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1巻
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王子がエラとの婚約を解消したい様子なのも、アリシアが原因の可能性が高いだろう。カーティス自身になんの感情も抱いていないエラとしてはショックを受けることでもないが、両国間の和平のための婚約を、アリシアのために受け入れてもらえないのは都合が悪い。
そんなことを考えているうちに、臣下達は話を終えて散っていく。人がいなくなった隙に、エラは急いで中庭まで廊下を駆け抜けた。
いつもより移動に時間がかかってしまったが、ルイスはまだ来ていなかった。エラは噴水の縁に腰掛けて、夜空を見上げながら彼を待つ。
まったく、嫌な話を聞いてしまった。お城での自分の評価はあんなものなのか。姿を見せない王子の婚約者――エラに不信感を持つのは仕方ないとはいえ、王子の都合で閉じこめられて臣下に悪口を言われるのは納得できない思いだった。
「ルイス、早く来ないかしら。早く顔が見たいわ」
エラが小さく呟くのとほぼ同時に、駆け足でやってくる足音が聞こえた。振り向くと、木の陰にルイスの姿が見える。
「エラ様! 遅れてすみません!」
「ルイス!」
よほど急いでいたのだろう。ルイスは息を切らしてエラのそばに駆け寄った。
「そんなに慌てなくてもいいのに」
エラはルイスの姿を見てほっとしながらも、騎士団の仕事で疲れているだろうにと心配になって言った。
「エラ様を待たせるわけにはいきませんから!」
ルイスは間髪をいれずに言う。そして、照れくさそうに付け足した。
「それに、早く会いたかったので……」
「あはは。私もよ」
エラは嬉しくなって言った。嫌な話を聞いた後だけに、普段通りのルイスが余計に眩しかった。ルイスはエラの言葉に、本当ですかと目を輝かせる。
エラも笑顔でそんな彼の様子を見ていたが、ふいに眉をひそめて言った。
「あれ、それどうしたの? その頬っぺたのところ」
辺りが薄暗いのですぐには気づかなかったが、ルイスの頬は赤く腫れていた。騎士団に所属する彼が手足に痣や怪我を作っているのは珍しいことではないが、その頬の痣は少々異様に見えた。
エラに指摘されると、ルイスは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。
「あー……、これはちょっと上官に殴られて。俺、その人にだいぶ嫌われてるんですよね」
「大丈夫なの? 痛そうね」
エラはそう言いながらルイスの頬にそっと手をやる。するとルイスの肩がびくりと揺れた。
「あっ。ごめんなさい。痛かった?」
「い、いえ! ちょっとびっくりしただけです!」
ルイスは顔を赤らめて、両手をぶんぶん振りながら言う。
「一体何をして殴られたの?」
「ええと……。メイドさん達の運んでいる荷物が重そうだったので手伝っていたら、下々の者に媚びへつらうなんてこの軟弱者が、と言われて」
「何よそれ。悪いことをしたわけでもないのにひどいわ。好き嫌いで人を殴るなんて嫌な上官ね」
ルイスの答えにエラは顔をしかめた。
「いえ、俺がうまくやればいい話なので! バート様は、俺がほかの仲間よりも甘っちょろい環境で育ってきてるから、そういうのが気に入らないんだと思います」
「ふぅん、そいつバートって言うんだ」
エラの頭に、そのバートという上官の名前が嫌な人間としてインプットされた。
「エ、エラ様、そんな怖い顔しないでください」
すっと冷めた顔をするエラに、ルイスは慌てたように言う。
「怖い顔してたかしら」
「氷のような目をしていました……。いえ、こんな話やめましょう! せっかくエラ様と会えたんだから、楽しい話をしたいです」
「そうね。バートとかいう奴のことなんて忘れましょう」
エラがうなずくと、ルイスはほっとしたように笑った。
「はい。あの、バート様の話よりも今日はエラ様に伝えたいことがあって。実は、一週間後に昇級試験があるんです」
「前に言ってたわよね。そう。そんなに迫ってきてるんだ」
「はい! 一年に一度の試験なんです。滅多に会えない騎士団長も来てくれるので、なんとかうまくやりたくて!」
キラキラとした目で語っていたルイスがエラに目をやり、恥ずかしそうに言う。
「それで、その、エラ様にも見に来ていただけたらと……」
エラは少し考えた後で尋ねた。
「……昇級試験っていつ行われるの?」
「日曜日の正午からです」
「そう……」
エラはそう言われてさらに考えこむ。ルイスが不安げにエラを見た。
「やはり難しいでしょうか」
「昼間は人目があるからね。見つかったら大変だし」
