竜の国の魔法使い

風結

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一章 冒険者と魔法使い

祭壇の間からの逃走と氷焔の危機

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 いや、前触れはあった。五歩分、くらいの差で、僕の耳にも届く。洞窟から複数の足音が響いてきた。

「黄金の秤の人たちかな」

 碑文の解読は済んだし、依頼は完遂かんすいできたらしい。欲を言えば、魔法使いと会話が続いていたので、黄金の秤の人たちには、もう少し遅い登場をお願いしたかったが。

 警戒心の感じられない、無造作な足音は徐々に大きくなって、やがて洞窟から姿を現す。

 風体のよくない、五人の男たちだった。どこかすさんだ空気を纏い、目には濁ったよどみがある。

 剣は鞘から抜かれている。魔物と遭遇でもしたのだろうか。いや、間違えようもない。彼らの目には敵意が宿っていた。

 頭の後ろから背中に、小さな痛みが走る。異常事態に呼吸が浅くなる。

 だが一瞬で切り替える。この程度なら、時間を掛けなくても平静を装うことが出来る。

「よぉ、氷焔の御二人さん。ご苦労様~」

 先頭にいた背の高い男がおどけてみせると、他の団員たちから野卑やひ笑声しょうせいが転び出て、遺跡内に反響する。

 明らかな非友好的な態度。しかもこちらをあなどっている。「火焔」と「薄氷」のいない氷焔など、相手にならないといった風情である。

「んぁ、……そこの餓鬼がき、どっかで見たような」

 どうやら気付いたようだ。彼らは、僕を見ても違和感や嫌悪といったものを生じなかった。それは、面識めんしきがあるということだ。どうせなら、気付かなければいいものを。

 まぁ、僕の特性と相俟って、悪目立ちしてしまったのだから仕様がないか。

「ぶははっ、エルネアの剣にいた役立たずの餓鬼じゃねぇか!」
「ぷはっ、あの変な奴かよ!」
「ああ、そーいやぁ居たなぁ、そんなの、いつの間にか消えてんだよなぁ」

 背の高い男の言葉で全員が思い出したのか、一斉に嘲弄ちょうろうする。

 然ても、聞き苦しい、もはや騒音水準である。エルネアの剣にいた頃から粗野で短慮な様子は見られたが、今はそれ以上である。エルネアの剣を追い出される過程で、何かあったのかもしれない。

 ーーこれは逃げ一択かも。

 クーさんが言っていたように、面倒事に巻き込まれる必要はない。彼らが姿を現す前から、というか、この祭壇の間に着いたときに逃走の手段は考えてある。先ず考えるのがそんなことなのはどうかと思うが、これも性分である。

 最悪の場合を想定しておくことの重要性を里で教示されたが、想定し過ぎて師範に呆れられたこともある僕なので、これはもう矯正きょうせいは不可能なのかもしれない。いや、今は過去を顧みて、沈んでいる場合ではない。

 問題は、彼らがここで何をしているのか、ということである。

 エルネアの剣の乗っ取りを企み、オルエルさんに手酷く遣られたであろう元団員。彼らは僕たちを氷焔と認識して、尚且つ悪意を持っている。

 彼らの目的は一先ずくとして、問題は人数である。これだけの知小謀大、仕切っているのはディスニアだろう。いや、侮ってはならない。他人ひとの使い方がお粗末なだけで、彼自身は有能なのだ。

 彼らは、外部の団とも共謀していた。多くて五十、ディスニア周辺だけなら二十といったところか。

 これは、黄金の秤の団員たちに警告を発しなければーーいや、希望にすがってはならない。しかく甘い考えは捨てよう。氷焔に依頼したのが黄金の秤であるなら、彼らもまたディスニアに加担していると考えるのが自然である。

 黄金の秤は、冒険者集団である。あ、……ああ、しくじった、彼らの団員数を聞いていなかった。仕方がない、然したる猶予ゆうよはないし、四十~六十と見積もっておこう。

「……っ!」

 ぐぅ、……これは慮外。いや、予想できたことだ。洞窟から新たな足音が聞こえてくる。然も、至近。男たちの下らないお喋りで、気付くのが遅れた。

「早いな。もう着いてたのか」

 鋭い風貌の、どこかエンさんを思わせる戦士然とした男が現れる。

 元エルネアの剣の男たちのような、ちゃらけた雰囲気など微塵も感じさせず、彼らに一瞥いちべつをくれると、

「ーーつぁっ!」

 造次顛沛ぞうじてんぱいにも僕を捉えて、魔法を放ってきた。

 僕には見えないが、男の挙動と周囲の反応から、間違いないだろう。エンさんが言っていた、魔力量が多い者には薄気味悪く見える、ということの帰結。すなわち、最も警戒しなくてはならない相手だということ。

