戯言モノローグ

荒川咲良

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「なあ白山しらやま
 前の席に座るすらっと伸びた大きな背中を、シャーペンのノック部分でつつく。芯の出る尖った方でつつかないところに、どうか優しさの片鱗を感じて欲しいところではある。
「……おい、授業中だぞ」
「いいじゃん、こんなプリントの1枚や2枚、10分もあれば終わるって」
 4限目、昼休み前最後の授業。
 先生の目がない自習の時間ってだけでも気が緩むのに、こう天気もよくて暖かいと緊張感もクソもない。それはクラス全体にも共通して言えることのようで、教室のところどころで話し声が聞こえてくる。
「で、何か用か?」
「そうそう。……いや待って、何を話そうとしてたか忘れた」
「……そうか、思い出したら教えてくれ」
 物忘れが激しいってわけでも、物覚えが悪いってわけでもないはずなんだけど。考えてから行動するまでの間にすこしでも別のことを考えてしまうと、その前に考えていたことが頭からすっぽりと抜けてしまうことがよくある。
 まあ、忘れてしまうことの大半がどうでもいいことだったりするから、それが原因で起きた失敗談なんかも特にない。でも、忘れてしまうことの大半がどうでもいいことではあるけれど、そのどうでもいいことの繰り返しが人生だったりするのかもしれないよね。
 表面だけ取れば深く聞こえる分、よく聞けば余計に浅はかに感じるようなモノローグを挟んだところで。授業中という自由の縛られた時間の中でもどうにか変化をつけようと、燦々さんさんと輝くお天道さんの方へと顔を向けた。案の定、次の瞬間には目がチカチカしていたので、すぐに目を逸らした。
 それにしても、5月に入って一段と暖かくなったよなあ。ほんの数週間前までは、寒い寒い言いながら自転車を漕いでいたものなのだが。僕が寒がりってこともあったのだろうけど、最近は寒いと感じる機会がめっきり減った。
 5月の陽気に当てられ、窓際の席に座る僕の身体の力も芯から抜けていく。その感覚がまた気持ちよくて、気づけば眠気で目を開けているのもやっとの状態に陥っていた。春って季節は、花粉が飛び交うことさえなければ最高の季節だと、今まさに肌で感じる。
「……眠い」
 さあ話題を思い出そうかという場面なのにも関わらず、あまりにも心地いい気分に勝手に口から言葉が漏れ出てしまっていた。
 うつらうつらと船を漕ぎ、あと一度でもかいに力を込めてしまえば、たちまち夢の世界への出航だというところまでやってきた。いや、どちらかと言えば漂流一歩手前って感じなのかもしれない。
 緩みに緩んだ、船と陸との間に繋がれたロープの結び目。それがほろりと解けかけたそのときに。
「あ、思い出した」
 するっと、失われた記憶がどこからともなく舞い戻り、僕の意識を一気に覚醒させた。
 いやー、すっげえすっきりした。忘れた結果二度と思い出せないケースも多いからな。そうなると、その日は眠りに就くまでもやもやした気分が晴れることはないんだ。
 眠ったら忘れたことさえ忘れてしまう僕はひょっとしたら、忘却探偵さんの遠い親戚か何かなのかもしれない。こんな都合のいい忘れ方、本家様は決してしないだろうけど。
 ……こんなことを考えていると忘れるんですよね、危ない危ない。
「おい白山。思い出したぞ、また忘れちまわないうちに聞いてくれよ。なあなあ」
「……はあ、わかったわかった。聞いてやるからさっさと話せ」
 一瞬足りとも親友である僕こと黒川くろかわ裕人ひろとに視線を向けることなく、マイベストフレンド白山くんこと白山琢磨たくまはそう答えた。なんてそっけない態度なんだろうか。しかし、こうやって軽くあしらわれるのには慣れているし、僕はこれがツンデレの一種だと強く信じているから絶対にへこたれたりしない。怯むことなく、一方的に会話を進めていこうと思う。
 さて。
「しかし、僕は彼女が欲しいんだ」
