竜の国の魔法使い

風結

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二章 竜と魔法使い

少年は温いもので踏み付けられる

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 寒期には、雪に閉ざされる。

 竜の狩場の西側、山脈に沿うように三つの国がある。

 「三寒国」と呼ばれる。口さがない世間の人々は、「三監獄」などと揶揄やゆする。外に出ることが敵わない四星巡り、産物をこしらえる。

 雪の終わりを、商人たちが知らせてくれる。三寒国で産する、質はほどほどで安価な品は、大陸で歓迎される。

 三寒国の南に位置する、比較的寒さの緩い国で僕は生まれた。東に竜の狩場を囲む山脈、西に北の海まで続くとされるヴァレイスナ連峰。

 ーー世界の終わりっていうのは、きっと山が倒れてきて迎えるものなんだ。

 子供の頃、そこが世界のすべてだった頃、漠然と思っていた。

 自覚はないが、優秀な子供だったらしい。上手く馴染めなかった。周囲の子供たちと、見えているものや感じているものに然したる違いはなかったけど。

 ただ、いつでも足りないことにかつえていた。

 神々は手を抜いているんじゃないのか。干乾ひからびそうな想いを、異端視され兼ねないもやもやしたものを抱えながら、いつでも山々に見下ろされていた。

 それが人とは違う、資質のようなものに見えたらしい。

 父さんに幾度となく戒められる。僕の家系は調子に乗り易いから気を付けろ、と。その父が反面教師として、リシェ家の瑕疵かしを知らしめることになる。

 息子の出来の良さをおだてられた父は、領主の屋敷で雇ってくれるよう嘆願たんがんする。

 領主は、地方領主にありがちな無骨ぶこつで尊大な気質で知られていた。

 その場で命を絶たれてもおかしくない父さんの軽率な行いは、万に一つの可能性を引き当てる。

 新たな領地を得て伯爵となったことで機嫌が良く、尚且つ次男の世話係が不祥事ふしょうじの末に夜逃げするという面倒事の一つが片付くとあって、領主の気紛れで雇われることになる。

 どこかの商家にでも働きに出されるはずだった僕の、多いようで少ない選択肢にエルシュテルの幸運が齎された。

 グランク家の次男ニーウ・アルン。僕がつかえることになった少年のーー兄さんの名前。

 兄さんはうとんじられていた。長男は優秀であったが、自分より優れた弟を毛嫌いして、同じく領主も自分より優れた者を後継にえることを忌避きひしていた。

 領主と、彼の気質を継いだ長男、利益に聡い母親、勘気かんきこうむることを恐れる使用人の、いずれからも顧みられることはなかった。

 家族の愛情に恵まれなかった兄さんは、下働きの僕を本当の弟のように慈しんでくれた。サクラニルに祝福された溢れる才能の恩恵を、僕に施してくれた。兄さんが蓄えた知識や知恵、武芸や作法を惜しげもなく注いでくれた。

