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五章 竜の民と魔法使い
二十歳に見える三十路は土下寝をする
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「それでは、カレンさん。リシェさんの横に移動してください。これから、コル・ファタという冒険者組合の方がいらっしゃいますので、よろしくお願いします」
容赦のない物言いだった。決定事項として、しかも進行の邪魔をしないようにと言い渡されて、良識的で潔癖なカレンに否やがあるはずもなかった。
珍しく強権的だが、ああ、でも、これはコウさんの優しさなのかもしれない。
カレンの性格からして、斯かる始末の付け方のほうが彼女にとって負担が少ないはず。
三人、いや、老師も含めて四人が不承不承移動している間に、尋ねてみた。
「老師。やけに大人しいですけど、何か悪い物でも食べましたか?」
「大人しいとは、失礼だね。私はお情けで呼ばれたのだから、出しゃばるのは筋違い。弟子たちの成長を見守りながら、迷惑にならないよう置物になっているさ」
老師の言葉は本心からのものだろうが、それを弟子が認めるかどうかは別の話である。
「師匠、そんなだと王さま代理をやってもらうの」
「じじーは働け。山奥でぼ~としてんくらいなら、死ぬまで働け」
「師匠が侮られるのは勘弁ならない。相応の働きを望む」
「まったく、師匠を扱き使おうとするとは、いつからそんな悪い弟子になってしまったのやら」
半笑いの老師の嘆きに、炎竜の間が笑いに包まれる。老師のことだから、狙ってやったのかもしれない。
コウさんが「窓」を開いて、次の来訪者を連れてくるよう近衛にお願いをする。
カレンのときと違って緩い雰囲気の中、扉が開いて、ファタが物怖じしない態度で歩いてくる。「遠観」の「窓」を通して見たときにも感じたが、童顔で軽薄さを漂わせる様は、警戒心を抱かせるに十分だった。
笑っているのか笑っていないのか、癇に障る微妙な笑顔は健在である。
コウさんの前で止まったファタは、その場に座って胡坐をかいて、膝でも体の横でもなく、体の前に手を、しかも床には手の甲をつけている。そして最後に、ぐっと頭を下げた。
「「「「「…………」」」」」
「「「「「……、ーー」」」」」
「「「「「ーーーー」」」」」
炎竜の間がざわめき立つ。
然もありなん、ファタがしているのは、最上級の謝罪。自身の命すら差し出す覚悟がある、という誠意を示すもの。一生に一度、見るか見ないかというくらい珍らかな光景なのである。然ても、ファタは、何故謝罪などしているのか。
考えられるとしたら、氷焔を賞金首にしてしまったか、はたまた竜の国を敵性国家と認定させてしまったかーーなどということは、さすがにないと思うが。さて、もう一つ、わかり易過ぎる理由があるが、やっぱりそれなのだろうか。
ファタが竜の国を訪れた目的であり、僕たちが彼に要請、というか、依頼したこと。
まぁ、本人が目の前にいるのだから、仮定を重ねても意味はない。すぐに明らかになる、はずだ。
「ファタさん。説明もなく、そのようなことをされては困ります。先ずは顔を上げ、経緯を語ってください」
コウさんの膝の上に座っているみーが、不思議そうにファタを見ている。仔竜の情操教育に良くないな、などと思うのは場違いな発想だろうか。
ファタは顔を上げると、卑屈な物言いで罪の告白を始めた。
「今回、私が竜の国に罷り越しましたのは、経過報告の為と、組合に預けてある資金の返還についてであります。ですが、氷焔の資金は、私の浅短の為、失われてしまいました。この命、如何様にも処分していただいて構いません」
殊勝な態度で再び頭を下げる。
これは、騒ぎになる。僕は、エンさんに目配せをした。
了解してくれたエンさんは、炎竜の間の人々が騒ぎ立てる間際に、両手を打ち鳴らーーさなかった。
鉄が減り込む、妙に冴えた音が、皆の言葉を奪う。
エンさんは、床に魔法剣を突き立てていた。彼の顔に野太い笑みが浮かぶ。いったい、如何程の怒りが込められているのか、考えるだに恐ろしい。
「エンさん。鎮めてくださってありがとうございます」