「そうか。そんなことより、接続詞が接続に使われていないことについての言及は必要か?」
「しかし、ただ彼女が欲しいだけじゃないんだ」
「なんだ、正しい使い方もできるんじゃないか。すごいぞ」
 褒められた。えへへ。
 じゃなくて。
「年下で、可愛くて、一途で浮気なんかしなくて、可愛くて、かまってちゃんだけど最低限の距離感はちゃんと掴むことのできる、可愛い女の子がいいんだよ」
「本気で彼女が欲しいと思ってる人間とは思えないほどの理想のデカさだな」
「あと、僕より5センチ以上背が低いのも」
「まーた増えたよ」
「いい子紹介してよ、ドザえもん~」
「おそらくは国民的アニメに登場する猫型ロボットであるドラえもんに加え、江戸時代の力士として名高い成瀬川なるせがわ土左衛門どざえもんが色白だってところに俺の名字である白山の『白』の部分を掛けたんだろうが、しかし黒川。そもそも一般の高校生がその名を知っているかどうかすら怪しい成瀬川土左衛門の名を用いたうえに、それを加味してさえわかってくれる人間が限りなくゼロに近いゴミみたいなボケをするな。殺すぞ」
「こっわ!」
 この上ない、辛辣。
 最後の方の文さえなければ、『大した推理だ。君は小説家にでもなった方がいいんじゃないか』とか答えるつもりだったのだが、そんな予定は跡形もなく砕け散ってしまった。
 いわゆるツンデレのツンがハリネズミの針くらいだとすれば、僕に向けられたそれは30センチ釘。もしくは千枚通し。
 狂気ならぬ、凶器。
 最近テレビでよく目にするベテラン毒舌コメンテーターでさえ、今の白山と比較してしまえば足元にも及ばない。雲泥。天と地。コタツとホッカイロだ。
「そ、それで! 僕に可愛い後輩を紹介するのか、しないのか。さあ、選べ!」
 飽くまで高圧的に。
 ビビっているのを悟られたら負けだ。僕の正体が小心者の臆病者だと知られてしまった際には、卒業までの残り2年間、僕は白山のパシリとして焼きそばパンを買いに走る毎日を送ることになってしまう。それはできればご勘弁願いたい。
「紹介するしないの前に、俺にはお前に紹介できるような後輩の知り合いなんていないぞ。学校にも、バイト先にも」
「『可愛い後輩の知り合いはごまんといるけれど、全員俺の女だからお前如きに紹介するわけねえだろ、バーカ』だって?」
「おいおい、どうしたらそんなふうに聞き間違えられるんだ? ほんとにわけわかんない奴だな、お前は。俺はただ、『可愛い後輩の知り合いはごまんといるけれど、男の中の男であるお前のようなイケてる奴に釣り合う女の中の女を俺は知らない』って言ったんだ」
「まじか!」
「まじだ」
 過剰すぎるほどに持ち上げられていることは自分でもわかっているけれど、しかしどうだろう。よく思い返してみれば、実際にもそんな感じの言葉を掛けられたような気がしないでもない。むしろそんな気がしてきた。
 そうかそうか、男の中の男、か……。まるで僕という人間のためだけに存在しているかのような、実に響きのいい言葉だ。
 悪くない。
「ふむ。そういうことなら仕方がない。今回は僕の方から引くことにしよう」
「それは賢明な判断だな」
 このやり取り、傍から見れば僕が白山にたこ焼きの上の鰹節の如く舞い踊らされているように聞こえるかもしれない。が、しかしそれは真実ではない。真実ではないし、事実でもない。他でもないこの僕が言うのだから、真実ではないと言ったら真実ではないのである。異論は一切認めない。
 自己弁解。自己暗示。
 他人に聞かれて一番困るのは僕の白山のこんなやり取りなんかではなく、この見苦しいモノローグであることは間違いないだろうな。まったく、これが口に出したセリフなどではなく、こうして心の中だけの言葉でよかったぜ。僕が主人公の物語が描かれでもしない限りは、僕の羞恥が世間に知れ渡ることもないのだからな。
「でもなあ、黒川。俺はお前にまともな恋愛ができるとは思えないぞ」
「と言うと?」