 グランク家が如何に隠そうと、兄さんの才能が鳴り響くのを止めることなど出来ない。

 〝サイカ〟が兄さんを求めた。これほど良い厄介払いの理由など然う然うない。領主は喜んで次男を放逐ほうちくした。これが兄さんにとって、そして僕にとっても転機となる。

 市井の暮らし、兵士の待遇を知らぬ者が正しき道を知ることはない。

 〝サイカ〟の里は、然く随行者を許可していなかった。然り乍ら兄さんは僕を伴い、独自に〝サイカ〟の里を探り出して、辿り着いてみせた。

 そして、仕えるべき人がいなくなって家に戻されるしかない僕の行く先に、新たな道を、一条の光を残してくれた。

 ーー弟は、里の門を潜れる資質を持つので、試していただきたい。

 機知や明察さだけでなく諧謔かいぎゃくをも好む里の長は、兄さんの異例ともいえる要望を受け入れた。

 兄さんの期待に応えるべく、兄さんから学んだすべてを出し切った。果たして、里へ入ることを許される。共に門を潜るときに言ってくれた兄さんの言葉が忘れられない。

 僕のことを兄と呼んでくれると嬉しい、とはにかんだ顔で頭を撫でてくれた。人生に宝物があるとするなら、この瞬間がそうだった。

 兄さんは、その俊才しゅんさい遺憾無いかんなく発揮して、〝サイカ〟として新たな道を歩み始める。

 一方、僕はというと。里での一日目から、女の子に涙目で睨まれていた。

 武芸の鍛錬中、兄さんにも褒められた防御の技術で、女の子の可憐かれんな容姿とは裏腹の、苛烈な攻撃を軽々となしてしまったのが不味かった。

 女の子は強かったが、兄さんほどではなかった。

 それが誤解を招く結果になろうとは露知らず。攻守を交代して、苦手な攻撃で消極的になったのが発端ほったん。手加減していると勘違いされて、後に呼び出されて糾弾される。

 女の子は直情的で融通ゆうずうが利かなかった。武芸のことだけなら、誤解は解けていたかもしれない。
 
 然し、僕がうっかり漏らしてしまった真情を吐露とろする言葉が、女の子の逆鱗げきりんに触れてしまう。

 ーー〝サイカ〟になりたいわけではない。

 僕にとって重要なのは兄さんを追うことで、兄さんが与えてくれたものを享受きょうじゅすることで、〝サイカ〟は序でのようなものだった。優先順位が異なるだけだったのだが、女の子には理解してもらえなかった。

 かつて〝サイカ〟は、相争い貶め合い、奪い取る称号だった。現在の里長と仲間たちによる改革によって、〝サイカ〟を取り巻く環境は改善された。

 切磋琢磨せっさたくまして学び合った多くの友人たち。共に〝サイカ〟を目指して、心血を注いだ。

 僕たちが受けた認定試験で〝サイカ〟に至った者はいなかった。これから〝目〟として〝サイカ〟になるべく活動して、それぞれの道を歩んでゆく。

 あの女の子ーー少女とは、最後まで反目はんもくし合うことになってしまった。

 僕はどうにか歩み寄れないかと苦心を重ねたが、結果は無残なものだった。友人たちは生暖かい目で、気にするな、と言ってくれたが、里に残してきた唯一の気掛かりだった。

 ーー頭がぼんやりとしていた。

 南方の国々を目指していたはずが……、然て置きて里を出たはずなのに、なぜか魔法の歴史学で師範の話を聞いている。

「『魔術師の夢』という古事こじがある。魔術師は、遥か彼方にある星を地上に降らせる、斯様な魔術を行使している夢を見た。それを聞いた人々は魔術師を嗤ったが、それを聞いた魔術師たちは誰一人として嗤わなかった。やがて、魔術は魔法となり、魔術師は魔法使いとなる。残念なのは、魔法使いが、魔術師の夢、を受け継がなかったこと。魔法使いは、魔術師の夢、を嗤ってしまった。今に至る魔法使いの凋落ちょうらくは、その時に決まっていたのやもしれん。わしは嗤わない、いつか『星降ほしふる』の魔法をーー」

 ーー「星降」。

 魔法関連は敬遠けいえんしていたが、老師範の話は嫌いではなかった。

「ーー、……」

 次第しだいに声が遠退いてゆく。ふと隣を見ると、少女とーーカレンと目が合った。

 これは夢か……。

 何故そう思ったのかというと、少女が僕を見てほがらかに笑っていたから。
 
 ついぞ見ることの叶わなかった彼女の笑顔は、思っていた通りの、いや、思っていた以上に魅力的なーーその微笑みがそのまま別の女の子の、魔法使いのほころびた素顔に変わる。

「うぁ……」

 ……女々めめしい、女々し過ぎる。僕は目を覚ますなり、両手で顔を隠してもだえた。

 夢とはいえ、女の子の笑顔を思い浮かべて胸を高鳴らせるなど、恥ずかしいにも程がある。てて加えてその笑顔は妄想の産物で、実際には向けられたことのない面持おももちである。

