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「ふう……」
僕はまた1冊、本を読み終えた。今回読んだのは少し前に若者の間で大ヒットを果たした超人気アニメ映画の、そのノベライズ版だ。
僕こと黒川裕人はここ最近、読書にはまっている。気に入っているのは、海外の小説。英語はちょっとしか読めないので、翻訳版ではあるのだが。
もともとは半分かっこつけのつもりで手に取った海外文学だが、これが思いの外おもしろい。
特に僕がおすすめしたいのは、ファンタジー系。その類はシリーズのものが多く、僕もあまり多くの種類を読んできたわけじゃないが、翻訳版とは言えど、日本の小説には使われない言い回しや表現方法が顕著に見られ、そこがなんとも魅力的に感じる。
そんな僕だが、クラスメイトの堀北七海をデートに誘ったことをきっかけに、昨日の今日ならぬ今日の今日、本を読むという形で早速行動に移し始めたというわけだ。
映画館に足を運ぶことはなかった僕だけれど、今どきの若者の趣向をインプットするのも兼ね、これを機会に今まで避けてきた恋愛要素の絡む物語に触れてみることにしようと思った次第だ。これは僕からすれば、冥王の復活を阻止すべく黄金の指輪を火山の火口に投げ入れるために旅をすると同じくらいの大冒険のつもりだった。
それにこの物語、涙を流さざるを得ないほどのスーパー感動作らしいじゃないか。これは自然と期待に胸が膨らんでしまうよなあ?
……みたいなことを考えながら本を手に取り、そして大人気ドーナツチェーン店にて文字列を追い始めてからだいたい2時間。
あとがきまでしっかりと目を通した僕の第一声は、
「よくわかんねえな……」
これだった。
確かに感動的なストーリーだし、とてもいい物語だったとは思う。けれど、それが泣くほどのものだったとはとても思えない。
だいいち、たった3時間の映画や数百ページの文庫本でいちいち感情移入し切れるほど、少なくとも僕の心は変幻自在じゃないんだ。この程度の量の物語で泣くほど心が満たされるのなら、その人の心が小さすぎるだけだ。たぶん器も小さい。
世界の文豪たちよ、どうか僕を満足させる最高の物語を創ってくれよ。
僕の心にあるつっかえ棒は決して、この程度の物語で外れることはないのだから。
「おい妹よ」
「なによ兄ちゃん」
右手でスマホを弄り、左手のチョコミントのアイスバーを齧りながら、例のごとく僕に視線を向けることなく返事をした。白山といい我が妹といい、いったい最近の若者はどんな教育を受けているんだ。……もしかして、原因は僕なのか? 少しだけ不安になってしまう。
僕の2つ下の妹、黒川祐奈は、チョコミントと他人の恋愛話が大の好物らしい。
たまに中学の友達を家に呼んでは楽しく女子トークに花を咲かせているようだし。学校での祐奈がどんなポジションに居座っているのかは知らないし、大して興味があるわけではないのだが、家に招いたクラスメイトから気持ちガチな雰囲気の恋愛相談を受けているっぽいのを見るに、友人間での信頼はたぶん高かったりするんだろう。
僕が妹たちの会話の内容を知っているのは決して、僕がいやらしい下卑た笑みを浮かべながら聞き耳を立てているからとかではなく、妹たちの話し声が隣の部屋の僕のもとまで時折聞こえてくることがあるからだ。
僕はシスコンではないけれど、妹が清く正しい中学生活を送ってくれているようで、兄としてはとても安心している。清くはあるが正しくはない中学生活を送っていた僕を踏み台にし、卒業までのおよそ1年、祐奈には悔いの残らない日常を過ごして欲しいものである。
そして僕は今まさに、心の友であるところの白山琢磨と学校にて話した通り、その清く正しい妹に対し、ガチな恋愛相談を持ちかけようとしているのだった。兄としてのプライド? もちろん皆無だ。あるかそんなもん。