ジリアンとの会話がなければ、エラもルイスの練習の成果を見に行きたかった。しかし、彼女がエラの脱走に気づいている可能性がある以上、不用意なことはしないほうが良い。それでなくても、エラは城での評判が良くないらしいのだ。会場をうろついているところを見られたら、どう思われるか。
昼間の、おそらく観客も集まっているであろう昇級試験の会場なんて、近づかないに越したことはない。
「そうですよね。無理言ってすみません! そもそも、姫様に魔法の練習を手伝ってもらうことだって身に余る話なのに」
ルイスは黙りこんでしまったエラに慌てて言った。そして忘れてください、と頭を下げる。
しかし、ルイスの気落ちしたような顔を見ていると、エラの中に迷いが生まれた。本当なら見に行ってあげたい。ルイスが剣を使うところを見たい。細心の注意を払えば、できないことはないかもしれない。
エラは逡巡した後、口を開いた。
「いえ、やっぱり行くわ。ルイスが合格するところを見たいもの」
「!! 本当ですか? ご無理なさらなくても」
「無理してないわ。私が行きたいの」
だからいい結果を見せてね、とエラが笑うと、ルイスは笑顔でうなずいた。
「きっと合格してみせます!」
「期待してるわ」
エラは早速頭の中で計画を練り始めた。ジリアンが昼食を運んでくるのは、十二時ちょうど。その後は午後二時に掃除にやってくる。その間を見計らってこっそり抜け出せばいい。正体がばれないように、変装用の衣装も用意しておこうか。自国から持ってきた、目立たない黒のローブがあったはず……
考えているうちに、エラはなんだか楽しくなってきた。
しかし、物事はそんなにうまくはいかないものだ。
昇級試験の二日前、カーティス王子が自らエラの部屋を訪ねてきた。二ヶ月近くも同じ城で暮らしているというのに、エラとカーティスが会うのはこれで二度目だった。
「どういうことだ?」
女性の部屋に突然やってきてふてぶてしく椅子に腰掛けたカーティスが不機嫌な声で言う。
「何がでしょうか」
「とぼけるなよ。わかっているだろう。お前と王宮騎士の一人が夜に密会しているという報告が入ったんだ」
「密会とは失礼な言い方ですね。騎士の一人に魔法を教えているだけです」
エラは動揺を悟らせぬように、あくまで堂々とした態度で答えた。王子が直接来るくらいだから確証があるのだろうと考え、騎士と会っていることは否定しない。何もやましいことはない、王子に捨て置かれている時間を有効活用しているだけだ。
「とんだ淫売だな。婚約者の臣下に手を出すとは」
王子は馬鹿にしたようにエラを見る。
「下卑た言い方はよしてください。あの子には魔法を教えているだけです」
「どうだか」
「あなたこそどうなんです? 臣下達が噂しているのを聞きましたよ。なんでもアリシアとかいう恋人がいるそうじゃないですか。婚約者がいて別の恋人と会うのはよろしいのですか?」
冷たい目でエラが尋ねると、カーティスはそれを鼻で笑った。
「おい。勘違いするなよ。俺は国のために結婚させられるんだ。お前にプライベートなことまで踏みこまれる謂れはない」
「国のために結婚させられるのは私も同じですが。そちらこそ何か勘違いしていません? あなたが私に品のないことをおっしゃるので、そちらの素行はどうなのだと尋ねたまでです。あなたに恋人がいようがいまいが、私はどうでも――」
「ああ。俺だってお前の交友関係などどうでもいい。問題は、お前が俺の言いつけを破って部屋の外をうろちょろしていることだ」
王子はそう言ってぎろりとエラを睨んだ。エラは負けじと冷静な目で王子を見つめ返す。
「ここに来てもう二ヶ月になるのですよ。なのに私は部屋に閉じこめられてばかり。一日数十分の間、人と会うことすら認めてもらえないのですか?」
「そのうちシルフィスに帰してやるさ。その後はどこを歩こうが誰と密会しようが自由にすればいい。とにかく、今は城内をうろつかれちゃ困るんだ。お前との婚約は極力知られないまま終わらせたい。アリシアと結婚する時に問題の種になるからな」
王子は不機嫌な声で言う。
「以前も言いましたが、私達の結婚はシルフィスとレミアの平和を維持するためのものなのですよ。本当だったら一刻も早く婚約を公にして、両国間の関係改善を図るべきなのに。いい加減、個人の事情はあきらめてくださいませんか」
「お前には俺の気持ちはわからないだろうな。お前のような堅物女、人を愛したことも愛されたこともないだろう。いいか。黙って言うことを聞け。そのうち自由にしてやる」
王子はそう言うと、有無を言わせず立ちあがった。
相変わらず人の話を聞く気のない男だなとエラは呆れる。早く出ていってくれないかとその背中を見ていると、王子は扉のところで立ち止まり、エラを振り返った。
「今日から部屋の前に警備をつけることにした」
「え?」
「言っても聞かないようだからな。お前が勝手な真似をしないように見張りをつける」