 見れば、闇は深く、焚き火の音が心地良い。

 両手の隙間から覗いた夜空の星は、綺麗過ぎて涙が出そうだ。追憶めいたものが心を震わせるが、それ以上に全身の痺れが僕を苛む。

 足の多い大きな虫が体中を這い回っている感じだ。と心象を抱いた瞬間、痺れだけでなく怖気を震い苛んできたので。雷竜と添い寝したらこんな感じなのだろうか、と滑稽こっけいな妄想をしてみるが、寝返りを打った雷竜のお腹で、ぷちんっ、と潰されてしまった。

 まぁ、僕の貧弱な想像力(?)などこんなものだ。我慢できず、両手で体をさするが、腕も掌も痺れているので、痛いのか擽ったいのか、妙な反発を覚える感触に身悶えしそうになる。

「ぅぐぐぅ~」

 大地を這いずり回る生き物とは、こんな気分なのだろうか。

 いや、彼らを貶めてはいけない。彼らにとって、それは生き残るに最適な、在るべき姿なのだ。などと仲間意識を芽生えさせてみるも、然しもやは僕の人間としての矜持きょうじが、豪快な笑い声を浴び続けることを許さない。

 ……はぁ、そんな格好良い台詞は、竜にも角にも、起き上がってからである。

「はっはっはっ、『星降』喰らってそん程度ん済みぁ、御の字御の字っ!」

 然てこそ頭の上から嫌味のない笑い声。蟠った陰を吹き飛ばす陽気さは健在である。

 体に力が入り難く、何処かに触れる度に筋肉なのかよくわからないものがびくびく反応してしまう。これは怪我ではないと割り切って、棒のような手足を動かして、焚き火を囲う輪に加わった。

 一息吐いて、思い出す、いや、思い出したような、気がする。

「体に異常はないか? リシェには治癒魔法が効かない。難儀なものだが、今回はそれで助かったのだから、文句は言えまい」

 クーさんが流し目をくれる。相変わらず、絵になる人である。

 ああ、そういえば、体の痺れで失念していた。腿と横腹に触れて、背中をぐっぐっと左右に動かしてみる。

 痛い、が、痛いだけ。骨折はしたことがないから断言は出来ないが、打撲程度で済んでいるようだ。三日くらいは痛みが強いだろうが、それも動き出して、ある程度経てば麻痺してしまうので、放っておいても構わない。

 治癒魔法に頼れないので、こういった打ち身の類いは自然治癒に任せている。損傷箇所がんでしまわない限りは、これまでこれでどうにかなっている。

「……あれ? 夢を見ていた夢を見ている?」

 自分でもちょっと何を言っているのかわからなくなる。これは、どこまでが夢だったのか。まさか、今も夢を見ているというのだろうか。

 ここは森の中で、僕の前には魔法使いが居る。

 外套と三角帽子で、以前のままの小さな塊がそこに居た。少し体が熱くなる。記憶というよりは、体が思い出す。

 柔らかかった、女の子を抱き締めたのは初めてだった、それは意図したものではなかったのだけど、あの感触、今でも鮮明に甦る、触れた手の先の、服を通した……。

 つくづくと右の掌を見る。

 刃が交錯こうさくした。

「斬れてますっ! 刺さってますからっ!」

 エンさんの長剣がごりごりと、僕の首を断ち切らんとばかりに力任せにこすられる。クーさんの片手剣が喉元に二本刺さって、全体重を掛けて押し込んでくる。

「こぞー、はっはっはっ、こぞー」
「ふっふっふっ、世の中には記憶喪失ってものがある、ふっふっふっ」
「はっはっはっ」
「ふっふっふっ」
「はっはっはっ」
「ふっふっふっ」

 二人とも笑っている。やばい感じに壊れている。

 魔法使いが普段使われることのない薬箱を僕の前に置くと、ささっと元の場所に戻っていった。

 もしかしたら、「星降」を使ったことに忸怩じくじたる思いを抱いていたのかもしれない。その罪滅ぼしなのだろうか、ちょこんと座っている謎塊からは読み取れないが。

 「星降」の直撃を喰らったとき、魔法使いを信頼していたからだろうか、死の恐怖を感じなかった。

 そこまで魔法使いを信用できるものなんて、僕の中には無いというのに、どうして心を預けるような無防備な状態になってしまったのか。これは由々ゆゆしき事態である。

 無抵抗でおもんみる僕と、置物になっている魔法使いを見て、問題が解決したと思ったのか、はたまた悪乗り乃至ないし便乗が出来なくなって興が冷めたからか、二人は渋々剣を収めた。