エンさんが行動に移ってしまう前に、僕はクーさんに質す。
「クーさん。組合に預けておいた氷焔の、残りの半分の資金には、然るべき処置を施しておいたのではないですか?」
「師匠」
「はいはい」
「師匠。返事は一回」
「……はい」
尊敬する師匠であろうと容赦のないクーさん。
彼女から頼まれた、師匠の面目丸潰れの老師は、エンさんの脳天に手加減のない拳を落とす。ぎりぎりで避けたはずのエンさんの頭が、まともに打撃を受けて弾ける。
「幻影」か何かだろうか、どうやら魔法を使ったようだ。エンさんの強さを、身を以て体に刻んでいる竜騎士たちが息を呑む。
「リシェの推測通り。手許から離す金なら、手段を講じておくに決まっている。コウに頼んで、氷焔の資金には魔力が込められている」
クーさんの言葉に、コウさんが頷いて。それを見たファタの顔が蒼白になる。
まだ飲み込めていない人もいるようなので、わかり易い言葉にする。
「つまり、こういうことでしょうか。ファタさんが使ったと思っていた氷焔の資金は、実は冒険者組合のお金で、とどのつまり横領をしていたことになると」
「まっ、待ってください! そんなことが組合にばれたら、私はっ!!」
罪の所在を知って、態度を豹変させるファタ。彼の性格から、薄々そうではないかと思っていたが、間違いではないらしい。
僕は、彼の瑕疵を詳らかにする。
「やはりそうですか。氷焔の皆さんは、何だかんだで優しい人たちです。氷焔の資金を使っても、最後には許してもらえる、そういう打算があったのでしょう。ああ、お金の使い道は語らなくて結構。なぜなら、あなたの使ったお金は、氷焔のものではなく組合のものですから、僕たちには何の関係もありません」
炎竜の間は、スナが氷の息吹でも吹き付けたような極寒の地に、ひととき氷竜の間に変貌する。
室内の中心は、嘸や冷たかろう。
竜の国を造った後も色々してもらったので、評価を改め、内心でも、ファタさん、と呼ぼうと思っていたが、ファタ、で十分である。割を食って、サーイとサシスも呼び捨て継続が決定してしまったが。
「んで、やろーはどーすんだ?」
「どうもしなくて良い。する必要もない」
エンさんとクーさんの間で、にべなく結論が下る。あとはコウさんの判断だが。
「リシェさん。彼を放逐するのが、竜の国の採るべき手段だとは思うのですが、……他に方法はないのか……なのです」
コウさんの内でも揺れているようだ。ファタを嫌っているとしても、ただ見捨てるだけなのには抵抗がある。
然あれど、どうしてやるのが適切なのかわからない。
すると、コウさんの温情に光明を見出したのか、ファタの顔から笑みが消えて決意が漲ると、どういう通りすがりの風竜の気紛れか、床に腹這いになった。両手を真っ直ぐ伸ばして、一本の棒のようになると、手の甲と額を床につけた。
ーー炎竜の間が静まり返る。
「「「「「…………」」」」」
……ここに、新しい謝罪方法が生まれた。
人間、必死になると何をするかわからないものである。益々、みーの教育によろしくない。
「どうかお慈悲を、侍従長様」
ここまでされると、逆に助けてあげたくなくなってくるのはなぜなのか。
「翠緑王。情けを掛けられてはいけません。早急にこの者を捕らえ、組合に差しぃ……っ」
「はいはい。ちょっとややこしくなるから、カレンは少し黙っていましょうね」
カレンの後ろに回って、彼女の口を手で塞ぐ。逃れようとするので、お腹に腕を回して、抱き竦めたような感じになってしまう。刹那、カレンの体から力が抜けて、すとんっ、と床に座り込んでしまった。
顔を炎竜並みに真っ赤に、というのは言い過ぎだが、人間の顔というのはここまで赤くなるのかというくらいの紅潮具合で、炎竜に譬えた僕の感覚も強ち間違いだとは言い切れまい。
見ると、カレンは陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせているが、風竜に悪戯でもされてしまったのか、零れる吐息は言葉にならないようだ。
竜にも角にも、カレンは大人しくなったし、このままにしておこう。
フラン姉妹が殺意を込めた視線を僕に向けて、ぶつぶつと何かを呟いているが、そこは気にしない方向で。
「フィア様。組合とは、ファタさんの処遇について、竜の国として交渉するのが良いかと存じます」