「ちょっと待ってください、そんなやり方――」
エラの言葉が終わる前に、カーティスは行ってしまった。エラは呆然と扉を眺める。
カーティスは、エラの部屋を訪れた時から見張りを連れてきていたらしい。扉の前には本当に二人の見張りがつけられていた。
エラが扉から顔を出すと、無表情で視線を向けられる。目が合うと「お部屋でお過ごしください」と、静かな威圧感のある声で言われた。エラはため息をついて部屋に戻る。これでは抜け出すのは無理だ。
夜九時。エラは落ち着かない気持ちで窓の外を眺めた。エラの部屋からではルイスといつも会う中庭は見えないが、それでも外を見ずにはいられなかった。ルイスはいつものように中庭で、来ることのない自分を待っているだろうかと思うと、胸が痛む。
翌日、エラはなんとか見張りの目をかいくぐれないかと考えてみた。部屋の扉は一つ。見張りは屈強な男性二人。魔法を使うことも考えたが、エラには人を眠らせたり催眠をかけたりといったタイプの魔法は使えない。
扉のほかに唯一外界と通じている窓に目を向ける。しかしここは三階だ。怪我せず降りるのは無理だし、空を飛ぶ魔法も使えない。
やはりだめなのか、とエラはため息をついた。明日はルイスの昇級試験だ。見に行くと約束したのに、このままでは果たせそうにない。それどころか、もう中庭で会うこともできないかもしれない。
エラはぎゅっと唇を噛んだ。ルイスにもう会えないかもしれないと思うと、胸がズキズキ痛んでたまらなかった。
第四章 昇級試験
ルイスに会えないまま昇級試験当日を迎えた。扉の外は何やら騒がしい。エラは落ち着かない気持ちで時を過ごした。
外に出る方法もわからないのに、エラはシルフィス王国から持ってきた目立たない茶色のワンピースに身を包み、フード付きの黒いローブを着て、会場に忍びこむ準備をしていた。諦めきれないのだ。
(せめて私に遠隔魔法が使えたら)
エラはため息を吐いた。
魔力が強く器用な者の中には、魔法を使って遠くの景色を目の前に映し出したり、離れた場所の声を聞きとったりできる者もいる。「遠隔魔法」と呼ばれるタイプの魔法だ。シルフィスの王宮にも遠隔魔法を得意とする臣下がいて、エラはよく異国の景色を見せてもらったものだ。
この城にも同じような力を持つ者はいるかもしれないが、たとえいたとしても頼めないのでは意味がない。
エラはうなだれて思いを巡らせた。ルイスは今何を考えているのだろう。
試験を目前に緊張しているだろうか。自分が中庭に行かなかったことを気にしていないといいが。心を落ち着けるために本を手に取ったが、内容はまったく頭に入ってこなかった。
エラは早々に本を置いて窓辺に立つ。会場の様子は見えない。しかし、いつもより外を歩く人が多いように見えた。会場へ応援に行くのかもしれない。
城で働く者は皆支給された制服を着ているが、窓から見下ろせる道を歩く人はさまざまな服を着ていた。私服姿の城の者なのか、外からの観客かはわからないが、どちらにせよ今日のこの様子であれば、城の制服以外の恰好で外を歩いていてもそれほど目立たないだろう。
問題は、外に出られないことだけだ。
エラはじっと窓の外を見つめる。抜け出せる場所があるとしたら、ここだけだ。しかし三階の窓から抜け出すなんてできるのか。エラは懐からペン型の杖を取り出して、じっと眺める。
(水魔法のバリアでクッションを作って飛び降りるとか?)
エラははっとして窓から顔を出した。エラの水のバリアは、ルイスの焼けつくすような炎を抑え込めるほどの強度を持っている。クッションとしても十分使えそうだが……顔を出して着地点までの高さを確認すると身震いがした。この高さを飛ぶのはクッションがあってもさすがに危険だ。
それなら、風の魔法で落下速度を落とすのはどうだろう。跳躍するほどの力は出せないが、小刻みに風魔法を出しながらゆっくり下に落ちていくことはできるはずだ。
エラは地上を眺め、息を呑む。高い場所から魔法を使って飛び降りるなんて試したことがない。うまくいくのだろうか。
しかし、エラは昇級試験の様子がどうしても気になった。ルイスとの約束を守りたい。大体、王子の都合で閉じこめられ見張りまでつけられて監視されているのに、こんな状況に黙って従い続けるのは癪だ。
エラは覚悟を決めて、杖を握り直した。
時計を見ると、昼の十二時を少し過ぎたところだった。もう試験は始まっている。もうみんな会場についたのか、さっきまで歩いていた人達の姿は見えない。
エラは周囲に誰もいないのを確認すると、窓枠に足をかけた。
「ルーアス リア リルクアクア」
窓の外、すぐそばに水魔法のバリアを出す。エラはおそるおそるそこに足をかけた。両足を乗せるとエラの重みで水が大きくへこむ。エラはひやりとして魔力を込め直した。
(私が地上に降りるまで消えないで……!)