「俺たちん剣は魔法剣なんだよなぁ。これ自体魔力ん帯びちまってるってことか」
「魔法剣は世界に十本程度しか存在しないと言われている。付与魔法にすら手をこまねいている魔法使いが、代償なく魔法剣を拵えるようになるのは、いつのことになるやら」

 世界の平和を守ることが出来なかった英雄の苦悩みたいなものを、ちょびっとだけにじませながら、二人は元の場所に戻った。

 魔法剣で助かった、と言っていいのだろうか。首の三つの傷口から、たらりと血が流れる感触が伝わってくる。

 包帯ほうたいを巻くほどではないので、血止めの軟膏なんこうを塗っておく。これは魔法使いが発明した軟膏で、傷口が汚染されるのを防いでくれるありがたい代物である。

 こうした細々とした功績こうせきが、魔法使いが世間で認知されている理由でもある。身近なところでは、安価な紙とペンも魔法使いの発明で、書物が流通する切っ掛けにもなった。

 この二つは、魔法使いの二大発明と呼ばれているが、大きく異なることがある。それは、魔法使いが発明の恩恵によくしたか否か。

 軟膏は、魔法使いの一族が製造と販売を行い、正しく効果のある品を大陸に流通させて、巨万の富を得たという。逆に、紙の製法とペンを発明した魔法使いは、その権利を商人に売ってしまった。

 商人は、大金を魔法使いに支払ったが、それでも商人が得た金銭のほんの一部に過ぎなかった。

 因みに、この商人、部下に適切な給金を渡さなかった為、紙の製法を外部に流出させてしまうことになる。

 まぁ、その結果、多くの商人が紙とペンを取り扱えるようになって値崩れを起こして、後の大陸の発展にまで影響を与えることになるのだから、世の中わからない。

「……ふぅ~」

 さて、僕は夢を見ていないし、頭も正常に機能している。

 体の内側に空気が充満して膨れる確かな感触が、瞬きや体の動きなど普段の何気ない行為が、不思議と頼もしく思えてしまう。

 ここは森の中。見覚えのない場所。夜はまだ浅く、ずいぶん長く気を失っていたようだ。余りに静か過ぎて、未だ夢の中の住人だと錯覚してしまいそうになる。

 首の傷に触れると、痛かった。

 そう、傷というものは、痛みがなくなる為には、治らなくてはならない。いや、何故そんな当たり前のことを考えているかというと、目の前の現実をもう一度咀嚼そしゃくして、きちんと理解する為なのである。

 ああ、いや、一人で考えていると、物事というのはどんどん出鱈目に無秩序になってゆく。……はぁ、油断すると思考が散漫になる。里で習ったことを一々思い出してなどいないで、さっさと質してしまおう。

「今更何をくっちゃべっているのかと思うかもしれませんが。エンさん、何で生きてるんですか? クーさん、両腕はどこから生えてきたんですか?」
「死んでねぇから生きてんってわけだ」
「腕は生えない。斬り落とされたのをくっ付けた」

 真面目に説明と訂正をされてしまった。

「今更何をくっちゃらべっているのかと思うかもしれませんが。エンさん、何で死んでないんですか? クーさん、両腕はどうやってくっ付けたんですか?」

 説明が足りない、足りな過ぎる。大事なことなので、もう一度聞かねばなるまいが、同じことを尋ねるのは恥ずかしいので、色々と少しずつ質問の内容は変えておいた。

 エンさんとクーさんは顔を見合わせて、詮方せんかたないとばかりに頷いた。

「こぞー、ちび助触ったとき、どーなった?」

 一瞬だけ右の掌がうずいたが、聞かれているのは別のことだと思い至る。

 望んだ回答ではないが、関連のある事柄であると断じて、正確を期すべく注意を払って答える。

「魔法が見えました。見えただけでなく、感じてもいたような。感覚の共有? 『探査』の魔法だったと思いますが、遺跡のある場所から地表や張られた『結界』、遠目にエンさんとクーさんが倒れている姿も見えました。
 知覚、と断言できるほどはっきりとしたものではありませんが、言葉にするなら『同調』、いえ、一方的に入り込んでいる風でしたから、『浸透』のほうが近いでしょうか」