 然し、僕にとっては好都合でもある。

 男の声が祭壇の間に響くと、彼の後ろから四人の男が飛び出してきて、即座に剣を抜く。

 彼らに見覚えはないので、黄金の秤の団員なのだろう。平均的な冒険者の装備だが、僕に魔法を行使した男だけ装備の質が一段上だった。

「副団長、いきなり何を……」
「油断するな! 全員、戦闘態勢!」

 聞く者を従属させるに足る威勢がある。

 副団長と呼ばれた男が水面に下りると、追随ついずいした黄金の秤の四人が僕たちを半包囲する形で対峙たいじする。

「相手は氷焔だぞ。『火焔』と『薄氷』がいないからといって、甘く見るな!」

 未だ状況を飲み込めていない元エルネアの剣の五人に、叱責しっせきが飛ぶ。

 残念ながら予想は的中。とどのつまり彼らは共謀ぐる。僕らに対して、敵意があるのは確実となった。

「ち、違いますぜ、副団長。その餓鬼はエルネアの剣に入ってた餓鬼で、無能ですぐ辞めさせられた奴ですぜ」

 背の高い男が、自分より周期の若い黄金の秤の副団長に下手に出て言い訳を始めるが、よどんだ空気を薙ぎ払うかの如く、遠慮仮借えんりょかしゃくなく一喝される。

「馬鹿が! 今のが見えなかったのか! 俺の魔法を一顧だにしなかった。防ぐ必要すらないってことだ。資料は渡したはずだ。たしか、ランル・リシェ、だったな。奴は氷焔に加わって、すでに一定期間が経っている。これまで入った奴は三日と持たなかったのにだ」

 警戒を緩めることなく口早に話すと、副団長は確認するようにゆっくりと言葉にした。

「それと、今気付いたが、奴がエルネアの剣に所属していた時期と、お前たちが追い出された時期がーー符合してるんじゃないか?」
「正解です」

 相手の気を引く為に、余裕を漂わせながら拍手をする。男たちがおもんみる前に、答えを差し出して誘導する。

 黄金の秤の副団長の推測を利用する。

「僕の名は、すでに知っているようですね。あなたの名を教えていただけますか?」

 この場で名を尋ねるということは、相手を認めたということである。相手の闘争心を抑えるには、有効なはずである。

 相手が十人となると、逃走は難しくなる。いや、僕だけなら、逃げ切るのは可能であったりする。僕の特性は、遁走とんそうと相性がいい。然り乍ら、今回は魔法使いが居る。魔法使いを抱えて逃げるのは、最後の手段としたい。

 時間を稼げば、魔法使いが事態を好転させる魔法を使ってくれるかもしれない。ちらりと窺うと、静かに佇んでいる魔法使いの姿。微動だにしない謎塊から、何一つ看取することは出来なかった。

 僕が徒手としゅであることをおもんぱかったのか、剣を収めて、副団長は威儀を正す。

「俺は黄金の秤の副団長、エルジェス・ザーツネル」

 あに図らんや、誠実さを感じさせる穏やかな口調が、逆に青年の精悍さを引き立たせる。

 虚を衝かれて気後れしそうになるが、ザーツネルの名乗りを、表に兆すことなく鷹揚おうように構えて受ける。

 ふぅ、竜にも角にも、会話には応じてくれるようだ。

 場が落ち着く、いや、膠着こうちゃくと言うべきか。見澄ますと、黄金の秤の団員は皆若かった。元エルネアの剣が三十代なら、黄金の秤は二十代。ザーツネルは二十半ばといったところか。

 黄金の秤の団員には、胆力を感じさせる気風があるが、彼らの現状が関係しているのだろうか、男たちの周囲にだけ止まない雨が降り続いているような心象を抱く。これは留意しておいたほうが良さそうだ。

「ザーツネルさん。あなたの推測通り、僕はオルエルさんに依頼されてエルネアの剣の内情を探っていました。ははっ、無能扱いされるのは、新鮮で結構楽しかったですよ。僕の演技も捨てたものではありませんね」