「実はな、兄ちゃんクラスメイトとデートすることになったんだ」
「へえ、デートねぇ……」
心ここにあらずといった感じだ。
液晶画面と好物のチョコミントに精気でも吸い取られてしまったんだろうか。まるで水木しげるの妖怪談のような話だ。
しかし聞いてはくれているっぽいので、話はこのまま続けることにしよう。
「それでお前を恋愛マスターだと見込んで相談したいことがあってだな」
「へえ、相談ねぇ……」
うん、続けよう。そのうち戻ってくるだろ。
「例えばデートプランとか、あとは服装とか持っていく金の量とか。とりあえず奢るのは前提として、食事代諸々含めたら数万とかあった方がいいのか? そうなるとほとんど全財産失いかねないんだが……」
そのへんの高校生に比べると物欲は少ない方ではあると思うが、さすがに一文なしは避けたい。
しかし実際、金銭面ってどう考えるのが先決なんだろう。僕らはまだ未成年の身であり、学生の身だ。一度のデートに何万円も注ぎ込むことが正しいとは思えない。相手側にしたって『重い』と感じるのがオチだ。
だからといって、デートに公園の散歩や景色のいい海なんかを選ぶのも、個人的にだがなんか嫌だ。穏やかさの裏に意地汚さを感じてしまう僕がいる。食事もコスパのいいファミレスやジャンクフード店で済ませるのも雰囲気がない。相手側にも『軽い』と思われることだろう。
「以上のことから、使用する金は数千から一万ほどが適切であるように思いますが、マスターはどう思いますか?」
兄妹というある種もっとも近い間柄の僕らならば、脳内での思考もテレパシー的な何かで伝わるんじゃないかと思い、試しに5分の4ほど端折ってみた。これで通じない場合は、祐奈が僕の義理の妹であるという可能性も疑わなくちゃならん。
「いやあ、それはどうかなぁ……」
通じた、のか……?
仮に通じたのだとすれば、それは何に対する回答なんだ? 使用する金を数千から一万にしようとしていることを否定したものなのか? それとも、義理の妹である可能性を否定したものなのか?
会話自体は普通に成立しているのに、未だスマホとチョコミントに心を囚われている様子だ。てか、アイス食べるの遅いよ。大切に食べたいのはわかるけど、早くしないと溶けちゃうよ!
困ったことに、このままじゃただただ無駄な時間を消費するようにしか思えない。ここは僕もアイスを食べることで、一度文字通りクールダウンを図ることにしよう。
そう思ってキッチンの冷凍庫から自分用のカップアイスを取り出し、リビングのソファーへと座り直した。
祐奈のお気に入りがチョコミントのアイスバーなのに対し、僕のお気に入りはこのレモン味のかき氷。かき氷自体は普通で、特に秀でた点のないありふれたレモンのかき氷なのだが、重要なのはその上に乗ったレモンの輪切りだ。これが美味い。
シロップで漬けられているからか生のレモンのような強い酸味はなく、程よい薄切りでしっかり凍っていても食べやすい。種が入っでいた場合には取り除くのが面倒だが、その程度の苦労はまったく気にならない。なんならこれさえ食べればもう満足だ。いや、ちゃんとかき氷も食べるけども。
どうにかしてこの輪切りレモンだけを量産できないかと、自ら試したこともある。スーパーで買ったレモンをガムシロップで漬けて凍らせてみたり、蜂蜜で漬けて凍らせてみたり。同じ味のものを作ることはできなかったものの、結果的にそれはそれで美味しいスイーツが完成したりしたのだが。
そうこうしているうちにレモンを食べ終えてしまった僕は、その余韻に浸りつつ、半分惰性でかき氷をちょびちょびと口へ運んでいた。木製のスプーンでは、溶け始めたかき氷は食べにくくて仕方がない。
