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襲撃者
ヴァレイスナの誤算
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ーー一ヶ月。
ーー地獄のような日々。
奴隷さえ、指を差して笑ってしまうくらいの仕事量。
まるで敗北者のように。
生気の宿らない眼差しで、最後の紙を凝視。
問題が無いので、積み重なった紙の上に載せる。
「おめでとうございます、ヴァレイスナ様。これで増えるばかりだったお仕事が、一応は無くなりました。これで寝る間も惜しみ、お仕事に忙殺されるという苦行は終了いたしましたーーたぶん」
あたしの補佐役に抜擢されたラカールラカは。
笑顔で不吉な予言をすると、執務室に待機していた部下たちに休息を言い渡した。
あたしほどじゃないとしても、ほんと、みんな良くがんばったわ。
あたしが笑顔で手を振ると。
少しは元気が出たのか、ーーみんな満面の笑みになって部屋から辞していった。
ーー豪華すぎる執務室。
ーー後ろの右側には、補佐役のラカールラカ。
ーー後ろの左側には、護衛役のラスファルフィーレ。
ーーラスファルフィーレの腕の中には、眠っているナス。
うん、もう限界。
これで部屋の中に、あたしの本性をバラしても問題となる者はいない。
そんなわけで。
「……あんの」
あの、と言おうとしたところ。
一ヶ月の間、吐き出すことが出来なかった鬱憤が影響したのか、必要以上に力が籠もってしまった。
でも、もう大丈夫。
溜まりに溜まって噴火しそうになっていた感情を開放、というか暴走させても許されるはず。
ーーあたしは。
あたしを地獄の底に叩き込んでくれた元凶に対して、星を撃ち落とす勢いで怒りを爆発させた。
「あんの……、糞お父様!!!」
「うおっ!? 勘弁してくださいよ、ヴァレイスナ様。ヴァレイスナ様の声って、すんごく通りが良いんだから、耳が痛いっすよ」
この程度でナスが起きないことは知っているので、全力でお父様を罵倒。
そうされて然るべきことを、お父様ーーラーナスカイ公爵はやらかしたのよ。
「ヴァレイスナ様。年頃の娘さんが、『糞』と罵るのははしたないので、おやめください。せめて、『くそったれ』くらいにしておいてください」
ったく。
ラカールラカの奴、あたしで楽しんでいるわね。
まぁ、いいわ。
ラカールラカからお許しが出たので。
「あんのっ、クソッタレお父様!!!」
もう一度、魂の底からどす黒いものを吐き出してから。
ぽすんっ、と背もたれに体を預ける。
もう、ほんと、「糞」を三つ、品字様 にして「糞糞糞」よ!!
……ああ、駄目ね。
仕事という名の拷問で、精神がやさぐれ中。
そして。
こんな好機を逃すはずがなく。
ラカールラカがとどめの一撃を放ってくる。
「これも、御身から溢れ出た、身の錆。最後の最後で展開を読み間違えられた、ヴァレイスナ様ーーラーナスカイ帝国の女帝であらせられる聖女様の瑕疵なのですから、諦めてください」
このサディストめ。
これまで見たことがない、真冬の太陽のような笑顔。
「身の錆」とか「瑕疵」とか言っているけど、事実なのだから笑えない。
ちくしょう!
ちっきしょう!!
ちんちくしょう!!!
ーーはぁ。
造語も使ってお父様を罵倒したところで、現実が変わることはなく。
「ああ……」
……本当に。
いったいどこで人生を間違ってしまったのかしら。
「な・ん・で・あ・た・し・がーー女帝なんてやっているのよ!!」
三百年以上続く帝国で、初の女帝。
初代の皇帝ーー「星始帝」の血を引いているから、ジェレネイトからラーナスカイに名称が変わっても、帝国は継続していると見なされる。
どうしてこんなことになったかって?
そんなこと、もうわかっているでしょう?
そう、あの「糞糞糞糞糞」なお父様は!
戦争での勝利後、ぜんぶあたしに押し付けて!
雲隠れしやがったのよ!
もう、いっそのこと、お父様なんて。
お星様になりやがれ!!
「あー」
あー。
ほんとにもー。
居ない人間を罵ったところで、むなしいだけ。
気を抜くと、学園の騒動から始まった怒濤の記憶がよみがえってくる。
「またまた~、ヴァレイスナ様、ノリノリだったじゃないっすか。『星々の大広場』に集まってきた十万人くらいの大観衆の前での大演説! 特にアレが良かったっす! 『私は皆の母に、姉に、妹に、娘になりたい。星の導きの光は、皆が降らせてくれる』ってとこ! あの瞬間、女帝ヴァレイスナ様が大爆誕したっす!」
「ヴァレイスナ様の声が良かったですね。あとで調べたところ、観衆の端までしっかりと届いていたようです。ーー星の光が陰るかもしれない事態に。暴動が起こってもおかしくありませんでしたが、未来の不安をヴァレイスナ様が見事に一蹴なさいました」
「やめて! やめて!?」
本当に、やめて!!
もうっ、帝国の歴史に燦然と殿堂入りしたあたしの!!
真っ黒黒歴史を刺激しまくるのはやめて!!