 あの不可思議な感覚を思い出しながら、言葉にしてゆく。

 痛みや感覚といったものは、自己申告であるが為に、他者に伝えるのが難しい。況して僕には魔力がない。

 如何いかんともし難いとはいえ、然てしも有らず僕自身のことであるのだから、思惟しいの湖の奥底まで潜ることを恐れてはならない。

 あれは他者との意識の共有なのだろうか。

 魔法が見える、というだけならわからなくもないが、もっと深いところで繋がっていたような、あの感触、というか、心地を、説明するのは難しい、というか、心苦しい。

 触れた先から解けてゆく、
 和毛にこげを転がる風のような波が僕の根幹たるものをさざめかせて、
 重なる魔法使いの、
 金色こんじきに目覚めた魔力の混迷が、
 底無しの喪失そうしつき付ける。

 ……感覚を心に浸して言葉を引っ張り上げてみたが、うん、これは駄目だ、伝わる気がまったくしない。それに、何だろう、これを口にしたら、物凄く恥ずかしいような予感がする。

 とまれ、言うべきことは言った。氷焔の皆さんの反応を待つとしよう。

「それは面白い。魔法に共感していた? もしそうならっ……」
「こら、相棒」

 エンさんは、好奇心を抑え切れなくなっていたクーさんの頭を、ぽかり、と叩いた。中身はたくさん詰まっているはずなのに、やけに空っぽの音がしたのは気の所為だろう。

「くっ……。こほんっ。そういうことなら話は早い。論より証拠、竜の塒に連れて行け。もう一度、コウに触れてみると良い」
「はい。わかりました」

 クーさんの提案に即答する。

 答えに至る一番の近道は、もう一度体験することである。あのときはゆくりない出来事に心が乱れて曖昧さが紛れ込んだ。然し、あれはあれで良かった。

 事前情報がなく、かたよりや思い込みなどの余計なものに惑わされず「浸透」を体感することが出来た。などと、後付けだから言えること。

 死に直結したかもしれない決死行あれを、如何に有意だからといって、もう一度味わいたいかと聞かれれば竜より早く否定する。

 然てこそ魔法使いの肩に手を伸ばそうとして、……逃げられた。

「…………」
「…………」

 実際に肩に手を伸ばして、逃げられた。それではと、手を握ろうとして、逃げられた。いっその事、頭を撫でてやろうと腕を持ち上げて、逃げられた。

 目の前の少女の実態は、千匹の猫で体を覆い隠した竜のようなものである。繊細で可愛い容姿に騙されてはいけない。爪を研いでいそうな雰囲気に、積極的な行動が躊躇われる。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 周期頃の女の子の心を斟酌しんしゃくするには、僕の経験値は少な過ぎる。と嘆いていたら、忽せには出来ない問題が放置されたままであることに今更ながら心付く。

 いや、遅過ぎである。色々あってけていたとはいえ、あんな衝撃的な柔ら……あ~、うん、ごにょごにょ。

 僕のしたことは故意ではなかったとはいえ完全な痴漢ちかんーーと言葉にしてみて、改めて自分の仕出かした過失の大きさを思い知る。

 法や戒律が厳しい地域なら、私刑しけいになっても文句は言えない。

 ああ、そうだった、ちゃんと謝っていなかった。はっきり言葉にすると、魔法使いのほうが嫌がるかもしれない。

 両手の手の甲を膝に付けて、頭を下げた。何かしら報復なり対価なりを求められるなら、甘んじて罰を受け容れる、という姿勢である。

「コウ。顔を隠すのはなし」

 クーさんが魔法使いの三角帽子を取り上げると、それを取り返そうと魔法使いがーーいや、もうコウさんと呼ぼうーーコウさんがぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 微笑ましい光景に心がほっこりする。飛び跳ねているので、彼女の外套が大きく捲れている。

 飾り気のない質素な、いやさ、どちらかと言えば、多少野暮ったい感じの服装。周りの目を気にしない子供ならいざ知らず、コウさんくらいの周期なら嫌がりそうなものだが。

 貧しさが理由なら仕方がないが、氷焔ほどの稼ぎがあれば、いや、それ以前にクーさんが出しゃばる、もといコウさんを着飾らせているだろう。ということは、あえて、若しくは、好んでその様な格好をしている?