祈りながら、エラは自身に風魔法を纏わせる。風の力で下に落ちる速度が遅くなる。風魔法を使いながら、エラはゆっくり水のバリアを下に動かした。集中が途切れないようにゆっくりと動かし続け、ようやく地上にたどり着く。
「よ、良かった……! うまくいったわ!」
エラは地面に足をつくと、崩れるようにしゃがみこんだ。こんな風に本来の使い方を超えて魔法を使ったのは初めてだ。しかも失敗したら命に関わる。自分はこんなに大胆だったのかと驚いたものの、辺りを用心深く見回すと、エラは立ち上がった。
(ルイスの試験、まだ始まっていないかしら)
エラは茂みに隠れながら、早足で会場を目指した。
会場はすぐに見つかった。城の裏手に飾り立てられたスペースがあり、そこにたくさんの人が詰め寄せている。皆騎士達の応援に夢中で、エラに注意を向ける者はいない。エラはこっそり人混みに混じった。
「ジェフリー! がんばれー!」
「ロッドー! お手柔らかになー! 新人だぞー!!」
人々の声援が飛び交っている。エラは予想以上に賑やかな様子に驚いていた。昇級試験とはもっと厳粛な雰囲気で淡々と行われるものだと思っていたが、これではまるでお祭りだ。
エラは会場の真ん中に目を向けた。観客席だけでなく、舞台まで随分派手に装飾されている。舞台を囲うように立つ四つの柱の上には、それぞれドラゴンや不死鳥などの魔獣の石像が載っていた。その下では、一目で軍人とわかる鍛え抜かれた肉体の男性と、まだ若そうな細身の男性が戦っている。昇級試験というのは試合形式なのだろうか。
右隣で大きな声援をかけていた男がふいに大きく手を振りあげ、それがエラの肩に当たった。思わずバランスを崩したエラは、左隣にいた女の子によろけてぶつかってしまう。
「あ、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫よ。すごい人だもんね」
女の子は感じのいい笑みを浮かべて言う。年の頃はエラと同じくらいに見えた。
エラはほっとして舞台に視線を戻す。ルイスの姿はない。彼の試験はまだ始まっていないのだろうか。
「あなた、外から来たの?」
さっきの女の子が話しかけてきた。エラは少し慌てながらもうなずく。
「え、ええ。試験が見たくて」
「やっぱり! そのローブ、この辺りではあまり見ないデザインだったから。もしかして他国から来たんじゃない? そうだな、その感じはノーファかシルフィス?」
言い当てられてエラは狼狽した。もしもの時は顔を隠せるからと思ってローブを着てきたが、失敗だったかもしれない。エラは動揺を隠して女の子に笑顔を向ける。
「ええ、そうなの。ノーファから来たの」
「ノーファの子なのね! あの魔法の超大国の。魔法道具も魔術書も、なんでも揃っているんでしょ? 私も行ってみたいわ。私はここのメイドなんだけど、城に来てからほかの国はおろか街にもなかなか出られないの。いいなぁ、ノーファ」
女の子はうっとりした顔で言う。レミアではシルフィスの評判が良くないので嘘をついたが、彼女の素直な反応を見ていると、申し訳ないような気分になった。
「私、ティナって言うの! あなたは?」
「え、ええと……私はエリー」
「よろしくね、エリー!」
エラはまた嘘をついてしまったことを申し訳なく思いながら、差し出されたティナの手を取って握手した。
「すごい観客なのね。お祭りみたい」
「エリーは見に来るの初めて? 他国の子ですものね。騎士団の昇級試験は一大イベントなのよ」
ティナはそう言うと、騎士団について話し始めた。
レミア王国には、約三百人の人間が所属する王宮騎士団がある。騎士団は、お城のメイド達や街の人々の憧れの存在らしい。そんな騎士団では年に一度、下級の騎士を対象にした昇級試験が行われる。試験内容は、上官の一人を相手に、その上官が腕につけた試験用の石を割ったら合格というものだ。
合格して階級が上がれば遠征の機会も増え、さらなる出世のチャンスを得られる。騎士達はこの昇級試験に強い覚悟で臨んでおり、観客も熱を入れて応援しているのだそうだ。
「知らなかったわ」
「珍しいわね。庶民の間では騎士団の方達は噂の的なのに。ノーファには騎士団はないのかしら」
「私は、あまり縁がなくて」
エラは曖昧な言葉でごまかした。ノーファにもエラの祖国シルフィスにも同じような組織はあるが、それが国民にどう思われているかまでは知らない。エラはシルフィスの騎士団も案外噂の的になっていたりするのかしら、と考えた。
「決着がついたみたいね。無事合格!」
ティナはそう言って拍手をする。前方では上官と、頭をかいて照れくさそうにしている新人らしき騎士が握手をしていた。
司会者が次の試合に移ると告げて、団員の中から舞台に上がってきたのはルイスだった。エラは思わず前のめりになる。隣にいたティナが声を上げた。
「あら。ルイス様だわ!」
「ティナ、知ってるの?」
「もちろん! メイドの間にもファンが多いのよ。可愛いし、かっこいいし、下の身分の者にも分け隔てなく接してくれるしで。素敵よね!」
「そうなのね」
エラは舞台上のルイスを見た。エラは中庭で会う時のルイスしか知らない。ほかの人の口からルイスの名前が出るのを、どこか不思議な気持ちで聞いていた。
上官と向き合うルイスの表情は、少し強張っているように見える。エラは小さな声で「がんばれ」と呟いた。
試験が始まった。
開始の合図とともに、ルイスが剣に炎を纏わせる。魔法道具はうまく使えたようだ。上官はどっしり構えてその様子を見ている。剣を抜く素振りも見せない。