……はぁ、どうしてあんなことになってしまったのやら。
「星々の大広場」で演説するはずだったお父様の草稿はあたしが準備した。
だから、中途半端に記憶が残っていた。
それがまずかった。
それなりに演説が出来てしまった。
帝国の未来が、何より自分の未来が懸かっているので。
ただただ一生懸命に。
素面の時には言えないようなことをたくさん言ってしまった。
後悔、と言う言葉を千回唱えたところで全く足りない。
というか、羞恥心が振り切れて、もう何を言ったのか覚えていない。
ーー結果。
そこで、あたしの未来が確定した。
大喝采。
何か、泣いている人もたくさんいた。
あたしの名前が帝都中に響き渡った。
ーー終わった。
これから始まるのに。
あたしはその瞬間にそんなことを思ったのだった。
でも、まぁ、みんなが笑顔だったから。
それを原動力に。
混乱を収めるために、最も辛い時期を乗り越えた。
「今から考えると、婚約破棄をやっておいて良かったわね。あー、いえ、やっぱり良くなかったのかしら?」
「ん? どういうことっす?」
武力と反比例する頭脳の持ち主であるラスファルフィーレの良いところは、見栄を張ったりせず、わからないことがあれば素直に聞いてくるところである。
彼の考えは、市井人に近い。
周囲の権威や品格を気にする人たちからは煙たがられているけど、あたしに遠慮しないラスファルフィーレの存在は非常に助かっている。
「婚約破棄なんて、潰そうと思えばいつでも潰せたのよ。やらなければいけなかったのは、別のこと。ーー決戦の日。生徒たちが聖堂に集まるように工作しておいた」
「んや? 聖堂に居たのは偶然じゃなかったんすか?」
「偶然って、そんなことあるわけないでしょう。生徒たちを聖堂に集めるのが主目的で、婚約破棄はついでよ。やりたければご自由にーーって、話が逸れてしまったわ。婚約破棄のことよ」
功罪相半ばすーーというところかしら。
あたしは婚約破棄による影響を語ることにした。
「ミースが婚約破棄をしたでしょう? 民衆の間では、ミースはあたしと婚約したときから一途にユミファナトラ嬢を想っていたーーということになっているのよ。つまり、婚約破棄は、あたしの純潔を証明するものとなってしまったというわけ」
「ってことは、ヴァレイスナ様は生娘っすか?」
「他に、未通娘という呼び方もありますね」
この二人。
性格がまったく違うのに、或いは性格が違うからなのか、妙に仲が良い。
特に、あたしを揶揄うときは、双子かと思うほど巧みな連携を行ってくる。
「そうして世間では、ヴァレイスナ様は『聖女』や『国母』と称えられることに相成られました。ーーその上、更に。純潔の乙女であるはずなのに、『星輝子』であらせられるナス様を星々から授かっていたとなればーー」
この意地悪め。
最後まで言えば良いのに、本当に性格が悪い。
でも、その性格の悪さと能力に、感謝してもし切れないくらい助けられた。
権力の頂点にある皇帝。
それでも、人一人に出来ることは限られている。
熱狂する民衆とは違って、この混乱の時期に、利益を貪ろうと蠢動する貴族たち。
諸侯派の貴族のすべてがあたしの味方というわけではない。
そして、広大な領土を持つ帝国を治めるには、貴族たちの協力は不可欠。
いっそのこと、敵にしてしまったほうが楽な奴らが、わんさか味方に居るという笑えない状況。
そんな面倒すぎる彼らの相手をしてくれたのが、ラカールラカ。
調整や仲立ちに長けた彼は、噂に違わぬ、いえ、噂以上の手腕を発揮。
ある意味、あたしに代わって悪役を演じてくれた。
ラカールラカが居なかったら、あたしは今も仕事に忙殺されていたはず。
ある意味、彼も恩人。
あたしと気軽に接し、ともすれば邪険に扱うのは。
あたしの心の負担にならないようにーーというのは、さすがに考えすぎね。
ラカールラカは、元々こんな性格だった。
「……そうなのよ。世間じゃあたしは『聖女』ということになって、ナスがいて『国母』で、このままじゃ恋愛も結婚も出来ないのよ!」
「おー、確かに。いまヴァレイスナ様が惚れた腫れたでやらかしたら、全帝民の幻想がぶち壊されるっすね」
「うぅ~、あたしだってね、恋愛したかったのよ。愛し合う相手と結婚したかったのよ。お父様が皇帝やっている間に、好きな相手と結婚して、子供を産んで、その子がお父様の後を継いで皇帝にーーっていうプランを立てていたのよ」
もうね、色々踏み外したわ。
世界で最も硬い岩石で造った橋も、あたしが歩いただけで木っ端微塵に砕け散ったわ。
ただ、その副産物とでも言うべきか。
あたしにとって、不都合なことばかりじゃなかったのよ。
あたしが拗ねていると。
容赦のない隠れ美形が、あたしを追い詰めてくる。
「ジェレネイト。それから、三大貴族の一つであった、ユフレイン公爵家。二家が廃絶となったので、残りはラーナスカイとエキニフレス公爵家ですね」
「んー? そういやぁ、あの影が薄いエキニフレス家も公爵家だったっけ」