「それで兄ちゃん。いったいなんの話だったっけ? 私は兄ちゃんが私とデートに行きたいって話だったと予想するけど」
いつのまにやらアイスを食べ終えていたらしい祐奈が、上機嫌な様子で話しかけてきた。
「なんでちょっとだけ聞いてるんだよ。違えよ。そんなに僕とデートがしたいんなら、ちゃんと頼め。僕に誠意を見せるんだ。そうすれば考えてやる」
「わかった! ……どうかこの愚妹めに、お兄さまとデートする機会をお与えください!」
祐奈は目にも留まらぬ速さで僕の目の前へやってくると……。正座をし、額が床につくくらいに深々とお辞儀をした。世間でいうところのいわゆる、土下座の姿勢である。
「土下座の安売りをするな。そんなお前を嫁にもらってくれるお家は、この瞬間でなくなったぞ。ゼロだ」
悲しみで涙が溢れそうなのを紛らわすために、祐奈の頭をぐりぐりと踏みつけた。安心して欲しい。帰宅してすぐにシャワーは浴びたから、僕の足は綺麗な状態だ。
「きゃー! もっと……もっと踏んでください! もっと詰ってください!! もっと罵ってくださいー!!!」
「やめろやめろやめろ怖い怖いキモいキモいキモいキモいぃぃ!!!」
今にも本当に足を舐め回し出したりしそうなほどの狂気的なオーラを纏った祐奈は、僕の足首をがっしりと掴んで離さない。恐怖という感情をこれほど強く感じたのは、もしかしたら生まれて初めてのことかもしれない。まるでゾンビにでも追い詰められているような気分だ。
必死に振りほどこうとするも、意外な力強さを見せる祐奈のその手は足掻けば足掻くほど、逃げられまいとより強く握られていく。このままいけば、1時間後には足首が握り潰されていてもおかしくない。
「離せこいつ……ッ! お前は怪物か!? 怪異なのか!? 障り猫なのか!? 猫耳が生えてきちゃうのか!? 僕をこうして痛めつけることでストレスを消化し、ついでにエナジーをドレインしているのか!?」
「にゃおーん。にゃにゃめにゃにゃじゅうにゃにゃにゃにゃ、にゃ……にゃ?」
噛んだ。あざとく。
見てくれがいいぶん、ちょっと可愛いのが悔しい。
「失礼、噛みました!」
「違う、わざとだ」
「噛みまみた!」
「わざとじゃない!?」
ここまでテンプレ。ひと仕事を終えた気分だ。
祐奈が某物語を知っていることは知らなかったが、僕の妹だってことを考えればそう驚くようなことでもない。同じ両親のもとから生まれ、DNAレベルで似通っている僕らの趣味嗜好が被るのはある意味必然なのかもしれない。
「ふう、疲れた」
「僕もだ。お互い、迫真の演技だったな。どうだ、一緒にハリウッドスターでも目指さないか?」
「やだよ、めんどくさい。私が本気で女優なんか目指したら3日で超売れっ子になっちゃって、『橋本環奈2世、現る!』ってネット記事が書かれるのなんて目に見えてるでしょ?」
「それはたぶん幻覚だ」
確かに僕の妹は贔屓目に見ても可愛い方だとは思うけれど、それでも3日で売れっ子になるのは100%無理だし、橋本環奈2世と呼ばれるようになるのも250%無理だ。断言しよう。
思い上がるな、と、祐奈の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。不機嫌なときや出掛ける前に僕が髪に触るとキレたりするが、今はチョコミントのおかげか機嫌がいいから怒られたりはしないはずだ。
今はむしろ喜んでいるようにさえ見える。
「さっき踏んでたときも思ったけど、お前って結構髪さらさらだよな。さらさらヘアーだよな。やっぱトリートメントとか使ってんの?」
てかトリートメントってなんなんだ? リンスインシャンプーみたいなものなのか? CMではキューティなんちゃらケアって言ってるのも聞いたことがあるけれど。あれ、キューティーハニーだったっけ?