ルイスが足を踏み出した。そして上官の腕の青い石に切っ先を向ける。あの石を壊せば合格だ。
上官はひらりと剣先をかわして、ルイスの後ろまで飛んだ。そうしてルイスの背中を思いきり蹴りあげる。
「あ!」
エラは思わず声を上げた。蹴られたルイスはよろめきながらも立ち上がり、再び剣に炎を纏わせて上官に向かっていく。しかし再び簡単にかわされ、今度は首元を掴まれて思いきり顔を殴られる。試験とはいえ、痛々しい光景にエラは目を逸らしたくなった。
「ちょっとこれ、まずいかも……」
「え? どういうこと?」
隣で同じように試合を見物しているティナが深刻そうな声で言うので、エラは聞き返す。
「今ルイス様の試験を担当しているのは、バート・ドラモンドって言って、城内でも性格が悪いって有名な騎士なのよね。実力はあるみたいなんだけど、怒鳴りつけるのは身分が下の者ばかりだし、機嫌が悪い時は女でも容赦なく殴るしで、みんな内心嫌ってるわ」
エラはティナの言葉に目を見開く。バート・ドラモンド。確か以前、ルイスが頬を赤く腫らしていた時、バートという上官に殴られたと言っていた。その男が試験官なのだろうか。
「そんな人がルイスの……、ルイス様の試験担当なのね」
そんなことを考えているうちに、臣下達は話を終えて散っていく。人がいなくなった隙に、エラは急いで中庭まで廊下を駆け抜けた。
いつもより移動に時間がかかってしまったが、ルイスはまだ来ていなかった。エラは噴水の縁に腰掛けて、夜空を見上げながら彼を待つ。
まったく、嫌な話を聞いてしまった。お城での自分の評価はあんなものなのか。姿を見せない王子の婚約者――エラに不信感を持つのは仕方ないとはいえ、王子の都合で閉じこめられて臣下に悪口を言われるのは納得できない思いだった。
「ルイス、早く来ないかしら。早く顔が見たいわ」
エラが小さく呟くのとほぼ同時に、駆け足でやってくる足音が聞こえた。振り向くと、木の陰にルイスの姿が見える。
「エラ様! 遅れてすみません!」
「ルイス!」
よほど急いでいたのだろう。ルイスは息を切らしてエラのそばに駆け寄った。
「そんなに慌てなくてもいいのに」
エラはルイスの姿を見てほっとしながらも、騎士団の仕事で疲れているだろうにと心配になって言った。
「エラ様を待たせるわけにはいきませんから!」
ルイスは間髪をいれずに言う。そして、照れくさそうに付け足した。
「それに、早く会いたかったので……」
「あはは。私もよ」
エラは嬉しくなって言った。嫌な話を聞いた後だけに、普段通りのルイスが余計に眩しかった。ルイスはエラの言葉に、本当ですかと目を輝かせる。
エラも笑顔でそんな彼の様子を見ていたが、ふいに眉をひそめて言った。
「あれ、それどうしたの? その頬っぺたのところ」
辺りが薄暗いのですぐには気づかなかったが、ルイスの頬は赤く腫れていた。騎士団に所属する彼が手足に痣や怪我を作っているのは珍しいことではないが、その頬の痣は少々異様に見えた。
エラに指摘されると、ルイスは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。
「あー……、これはちょっと上官に殴られて。俺、その人にだいぶ嫌われてるんですよね」
「大丈夫なの? 痛そうね」
エラはそう言いながらルイスの頬にそっと手をやる。するとルイスの肩がびくりと揺れた。
「あっ。ごめんなさい。痛かった?」
「い、いえ! ちょっとびっくりしただけです!」
ルイスは顔を赤らめて、両手をぶんぶん振りながら言う。
「一体何をして殴られたの?」
「ええと……。メイドさん達の運んでいる荷物が重そうだったので手伝っていたら、下々の者に媚びへつらうなんてこの軟弱者が、と言われて」
「何よそれ。悪いことをしたわけでもないのにひどいわ。好き嫌いで人を殴るなんて嫌な上官ね」
ルイスの答えにエラは顔をしかめた。
「いえ、俺がうまくやればいい話なので! バート様は、俺がほかの仲間よりも甘っちょろい環境で育ってきてるから、そういうのが気に入らないんだと思います」
「ふぅん、そいつバートって言うんだ」
エラの頭に、そのバートという上官の名前が嫌な人間としてインプットされた。
「エ、エラ様、そんな怖い顔しないでください」
すっと冷めた顔をするエラに、ルイスは慌てたように言う。
「怖い顔してたかしら」
「氷のような目をしていました……。いえ、こんな話やめましょう! せっかくエラ様と会えたんだから、楽しい話をしたいです」
「そうね。バートとかいう奴のことなんて忘れましょう」
エラがうなずくと、ルイスはほっとしたように笑った。
「はい。あの、バート様の話よりも今日はエラ様に伝えたいことがあって。実は、一週間後に昇級試験があるんです」
「前に言ってたわよね。そう。そんなに迫ってきてるんだ」
「はい! 一年に一度の試験なんです。滅多に会えない騎士団長も来てくれるので、なんとかうまくやりたくて!」
キラキラとした目で語っていたルイスがエラに目をやり、恥ずかしそうに言う。
「それで、その、エラ様にも見に来ていただけたらと……」
エラは少し考えた後で尋ねた。
「……昇級試験っていつ行われるの?」
「日曜日の正午からです」
「そう……」
エラはそう言われてさらに考えこむ。ルイスが不安げにエラを見た。
「やはり難しいでしょうか」
「昼間は人目があるからね。見つかったら大変だし」