ラスファルフィーレは、記憶から消えかかっていた昨日の晩ご飯を思い出すような感じで、素っ気なく口にした。
「影が薄い」とか、酷い言い様だけど、事実なのだから仕方がない。
帝国に於いて、「星始帝」の血を引いているのが公爵家とされている。
「星無帝」と陰口を叩かれていた前皇帝の、弟が当主を務めていたのが、ユフレイン。
その「星無帝」の父親である「戦明帝」の弟が、あたしのお祖父様。
そして。
更に遠縁の、現当主で「公爵」の家格を失ってしまうのが、エキニフレス。
ーー忘れ去られるはずだったエキニフレス。
ーー返り咲いたラーナスカイ。
ここで静かにしていてくれれば良いものを。
エキニフレス公爵は、時勢の読めない男だった。
「三大貴族の領地を没収したでしょう。エキニフレス公爵は、息子にやるからユフレインの領地を寄越せって言ってきたのよ」
「マジっすか? エキニフレス公爵って、今回は、っていうか今回も何もしてないっすよね。そんな奴に領地を与えるって、そんなの無理だって俺だってわかるっすよ」
「それだけじゃないわよ。自分の息子をあたしの嫁、じゃなくて婿にしようとねじ込もうとしてきたのよ。駄目な方向での、典型的な貴族思考の持ち主で、『名ばかりの公爵家』というコンプレックスもあったのでしょうね。現在、公爵様は、あたしのお父様と違って精力的に活動中よ」
「ってことはーー。ヴァレイスナ様の命を狙ってくるってことっすか」
「敵」の臭いを嗅ぎ取るラスファルフィーレ。
戦いに関しては、本当に有能。
彼が護衛役である間は、安心しておねんね出来るから、一帝国に一人は欲しい人材ね。
と、冗談を言っている場合ではなかったわね。
「あたしが死んで、ーーそれでもお父様が出て来なければ、帝位はエキニフレスに転がり込む。はぁ、公爵様は、ほんと~に時流が読めないわよね。精力的に動き回れば回るほど、自分の命が危うくなるのに」
あたしが何もしなくても、あたしの利益になると、勝手に動く者が現れるかもしれない。
権力という名の蜜。
その蜜が業火で出来上がっていたとしても、その身を焼いてでも群がってくる者が後を絶たない。
「救いは、公爵様の息子ね。一度会って話したけど、中々の好青年よ。自分の立場をしっかりと理解していて、帝国の役に立てるような役職が欲しいと言ってきたわ。ーーそれと、ほんのちょっとの野心。ラーナスカイに協力する。しかし、ラーナスカイに何かあったのなら、帝国のために、この身を捧げるのも吝かではない。相手に信用されるにはどうしたら良いかーーそれを知っている見所がある男よ」
「ほへー。だったら、将来の旦那で皇帝ってことでもいいんじゃないっすか?」
「駄目よ」
あたしは間髪を入れず、ラスファルフィーレの提案を拒否。
相変わらず何もわかっていない彼は、不思議そうに聞いてくる。
「何でっすか?」
「ああ、ラスファルフィーレは彼に会ったことがないのね。会えばわかるわよ。彼はね、ーーラカールラカよりも貧相な見た目をしているのよ」
「そりゃ……、イオラングリディア様が理想のヴァレイスナ様からしたら、天地が引っ繰り返るくらい、有り得ないことっすね」
「わかってくれたなら、よろしい」
そして、ラスファルフィーレがわかっていないこともある。
ラカールラカとラスファルフィーレは。
あたしの夫候補として送り込まれた人物である。
それが婚約破棄に「聖女」と相俟って。
逆にあたしの男方面に関する監視役になっていたりする。
困ったことに。
貴族たちにとっても、あたしが「聖女」でなくなるのは都合が悪いらしい。
お父様が雲隠れしなければ、こんな苦労をしなくて済んだのもを。
本当に。
女が皇帝になるというだけで、様々なわずらわしいものが次から次へと湧いてくる。
「ほら、ナスを起こすわよ。そろそろラカールラカの番でしょう」
「え!? いやいやっ、まだまだっすよ! ナス様の守護騎士である俺が、バナナの皮で滑ってもナス様を確実にお守りするっす!!」
もう一つの問題事。
というか、あたしが巻き込んだのだから、自業自得とも言えるけれど。
往生際が悪いラスファルフィーレを無視して、赤子から三歳くらいに成長したナスに触れる。
以前、ナスに力を注いでもらった影響なのか、あたしはナスの力を感じ取れるようになった。
その力の薄い部分ーー今回は右膝を撫でてやると、ナスはパチッと目を開ける。
「くぅ~、ヴァレイスナ様、ずるいっす! 俺もナス様を起こせるようになりたいっす!」
「はいはい、精進しなさい。ーーそれよりも、一ヶ月で三歳くらいまで成長するって、『子育て嘗めるな』とか石を投げられそうね」
「フィ~、ちゅき」
「うおお~! ナス様っ、俺も大好きっすよ!」
「もう、いいから。早くナスをラカールラカに渡しなさい」
ナスの、周囲に与える影響力は健在。
そんなわけで。
あたし以外の人たちは、ナスの独占禁止。
ああ、因みに。
ラスファルフィーレの「守護騎士」は自称で、彼の役目は今でもあたしの護衛ーーということになっているのだけど。