まあ僕には縁のない言葉だろうし、わざわざ調べたりするのも面倒だ。
「えへへ、まあね~」
「おいおい祐奈ちゃん、お前なんだかやけにご機嫌じゃあないか。何かいいことでもあったのか?」
「ふっふーん、女の子ってのは、髪を褒められると結構嬉しかったりするんだよー」
「なるほど、勉強になるな……」
さっきの僕の話を聞いてなのか、それともたまたまなのかはわからないが、なかなかよさげな助言をもらった気がする。
でもたまに話をする程度の間柄の女子の髪に触れるってのは、さすがに気が引ける。相手からしても気分のいいものじゃないだろうし……。そうだ、髪型とか髪飾りとか、そのへんを褒めるっても有効なのかもしれない。よし、心のノートとは言わず、スマホのノートアプリにメモしておこう。
「髪を褒めましょう、っと……。よし、いいぜ祐奈。そういうのどんどんくれよ」
「えっと……。って、急にどしたの兄ちゃん」
「やっぱ聞いてなかったか……」
がっかりすると共に、よくぞあの話を聞かずにここまで会話を噛み合わせていたものだと少しだけ感心してしまう。ちょいちょい不自然な部分があった気はするけど。
これがゲームなら声に出してダウトと宣言していない僕の負けになることだし、最後まで確信を持つことができなかった僕が悪い、のか? ……いや、よく考えなくても僕まったく悪くないわ。
ということで、今日の4限目から昼休みについての出来事を簡潔に話した。白山との会話の内容はほとんどがどうでもいい雑談だったから、そこを省いたらかなりの少量になってしまったのだが……。普段の僕らの会話(主に僕の話)の内容のなさに気づかされた。
「ついにあの兄ちゃんにも青春が……! 私は信じてたよ! さすがは私の兄ちゃんだ! 高校に入ってからの兄ちゃんのあまりの成長ぶりに、私は涙が出そうだよ!」
ここで妹に関する豆知識、つまりは妹知識をひとつ。
さっきから僕を『兄ちゃん』などとなんとも中途半端な呼び方をしているのは、祐奈が中学2年に進級したくらいのあるとき、『お兄ちゃん呼びはなんか子供っぽくてやだな……』と呟いた次の日から、僕に対する呼び方が変わった。
祐奈のことだ。『お兄ちゃん』に取って代わる子供っぽくなくて呼びやすい呼び方を考えた結果、頭の一文字を抜いただけで子供らしさが消えることを発見し、嬉々として『兄ちゃん』呼びに変えたのだろう。大して呼びやすいわけでもなかろうに……。
「まあ所詮お試しのデートだし、言っちゃえばただクラスメイトと出掛けるだけなんだけどな。僕の場合はちゃんと目的があるからしっかりいろいろ考えて臨むつもりだけど、お前がそこまで喜ぶことでもなかろうよ」
妹がまるで自分のことのように僕の成長を喜んでくれているのはとても嬉しいことなのだが、少し過剰な気がする。
「だって……」
言葉に詰まったのか、俯いて黙り込む祐奈。
その後に続くであろう言葉を、僕はすぐに察知した。
仮にも僕の妹だ。年も2つしか離れていない祐奈はあのこともまだ覚えていて、きっと今でもどこかで気にしているんだろう。
妹にここまで気を遣わせてしまっているというのは、兄としては恥ずかしい話なのだが。しかしそれと同時に、嬉しくもあるのだった。
「大丈夫だ、祐奈」
「……兄ちゃん」
「あの時も、お前にも心配をかけるような真似をして申し訳なかったとは思ってる。でも何度も言うようだが、あれは僕のミスで、僕の問題だ。だから……」
「けど……!」
「だからさ、もしお前が僕のために何かしたいって思ってくれるんなら……」
僕は祐奈の頭に手を置き、そのまま優しく撫でた。さっきの荒っぽいのとは違う、愛と感謝を込めた優しい手つきで。
「いつもみたいに、見守っててくれ」
そして、そう締めた。
これが今の僕が兄として妹にする、たったひとつの頼みごと。それ以外もそれ以上も欲しくない。