ジリアンとの会話がなければ、エラもルイスの練習の成果を見に行きたかった。しかし、彼女がエラの脱走に気づいている可能性がある以上、不用意なことはしないほうが良い。それでなくても、エラは城での評判が良くないらしいのだ。会場をうろついているところを見られたら、どう思われるか。
昼間の、おそらく観客も集まっているであろう昇級試験の会場なんて、近づかないに越したことはない。
「そうですよね。無理言ってすみません! そもそも、姫様に魔法の練習を手伝ってもらうことだって身に余る話なのに」
ルイスは黙りこんでしまったエラに慌てて言った。そして忘れてください、と頭を下げる。
しかし、ルイスの気落ちしたような顔を見ていると、エラの中に迷いが生まれた。本当なら見に行ってあげたい。ルイスが剣を使うところを見たい。細心の注意を払えば、できないことはないかもしれない。
エラは逡巡した後、口を開いた。
「いえ、やっぱり行くわ。ルイスが合格するところを見たいもの」
「!! 本当ですか? ご無理なさらなくても」
「無理してないわ。私が行きたいの」
だからいい結果を見せてね、とエラが笑うと、ルイスは笑顔でうなずいた。
「きっと合格してみせます!」
「期待してるわ」
エラは早速頭の中で計画を練り始めた。ジリアンが昼食を運んでくるのは、十二時ちょうど。その後は午後二時に掃除にやってくる。その間を見計らってこっそり抜け出せばいい。正体がばれないように、変装用の衣装も用意しておこうか。自国から持ってきた、目立たない黒のローブがあったはず……
考えているうちに、エラはなんだか楽しくなってきた。
しかし、物事はそんなにうまくはいかないものだ。
昇級試験の二日前、カーティス王子が自らエラの部屋を訪ねてきた。二ヶ月近くも同じ城で暮らしているというのに、エラとカーティスが会うのはこれで二度目だった。
「どういうことだ?」
女性の部屋に突然やってきてふてぶてしく椅子に腰掛けたカーティスが不機嫌な声で言う。
「何がでしょうか」
「とぼけるなよ。わかっているだろう。お前と王宮騎士の一人が夜に密会しているという報告が入ったんだ」
「密会とは失礼な言い方ですね。騎士の一人に魔法を教えているだけです」
エラは動揺を悟らせぬように、あくまで堂々とした態度で答えた。王子が直接来るくらいだから確証があるのだろうと考え、騎士と会っていることは否定しない。何もやましいことはない、王子に捨て置かれている時間を有効活用しているだけだ。
「とんだ淫売だな。婚約者の臣下に手を出すとは」
王子は馬鹿にしたようにエラを見る。
「下卑た言い方はよしてください。あの子には魔法を教えているだけです」
「どうだか」
「あなたこそどうなんです? 臣下達が噂しているのを聞きましたよ。なんでもアリシアとかいう恋人がいるそうじゃないですか。婚約者がいて別の恋人と会うのはよろしいのですか?」
冷たい目でエラが尋ねると、カーティスはそれを鼻で笑った。
「おい。勘違いするなよ。俺は国のために結婚させられるんだ。お前にプライベートなことまで踏みこまれる謂れはない」
「国のために結婚させられるのは私も同じですが。そちらこそ何か勘違いしていません? あなたが私に品のないことをおっしゃるので、そちらの素行はどうなのだと尋ねたまでです。あなたに恋人がいようがいまいが、私はどうでも――」
「ああ。俺だってお前の交友関係などどうでもいい。問題は、お前が俺の言いつけを破って部屋の外をうろちょろしていることだ」
王子はそう言ってぎろりとエラを睨んだ。エラは負けじと冷静な目で王子を見つめ返す。
「ここに来てもう二ヶ月になるのですよ。なのに私は部屋に閉じこめられてばかり。一日数十分の間、人と会うことすら認めてもらえないのですか?」
「そのうちシルフィスに帰してやるさ。その後はどこを歩こうが誰と密会しようが自由にすればいい。とにかく、今は城内をうろつかれちゃ困るんだ。お前との婚約は極力知られないまま終わらせたい。アリシアと結婚する時に問題の種になるからな」
王子は不機嫌な声で言う。
「以前も言いましたが、私達の結婚はシルフィスとレミアの平和を維持するためのものなのですよ。本当だったら一刻も早く婚約を公にして、両国間の関係改善を図るべきなのに。いい加減、個人の事情はあきらめてくださいませんか」
「お前には俺の気持ちはわからないだろうな。お前のような堅物女、人を愛したことも愛されたこともないだろう。いいか。黙って言うことを聞け。そのうち自由にしてやる」
王子はそう言うと、有無を言わせず立ちあがった。
相変わらず人の話を聞く気のない男だなとエラは呆れる。早く出ていってくれないかとその背中を見ていると、王子は扉のところで立ち止まり、エラを振り返った。
「今日から部屋の前に警備をつけることにした」
「え?」
「言っても聞かないようだからな。お前が勝手な真似をしないように見張りをつける」
「ちょっと待ってください、そんなやり方――」
エラの言葉が終わる前に、カーティスは行ってしまった。エラは呆然と扉を眺める。
カーティスは、エラの部屋を訪れた時から見張りを連れてきていたらしい。扉の前には本当に二人の見張りがつけられていた。
エラが扉から顔を出すと、無表情で視線を向けられる。目が合うと「お部屋でお過ごしください」と、静かな威圧感のある声で言われた。エラはため息をついて部屋に戻る。これでは抜け出すのは無理だ。
夜九時。エラは落ち着かない気持ちで窓の外を眺めた。エラの部屋からではルイスといつも会う中庭は見えないが、それでも外を見ずにはいられなかった。ルイスはいつものように中庭で、来ることのない自分を待っているだろうかと思うと、胸が痛む。