あたしとナスのどちらかしか助けられないとしたら。
きっとラスファルフィーレは、遅疑逡巡することなくナスを助ける。
ーー自分を守らせるために、周囲の者たちから好かれるようにしている。
悪い言い方をするなら、そういうことになるのだけど。
ナスが自分の意志で、意図的にやっているとは思えないし、ナスの力は周囲に良い影響を与えているようなので、今のところは様子見。
「ラカ~、おてて~、おてて~」
「ラカールラカも、ナスが大好きなのかしら?」
「ええ、そこは本当に不思議です。私は子供が嫌いで、就中赤子になど近付きたくもありません」
「それって。確実にナスの影響力によるものだと思うけど、いいの?」
「私もいずれ、伴侶を得て、子供を授かることになるでしょう。ーーナス様を慈しむ、胸の内に宿る、この温かさ。この温かさを経験しておくことで、子供嫌いの私でも、我が子を愛せるようになるかもしれません。ナス様の御力は、悪いものではないようですし、私が拒絶する理由はありません」
別に、嫉妬なんてしていないわよ。
ラカールラカがナスに向ける表情。
スグリが日向ぼっこをしてしまうそうになるくらいの、ぽかぽかな笑顔。
あたしには一度だって向けたことがない癖に。
「はい、どうぞ。ヴァレイスナ様」
まるで見透かしているかのようなタイミングで、ナスを渡してくるラカールラカ。
受け取って、机の上に座らせると、一途にあたしを見詰めてきてーー。
「マ~マ、だいちゅき」
「えーと、うん、そうね、何となく、たぶん、きっと、そこはかとなく、あたしもナスのことが好きなような気がするわ」
たぶん、あたしは、ナスの影響力を受けていない。
あたしは子供が好きで、これまで何回か見た赤ん坊も、可愛いと思えたのだけど。
「酷いっすよっ、ヴァレイスナ様! ナス様のっ、特別なっ、唯一のっ、『だいちゅき』なのにっ、その反応はないっすよ!!」
「そうですね。『だいちゅき』様は、一度医師に診てもらったほうが良いのかもしれません」
はぁ、勝手に「だいちゅき」をあたしの称号にしないでよ。
二人に責められて、やさぐれ具合がアップしたので。
もう一度、ーーはぁ~。
「ん~、ほ~ら、ぐりぐりぐり~」
「や~う、もっほ~もっほ~、ぐみぐみ~」
心当たりはある。
三歳の時点で、ミースを超える美男子になると予想出来てしまうナスとの間に、壁を造ってしまう理由。
「そういえば、ナス様って、何でナス様なんですか?」
「ーー哲学的な質問でしょうか?」
「そんなわけないでしょう。ラスファルフィーレは、『ナス』と名付けた理由を聞いているのよ」
明晰な頭脳を持つラカールラカにも弱点があったらしい。
脳天気な人間の思考を読むのは苦手だったらしく、あたしが訂正する。
「名付けの理由ーーですか。ヴァレイスナ様の『スナ』を逆から読み、『ナス』としたのではないのですか?」
「な~う、な~ちゅは~、な~ちゅで~、マ~マのな~ちゅ~」
不思議な踊りを踊り始めるナス。
あたしはナスのほっぺたを撫でながら、名付けの理由を説明した。
「ほら、ここ。茄子の丸みに似ているでしょう。茄子はね、あたしの大好物なのよ」
「食べないでください!!」
「きゃ~う、ぎゅ~ぎゅ~なフィ~」
あたしに抱き付いてきていた茄子、ではなくナスを奪い取って、執務室の扉まで待避するラスファルフィーレ。
あたしの返答によっては。
ーー帝国から出奔することも厭わない。
そんな悲壮な覚悟を決めた、戦士の眼差しを向けてくる。
ここであたしは。
先程思った、「心当たり」について話すことにした。
「食べないわよ。あたしを何だと思っているのよ。それに、食べられているのは、あたしのほうかもしれないのよ」
「ほへ? どういうことっす?」
「ナスの成長の早さよ。ーー子供の期間が短い。問題なく成長できるのなら、それは生物にとって有利に働くわ。このままなら、ナスは半年であたしの年齢を越えるでしょうね。これは可能性の話だけど。ナスの成長の……、何て言うのかしら、栄養分? その、ナスを成長させるための栄養分として、あたしの寿命が使われているーー食べられているかもしれないってことよ」
寿命を食べられる。
本能的な拒絶。
それがナスとの間にある「壁」の正体かもしれないーーとは思うのだけど。
そうだとすると、おかしなこともある。
ナスが「だいちゅき」と言っていることからもわかるように、ナスの庇護者として最も近い人間があたし。
そんな重要な人間との間に「壁」を作るような、間尺に合わないようなことをするのかどうか。
ただ、こうした考えは、どこまで行っても可能性の枠から飛び出すことはない。
結局のところ、今あるものを受け容れるか、拒絶するかの判断があるだけ。
「これまであたしにナスのことを報告しなかったのは、そうするに足るだけのものが無かったってこと?」
「何のことっす?」