 嘘も方便ほうべんである。

 薄笑いを浮かべて、元エルネアの剣の五人に、順繰りに視線を巡らす。

「その様子だと、オルエルさんにこってり絞られたようですね?」
「お、お前っ! 俺たちがどんな目に遭ったと思ってんだ!」
「ひいぃ、し、死ぬほど、だったんだぞ!!」

 矢庭やにわに、わめき立てる彼らであったが、声の強さに比べ、怯えを宿した眼光は弱々しいものだった。

 彼らの姿に、オルエルさんが紙束を握り潰していた様を思い出す。

「さあ? どんな目に遭ったとしても、自業自得以上のものではないと思いますが」

 僕が対処すべき相手はザーツネルなので、彼らの非難を一蹴して黙らせる。

「そんな些事よりも。この碑文の謎解きの答え、知りたくありませんか? 今回の依頼は碑文の解読。先に終えておきたいのですが」
「もう解いたのか。それにこの期に及んで、依頼のことかよ」

 ザーツネルは苦笑を浮かべるが、目にはより強い警戒の色が塗り重ねられる。

「ランル・リシェ、だったな。一つ尋ねるがいいか?」
「ええ、何なりと。ザーツネルさん」
「あんたは、〝サイカ〟か?」
「いえ。僕は、〝目〟です」

 短い遣り取り。然れど、居回りの雰囲気が一変する。

「へぇ、あんたほどの奴が〝目〟なのか。いったい〝サイカ〟ってのはどんな化け物なんだかな」
「僕の兄が〝サイカ〟です。僕は兄に到底とうてい及びません」

 彼らに碑文が見えるよう横に二歩移動して、然りげなく魔法使いに近付く。

「解き方は単純です。先ず五文字ずつ区切り、一番目と五番目の文字を入れ替える。次に三つずつ区切り、一番目と三番目。最後に二つずつ区切り、入れ替える」

 説明を始めると、全員の視線が僕に集まった。

 こんな状況でも静かに聞いてくれているのがちょっと面白い。場違いながら、笑みが零れてしまう。

「十番目の文字が六番目に移動。六番目が四番目に、四番目が三番目。つまり、最大でも七つしか移動しません。狭い範囲でしか入れ替えが行われていない。全体を見渡せば、文章に出来そうな箇所が散見できる。意味のわかる文章にしたら、どうすればその文章になるかを試し、あとは全体に適用できるか確認する」

 簡単でしょう、と同意を求めてみるが、頷いてくれる人はいなかった。

「ははっ、簡単とは言ってくれるものだな。古語すら読めない俺たちには正解かどうか確かめることも出来ないってのにな」

 ザーツネルを始め、全員疑ってはいないようだが、答えに相応するものを提示する必要があるようだ。

 では、その流れのなかに組み込んでしまおう。憶測おくそくも交えて語ることになるが、遺跡に関してなら、彼らの歓心を買う為にも披瀝ひれきしてしまって構わないだろう。

「この遺跡ですが、最低でも三つの勢力が使用しています。先ずは、この遺跡を造った人、若しくは人々。多少薄れて、見難くありますが、壁に記された聖語を散見することが出来ます。聖語時代の中期、七百~八百五十周期前、今に残る遺跡や洞窟の多くがこの時代に造られました。聖語とは、力ある言葉、とされ、言葉自体に魔力が宿っていたようです。後世には『呪文』などと呼ぶ人もいますが、今や完全に失われてしまった言語です。
 次に、石碑を立てた人々です。人々、と断定するのは、この碑文が合い言葉のような役割を果たしているからです。古語時代の人々にとっては、然程難しくない、切っ掛けさえあれば解ける程度のもの。恐らく、古語時代に会合か何かで使用されていたのでしょう。宗教的なものか、寄り合い所のようなものだったのか。そして、最後に。
 この遺跡には、財宝があります。現在では解くのが難しい、謎掛けの碑文ですが、古語時代では解くのが容易となると、古語時代の人々がここに財宝を隠すような無用心なことをするはずがありません。つまり、最後に遺跡を使用したのは、古語がすたれた後、ということになります。盗賊か、貴族か商人か、この場所が最近まで発見されなかったということは、何かしら偽装が施されていたのでしょうね。それを、四勢力目となるかもしれない、あなたたちが偶然発見することになりますが、碑文は解けず、然し諦めるのも惜しい。
 そこで今回の謀略を思い付く。ただ、元エルネアの剣と共謀していることから、主導しているのは、あなたたち黄金の秤ではないように思えます。とはいえ、こうして現実に策動している以上、咎無し、というわけにはいかないでしょうが。僕としては、くだっていただいて、元エルネアの剣の人々をらしめるのに協力して欲しい、ところですが」