翌日、エラはなんとか見張りの目をかいくぐれないかと考えてみた。部屋の扉は一つ。見張りは屈強な男性二人。魔法を使うことも考えたが、エラには人を眠らせたり催眠をかけたりといったタイプの魔法は使えない。
扉のほかに唯一外界と通じている窓に目を向ける。しかしここは三階だ。怪我せず降りるのは無理だし、空を飛ぶ魔法も使えない。
やはりだめなのか、とエラはため息をついた。明日はルイスの昇級試験だ。見に行くと約束したのに、このままでは果たせそうにない。それどころか、もう中庭で会うこともできないかもしれない。
エラはぎゅっと唇を噛んだ。ルイスにもう会えないかもしれないと思うと、胸がズキズキ痛んでたまらなかった。
第四章 昇級試験
ルイスに会えないまま昇級試験当日を迎えた。扉の外は何やら騒がしい。エラは落ち着かない気持ちで時を過ごした。
外に出る方法もわからないのに、エラはシルフィス王国から持ってきた目立たない茶色のワンピースに身を包み、フード付きの黒いローブを着て、会場に忍びこむ準備をしていた。諦めきれないのだ。
(せめて私に遠隔魔法が使えたら)
エラはため息を吐いた。
魔力が強く器用な者の中には、魔法を使って遠くの景色を目の前に映し出したり、離れた場所の声を聞きとったりできる者もいる。「遠隔魔法」と呼ばれるタイプの魔法だ。シルフィスの王宮にも遠隔魔法を得意とする臣下がいて、エラはよく異国の景色を見せてもらったものだ。
この城にも同じような力を持つ者はいるかもしれないが、たとえいたとしても頼めないのでは意味がない。
エラはうなだれて思いを巡らせた。ルイスは今何を考えているのだろう。
試験を目前に緊張しているだろうか。自分が中庭に行かなかったことを気にしていないといいが。心を落ち着けるために本を手に取ったが、内容はまったく頭に入ってこなかった。
エラは早々に本を置いて窓辺に立つ。会場の様子は見えない。しかし、いつもより外を歩く人が多いように見えた。会場へ応援に行くのかもしれない。
城で働く者は皆支給された制服を着ているが、窓から見下ろせる道を歩く人はさまざまな服を着ていた。私服姿の城の者なのか、外からの観客かはわからないが、どちらにせよ今日のこの様子であれば、城の制服以外の恰好で外を歩いていてもそれほど目立たないだろう。
問題は、外に出られないことだけだ。
エラはじっと窓の外を見つめる。抜け出せる場所があるとしたら、ここだけだ。しかし三階の窓から抜け出すなんてできるのか。エラは懐からペン型の杖を取り出して、じっと眺める。
(水魔法のバリアでクッションを作って飛び降りるとか?)
エラははっとして窓から顔を出した。エラの水のバリアは、ルイスの焼けつくすような炎を抑え込めるほどの強度を持っている。クッションとしても十分使えそうだが……顔を出して着地点までの高さを確認すると身震いがした。この高さを飛ぶのはクッションがあってもさすがに危険だ。
それなら、風の魔法で落下速度を落とすのはどうだろう。跳躍するほどの力は出せないが、小刻みに風魔法を出しながらゆっくり下に落ちていくことはできるはずだ。
エラは地上を眺め、息を呑む。高い場所から魔法を使って飛び降りるなんて試したことがない。うまくいくのだろうか。
しかし、エラは昇級試験の様子がどうしても気になった。ルイスとの約束を守りたい。大体、王子の都合で閉じこめられ見張りまでつけられて監視されているのに、こんな状況に黙って従い続けるのは癪だ。
エラは覚悟を決めて、杖を握り直した。
時計を見ると、昼の十二時を少し過ぎたところだった。もう試験は始まっている。もうみんな会場についたのか、さっきまで歩いていた人達の姿は見えない。
エラは周囲に誰もいないのを確認すると、窓枠に足をかけた。
「ルーアス リア リルクアクア」
窓の外、すぐそばに水魔法のバリアを出す。エラはおそるおそるそこに足をかけた。両足を乗せるとエラの重みで水が大きくへこむ。エラはひやりとして魔力を込め直した。
(私が地上に降りるまで消えないで……!)
祈りながら、エラは自身に風魔法を纏わせる。風の力で下に落ちる速度が遅くなる。風魔法を使いながら、エラはゆっくり水のバリアを下に動かした。集中が途切れないようにゆっくりと動かし続け、ようやく地上にたどり着く。
「よ、良かった……! うまくいったわ!」
エラは地面に足をつくと、崩れるようにしゃがみこんだ。こんな風に本来の使い方を超えて魔法を使ったのは初めてだ。しかも失敗したら命に関わる。自分はこんなに大胆だったのかと驚いたものの、辺りを用心深く見回すと、エラは立ち上がった。
(ルイスの試験、まだ始まっていないかしら)
エラは茂みに隠れながら、早足で会場を目指した。
会場はすぐに見つかった。城の裏手に飾り立てられたスペースがあり、そこにたくさんの人が詰め寄せている。皆騎士達の応援に夢中で、エラに注意を向ける者はいない。エラはこっそり人混みに混じった。
「ジェフリー! がんばれー!」
「ロッドー! お手柔らかになー! 新人だぞー!!」
人々の声援が飛び交っている。エラは予想以上に賑やかな様子に驚いていた。昇級試験とはもっと厳粛な雰囲気で淡々と行われるものだと思っていたが、これではまるでお祭りだ。
エラは会場の真ん中に目を向けた。観客席だけでなく、舞台まで随分派手に装飾されている。舞台を囲うように立つ四つの柱の上には、それぞれドラゴンや不死鳥などの魔獣の石像が載っていた。その下では、一目で軍人とわかる鍛え抜かれた肉体の男性と、まだ若そうな細身の男性が戦っている。昇級試験というのは試合形式なのだろうか。