「はい。ご推察の通りにございます。宮廷学士だけでなく、在野の学者も動員し、過去の文献などを総ざらいにしました。また、医師や薬師、自称魔法使いなど、専門分野の知見もいただきました」
「いや、無視しないで欲しいっす」
「ラカールラカなら、手抜かりはないでしょう。そうなると、やはり、何もわからなかったということかしら?」
ーー地獄のような日々。
奴隷さえ、指を差して笑ってしまうくらいの仕事量。
まるで敗北者のように。
生気の宿らない眼差しで、最後の紙を凝視。
問題が無いので、積み重なった紙の上に載せる。
「おめでとうございます、ヴァレイスナ様。これで増えるばかりだったお仕事が、一応は無くなりました。これで寝る間も惜しみ、お仕事に忙殺されるという苦行は終了いたしましたーーたぶん」
あたしの補佐役に抜擢されたラカールラカは。
笑顔で不吉な予言をすると、執務室に待機していた部下たちに休息を言い渡した。
あたしほどじゃないとしても、ほんと、みんな良くがんばったわ。
あたしが笑顔で手を振ると。
少しは元気が出たのか、ーーみんな満面の笑みになって部屋から辞していった。
ーー豪華すぎる執務室。
ーー後ろの右側には、補佐役のラカールラカ。
ーー後ろの左側には、護衛役のラスファルフィーレ。
ーーラスファルフィーレの腕の中には、眠っているナス。
うん、もう限界。
これで部屋の中に、あたしの本性をバラしても問題となる者はいない。
そんなわけで。
「……あんの」
あの、と言おうとしたところ。
一ヶ月の間、吐き出すことが出来なかった鬱憤が影響したのか、必要以上に力が籠もってしまった。
でも、もう大丈夫。
溜まりに溜まって噴火しそうになっていた感情を開放、というか暴走させても許されるはず。
ーーあたしは。
あたしを地獄の底に叩き込んでくれた元凶に対して、星を撃ち落とす勢いで怒りを爆発させた。
「あんの……、糞お父様!!!」
「うおっ!? 勘弁してくださいよ、ヴァレイスナ様。ヴァレイスナ様の声って、すんごく通りが良いんだから、耳が痛いっすよ」
この程度でナスが起きないことは知っているので、全力でお父様を罵倒。
そうされて然るべきことを、お父様ーーラーナスカイ公爵はやらかしたのよ。
「ヴァレイスナ様。年頃の娘さんが、『糞』と罵るのははしたないので、おやめください。せめて、『くそったれ』くらいにしておいてください」
ったく。
ラカールラカの奴、あたしで楽しんでいるわね。
まぁ、いいわ。
ラカールラカからお許しが出たので。
「あんのっ、クソッタレお父様!!!」
もう一度、魂の底からどす黒いものを吐き出してから。
ぽすんっ、と背もたれに体を預ける。
もう、ほんと、「糞」を三つ、品字様 にして「糞糞糞」よ!!
……ああ、駄目ね。
仕事という名の拷問で、精神がやさぐれ中。
そして。
こんな好機を逃すはずがなく。
ラカールラカがとどめの一撃を放ってくる。
「これも、御身から溢れ出た、身の錆。最後の最後で展開を読み間違えられた、ヴァレイスナ様ーーラーナスカイ帝国の女帝であらせられる聖女様の瑕疵なのですから、諦めてください」
このサディストめ。
これまで見たことがない、真冬の太陽のような笑顔。
「身の錆」とか「瑕疵」とか言っているけど、事実なのだから笑えない。
ちくしょう!
ちっきしょう!!
ちんちくしょう!!!
ーーはぁ。
造語も使ってお父様を罵倒したところで、現実が変わることはなく。
「ああ……」
……本当に。
いったいどこで人生を間違ってしまったのかしら。
「な・ん・で・あ・た・し・がーー女帝なんてやっているのよ!!」
三百年以上続く帝国で、初の女帝。
初代の皇帝ーー「星始帝」の血を引いているから、ジェレネイトからラーナスカイに名称が変わっても、帝国は継続していると見なされる。
どうしてこんなことになったかって?
そんなこと、もうわかっているでしょう?
そう、あの「糞糞糞糞糞」なお父様は!
戦争での勝利後、ぜんぶあたしに押し付けて!
雲隠れしやがったのよ!
もう、いっそのこと、お父様なんて。
お星様になりやがれ!!
「あー」
あー。
ほんとにもー。
居ない人間を罵ったところで、むなしいだけ。
気を抜くと、学園の騒動から始まった怒濤の記憶がよみがえってくる。
「またまた~、ヴァレイスナ様、ノリノリだったじゃないっすか。『星々の大広場』に集まってきた十万人くらいの大観衆の前での大演説! 特にアレが良かったっす! 『私は皆の母に、姉に、妹に、娘になりたい。星の導きの光は、皆が降らせてくれる』ってとこ! あの瞬間、女帝ヴァレイスナ様が大爆誕したっす!」
「ヴァレイスナ様の声が良かったですね。あとで調べたところ、観衆の端までしっかりと届いていたようです。ーー星の光が陰るかもしれない事態に。暴動が起こってもおかしくありませんでしたが、未来の不安をヴァレイスナ様が見事に一蹴なさいました」
「やめて! やめて!?」
本当に、やめて!!
もうっ、帝国の歴史に燦然と殿堂入りしたあたしの!!
真っ黒黒歴史を刺激しまくるのはやめて!!