 手を汚すのも面倒臭い、とばかりに振る舞って、仲間割れを狙ってそそのかしてみるが、そう簡単にはいかないようだ。彼らにも、彼らなりの事情があって事に及んでいる。罪を犯すと、一線を越えてしまった黄金の秤の面々。

 打算を働かす、その素振りすらなかったということは、ザーツネルの懐柔かいじゅう難渋なんじゅうするのは目に見えている。然らば方針転換、かな。

「……とんでもないな。ここに着いてから、大して経ってないってのに、碑文の解読だけじゃなく、財宝の有無までわかっちまうのか。ーー実は、団長には内緒だが、場合によっちゃあ、あんたを黄金の秤に引き入れようと画策してたんだが、黄金の秤うちじゃあ、あんたを飼えそうにないな。猛獣ならだしも魔獣や竜の類いではこっちが喰われちまう」

 随分と買い被られたものだが、僕の手管てくだに巻かれてくれているのだから、利用しない手はない。

 祭壇まで移動して、解読した内容にあった、何の変哲へんてつもない対角線上の二箇所を同時に押し込んでみる。すると、どういう仕掛けだろうか、聖語時代か古語時代のものかわからないが、祭壇横の壁が勝手にずれて地下へと続く階段が現れた。

「「「「「ーーーー」」」」」

 碑文の解読が正解であることをあっさり証明すると、隠し階段を見る男たちの目に強い光が宿る。

 冒険者なら、心が沸き立たないはずがない。たとえこんな状況であろうとも、それが冒険者というものなのだろう。

 魔法使いはどうかな、と視線を向けてみると、不自然な感じで、ゆる~りとそっぽを向かれてしまった。これは、ちょっとどうなのだろう、いや、今は魔法使いの心情を追究している場合ではない。

「さて、僕たちに十人。では、エンさんとクーさんには何十人てたのですか?」

 こちらから情報と成果を差し出したので、次は相手に求めてみる。

 これまでザーツネルと黄金の秤の男たちを観察してきたが、元エルネアの剣の男たちとは明らかな違いがあった。僕の推量が正しければ、彼は答えてくれるだろう。

「あっちは八十だ。もっとこっちに回しておけば良かったと後悔してるところさ」

 ザーツネルたち黄金の秤の団員には、どこか諦めにも似た、投げ遣りで暗い雰囲気が付き纏う。僕は、もう一歩踏み込んでみることにした。

「氷焔を討って名を上げる。それをしなくてはならない苦境。ディスニアたちと手を組んでいるとなると、黄金の秤も何か失態を演じましたか?」
「お察しの通りさ。もう組合からの依頼は受けられない。団長は決断した。俺たちは付いて行くと決めた。それだけさ」

 ザーツネルの言葉に、黄金の秤の団員たちはそれぞれに苦いものを噛み締めていた。

 已むに已まれぬ事情があったのだろう。然りとて、それが免罪符になるわけがない。他者の犠牲の上に、自らの利益を築くなど。許容などできないし、していいはずがない。

 自分が甘いということはわかっているが、こんなことで一々妥協していたら、永遠に兄さんの居る場所には辿り着けない。

 ーーもう十分かな。ふぅ、あとは、戦わずに退けるよう誘導できればいいのだが。

「こちらに十というのは論外として、あの二人に八十というのは少ないのでは?」
「氷焔は魔物退治、討伐が主で、対人戦闘は苦手という噂がある」

 その風聞は初めて耳にする。そういえばエンさんが、荒事専門に見られている、と言っていた。そして、誤解を解く、とも。氷焔と行動を共にしてから、魔物としか戦っていない。それに必要以上の、他者との接触を避けていた節がある。

 だからといって、人類最強ともうたわれる「火焔」と「薄氷」をどうにか出来るとは思えないが。

「さっきも言った通り、後がないのでな。高い金を払って魔法使いを一人雇った」
「魔法使い、ですか?」

 嫌な予感がした。いや、予感ではない、もう確信に近い。高額で雇うような魔法使いなど一人しか思い浮かばない。

「ガラン・クン。大陸最強の魔法使い、と呼ばれる男だ。あの男が言うには、氷焔の魔力を封じることが出来るそうだ。それなら、俺たちにも勝ち目があるとは思わないか?」

 言葉とは裏腹に、ザーツネルに勝ち誇ったところはない。

 忸怩じくじたる思いに晒されているのか、未来どころか明日のことさえ考えられない、切り取られた今日を生きるしかない世捨て人のような、自嘲的じちょうてきで投げ遣りな笑みを浮かべている。