「うん、わかった!」
にこりと笑って、そう返事をした。
それはいつも通りの、なんとも我が妹らしい悪戯っぽい笑顔だった。
僕はまた1冊、本を読み終えた。今回読んだのは少し前に若者の間で大ヒットを果たした超人気アニメ映画の、そのノベライズ版だ。
僕こと黒川裕人はここ最近、読書にはまっている。気に入っているのは、海外の小説。英語はちょっとしか読めないので、翻訳版ではあるのだが。
もともとは半分かっこつけのつもりで手に取った海外文学だが、これが思いの外おもしろい。
特に僕がおすすめしたいのは、ファンタジー系。その類はシリーズのものが多く、僕もあまり多くの種類を読んできたわけじゃないが、翻訳版とは言えど、日本の小説には使われない言い回しや表現方法が顕著に見られ、そこがなんとも魅力的に感じる。
そんな僕だが、クラスメイトの堀北七海をデートに誘ったことをきっかけに、昨日の今日ならぬ今日の今日、本を読むという形で早速行動に移し始めたというわけだ。
映画館に足を運ぶことはなかった僕だけれど、今どきの若者の趣向をインプットするのも兼ね、これを機会に今まで避けてきた恋愛要素の絡む物語に触れてみることにしようと思った次第だ。これは僕からすれば、冥王の復活を阻止すべく黄金の指輪を火山の火口に投げ入れるために旅をすると同じくらいの大冒険のつもりだった。
それにこの物語、涙を流さざるを得ないほどのスーパー感動作らしいじゃないか。これは自然と期待に胸が膨らんでしまうよなあ?
……みたいなことを考えながら本を手に取り、そして大人気ドーナツチェーン店にて文字列を追い始めてからだいたい2時間。
あとがきまでしっかりと目を通した僕の第一声は、
「よくわかんねえな……」
これだった。
確かに感動的なストーリーだし、とてもいい物語だったとは思う。けれど、それが泣くほどのものだったとはとても思えない。
だいいち、たった3時間の映画や数百ページの文庫本でいちいち感情移入し切れるほど、少なくとも僕の心は変幻自在じゃないんだ。この程度の量の物語で泣くほど心が満たされるのなら、その人の心が小さすぎるだけだ。たぶん器も小さい。
世界の文豪たちよ、どうか僕を満足させる最高の物語を創ってくれよ。
僕の心にあるつっかえ棒は決して、この程度の物語で外れることはないのだから。
「おい妹よ」
「なによ兄ちゃん」
右手でスマホを弄り、左手のチョコミントのアイスバーを齧りながら、例のごとく僕に視線を向けることなく返事をした。白山といい我が妹といい、いったい最近の若者はどんな教育を受けているんだ。……もしかして、原因は僕なのか? 少しだけ不安になってしまう。
僕の2つ下の妹、黒川祐奈は、チョコミントと他人の恋愛話が大の好物らしい。
たまに中学の友達を家に呼んでは楽しく女子トークに花を咲かせているようだし。学校での祐奈がどんなポジションに居座っているのかは知らないし、大して興味があるわけではないのだが、家に招いたクラスメイトから気持ちガチな雰囲気の恋愛相談を受けているっぽいのを見るに、友人間での信頼はたぶん高かったりするんだろう。
僕が妹たちの会話の内容を知っているのは決して、僕がいやらしい下卑た笑みを浮かべながら聞き耳を立てているからとかではなく、妹たちの話し声が隣の部屋の僕のもとまで時折聞こえてくることがあるからだ。
僕はシスコンではないけれど、妹が清く正しい中学生活を送ってくれているようで、兄としてはとても安心している。清くはあるが正しくはない中学生活を送っていた僕を踏み台にし、卒業までのおよそ1年、祐奈には悔いの残らない日常を過ごして欲しいものである。
そして僕は今まさに、心の友であるところの白山琢磨と学校にて話した通り、その清く正しい妹に対し、ガチな恋愛相談を持ちかけようとしているのだった。兄としてのプライド? もちろん皆無だ。あるかそんなもん。