 世間の心象の通り、魔法使いらしく地味、と言ってしまえばそれまでなのだけど。

 僕にしては珍しく、というか、そんな嗜好しこうはないはずなのだが、コウさんに色々な服を着せたくなってくる。

 人というのは、周囲から影響を受ける生き物である。けだしくもクーさんの変態、ではなく、大変な性質が伝染しているのだろうか。

「相棒、ちび助、れんのんそんくれーんしとけ」
「コウの竜並みのいじらしい様を堪能たんのうしているというのにっ、邪魔をするか!」
「可哀想だろーが、たとえん竜出してやんなって。ちび助ん魔法使って取り返さねぇ時点でお察しだろうが」
「「…………」」

 兄の指摘にぐうの音も出ない二人の妹。兄の面目躍如である。

 いつもこうならいいのだが、彼の意欲というかやる気にはむらがあるので油断できない。

 エンさんにたしなめられて、三角帽子を取り返すのを諦めると、ぎこちなくこちらを向くコウさん。見る角度によって色合いを変化させる印象的な翠緑すいりょくの瞳がーー、しっかりと僕から逸らされていた。

 ……これは恥ずかしがっているだけで、僕を毛嫌いしてのものではない。そう思いたいが、これまでのコウさんの言行が、確信の「か」の字ほどにも信じさせてくれない。

 嫌われているとするなら、どうして嫌われているのかを知る必要があるのだが、それさえ覚束無い現況では打てる手は限られている。余計なことをして悪化したりなんてことになったら目も当てられない。

 僕の謝罪は中途半端になってしまったが、コウさんが反応を返してくれないのでは竜ですら尻尾を振るだろう。後回しにするしかないか。

「……そこに、手を置いてください」
「……はい」

 コウさんは、地面を指差した。

 唯々諾々いいだくだくとして従うのが最良である、という情けない選択肢しか残らなかったが、二進にっち三進さっちもいかない袋小路のような間柄の僕たちでは仕様がないのである。

 コウさんに斯かる態度を取らせてしまっているのは、僕の責任でもある。咎人であり、罪人である僕に否やはない。

 無聊ぶりょうかこつ、などという資格はないので、彼女に触れてもらうべく行動に移る。

 地面に掌を付けた。熱を解く程度の冷たい感触。

 そこに、熱がわだかまる程度の暖かい感触が加えられた。靴を脱いだコウさんが、僕の手を、むぎゅっ、と踏ん付けていた。

 いまいち状況が理解できず、僕はじっと自分の手を見た。

「どーした、こぞー」
「いえ、ちょっとぬくいなぁ、と思って」
「ふぃっ!?」

 正直に感想を口にしたら、微かな余韻よいんを残して、コウさんが音もなく消失した。

 わかっていても、前触れもなく消えられると、ほんのわずかだが意識が停滞する。まぁ、ここら辺は慣れなのかな。彼女の足の感触が途切れる間際、「浸透」の効果なのだろう、少しだけ意識に残った。

