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第一章 マッチングアプリ

第八話

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 沙也加の通う女子大学は近代的な建物が並ぶ、真新しい学校だった。
 広々とした構内には街路樹が多く植えられており、春の陽気を受けて生き生きと新緑の葉を茂らせている。
 舗装された広々とした道を嵐丸は迷いなく歩いていく。その足取りはまるで沙也加の居場所を知っているようだった。いや、むしろここまで近づけば多季にも分かる。視界の先に黒く重たい呪詛の気配がするのだ。

「こっちやな」
「そうだな」

 文学部、と書かれた看板を横目で見ながら多季は嵐丸の背中を追いかけた。そういえば、麻友が以前この学校の文学部だと言っていた気がする。彼女と学部も学科も同じだという沙也加である。ということは、沙也加は通い慣れた自らの学び舎にいるということだろうか。
 大学の中でも正門から最も遠い場所に文学部はあった。学部棟と文学部資料館と書かれたよく似た建屋が双子のように並んでいる。そこに、沙也加はいた。

「でこうなっとる」
「形もなんか違うな」
「二段進化やったんやな」

 感心したように言う嵐丸の視線の先――文学部棟の二階の教室の窓を突き破って、そこから黒い「何か」がはみ出している。
 何か、だなんて。そんなもの、呪いに決まっている。それもとびきり強い呪いだ。
 しかし、それは先ほど多季たちが見た沙也加の姿とは大きく違っていた。先ほどはまだ異形とはいえ確かに「相田沙也加」としての原型があったのだ。けれども、もはや「それ」は人とは呼べる形をしていなかった。むしろ、この世の生き物でもない。

 見上げるほど大きな黒い塊には、びっしりと何本もの手が生えていた。白くて細いそれらの手は上向きに折れ曲がっていて、一見すると蟲の手足のようにも見えた。しかし、一本一本にしっかりと五本の指があり、爪があった。
 沙也加の顔があった部分は縦に裂けて黒い穴のようになっている。その中心に小さな赤い石が煌々と輝いていた。
 見た目はどう見ても沙也加ではなかった。しかし、あれからは間違いなく強い呪詛の気配がしているし、嵐丸の霊力も感じることが出来た。

「最終進化形……」
「いやな進化やなぁ」

 ぽつりと呟いた多季に、嵐丸が心底嫌そうに返した。
 多季は嵐丸の先ほどの言葉に、小学生の頃夢中でやったモンスターを育てるゲームを思い出していた。モンスター同士を戦わせてレベルを上げれば、そのモンスターが進化するのだ。可愛らしかったモンスターが二度の進化を経て、より強くよりかっこよくなることを二段階進化という。嵐丸はそのことを言っているのだろう。
 沙也加の変化は、なるほど確かにそれのようだと思った。もちろん、件のゲームに出てくるモンスターはこれほどまでにグロテスクな見た目はしていないけれども。

「嵐丸は下がってろよ」
「援護はしたる」
「無理はすんなよ」

 そう言いながら、多季は持っていた刀袋から太刀を取り出す。そして、今度こそその黒い拵えの鞘から刀身を引き抜いた。その瞬間、刀身からぶわりと霊力が溢れ出す。

「神喰イ、仕事だ」

 多季の呼びかけに応えるように、「神喰イ」と呼ばれたその太刀はカタカタと小さく震え、透き通った銀色の刀身が冴え冴えと輝く。喜んでいるのだ。目の前のでかい獲物を見て。
 この太刀は正式名称を「神喰イノ太刀」という。千堂家に代々伝わる妖刀で、その名前の由来は文字通り「神を喰った」化け物をこの刀に封じたかららしい。というのも、封じられたのが大昔過ぎて、その詳細を知るものはこの世に誰もいない。分かっているのはどんな化け物でも切り裂ける、曰く付きの刀がこの世に残されているということだけだ。

 おまけに、この神殺しの妖刀は使い手を選ぶ。荒ぶる霊力を御せる者のみが扱うことが出来、「神喰イ」に許されなければ鞘から引き抜くこともままならない。その刀に「許された」家系が外法師として鎮めの血統を持っていた千堂家で、今ではこの太刀を扱えるのは多季だけだった。

 多季は神喰イを持ったまま、学部棟の近くに生える木に飛び乗った。そして枝のしなりを利用して、二階の窓に飛びつく。沙也加がいる教室にある隣の窓だ。
 ひょいひょいとまるで野生の猿のように建物の外壁を上がっていく多季を、嵐丸が下から見上げていた。嵐丸は多季の言いつけを守って、そこから動くつもりはなさそうだった。しかし、多季に何かあればすぐにでも手に持ったままのモデルガンの引き金を引くはずだ。その証拠に、嵐丸の霊力はぴりりと張り詰めたままだった。