「実はな、兄ちゃんクラスメイトとデートすることになったんだ」
「へえ、デートねぇ……」
心ここにあらずといった感じだ。
液晶画面と好物のチョコミントに精気でも吸い取られてしまったんだろうか。まるで水木しげるの妖怪談のような話だ。
しかし聞いてはくれているっぽいので、話はこのまま続けることにしよう。
「それでお前を恋愛マスターだと見込んで相談したいことがあってだな」
「へえ、相談ねぇ……」
うん、続けよう。そのうち戻ってくるだろ。
「例えばデートプランとか、あとは服装とか持っていく金の量とか。とりあえず奢るのは前提として、食事代諸々含めたら数万とかあった方がいいのか? そうなるとほとんど全財産失いかねないんだが……」
そのへんの高校生に比べると物欲は少ない方ではあると思うが、さすがに一文なしは避けたい。
しかし実際、金銭面ってどう考えるのが先決なんだろう。僕らはまだ未成年の身であり、学生の身だ。一度のデートに何万円も注ぎ込むことが正しいとは思えない。相手側にしたって『重い』と感じるのがオチだ。
だからといって、デートに公園の散歩や景色のいい海なんかを選ぶのも、個人的にだがなんか嫌だ。穏やかさの裏に意地汚さを感じてしまう僕がいる。食事もコスパのいいファミレスやジャンクフード店で済ませるのも雰囲気がない。相手側にも『軽い』と思われることだろう。
「以上のことから、使用する金は数千から一万ほどが適切であるように思いますが、マスターはどう思いますか?」
兄妹というある種もっとも近い間柄の僕らならば、脳内での思考もテレパシー的な何かで伝わるんじゃないかと思い、試しに5分の4ほど端折ってみた。これで通じない場合は、祐奈が僕の義理の妹であるという可能性も疑わなくちゃならん。
「いやあ、それはどうかなぁ……」
通じた、のか……?
仮に通じたのだとすれば、それは何に対する回答なんだ? 使用する金を数千から一万にしようとしていることを否定したものなのか? それとも、義理の妹である可能性を否定したものなのか?
会話自体は普通に成立しているのに、未だスマホとチョコミントに心を囚われている様子だ。てか、アイス食べるの遅いよ。大切に食べたいのはわかるけど、早くしないと溶けちゃうよ!
困ったことに、このままじゃただただ無駄な時間を消費するようにしか思えない。ここは僕もアイスを食べることで、一度文字通りクールダウンを図ることにしよう。
そう思ってキッチンの冷凍庫から自分用のカップアイスを取り出し、リビングのソファーへと座り直した。
祐奈のお気に入りがチョコミントのアイスバーなのに対し、僕のお気に入りはこのレモン味のかき氷。かき氷自体は普通で、特に秀でた点のないありふれたレモンのかき氷なのだが、重要なのはその上に乗ったレモンの輪切りだ。これが美味い。
シロップで漬けられているからか生のレモンのような強い酸味はなく、程よい薄切りでしっかり凍っていても食べやすい。種が入っでいた場合には取り除くのが面倒だが、その程度の苦労はまったく気にならない。なんならこれさえ食べればもう満足だ。いや、ちゃんとかき氷も食べるけども。
どうにかしてこの輪切りレモンだけを量産できないかと、自ら試したこともある。スーパーで買ったレモンをガムシロップで漬けて凍らせてみたり、蜂蜜で漬けて凍らせてみたり。同じ味のものを作ることはできなかったものの、結果的にそれはそれで美味しいスイーツが完成したりしたのだが。
そうこうしているうちにレモンを食べ終えてしまった僕は、その余韻に浸りつつ、半分惰性でかき氷をちょびちょびと口へ運んでいた。木製のスプーンでは、溶け始めたかき氷は食べにくくて仕方がない。
