冠をミラージュの頭に乗せた。

「うん」
「エール……ありがとう。嬉しいわ」

 満足げなエールにミラージュは恥ずかしそうに微笑んだ。フェリクスは女王シエルとして君臨していたミラージュとのギャップに若干の驚きを感じつつ、静かに見守っていた。
 そしてふたりは手を繋ぐと、フェリクス達の方に向き直る。

「そろそろ行くわね」
「ミラージュさん……ありがとうございました」

 フェリクスはミラージュと婚約者だった時のことを思い出した。大人びていた少女は、やんちゃだったフェリクスの良き指導者だったのだ。

「フェリクスさん。これから貴方たちの旅路に困難が訪れることでしょう。けれど、貴方は正しい道を選ぶことができるはずよ。迷いなど捨てて、自分が思うように進みなさい」
「……はい」
「貴方にはセラフィさんという頼もしい騎士と、ミセリアさんという頼もしい想い人がいるのだから何も心配することはないわ」
「……はい!」

 フェリクスの横でセラフィが自慢げに笑み、ミセリアが羞恥に顔を真っ赤に染めた。二人の対照的な反応にミラージュとエールが笑う。

「それじゃあ、僕たちはこれで。――アル君、今までミラージュを守ってくれてありがとう」
「僕は貴方のようになれなかったけれど。ミラージュ様に託されたこと、必ずやり遂げてみせます」
「ありがとう、アル君」

 そうだわ、とミラージュが振り返る。

「フェリクスさん、もう一人の神子のことも探してあげてくれないかしら」
「あぁ、そうするよ。ビエントの狙いは神子をイミタシアにすることみたいだし、放ってはおけない」
「ふふ、そう言うと思っていたわ」

 ミラージュは笑うと、エールと共にフェリクス達から一歩下がる。恋人のように手を繋いで、肩を寄せ合って、おとぎ話の王女と花守は花のように笑った。



「ありがとう、みんな。そしておやすみなさい。また会う日まで」

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