……はぁ、どうしてあんなことになってしまったのやら。
「星々の大広場」で演説するはずだったお父様の草稿はあたしが準備した。
だから、中途半端に記憶が残っていた。
それがまずかった。
それなりに演説が出来てしまった。
帝国の未来が、何より自分の未来が懸かっているので。
ただただ一生懸命に。
素面の時には言えないようなことをたくさん言ってしまった。
後悔、と言う言葉を千回唱えたところで全く足りない。
というか、羞恥心が振り切れて、もう何を言ったのか覚えていない。
ーー結果。
そこで、あたしの未来が確定した。
大喝采。
何か、泣いている人もたくさんいた。
あたしの名前が帝都中に響き渡った。
ーー終わった。
これから始まるのに。
あたしはその瞬間にそんなことを思ったのだった。
でも、まぁ、みんなが笑顔だったから。
それを原動力に。
混乱を収めるために、最も辛い時期を乗り越えた。
「今から考えると、婚約破棄をやっておいて良かったわね。あー、いえ、やっぱり良くなかったのかしら?」
「ん? どういうことっす?」
武力と反比例する頭脳の持ち主であるラスファルフィーレの良いところは、見栄を張ったりせず、わからないことがあれば素直に聞いてくるところである。
彼の考えは、市井人に近い。
周囲の権威や品格を気にする人たちからは煙たがられているけど、あたしに遠慮しないラスファルフィーレの存在は非常に助かっている。
「婚約破棄なんて、潰そうと思えばいつでも潰せたのよ。やらなければいけなかったのは、別のこと。ーー決戦の日。生徒たちが聖堂に集まるように工作しておいた」
「んや? 聖堂に居たのは偶然じゃなかったんすか?」
「偶然って、そんなことあるわけないでしょう。生徒たちを聖堂に集めるのが主目的で、婚約破棄はついでよ。やりたければご自由にーーって、話が逸れてしまったわ。婚約破棄のことよ」
功罪相半ばすーーというところかしら。
あたしは婚約破棄による影響を語ることにした。
「ミースが婚約破棄をしたでしょう? 民衆の間では、ミースはあたしと婚約したときから一途にユミファナトラ嬢を想っていたーーということになっているのよ。つまり、婚約破棄は、あたしの純潔を証明するものとなってしまったというわけ」
「ってことは、ヴァレイスナ様は生娘っすか?」
「他に、未通娘という呼び方もありますね」
この二人。
性格がまったく違うのに、或いは性格が違うからなのか、妙に仲が良い。
特に、あたしを揶揄うときは、双子かと思うほど巧みな連携を行ってくる。
「そうして世間では、ヴァレイスナ様は『聖女』や『国母』と称えられることに相成られました。ーーその上、更に。純潔の乙女であるはずなのに、『星輝子』であらせられるナス様を星々から授かっていたとなればーー」
この意地悪め。
最後まで言えば良いのに、本当に性格が悪い。
でも、その性格の悪さと能力に、感謝してもし切れないくらい助けられた。
権力の頂点にある皇帝。
それでも、人一人に出来ることは限られている。
熱狂する民衆とは違って、この混乱の時期に、利益を貪ろうと蠢動する貴族たち。
諸侯派の貴族のすべてがあたしの味方というわけではない。
そして、広大な領土を持つ帝国を治めるには、貴族たちの協力は不可欠。
いっそのこと、敵にしてしまったほうが楽な奴らが、わんさか味方に居るという笑えない状況。
そんな面倒すぎる彼らの相手をしてくれたのが、ラカールラカ。
調整や仲立ちに長けた彼は、噂に違わぬ、いえ、噂以上の手腕を発揮。
ある意味、あたしに代わって悪役を演じてくれた。
ラカールラカが居なかったら、あたしは今も仕事に忙殺されていたはず。
ある意味、彼も恩人。
あたしと気軽に接し、ともすれば邪険に扱うのは。
あたしの心の負担にならないようにーーというのは、さすがに考えすぎね。
ラカールラカは、元々こんな性格だった。
「……そうなのよ。世間じゃあたしは『聖女』ということになって、ナスがいて『国母』で、このままじゃ恋愛も結婚も出来ないのよ!」
「おー、確かに。いまヴァレイスナ様が惚れた腫れたでやらかしたら、全帝民の幻想がぶち壊されるっすね」
「うぅ~、あたしだってね、恋愛したかったのよ。愛し合う相手と結婚したかったのよ。お父様が皇帝やっている間に、好きな相手と結婚して、子供を産んで、その子がお父様の後を継いで皇帝にーーっていうプランを立てていたのよ」
もうね、色々踏み外したわ。
世界で最も硬い岩石で造った橋も、あたしが歩いただけで木っ端微塵に砕け散ったわ。
ただ、その副産物とでも言うべきか。
あたしにとって、不都合なことばかりじゃなかったのよ。
あたしが拗ねていると。
容赦のない隠れ美形が、あたしを追い詰めてくる。
「ジェレネイト。それから、三大貴族の一つであった、ユフレイン公爵家。二家が廃絶となったので、残りはラーナスカイとエキニフレス公爵家ですね」
「んー? そういやぁ、あの影が薄いエキニフレス家も公爵家だったっけ」
ラスファルフィーレは、記憶から消えかかっていた昨日の晩ご飯を思い出すような感じで、素っ気なく口にした。
