5 / 10
第5話
「――許せませんっ!!」
朝の陽光が溶け込むサロンに、
マリアの怒声が紅茶の香を震わせた。
深紅のリボンがびたりと跳ね、
侍女は新聞紙をぐしゃりと握りしめている――
ただし、クラリスの写真の部分だけは指一本触れず、皺すら寄せない。
「この……下賤な紙っ!!
何が“気まぐれ救済”ですの!?
第二王子殿下が哀れみで求婚なさったですって!?
それに……っ“影が薄れる一方”?
誰が、誰を薄れると言えるんですのっ!!」
紙面を叩く小鳥のような指。
けれど怒りは焔のように噴き上がる。
「こんな捏造……こんな侮辱……
お嬢様を知らないから平気で書けるんですわ!!」
クラリスは鏡台の前で扇を揺らし、
紅茶の香と優雅な無関心をまとっていた。
「……まぁ、人を貶めるしか能がない方々も
この世にはいるものよ」
埃を払うような軽い声音。
その上品な無慈悲さに、マリアは一瞬ぽかん――
そして胸を押さえて陶然とする。
「さすが……さすがクラリス様です♡
格が違います……!」
クラリスは微笑を返す。
だが、新聞が風で捲れ、
隅の一文が瞳に刺さった瞬間――
扇が止まった。
《クラリス、新興貴族の流行に嫉妬か?》
「……」
(なんですって……?)
唇がわずかに歪む。
「……マリア」
「はいっ、お嬢様♡」
「散歩に行ってくるわ」
ぱちり、と扇が鳴る。
その音は、刃。
「まぁ! お供します♡」
「いいえ――
一人で十分よ」
そう告げて、クラリスは深紅の影を揺らし、静かに去った。
◆
王都の裏通り、
新興貴族の資金で立ち上げられた三流新聞社《煌(きらめき)通信》。
ガラン、と鈴が鳴った瞬間――
中の空気は凍りついた。
羽根ペンが止まり、
受付の娘が声を失う。
「……え、……えっ……?
ク、クラリス……さま……?」
クラリスは扇を下ろし、
薄い笑みを落とした。
「ごきげんよう。
わたくしの記事を書いた方に――お話があるの」
脂汗の編集長が飛び出し、膝をわななかせる。
「な、なぜ……わざわざ……!?
わ、わたくしどもは噂を拾っただけで――!」
クラリスは紙面を机に叩きつける。
「そんなことはどうでもいいのよ」
底が見えない、押し殺した声。
編集長が息を呑む。
彼らは知っていた――その後ろ盾の新興貴族よりも、
公爵令嬢の“気まぐれ”一つの方が、命取りだと言うことを。
クラリスの紅い瞳が、紙面の一点を射抜く。
扇がゆっくり閉じられる。
「三流記者が三流の記事を書いたくらいで、
わたくしは怒りませんわ」
編集長は胸を撫で下ろした。
だが次の瞬間――
扇の先端が紙面を突き刺した。
「――ですが。」
空気の温度が一気に落ちる。
「この写真は……何なの?」
振り返った記者たちの背筋が総毛立つ。
「どうしてここまで下手なの?
素材をここまで無駄にできるの?
こんな角度、こんな光……
それで“公(わ)爵(た)令(く)嬢(し)”を撮ったつもりなの?」
編集長が引き攣る。
「い、いえ……あの……」
扇が空気を裂いた。
「それに――
王(イ)太(レ)妃(イ)候(ナ)補の記事より、
わたくしの写真が小さいのはどういう意味かしら?」
扇子の先が紙面を指す。
「わたくしの記事なのよ?
三流でも――
レイアウトの美意識くらい持ちなさいな」
記者たちの表情が変わる。
(……そこなの?)
クラリスは余白に指を滑らせ、
呆れた吐息を落とした。
「写真と本文のバランス、
構図の線、文字の配置……
美を扱う紙なら、
まず“見目の格”を理解しなさい」
「は……はぁ……」
(紙面の設計まで指摘するなんて……
どうして公爵令嬢がこんなに詳しいんだ……)
ぱちり――扇が開かれた。
「――カメラマンを雇いなさい」
どよめきが走る。
「えっ……え?」
扇を口元に寄せ、甘い毒が滴る。
「悪役は華やかでなければつまらないでしょう?
舞台の悪女だって、そうではなくて?」
編集長は息を呑む。
「うちのサロンが抱えている者を貸してあげるわ。
王都の流行を撮り続けてきた――本物よ」
部屋の椅子が一脚、悲鳴をあげた。
クラリスは言い放つ。
「わたくしを悪女として描きたいなら――
わたくしを美しく載せなさい」
扇が紙面を軽く叩く。
「記事の内容は好きになさい。
でも、写真だけは雑にしたら許さないわ」
踵を返す。
嵐が去った後のように、部屋の時間が歪んだ。
◆
数日後の王都。例の新聞が発行された。
《煌(きらめき)通信》 紙面抜粋
【薔薇色の悪徳令嬢、王都に微笑す】
王都でも名高き美貌を誇るクラリス嬢。
第二王子殿下との“気まぐれ救済”とも噂される婚約は、
貴族社会の注目をさらっている。
しかし――その薔薇には棘がある。
冷ややかに街を見下ろすその眼差しは、
まるで王都をひとつの舞台とでも思っているかのよう。
美しき悪徳か、あるいは新時代の象徴か。
王都は今日、ひとりの令嬢の影に染まった。
文章自体は陳腐で扇情的。
だが――
新聞は瞬く間に売り切れた。
理由は単純だった。
──写真が、圧倒的だったのだ。
少年たちが叫ぶ。
「第二王子殿下の婚約者!
“薔薇色の悪徳令嬢、王都を支配!”だってよ!