「それで兄ちゃん。いったいなんの話だったっけ? 私は兄ちゃんが私とデートに行きたいって話だったと予想するけど」
いつのまにやらアイスを食べ終えていたらしい祐奈が、上機嫌な様子で話しかけてきた。
「なんでちょっとだけ聞いてるんだよ。違えよ。そんなに僕とデートがしたいんなら、ちゃんと頼め。僕に誠意を見せるんだ。そうすれば考えてやる」
「わかった! ……どうかこの愚妹めに、お兄さまとデートする機会をお与えください!」
祐奈は目にも留まらぬ速さで僕の目の前へやってくると……。正座をし、額が床につくくらいに深々とお辞儀をした。世間でいうところのいわゆる、土下座の姿勢である。
「土下座の安売りをするな。そんなお前を嫁にもらってくれるお家は、この瞬間でなくなったぞ。ゼロだ」
悲しみで涙が溢れそうなのを紛らわすために、祐奈の頭をぐりぐりと踏みつけた。安心して欲しい。帰宅してすぐにシャワーは浴びたから、僕の足は綺麗な状態だ。
「きゃー! もっと……もっと踏んでください! もっと詰ってください!! もっと罵ってくださいー!!!」
「やめろやめろやめろ怖い怖いキモいキモいキモいキモいぃぃ!!!」
今にも本当に足を舐め回し出したりしそうなほどの狂気的なオーラを纏った祐奈は、僕の足首をがっしりと掴んで離さない。恐怖という感情をこれほど強く感じたのは、もしかしたら生まれて初めてのことかもしれない。まるでゾンビにでも追い詰められているような気分だ。
必死に振りほどこうとするも、意外な力強さを見せる祐奈のその手は足掻けば足掻くほど、逃げられまいとより強く握られていく。このままいけば、1時間後には足首が握り潰されていてもおかしくない。
「離せこいつ……ッ! お前は怪物か!? 怪異なのか!? 障り猫なのか!? 猫耳が生えてきちゃうのか!? 僕をこうして痛めつけることでストレスを消化し、ついでにエナジーをドレインしているのか!?」
「にゃおーん。にゃにゃめにゃにゃじゅうにゃにゃにゃにゃ、にゃ……にゃ?」
噛んだ。あざとく。
見てくれがいいぶん、ちょっと可愛いのが悔しい。
「失礼、噛みました!」
「違う、わざとだ」
「噛みまみた!」
「わざとじゃない!?」
ここまでテンプレ。ひと仕事を終えた気分だ。
祐奈が某物語を知っていることは知らなかったが、僕の妹だってことを考えればそう驚くようなことでもない。同じ両親のもとから生まれ、DNAレベルで似通っている僕らの趣味嗜好が被るのはある意味必然なのかもしれない。
「ふう、疲れた」
「僕もだ。お互い、迫真の演技だったな。どうだ、一緒にハリウッドスターでも目指さないか?」
「やだよ、めんどくさい。私が本気で女優なんか目指したら3日で超売れっ子になっちゃって、『橋本環奈2世、現る!』ってネット記事が書かれるのなんて目に見えてるでしょ?」
「それはたぶん幻覚だ」
確かに僕の妹は贔屓目に見ても可愛い方だとは思うけれど、それでも3日で売れっ子になるのは100%無理だし、橋本環奈2世と呼ばれるようになるのも250%無理だ。断言しよう。
思い上がるな、と、祐奈の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。不機嫌なときや出掛ける前に僕が髪に触るとキレたりするが、今はチョコミントのおかげか機嫌がいいから怒られたりはしないはずだ。
今はむしろ喜んでいるようにさえ見える。
「さっき踏んでたときも思ったけど、お前って結構髪さらさらだよな。さらさらヘアーだよな。やっぱトリートメントとか使ってんの?」
てかトリートメントってなんなんだ? リンスインシャンプーみたいなものなのか? CMではキューティなんちゃらケアって言ってるのも聞いたことがあるけれど。あれ、キューティーハニーだったっけ?
