公爵令嬢クラリスの矜持

福嶋莉佳

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第5話


「――許せませんっ!!」

朝の陽光が溶け込むサロンに、  
マリアの怒声が紅茶の香を震わせた。

深紅のリボンがびたりと跳ね、  
侍女は新聞紙をぐしゃりと握りしめている――  
ただし、クラリスの写真の部分だけは指一本触れず、皺すら寄せない。

「この……下賤な紙っ!!  
 何が“気まぐれ救済”ですの!?  
 第二王子殿下が哀れみで求婚なさったですって!?  
 それに……っ“影が薄れる一方”?  
 誰が、誰を薄れると言えるんですのっ!!」

紙面を叩く小鳥のような指。  
けれど怒りは焔のように噴き上がる。

「こんな捏造……こんな侮辱……  
 お嬢様を知らないから平気で書けるんですわ!!」

クラリスは鏡台の前で扇を揺らし、  
紅茶の香と優雅な無関心をまとっていた。

「……まぁ、人を貶めるしか能がない方々も  
 この世にはいるものよ」

埃を払うような軽い声音。  
その上品な無慈悲さに、マリアは一瞬ぽかん――  
そして胸を押さえて陶然とする。

「さすが……さすがクラリス様です♡  
 格が違います……!」

クラリスは微笑を返す。  
だが、新聞が風で捲れ、  
隅の一文が瞳に刺さった瞬間――

扇が止まった。

《クラリス、新興貴族の流行に嫉妬か?》

「……」

(なんですって……?)

唇がわずかに歪む。

「……マリア」

「はいっ、お嬢様♡」

「散歩に行ってくるわ」

ぱちり、と扇が鳴る。  
その音は、刃。

「まぁ! お供します♡」

「いいえ――  
 一人で十分よ」

そう告げて、クラリスは深紅の影を揺らし、静かに去った。





王都の裏通り、  
新興貴族の資金で立ち上げられた三流新聞社《煌(きらめき)通信》。


ガラン、と鈴が鳴った瞬間――  
中の空気は凍りついた。

羽根ペンが止まり、  
受付の娘が声を失う。

「……え、……えっ……?  
 ク、クラリス……さま……?」

クラリスは扇を下ろし、  
薄い笑みを落とした。

「ごきげんよう。  
 わたくしの記事を書いた方に――お話があるの」

脂汗の編集長が飛び出し、膝をわななかせる。

「な、なぜ……わざわざ……!?  
 わ、わたくしどもは噂を拾っただけで――!」

クラリスは紙面を机に叩きつける。

「そんなことはどうでもいいのよ」

底が見えない、押し殺した声。

編集長が息を呑む。
彼らは知っていた――その後ろ盾の新興貴族よりも、
公爵令嬢の“気まぐれ”一つの方が、命取りだと言うことを。

クラリスの紅い瞳が、紙面の一点を射抜く。

扇がゆっくり閉じられる。

「三流記者が三流の記事を書いたくらいで、  
 わたくしは怒りませんわ」

編集長は胸を撫で下ろした。

だが次の瞬間――

扇の先端が紙面を突き刺した。

「――ですが。」

空気の温度が一気に落ちる。

「この写真は……何なの?」

振り返った記者たちの背筋が総毛立つ。

「どうしてここまで下手なの?  
 素材をここまで無駄にできるの?  
 こんな角度、こんな光……  
 それで“公(わ)爵(た)令(く)嬢(し)”を撮ったつもりなの?」

編集長が引き攣る。

「い、いえ……あの……」

扇が空気を裂いた。

「それに――  
 王(イ)太(レ)妃(イ)候(ナ)補の記事より、  
 わたくしの写真が小さいのはどういう意味かしら?」

扇子の先が紙面を指す。

「わたくしの記事なのよ?  
 三流でも――  
 レイアウトの美意識くらい持ちなさいな」

記者たちの表情が変わる。
(……そこなの?)

クラリスは余白に指を滑らせ、  
呆れた吐息を落とした。

「写真と本文のバランス、  
 構図の線、文字の配置……  
 美を扱う紙なら、  
 まず“見目の格”を理解しなさい」

「は……はぁ……」
(紙面の設計まで指摘するなんて…… 
 どうして公爵令嬢がこんなに詳しいんだ……)

ぱちり――扇が開かれた。

「――カメラマンを雇いなさい」

どよめきが走る。

「えっ……え?」

扇を口元に寄せ、甘い毒が滴る。

「悪役は華やかでなければつまらないでしょう?  
 舞台の悪女だって、そうではなくて?」

編集長は息を呑む。

「うちのサロンが抱えている者を貸してあげるわ。  
 王都の流行を撮り続けてきた――本物よ」

部屋の椅子が一脚、悲鳴をあげた。

クラリスは言い放つ。

「わたくしを悪女として描きたいなら――  
 わたくしを美しく載せなさい」

扇が紙面を軽く叩く。

「記事の内容は好きになさい。  
 でも、写真だけは雑にしたら許さないわ」

踵を返す。  
嵐が去った後のように、部屋の時間が歪んだ。





数日後の王都。例の新聞が発行された。

《煌(きらめき)通信》 紙面抜粋

【薔薇色の悪徳令嬢、王都に微笑す】  
王都でも名高き美貌を誇るクラリス嬢。  
第二王子殿下との“気まぐれ救済”とも噂される婚約は、  
貴族社会の注目をさらっている。  

しかし――その薔薇には棘がある。  
冷ややかに街を見下ろすその眼差しは、  
まるで王都をひとつの舞台とでも思っているかのよう。  

美しき悪徳か、あるいは新時代の象徴か。  

王都は今日、ひとりの令嬢の影に染まった。

文章自体は陳腐で扇情的。  
だが――

新聞は瞬く間に売り切れた。  
理由は単純だった。

──写真が、圧倒的だったのだ。

少年たちが叫ぶ。

「第二王子殿下の婚約者!  
 “薔薇色の悪徳令嬢、王都を支配!”だってよ!  
 写真がすげぇ!!」

群衆は紙面を開いた瞬間、  
声を飲み込むしかなかった。

深紅のドレスを纏ったクラリス。  
光を切り裂くような輪郭、  
射抜く視線、凍りつく微笑。

「……なんて綺麗……!」  
「怖いのに、見惚れちゃう……!」

市場の娘たちの指先が震える。  
紙面のそこだけが、まるで別世界のように輝いていた。

記事が三流でも、  
写真だけは一流だった。

だから売れたのだ。

流通屋の荷車が戻るたび、  
街角に人が群がり、  
新聞は雪のように消えていった。





マリアが新聞を抱え、  
息を弾ませて駆け込んだ。

「クラリス様っ!!  
 ……すごいです!!  
 今朝の新聞……クラリス様が……  
 “誰よりも美しい悪役”って……っ♡」

クラリスは紅茶を啜り、  
扇の影で微笑んだ。

「当たり前でしょう?」

内心は囁く。

(わたくしを叩いた紙に  
 自ら光を与えるなんて――  
 本当に優しすぎるわね)

彼女は悪女ではない。

(まったく……  
 わたくしが美しいから悪女にされるなんて――  
 美しすぎるのも罪だわ)

――彼女を陥れる者こそ、真の悪役なのだ。
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