 あれは魔力の流れなのだろうか、僕は近くの樹木を指差した。

「あの樹の後ろに移動したような気がします」
「……ぷぅ」

 コウさんが不貞腐ふてくされていた。

 樹木の後ろから、のろのろと僕の近くに遣って来て、ぷいっと顔を背ける。見ると、しっかりと靴を履いていた。

 靴まで「転移」させていたとは、器用なものである。いや、靴は別に移動させたのだとすると、「転送」とするべきか。

 遺跡でも「転移」を行使していたが、気軽にぽんぽん使えるような魔法ではないはず。やはり、魔法使いとして群を抜いているようだ。

 僕に見破られたコウさんの、唇を尖らす姿も愛らしいのだが、ここで笑ったりしたら致命的な断裂を生むような気がして、必死に我慢する。

 てまた上手くいかない。

 結果的に意地悪をしているような気分になってしまうのは、僕とコウさんでは相性が悪いからなのだろうか。いや、僕の不手際を別の問題に摩り替えてはいけない。

「……靴を履いたまま、踏んでも良いですか?」

 返答に困る選択肢を提示されてしまった。

「馬鹿やってないで、さっさとする」

 見兼ねたクーさんがコウさんの靴を脱がせて、僕の手の上に無理やり乗せた。手を踏む、という接触方法は続行するらしい。

「クー姉、後はお願いなの」
「了解」

 クーさんが請け負うと、コウさんは目を閉じた。

 するりと、たおやかな風の隙間から抜け出してきたような現れ方だった。

「ーーっ、……」

 見慣れない魔法の発現に驚きこそしたものの、以前よりもきゅうばいして膨らんでいく好奇心が勝って僕を突き動かす。

 一見すると白い布のようだが、近付いて目を凝らしてみると、靄のような不定形なものとして映る。

 微に入り細に入り、ぎりぎりまで目を寄せて調べてみると、極細ごくぼその糸が交互に編まれて、流動的で無秩序に、いや、そうとわからないだけで類似性でもあるのかもしれない、見様によっては美しくも儚い、乱雑な明滅を繰り返していた。

 これは……、魔法とはここまで緻密なものなのか。それとも、性質を付与された、ただの魔力の事象?

「これは、リシェが知覚した探査魔法とは異なる。感知魔法とでも言うべきか。魔力探査の上位魔法とでも思ってくれれば良い」
「けーこく、けーこくー。こぞー、駄目そーだったら、すぐ手ぇ引っこ抜けよー」

 まだ一巡りの付き合いだが、エンさんのいつもより軽い調子から、かなり重要度が高い忠告だと受け取る。

 コウさんにならって、僕も目を閉じることにする。すると、「浸透」で知覚しているからなのか、見えていないのに見えるという、いやさ、視覚に大きく依存いぞんしているだけで世界に触れる方法は幾つもある。

 世界に触れる、と言ったが、見る、というよりは、触れる、としたほうがいいような気がする。視覚でさえも、世界に触れる為の、一つの手段。

 コウさんと重なるように、世界が溢れる。

 これが魔法なのだろうか、魔力の地平に刻む、いや、すでに人のくびきから解き放たれている、重力に縛られる必要などない。

「先ずはこの周囲から始める。言葉は要らない。目を閉じても良い。感覚を曖昧にしても良い。必要のないものは、今この場には要らない」

 暗示のようなクーさんの言葉が始まりを告げる。

 白布が更なる魔力を帯びて黄金色の粒子を散らす。これは前にも触れた、コウさんの魔力だと直感的に悟る。淡い白と眩い黄金色があやす光の布が、僕らの周囲を球形に取り巻く。

「ーーっ!」

 来た……。

 魔力が、魔法が、世界が溢れる予兆。僕は僕でありながら、光布で織り成した世界に拡がる。この小さな世界で、風も焚き火も、土も草木も、何もかもがひたされる。

「全てを認識しないほうが良い。在るがままに受け容れるのも一つの方策」

 疑問を抱く間もなく、世界がひらいた。

 僕たちを内包した球体が、貪欲に世界を希求する。拡がるごとに世界に組み込まれる、小石や虫、砂粒の一つでさえ僕の意識を焦がす。

 頭の中、ではない、僕の存在ごと、侵食される、多過ぎる、大き過ぎる、それに比して僕は小さ過ぎる、葉っぱの一枚でさえも、この身には重過ぎる、深く入ってはならない、求めてはならない、その先には世界の真理が横たわっているのかもしれないが、人のものでは手に余るーー。

 光布は拡がってゆく。世界に拡がる。街を呑み込み、国を平らげーー。

「がぁっ!」

 ーーっ!?

 強引に手を引き抜いた。

 命の危険を、存在の抹消の危機を感じた体と精神が反射的にそうさせた。

 視界が、意識が回帰する。世界に溶けてしまいそうだった、心や魂といったあやふやなものたちが、じわりじわりとあるべきところへ、僕に馴染んでゆく。
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