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12話 潜入

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 ヴェノリュシオンたちが研究所に突入する少し前、駐屯地では川窪は、最近増えた部隊と共に基礎訓練をしていた。
 彼らは、つい数日前に突然現れ、トップのいない駐屯地を、その日の内に収めた。

 書類上は、ヴェノリュシオン所持権の移行および引き渡しだが、その本人たちが別任務を任され不在の状況では、彼らもヴェノリュシオンたちの任務終了を待つ他ないのだろう。
 
「伍長は、その変異種と対峙したことはあるのか?」
「あぁ」
「どうだった? 資料は受けているが、実物と報告が噛み合わないなんてことはよくある事だろ」

 変異種は、同一個体であっても、時間経過で変化をする場合もあれば、そもそも報告が間違っていることもある。
 それは、川窪もよく理解している。

 だが、ヴェノリュシオンたちに関しては、彼らとは異なった意味でだ。

「人間だからな。会話はできる。大人しく座っていろと言えば座っているし、氷砂糖入りの乾パンをそのままやっても喜ぶから、褒美扱いにできる」
「なるほど。思考はその程度か。身体能力は?」
「一律に高い。子供の体だが、純粋な力勝負になれば、P03以外には勝てないと思った方がいい」

 川窪が、素直にヴェノリュシオンたちの身体能力の高さについて説明すれば、彼らは感心したように話を聞いているようだ。

「正直、正面から戦うのは、利口な手段とは思えないな」

 索敵の耳と目、追跡の鼻、壁や扉を叩き壊す怪力に、それらを統括して処理することのできる脳。
 戦略が取れるわけではないが、野生動物以上の連携は取れる、人間を越えた能力を持つヴェノリュシオンたち。

「さっきも言ったが、無理に力で従わせるより、乾パンをやって従わせた方がいい」

 それが、この短い期間で川窪が、ヴェノリュシオンたちに出した結論だった。

「なら、与える水や食料に、毒でも仕込むか。なに。上はデータを取りたいだけだ。万全にしておく必要はない」
「こちらが聞いていたのは、身体能力についてのデータも含まれていたが、研究項目も変わったのか?」
「全く新しい変異種のデータが真実かなんて、誰もわからないだろう。だいたい、万全かどうかなんて、こっちの安全に比べたら些細な問題だ」

 部下の安全を考えた上で、変異種として対応する。
 もし、自分も、同じ立場なら、彼と同じことを考えただろう。故に、信用ができる。

 聞こえてきた車の音に、目をやれば、外に出ていた中尉が戻ってきたらしい。

「今の話、中尉には言わないでくれよ。プライドが高くて面倒なんだ」
「だろうな。冗談でも、ヴェノリュシオンと仲良くなどと言ったら、アウトサイド送りになりかねない」
「全くもってその通り」

 呆れたように肩をすくめる彼に、川窪も小さく表情を緩めた。

 現在、駐屯地を収めている立涌は、ヴェノリュシオンたちの情報を、故意に操作した可能性があるとして、最初は研究部隊のトップである橋口を、別の場所へこう留した。
 今回の急な行動もそうだが、以前の変異種の時に、立涌が駐屯地内部で爆発事件を起こしたこともあり、隊員たちからは不信感を持たれていた。
 だが、中尉という立場と命令の前では、下の階級の隊員たちは意見をすることもできなかった。

「川窪伍長。牧野軍曹はまだ戻らないのか?」
「は。まだ壁の修繕中であるとのことです」

 無線による定期連絡は、他の隊員たちも聞いているため、川窪の言葉を証明はできる。
 だが、立涌はじっと川窪の様子を伺うと、表情が変わらない川窪に、追い出すように、警備へ戻るように命じた。

「じゃあ、先生。また明日来ます」
「3日後で結構です」

 処置室前で、おそらく中にいるであろう橋口に声をかけている若い一等陸士。

 一等陸士は、扉を閉めた後、立涌に気が付くと、慌てたように表情を引き締め、背筋を伸ばした。

「随分と仲が良いみたいだな」
「あ、その……」

 この駐屯地に潜むヴェノリュシオン擁護派の隊員を炙り出し、排除する。
 それが、立涌に課せられた任務だ。

 そして、それは久留米に近い立場であり、高位の階級が中心となっていると予想していた。
 医療部隊のトップである、杉原も疑いが掛かっているひとりだ。

 それと密接に関わっている隊員。疑うには十分と言えるだろう。

「仲が良く見えましたか?」
「あぁ。見えたとも」

 気まずそうに口元を抑え、視線を逸らす様子は、嘘を全くつけない様子で、立涌もなにか不都合でもあるのかと追求すると、一等陸士は困ったように口元を歪め答えた。

「実は自分……気の強い年上の女性がタイプで……以前の怪我を理由に、杉原二佐へアタック中でして」

 予想外の部分の返答というものは、人の思考を止めるもので、立涌はしばらくの間、言葉を失ってしまった。

 ヴェノリュシオンなどという狂暴な変異種が常に近くにいる状況で、色恋沙汰など、頭が湧いているのではないかと。
 女へ猛アピールするなどと考えたこともなかった。

「失礼しました! 今日の処置は終わりましたので、訓練に戻ります」
「……待て」
「はい?」

 早々と逃げるように去ろうとする一等陸士を呼び止めれば、バツの悪そうな表情で、足を止めた。

 向こうからすれば、やや自分勝手な理由で、訓練を抜けていることが上官にバレたのだ。何かペナルティが課せられる前に、逃げたいのだろう。

「少し、杉原二佐について、話を聞きたい」
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