「影が薄い」とか、酷い言い様だけど、事実なのだから仕方がない。
帝国に於いて、「星始帝」の血を引いているのが公爵家とされている。
「星無帝」と陰口を叩かれていた前皇帝の、弟が当主を務めていたのが、ユフレイン。
その「星無帝」の父親である「戦明帝」の弟が、あたしのお祖父様。
そして。
更に遠縁の、現当主で「公爵」の家格を失ってしまうのが、エキニフレス。
ーー忘れ去られるはずだったエキニフレス。
ーー返り咲いたラーナスカイ。
ここで静かにしていてくれれば良いものを。
エキニフレス公爵は、時勢の読めない男だった。
「三大貴族の領地を没収したでしょう。エキニフレス公爵は、息子にやるからユフレインの領地を寄越せって言ってきたのよ」
「マジっすか? エキニフレス公爵って、今回は、っていうか今回も何もしてないっすよね。そんな奴に領地を与えるって、そんなの無理だって俺だってわかるっすよ」
「それだけじゃないわよ。自分の息子をあたしの嫁、じゃなくて婿にしようとねじ込もうとしてきたのよ。駄目な方向での、典型的な貴族思考の持ち主で、『名ばかりの公爵家』というコンプレックスもあったのでしょうね。現在、公爵様は、あたしのお父様と違って精力的に活動中よ」
「ってことはーー。ヴァレイスナ様の命を狙ってくるってことっすか」
「敵」の臭いを嗅ぎ取るラスファルフィーレ。
戦いに関しては、本当に有能。
彼が護衛役である間は、安心しておねんね出来るから、一帝国に一人は欲しい人材ね。
と、冗談を言っている場合ではなかったわね。
「あたしが死んで、ーーそれでもお父様が出て来なければ、帝位はエキニフレスに転がり込む。はぁ、公爵様は、ほんと~に時流が読めないわよね。精力的に動き回れば回るほど、自分の命が危うくなるのに」
あたしが何もしなくても、あたしの利益になると、勝手に動く者が現れるかもしれない。
権力という名の蜜。
その蜜が業火で出来上がっていたとしても、その身を焼いてでも群がってくる者が後を絶たない。
「救いは、公爵様の息子ね。一度会って話したけど、中々の好青年よ。自分の立場をしっかりと理解していて、帝国の役に立てるような役職が欲しいと言ってきたわ。ーーそれと、ほんのちょっとの野心。ラーナスカイに協力する。しかし、ラーナスカイに何かあったのなら、帝国のために、この身を捧げるのも吝かではない。相手に信用されるにはどうしたら良いかーーそれを知っている見所がある男よ」
「ほへー。だったら、将来の旦那で皇帝ってことでもいいんじゃないっすか?」
「駄目よ」
あたしは間髪を入れず、ラスファルフィーレの提案を拒否。
相変わらず何もわかっていない彼は、不思議そうに聞いてくる。
「何でっすか?」
「ああ、ラスファルフィーレは彼に会ったことがないのね。会えばわかるわよ。彼はね、ーーラカールラカよりも貧相な見た目をしているのよ」
「そりゃ……、イオラングリディア様が理想のヴァレイスナ様からしたら、天地が引っ繰り返るくらい、有り得ないことっすね」
「わかってくれたなら、よろしい」
そして、ラスファルフィーレがわかっていないこともある。
ラカールラカとラスファルフィーレは。
あたしの夫候補として送り込まれた人物である。
それが婚約破棄に「聖女」と相俟って。
逆にあたしの男方面に関する監視役になっていたりする。
困ったことに。
貴族たちにとっても、あたしが「聖女」でなくなるのは都合が悪いらしい。
お父様が雲隠れしなければ、こんな苦労をしなくて済んだのもを。
本当に。
女が皇帝になるというだけで、様々なわずらわしいものが次から次へと湧いてくる。
「ほら、ナスを起こすわよ。そろそろラカールラカの番でしょう」
「え!? いやいやっ、まだまだっすよ! ナス様の守護騎士である俺が、バナナの皮で滑ってもナス様を確実にお守りするっす!!」
もう一つの問題事。
というか、あたしが巻き込んだのだから、自業自得とも言えるけれど。
往生際が悪いラスファルフィーレを無視して、赤子から三歳くらいに成長したナスに触れる。
以前、ナスに力を注いでもらった影響なのか、あたしはナスの力を感じ取れるようになった。
その力の薄い部分ーー今回は右膝を撫でてやると、ナスはパチッと目を開ける。
「くぅ~、ヴァレイスナ様、ずるいっす! 俺もナス様を起こせるようになりたいっす!」
「はいはい、精進しなさい。ーーそれよりも、一ヶ月で三歳くらいまで成長するって、『子育て嘗めるな』とか石を投げられそうね」
「フィ~、ちゅき」
「うおお~! ナス様っ、俺も大好きっすよ!」
「もう、いいから。早くナスをラカールラカに渡しなさい」
ナスの、周囲に与える影響力は健在。
そんなわけで。
あたし以外の人たちは、ナスの独占禁止。
ああ、因みに。
ラスファルフィーレの「守護騎士」は自称で、彼の役目は今でもあたしの護衛ーーということになっているのだけど。
あたしとナスのどちらかしか助けられないとしたら。
きっとラスファルフィーレは、遅疑逡巡することなくナスを助ける。
ーー自分を守らせるために、周囲の者たちから好かれるようにしている。