 その顔が魔法使いに向けられて、凍り付いた刹那に、

「ーーっ!?」

 彼は不自然に水面みなもに叩き付けられた。

「なっ?!」

 始めは、何が起こったのかわからなかった。ザーツネルだけでなく、僕と魔法使いを除いた、すべての男たちが倒れていた。って、呆気に取られている場合じゃないっ!

「「「っ」」」
「「「!」」」
「「「っ!?」」」
「四人っ!!」

 僕は、一本の棒のようになって、指一つ動かせず固まっているザーツネルに駆け寄って、足と腕を掴んでぐるりと半回転させた。

 水が気管きかんに入ったのか、苦しげに咳を繰り返している。

 硬直しているのは、体の表面だけで、内側までは効果が及んでいないようだ。残りの三人も手早く裏返す。

 よしっ、これで溺れることはない。僕が触れて魔法は無効化されたはずだが、男たちは未だに硬直したまま。連続して魔法を行使しているのか、僕の特性に打ち勝つような効果があるのか定かではないが、今は、そんなことは後回しである。

「コウさん!!」

 僕はこの事態を引き起こしたであろう魔法使いに怒気をぶつけた。

 彼らは僕たちを害する気であっただろう。筋違いだということはわかっているが、人の命をないがしろにすることは許せない。いや、なぜだかわからないが、魔法使いにはそんなことをして欲しくない。

「……相手に……気付かれないように……先ず探査を……」

 魔法使いは周囲の現況などまるで気にしていなかった。僕の言葉など耳朶の端にすら届かず、何事かをぶつぶつとつぶやいていた。

 僕は魔法使いの肩に手を掛けて、こちらに振り向かせようと……、

「え……?」

 呆然とした。

 体の中にあった、重みのない、それでいて重要な何かが。触れられそうにない、透明なからのようなものが周囲に放たれる。天井を透過して、更に拡がる。拡がる。拡がるーー。

 これは……、何を見ている? 何を感じている? 僕は、知覚している、のか?

 ここに居ながらに、ここに居ない。地表に出て、止まらない。

 森の木々を抜けたところで、知る。透明な何かが覆っている。これに触れてはならない。相手に気付かれる。手前で止まって、横に拡がる。呼吸、はしているのだろうか、息苦しくて、頭も心も、何もかもが追い付かなくて、罅割れていく感触だけが、妙にえしくて。

 森の、樹が動物が虫が草が岩が、意識の表層部分をぎちぎちと削り取る。

 これは、見ている、探している、気を抜けば掻き混ぜられる、内側から魂を引き剥がされかねない、恐怖、などという言葉では足りない、圧倒的な喪失感そうしつかんに気が狂いそうになる。

 森を、大気をけて、断絶された透明な壁に行き着く。あれは「結界」だ。

 その先に、その先に。

 エンさんとクーさんーー。小さな人影。だが間違えようはずもない。

「エン兄、クー姉……」

 か細い声が漏れた。見知らぬ土地で迷子になって、不安と恐怖に怯えた子供の、今にも泣き出しそうな。

 遠くへ行き過ぎた視界に重なったのは、魔法使いの感触。

 然う、これは魔力、魔法なのだろう、魔法使いの魔法が僕を掻き混ぜる。僕は僕であり、魔法使いであり、だからわかる。魔法使いは、止まらない、止まるはずがない。

 水面に水滴が落ちた。

 いや、落ちたのは魔力の塊、魔法使いを中心に、波立つ。

 淡い黄金色の粒子。

 波は魔力の地平に刻む。洞窟の構造を一瞬で把握する。地上に戻る最短の経路を残して、不必要なものは消し去る。

 魔法使いがこれから行くべき道に手をかざす。地表へと至る一本道を風の渦が取り巻く。

「……っ」

 引き裂かれるような予感がして、伸ばされた魔法使いの手首を掴んだ。と同時に、視界が爆ぜる。魔法使いが宙を舞って、気付けば、洞窟の中に飛び込んでいた。
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