まあ僕には縁のない言葉だろうし、わざわざ調べたりするのも面倒だ。
「えへへ、まあね~」
「おいおい祐奈ちゃん、お前なんだかやけにご機嫌じゃあないか。何かいいことでもあったのか?」
「ふっふーん、女の子ってのは、髪を褒められると結構嬉しかったりするんだよー」
「なるほど、勉強になるな……」
さっきの僕の話を聞いてなのか、それともたまたまなのかはわからないが、なかなかよさげな助言をもらった気がする。
でもたまに話をする程度の間柄の女子の髪に触れるってのは、さすがに気が引ける。相手からしても気分のいいものじゃないだろうし……。そうだ、髪型とか髪飾りとか、そのへんを褒めるっても有効なのかもしれない。よし、心のノートとは言わず、スマホのノートアプリにメモしておこう。
「髪を褒めましょう、っと……。よし、いいぜ祐奈。そういうのどんどんくれよ」
「えっと……。って、急にどしたの兄ちゃん」
「やっぱ聞いてなかったか……」
がっかりすると共に、よくぞあの話を聞かずにここまで会話を噛み合わせていたものだと少しだけ感心してしまう。ちょいちょい不自然な部分があった気はするけど。
これがゲームなら声に出してダウトと宣言していない僕の負けになることだし、最後まで確信を持つことができなかった僕が悪い、のか? ……いや、よく考えなくても僕まったく悪くないわ。
ということで、今日の4限目から昼休みについての出来事を簡潔に話した。白山との会話の内容はほとんどがどうでもいい雑談だったから、そこを省いたらかなりの少量になってしまったのだが……。普段の僕らの会話(主に僕の話)の内容のなさに気づかされた。
「ついにあの兄ちゃんにも青春が……! 私は信じてたよ! さすがは私の兄ちゃんだ! 高校に入ってからの兄ちゃんのあまりの成長ぶりに、私は涙が出そうだよ!」
ここで妹に関する豆知識、つまりは妹知識をひとつ。
さっきから僕を『兄ちゃん』などとなんとも中途半端な呼び方をしているのは、祐奈が中学2年に進級したくらいのあるとき、『お兄ちゃん呼びはなんか子供っぽくてやだな……』と呟いた次の日から、僕に対する呼び方が変わった。
祐奈のことだ。『お兄ちゃん』に取って代わる子供っぽくなくて呼びやすい呼び方を考えた結果、頭の一文字を抜いただけで子供らしさが消えることを発見し、嬉々として『兄ちゃん』呼びに変えたのだろう。大して呼びやすいわけでもなかろうに……。
「まあ所詮お試しのデートだし、言っちゃえばただクラスメイトと出掛けるだけなんだけどな。僕の場合はちゃんと目的があるからしっかりいろいろ考えて臨むつもりだけど、お前がそこまで喜ぶことでもなかろうよ」
妹がまるで自分のことのように僕の成長を喜んでくれているのはとても嬉しいことなのだが、少し過剰な気がする。
「だって……」
言葉に詰まったのか、俯いて黙り込む祐奈。
その後に続くであろう言葉を、僕はすぐに察知した。
仮にも僕の妹だ。年も2つしか離れていない祐奈はあのこともまだ覚えていて、きっと今でもどこかで気にしているんだろう。
妹にここまで気を遣わせてしまっているというのは、兄としては恥ずかしい話なのだが。しかしそれと同時に、嬉しくもあるのだった。
「大丈夫だ、祐奈」
「……兄ちゃん」
「あの時も、お前にも心配をかけるような真似をして申し訳なかったとは思ってる。でも何度も言うようだが、あれは僕のミスで、僕の問題だ。だから……」
「けど……!」
「だからさ、もしお前が僕のために何かしたいって思ってくれるんなら……」
僕は祐奈の頭に手を置き、そのまま優しく撫でた。さっきの荒っぽいのとは違う、愛と感謝を込めた優しい手つきで。
「いつもみたいに、見守っててくれ」
そして、そう締めた。
これが今の僕が兄として妹にする、たったひとつの頼みごと。それ以外もそれ以上も欲しくない。
「うん、わかった!」
にこりと笑って、そう返事をした。
それはいつも通りの、なんとも我が妹らしい悪戯っぽい笑顔だった。
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