「そもそもの話だ。仮にお前の理想像と完全に一致するような、一途で可愛い後輩が存在したとして、そしてその子と恋人同士になれたとしよう。でもお前、自分の時間大好き人間じゃん。自分の時間、他人のためには絶対割いたりしないじゃん。悪い意味での、天上天下唯我独尊マンじゃん」
 酷い。
 まるで僕が根っからの独裁者であるかのような物言いだ。すべてを否定するわけではないけども、さすがに大げさ。僕はヒトラーではないのだから。
「まあ確かに、僕は自分の時間、自分の趣味を大事にしたいタイプの人間ではあるかもしれないけれど。でも、その子が僕の理想通り『最低限の距離感はちゃんと掴むことのできる』女の子であるなら、彼氏である僕のそういう考え方も受け入れてくれるはずだろう?」
「……さてはお前、本当はそこまで彼女が欲しいと思ってないだろ」
「はあ? 何を根拠にそんなことを」
「根拠って……。さっきも言ったはずだけど、本気で彼女が欲しいと思ってる男子高校生は一般的に、お前ほどの莫大な理想像を持っているはずがないんだよなあ」
「むむ」
 言われてみれば、もしかしたらそうなのかもしれない。
 僕は漫画やアニメにおいて、ラブコメが大の苦手だ。嫌いだと言ってもいい。あんなご都合主義の塊みたいなもの、消えてしまえばいい。……とまではさすがに思っていないけれど、それでも絶対に手に取ったりしないと断言できるレベルには、苦手意識を抱いている。
 つまりは僕の中において、お手本となるような具体的な恋愛像が存在しない。
 先程語った理想の彼女像も、『可愛い』だとか『優しい』だとか、子供の抱くような内容のない理想の延長線上のものに過ぎないのだろう。
 ふむ、なるほどね。
「……もしかして、僕の恋愛観って小学生レベル?」
「もしかしなくても、それ以下だ」
「ガーン……」
 ショックのときにガーンと発音するのは中年の証拠だと聞いたことがある。ならば僕みたいな若者の場合、こんなときどんな言葉を発音するべきなのだろう。最近の女子高生にあやかって、『ぴえん』とでも言うのが正しかったりするのかな。
 兎にも角にも、まずは釈明の時間だ。
「まあ、僕が彼女持ちという称号の優越感に浸ってみたいと考えている節は少なからずあるし、それを僕自身も多少は自覚しているつもりではあるけれど。でもでも、女子と2人で遊びに行ったり、手を繋いで歩いたりしてみたいって思ってるのもほんとなんだぜ? こんなモノクロームのような僕の人生に彩りを加えて欲しいと思っているのも、本当なんだぜ?」
 事実、今の僕の生活に何が足りていないのかと問われれば、それは彩りに違いない。
 文字通り平たく穏やかな現状に、別段不満があるってわけではないし、むしろ心地いいとさえ思っていたりするけれど。
 それでも、いくら美味しい食べ物でもそれだけを食べ続ければいずれ飽きてしまうように、こんな何のイベントも起きないこの日常に味変用のスパイスを加えたいと、そう考えているわけなのだ。
「しかしそうは言ってもな。お前に普通の恋愛ができるようになるには、女心なるものに対するそれなりの知識と、お前自身の意識の修正が必要だと思うぞ。俺も上からものが言える立場じゃあないけど」
「なんだよ、意識の修正って。ちょっと怖いよ……」
「どっちにしたって、実際に女子と接したりして経験を積むのが手っ取り早いんだろうけど」
 手っ取り早いんだろうけど、お前と話してくれるような女子なんてそうそういないだろう、とでも言いたそうだな。否定はできない。
 しかし、今回は別だ。
「ふっふっふっ、甘いな白山よ。カルピスの原液にでもなったつもりか?」
 まるで置物かのように微動だにしないその背中に向け、僕は今日一番のドヤ顔でそう言った。

 結局この4限目の会話中には、彼が後ろの席の僕へと顔を向けることはなかった。悲しきことこの上ない。
 それぞまさに、『ぴえん』である。
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