 そんな嵐丸を横目で見つつ、多季は窓を蹴破って建物の中に入った。スニーカーで割れたガラスを踏みながら床に着地した瞬間、黒い塊がぞろりと動いてこちらを見た。沙也加は多季の存在に気づいたようだったが、逃げる気配はない。それどころか、多季を見て顔もないのににやりと笑ったような気がした。

「お、わ……ッ!?」

 突然、伸びてきた複数の腕が多季を捕えようとする。相田家で見たときよりも数段霊力がまし、邪悪な気配の強くなったその身体は俊敏性も膂力も増しているらしい。庭での一撃よりも重く、瞬くほどの速度だった。
 しかし、あのときは丸腰だったが、今の多季には神喰イがある。両手で柄を握りしめ、両足を開いて振りかぶる。白い手を数本まとめて切り捨てると、あたりに絶叫が響き渡った。沙也加が切られた腕を振り回し血まみれになって喚いている。

 口もないのに声が出るなんて、と多季が不気味なその光景を見ていると、縦に裂けた穴の部分――赤い石のすぐ上がさらに割れて、中からずらりと並んだ牙が出てきた。どうやら、あれが口らしい。硝子を引っ掻いたような不快な悲鳴は、あそこから溢れ出している。
 多季は沙也加を無傷で捕らえることは諦めていた。ここまで育ってしまった呪いを捕縛するのに、傷つけないことは不可能だった。あとは、どこまで霊力を削れば彼女を捕え、元の姿に戻せるかということだ。

 (いや、あれ元に戻んのかな……)

 神喰イについた血は確かに赤かった。しかし、刀で斬ったはずの腕はもう元に戻っている。多季は刀を一度振って、べったりとついた血糊を払い落とした。
「あれ」はもはや「沙也加」ではないのだろう。あの再生速度を見るに、もやは人間ではなくすっかり呪いへと変貌してしまっている。おまけに、そこにいるだけで周囲にどす黒い呪詛を振りまいていた。

「相田さん、もう聞こえねぇか……。ちょっと痛いけど、我慢してな」

 あれがいくら沙也加だったとはいえ、そのままにしておくわけにはいかなかった。
 呪いというものは、そばにいる人に大きな影響を与えるのだ。大学全体に広がりつつある呪詛は、沙也加を祓ってもなお大学を侵食し続け、多くの生徒を蝕むだろう。もしかしたら、ネックレスを彼女に渡した人物は、それが狙いなのかもしれなかった。
 神喰イを構えたまま、多季は地面を蹴った。暴れる沙也加の懐に入り、裂け目の中で輝く赤い石を狙う。

 沙也加の弱点は間違いなくこの宝石だ。呪いの核であり、彼女の霊力の源。とにかくこの石を壊さないことには、彼女は止まらない。
 沙也加はいきなり自分に向かってきた多季に驚いたようだった。長い腕を大きく振り回して、近づく多季を何とか遠ざけようとする。むやみやたらに動かした手が建物の壁にあたり、大きな音を立ててコンクリートの壁が崩れていく。

 腕は数えるのもうんざりするほど生えていた。それが四方八方から向かってくるのだから堪らない。掠れば骨の一本や二本折れてしまいそうなその腕を、多季は器用に避けては切り落としていく。どうやら、この腕は本当にいくら切っても再生可能で、沙也加自身には何の影響もないらしい。
 そして迫ってくる腕を切りながら、多季が沙也加の裂け目へと神喰イを振り下ろそうとしたときだった。赤い石のすぐ上にある口から、吠えるような声が上がった。

「……!?」

 ぶわりと上がった沙也加の霊力が、そのまま手の形となって多季に襲い掛かる。それまでは数本の手を鞭のように操っていた沙也加だったが、それでは多季に敵わないと判断したのだろう。数十本の手が学部棟の教室を埋め尽くす質量となって多季を押し流した。
 気づいたときには、腕に押されて身体が空中に放り出されていた。腕が壁を突き破って外に多季を押し出したのだ。目の前に迫る腕が、多季の四肢を掴んで引き千切ろうとする。それをまた叩き切ろうと神喰イを振るう。

 その瞬間、未だ二階の建物に張りついていた沙也加の身体が大きな音を立てながら爆発した。地面に着地して彼女の方を見上げると、紫色の炎がじわじわと彼女の身体の舐めるように広がっている最中だった。
 上がるのは沙也加の悲鳴だ。痛い、痛い、と訴えるように暴れて、のたうち回っている。
 当たり前だ。あれは多季が「切る」よりもずっと痛い。



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