「具体的には、どうするのです?」
「氷焔の資金の半分と同額となるとーー、ファタさんが使い込んだお金は膨大です。一生働いたところで返せるものではありません。また、収監されるか処刑されるかはわかりませんが、そうなれば結局お金は戻ってきません。そこで、ファタさんの身柄を竜の国が保証し、彼が稼いだ給金を返済に充てます。あと、これは元々予定していたことですが、竜地である雷竜の提供を交渉の材料とします」
僕の提案を聞いて、わずかに緩んだファタの顔が凍り付く。
徐に彼へと歩を進めていった僕が、折れない剣を抜いていたからだ。
「ファタさん。治癒魔法は使えますか?」
「つっ、使えますっ」
不穏な気配に、引き攣った声で即答するファタ。
顔から一切の表情を消して、冷徹侍従長を演じてみたが、予想以上の効果があったようだ。
その場に釘付けになった彼は、怯んだ心を隠し切れず、呼吸が浅くなって、指先が細かく震えている。
ファタのような性質の人間なら、自分を護る為の魔法を習得しているかと思ったが、当たりだったようだ。もしかしたら、「結界」も使えるかもしれない。
「治癒」や「結界」は、単純な攻撃魔法と異なり、習得に早くて半周期掛かるらしい。竜騎士の中では、ギルースさんが治癒魔法を使っているのを見たことがあるが、それ以外だと攻撃魔法しか見たことがない。
オルエルさんやザーツネルさん辺りなら、習得していそうな気はするが。とはいえ、本当の意味での治癒魔法を使える人は、殆どいないだろう。
「ーーっ、……」
……失敗した。
掌に薄く傷を付けるつもりが、緊張の為か、歩く際の反動と重なって、ざくっ、といってしまった。
鋭い剣先ではなく、もっと下にしておけばよかったと、後悔しても竜は振り返らない。ぐぁ、我慢できない程ではないが、痛くて痛いな痛いとき……。
掌とか感覚の鋭い場所の傷って凄く痛いんです、知ってましたか? などと誰とも知れない異世界の住人に心中で問い掛けて、痛みを紛らわせようとする。
ああ、これは、あとで僕が掃除しないといけないのかもしれない。絨毯にぽたぽた落ちていく血を見ながら、気が滅入る。こうなってしまったからには、演出の一部として利用しないと。
「それでは、僕の掌の傷を治してください」
ファタには理解不能だろうが、彼に選択肢はない。自らの行く末を明るくする為に「治癒」を行使して、懸命に僕の傷を癒やそうとする。
だが、僕に魔法は効かない。
「そんな馬鹿なっ! 魔法は発動しているのに、なぜ治らないっ」
ファタが僕を見上げる。
それを確認してから、血が滴る左手を彼の頬につける。ぴちゃ、という妙に耳を刺激する小さな音がして、ぬるりとした液体が塗りたくられる。
容赦のない物言いだった。決定事項として、しかも進行の邪魔をしないようにと言い渡されて、良識的で潔癖なカレンに否やがあるはずもなかった。
珍しく強権的だが、ああ、でも、これはコウさんの優しさなのかもしれない。
カレンの性格からして、斯かる始末の付け方のほうが彼女にとって負担が少ないはず。
三人、いや、老師も含めて四人が不承不承移動している間に、尋ねてみた。
「老師。やけに大人しいですけど、何か悪い物でも食べましたか?」
「大人しいとは、失礼だね。私はお情けで呼ばれたのだから、出しゃばるのは筋違い。弟子たちの成長を見守りながら、迷惑にならないよう置物になっているさ」
老師の言葉は本心からのものだろうが、それを弟子が認めるかどうかは別の話である。
「師匠、そんなだと王さま代理をやってもらうの」
「じじーは働け。山奥でぼ~としてんくらいなら、死ぬまで働け」
「師匠が侮られるのは勘弁ならない。相応の働きを望む」
「まったく、師匠を扱き使おうとするとは、いつからそんな悪い弟子になってしまったのやら」
半笑いの老師の嘆きに、炎竜の間が笑いに包まれる。老師のことだから、狙ってやったのかもしれない。
コウさんが「窓」を開いて、次の来訪者を連れてくるよう近衛にお願いをする。
カレンのときと違って緩い雰囲気の中、扉が開いて、ファタが物怖じしない態度で歩いてくる。「遠観」の「窓」を通して見たときにも感じたが、童顔で軽薄さを漂わせる様は、警戒心を抱かせるに十分だった。