写真がすげぇ!!」
群衆は紙面を開いた瞬間、
声を飲み込むしかなかった。
深紅のドレスを纏ったクラリス。
光を切り裂くような輪郭、
射抜く視線、凍りつく微笑。
「……なんて綺麗……!」
「怖いのに、見惚れちゃう……!」
市場の娘たちの指先が震える。
紙面のそこだけが、まるで別世界のように輝いていた。
記事が三流でも、
写真だけは一流だった。
だから売れたのだ。
流通屋の荷車が戻るたび、
街角に人が群がり、
新聞は雪のように消えていった。
◆
マリアが新聞を抱え、
息を弾ませて駆け込んだ。
「クラリス様っ!!
……すごいです!!
今朝の新聞……クラリス様が……
“誰よりも美しい悪役”って……っ♡」
クラリスは紅茶を啜り、
扇の影で微笑んだ。
「当たり前でしょう?」
内心は囁く。
(わたくしを叩いた紙に
自ら光を与えるなんて――
本当に優しすぎるわね)
彼女は悪女ではない。
(まったく……
わたくしが美しいから悪女にされるなんて――
美しすぎるのも罪だわ)
――彼女を陥れる者こそ、真の悪役なのだ。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は激怒した
松本雀
恋愛
悪役令嬢は激怒した。
必ず、かの厚顔無恥な簒奪者を排除せねばならぬと決意した。
ローザリンデ・フォン・シュヴァルツェンベルクには、政治のことはわからぬ。流行のドレスにも疎い。けれど悪には人一倍敏感であった。なにせ、自分が悪役令嬢だったからである。
◇
悪役令嬢ローザリンデは、王太子に断罪され辺境に追放された。
だが薬草園を耕す日々は存外悪くなく、「悪役令嬢時代より充実してるわ」と満足していた——はずだった。
ある日、社交界に新たな悪役令嬢が君臨し、自分が「先代」呼ばわりされていると知り大激怒。悪役令嬢の座を賭けて王都に殴り込む。
完璧な縦ロール、完璧な高笑い、完璧な紅茶のかけ方。何もかもが洗練された現役悪役令嬢クラリッサを相手に、高笑い対決、ドレスの威圧感対決、嫌味対決と、誰も得をしない真剣勝負が幕を開ける。
力押しの元悪役令嬢と技巧派の現役悪役令嬢。戦いの果てに二人が見つけるものとは……?
悪役令嬢に相応しいエンディング
無色
恋愛
月の光のように美しく気高い、公爵令嬢ルナティア=ミューラー。
ある日彼女は卒業パーティーで、王子アイベックに国外追放を告げられる。
さらには平民上がりの令嬢ナージャと婚約を宣言した。
ナージャはルナティアの悪い評判をアイベックに吹聴し、彼女を貶めたのだ。
だが彼らは愚かにも知らなかった。
ルナティアには、ミューラー家には、貴族の令嬢たちしか知らない裏の顔があるということを。
そして、待ち受けるエンディングを。
悪意には悪意で
12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。
私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。
ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。
毒姫の婚約騒動
SHIN
恋愛
卒業式を迎え、立食パーティーの懇談会が良い意味でも悪い意味でもどことなくざわめいていた。
「卒業パーティーには一人で行ってくれ。」
「分かりました。」
そう婚約者から言われて一人で来ましたが、あら、その婚約者は何処に?
あらあら、えっと私に用ですか? 所で、お名前は?
毒姫と呼ばれる普通?の少女と常に手袋を着けている潔癖症?の男のお話し。
断罪するならご一緒に
宇水涼麻
恋愛
卒業パーティーの席で、バーバラは王子から婚約破棄を言い渡された。
その理由と、それに伴う罰をじっくりと聞いてみたら、どうやらその罰に見合うものが他にいるようだ。
王家の下した罰なのだから、その方々に受けてもらわねばならない。
バーバラは、責任感を持って説明を始めた。
一体何のことですか?【意外なオチシリーズ第1弾】
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【あの……身に覚えが無いのですけど】
私は由緒正しい伯爵家の娘で、学園内ではクールビューティーと呼ばれている。基本的に群れるのは嫌いで、1人の時間をこよなく愛している。ある日、私は見慣れない女子生徒に「彼に手を出さないで!」と言いがかりをつけられる。その話、全く身に覚えが無いのですけど……?
*短編です。あっさり終わります
*他サイトでも投稿中
【短編】その婚約破棄、本当に大丈夫ですか?
佐倉穂波
恋愛
「僕は“真実の愛”を見つけたんだ。意地悪をするような君との婚約は破棄する!」
テンプレートのような婚約破棄のセリフを聞いたフェリスの反応は?
よくある「婚約破棄」のお話。
勢いのまま書いた短い物語です。
カテゴリーを児童書にしていたのですが、投稿ガイドラインを確認したら「婚約破棄」はカテゴリーエラーと記載されていたので、恋愛に変更しました。
下級兵士は断罪された追放令嬢を護送する。
やすぴこ
恋愛
「ジョセフィーヌ!! 貴様を断罪する!!」
王立学園で行われたプロムナード開催式の場で、公爵令嬢ジョセフィーヌは婚約者から婚約破棄と共に数々の罪を断罪される。
愛していた者からの慈悲無き宣告、親しかった者からの嫌悪、信じていた者からの侮蔑。
弁解の機会も与えられず、その場で悪名高い国外れの修道院送りが決定した。
このお話はそんな事情で王都を追放された悪役令嬢の素性を知らぬまま、修道院まで護送する下級兵士の恋物語である。
この度なろう、アルファ、カクヨムで同時完結しました。
(なろう版だけ諸事情で18話と19話が一本となっておりますが、内容は同じです)