悪い言い方をするなら、そういうことになるのだけど。
ナスが自分の意志で、意図的にやっているとは思えないし、ナスの力は周囲に良い影響を与えているようなので、今のところは様子見。
「ラカ~、おてて~、おてて~」
「ラカールラカも、ナスが大好きなのかしら?」
「ええ、そこは本当に不思議です。私は子供が嫌いで、就中赤子になど近付きたくもありません」
「それって。確実にナスの影響力によるものだと思うけど、いいの?」
「私もいずれ、伴侶を得て、子供を授かることになるでしょう。ーーナス様を慈しむ、胸の内に宿る、この温かさ。この温かさを経験しておくことで、子供嫌いの私でも、我が子を愛せるようになるかもしれません。ナス様の御力は、悪いものではないようですし、私が拒絶する理由はありません」
別に、嫉妬なんてしていないわよ。
ラカールラカがナスに向ける表情。
スグリが日向ぼっこをしてしまうそうになるくらいの、ぽかぽかな笑顔。
あたしには一度だって向けたことがない癖に。
「はい、どうぞ。ヴァレイスナ様」
まるで見透かしているかのようなタイミングで、ナスを渡してくるラカールラカ。
受け取って、机の上に座らせると、一途にあたしを見詰めてきてーー。
「マ~マ、だいちゅき」
「えーと、うん、そうね、何となく、たぶん、きっと、そこはかとなく、あたしもナスのことが好きなような気がするわ」
たぶん、あたしは、ナスの影響力を受けていない。
あたしは子供が好きで、これまで何回か見た赤ん坊も、可愛いと思えたのだけど。
「酷いっすよっ、ヴァレイスナ様! ナス様のっ、特別なっ、唯一のっ、『だいちゅき』なのにっ、その反応はないっすよ!!」
「そうですね。『だいちゅき』様は、一度医師に診てもらったほうが良いのかもしれません」
はぁ、勝手に「だいちゅき」をあたしの称号にしないでよ。
二人に責められて、やさぐれ具合がアップしたので。
もう一度、ーーはぁ~。
「ん~、ほ~ら、ぐりぐりぐり~」
「や~う、もっほ~もっほ~、ぐみぐみ~」
心当たりはある。
三歳の時点で、ミースを超える美男子になると予想出来てしまうナスとの間に、壁を造ってしまう理由。
「そういえば、ナス様って、何でナス様なんですか?」
「ーー哲学的な質問でしょうか?」
「そんなわけないでしょう。ラスファルフィーレは、『ナス』と名付けた理由を聞いているのよ」
明晰な頭脳を持つラカールラカにも弱点があったらしい。
脳天気な人間の思考を読むのは苦手だったらしく、あたしが訂正する。
「名付けの理由ーーですか。ヴァレイスナ様の『スナ』を逆から読み、『ナス』としたのではないのですか?」
「な~う、な~ちゅは~、な~ちゅで~、マ~マのな~ちゅ~」
不思議な踊りを踊り始めるナス。
あたしはナスのほっぺたを撫でながら、名付けの理由を説明した。
「ほら、ここ。茄子の丸みに似ているでしょう。茄子はね、あたしの大好物なのよ」
「食べないでください!!」
「きゃ~う、ぎゅ~ぎゅ~なフィ~」
あたしに抱き付いてきていた茄子、ではなくナスを奪い取って、執務室の扉まで待避するラスファルフィーレ。
あたしの返答によっては。
ーー帝国から出奔することも厭わない。
そんな悲壮な覚悟を決めた、戦士の眼差しを向けてくる。
ここであたしは。
先程思った、「心当たり」について話すことにした。
「食べないわよ。あたしを何だと思っているのよ。それに、食べられているのは、あたしのほうかもしれないのよ」
「ほへ? どういうことっす?」
「ナスの成長の早さよ。ーー子供の期間が短い。問題なく成長できるのなら、それは生物にとって有利に働くわ。このままなら、ナスは半年であたしの年齢を越えるでしょうね。これは可能性の話だけど。ナスの成長の……、何て言うのかしら、栄養分? その、ナスを成長させるための栄養分として、あたしの寿命が使われているーー食べられているかもしれないってことよ」
寿命を食べられる。
本能的な拒絶。
それがナスとの間にある「壁」の正体かもしれないーーとは思うのだけど。
そうだとすると、おかしなこともある。
ナスが「だいちゅき」と言っていることからもわかるように、ナスの庇護者として最も近い人間があたし。
そんな重要な人間との間に「壁」を作るような、間尺に合わないようなことをするのかどうか。
ただ、こうした考えは、どこまで行っても可能性の枠から飛び出すことはない。
結局のところ、今あるものを受け容れるか、拒絶するかの判断があるだけ。
「これまであたしにナスのことを報告しなかったのは、そうするに足るだけのものが無かったってこと?」
「何のことっす?」
「はい。ご推察の通りにございます。宮廷学士だけでなく、在野の学者も動員し、過去の文献などを総ざらいにしました。また、医師や薬師、自称魔法使いなど、専門分野の知見もいただきました」
「いや、無視しないで欲しいっす」
「ラカールラカなら、手抜かりはないでしょう。そうなると、やはり、何もわからなかったということかしら?」
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