右隣で大きな声援をかけていた男がふいに大きく手を振りあげ、それがエラの肩に当たった。思わずバランスを崩したエラは、左隣にいた女の子によろけてぶつかってしまう。
「あ、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫よ。すごい人だもんね」
女の子は感じのいい笑みを浮かべて言う。年の頃はエラと同じくらいに見えた。
エラはほっとして舞台に視線を戻す。ルイスの姿はない。彼の試験はまだ始まっていないのだろうか。
「あなた、外から来たの?」
さっきの女の子が話しかけてきた。エラは少し慌てながらもうなずく。
「え、ええ。試験が見たくて」
「やっぱり! そのローブ、この辺りではあまり見ないデザインだったから。もしかして他国から来たんじゃない? そうだな、その感じはノーファかシルフィス?」
言い当てられてエラは狼狽した。もしもの時は顔を隠せるからと思ってローブを着てきたが、失敗だったかもしれない。エラは動揺を隠して女の子に笑顔を向ける。
「ええ、そうなの。ノーファから来たの」
「ノーファの子なのね! あの魔法の超大国の。魔法道具も魔術書も、なんでも揃っているんでしょ? 私も行ってみたいわ。私はここのメイドなんだけど、城に来てからほかの国はおろか街にもなかなか出られないの。いいなぁ、ノーファ」
女の子はうっとりした顔で言う。レミアではシルフィスの評判が良くないので嘘をついたが、彼女の素直な反応を見ていると、申し訳ないような気分になった。
「私、ティナって言うの! あなたは?」
「え、ええと……私はエリー」
「よろしくね、エリー!」
エラはまた嘘をついてしまったことを申し訳なく思いながら、差し出されたティナの手を取って握手した。
「すごい観客なのね。お祭りみたい」
「エリーは見に来るの初めて? 他国の子ですものね。騎士団の昇級試験は一大イベントなのよ」
ティナはそう言うと、騎士団について話し始めた。
レミア王国には、約三百人の人間が所属する王宮騎士団がある。騎士団は、お城のメイド達や街の人々の憧れの存在らしい。そんな騎士団では年に一度、下級の騎士を対象にした昇級試験が行われる。試験内容は、上官の一人を相手に、その上官が腕につけた試験用の石を割ったら合格というものだ。
合格して階級が上がれば遠征の機会も増え、さらなる出世のチャンスを得られる。騎士達はこの昇級試験に強い覚悟で臨んでおり、観客も熱を入れて応援しているのだそうだ。
「知らなかったわ」
「珍しいわね。庶民の間では騎士団の方達は噂の的なのに。ノーファには騎士団はないのかしら」
「私は、あまり縁がなくて」
エラは曖昧な言葉でごまかした。ノーファにもエラの祖国シルフィスにも同じような組織はあるが、それが国民にどう思われているかまでは知らない。エラはシルフィスの騎士団も案外噂の的になっていたりするのかしら、と考えた。
「決着がついたみたいね。無事合格!」
ティナはそう言って拍手をする。前方では上官と、頭をかいて照れくさそうにしている新人らしき騎士が握手をしていた。
司会者が次の試合に移ると告げて、団員の中から舞台に上がってきたのはルイスだった。エラは思わず前のめりになる。隣にいたティナが声を上げた。
「あら。ルイス様だわ!」
「ティナ、知ってるの?」
「もちろん! メイドの間にもファンが多いのよ。可愛いし、かっこいいし、下の身分の者にも分け隔てなく接してくれるしで。素敵よね!」
「そうなのね」
エラは舞台上のルイスを見た。エラは中庭で会う時のルイスしか知らない。ほかの人の口からルイスの名前が出るのを、どこか不思議な気持ちで聞いていた。
上官と向き合うルイスの表情は、少し強張っているように見える。エラは小さな声で「がんばれ」と呟いた。
試験が始まった。
開始の合図とともに、ルイスが剣に炎を纏わせる。魔法道具はうまく使えたようだ。上官はどっしり構えてその様子を見ている。剣を抜く素振りも見せない。
ルイスが足を踏み出した。そして上官の腕の青い石に切っ先を向ける。あの石を壊せば合格だ。
上官はひらりと剣先をかわして、ルイスの後ろまで飛んだ。そうしてルイスの背中を思いきり蹴りあげる。
「あ!」
エラは思わず声を上げた。蹴られたルイスはよろめきながらも立ち上がり、再び剣に炎を纏わせて上官に向かっていく。しかし再び簡単にかわされ、今度は首元を掴まれて思いきり顔を殴られる。試験とはいえ、痛々しい光景にエラは目を逸らしたくなった。
「ちょっとこれ、まずいかも……」
「え? どういうこと?」
隣で同じように試合を見物しているティナが深刻そうな声で言うので、エラは聞き返す。
「今ルイス様の試験を担当しているのは、バート・ドラモンドって言って、城内でも性格が悪いって有名な騎士なのよね。実力はあるみたいなんだけど、怒鳴りつけるのは身分が下の者ばかりだし、機嫌が悪い時は女でも容赦なく殴るしで、みんな内心嫌ってるわ」
エラはティナの言葉に目を見開く。バート・ドラモンド。確か以前、ルイスが頬を赤く腫らしていた時、バートという上官に殴られたと言っていた。その男が試験官なのだろうか。
「そんな人がルイスの……、ルイス様の試験担当なのね」
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