笑っているのか笑っていないのか、癇に障る微妙な笑顔は健在である。
コウさんの前で止まったファタは、その場に座って胡坐をかいて、膝でも体の横でもなく、体の前に手を、しかも床には手の甲をつけている。そして最後に、ぐっと頭を下げた。
「「「「「…………」」」」」
「「「「「……、ーー」」」」」
「「「「「ーーーー」」」」」
炎竜の間がざわめき立つ。
然もありなん、ファタがしているのは、最上級の謝罪。自身の命すら差し出す覚悟がある、という誠意を示すもの。一生に一度、見るか見ないかというくらい珍らかな光景なのである。然ても、ファタは、何故謝罪などしているのか。
考えられるとしたら、氷焔を賞金首にしてしまったか、はたまた竜の国を敵性国家と認定させてしまったかーーなどということは、さすがにないと思うが。さて、もう一つ、わかり易過ぎる理由があるが、やっぱりそれなのだろうか。
ファタが竜の国を訪れた目的であり、僕たちが彼に要請、というか、依頼したこと。
まぁ、本人が目の前にいるのだから、仮定を重ねても意味はない。すぐに明らかになる、はずだ。
「ファタさん。説明もなく、そのようなことをされては困ります。先ずは顔を上げ、経緯を語ってください」
コウさんの膝の上に座っているみーが、不思議そうにファタを見ている。仔竜の情操教育に良くないな、などと思うのは場違いな発想だろうか。
ファタは顔を上げると、卑屈な物言いで罪の告白を始めた。
「今回、私が竜の国に罷り越しましたのは、経過報告の為と、組合に預けてある資金の返還についてであります。ですが、氷焔の資金は、私の浅短の為、失われてしまいました。この命、如何様にも処分していただいて構いません」
殊勝な態度で再び頭を下げる。
これは、騒ぎになる。僕は、エンさんに目配せをした。
了解してくれたエンさんは、炎竜の間の人々が騒ぎ立てる間際に、両手を打ち鳴らーーさなかった。
鉄が減り込む、妙に冴えた音が、皆の言葉を奪う。
エンさんは、床に魔法剣を突き立てていた。彼の顔に野太い笑みが浮かぶ。いったい、如何程の怒りが込められているのか、考えるだに恐ろしい。
「エンさん。鎮めてくださってありがとうございます」
エンさんが行動に移ってしまう前に、僕はクーさんに質す。
「クーさん。組合に預けておいた氷焔の、残りの半分の資金には、然るべき処置を施しておいたのではないですか?」
「師匠」
「はいはい」
「師匠。返事は一回」
「……はい」
尊敬する師匠であろうと容赦のないクーさん。
彼女から頼まれた、師匠の面目丸潰れの老師は、エンさんの脳天に手加減のない拳を落とす。ぎりぎりで避けたはずのエンさんの頭が、まともに打撃を受けて弾ける。
「幻影」か何かだろうか、どうやら魔法を使ったようだ。エンさんの強さを、身を以て体に刻んでいる竜騎士たちが息を呑む。
「リシェの推測通り。手許から離す金なら、手段を講じておくに決まっている。コウに頼んで、氷焔の資金には魔力が込められている」
クーさんの言葉に、コウさんが頷いて。それを見たファタの顔が蒼白になる。
まだ飲み込めていない人もいるようなので、わかり易い言葉にする。
「つまり、こういうことでしょうか。ファタさんが使ったと思っていた氷焔の資金は、実は冒険者組合のお金で、とどのつまり横領をしていたことになると」
「まっ、待ってください! そんなことが組合にばれたら、私はっ!!」
罪の所在を知って、態度を豹変させるファタ。彼の性格から、薄々そうではないかと思っていたが、間違いではないらしい。
僕は、彼の瑕疵を詳らかにする。
「やはりそうですか。氷焔の皆さんは、何だかんだで優しい人たちです。氷焔の資金を使っても、最後には許してもらえる、そういう打算があったのでしょう。ああ、お金の使い道は語らなくて結構。なぜなら、あなたの使ったお金は、氷焔のものではなく組合のものですから、僕たちには何の関係もありません」
炎竜の間は、スナが氷の息吹でも吹き付けたような極寒の地に、ひととき氷竜の間に変貌する。
室内の中心は、嘸や冷たかろう。
竜の国を造った後も色々してもらったので、評価を改め、内心でも、ファタさん、と呼ぼうと思っていたが、ファタ、で十分である。割を食って、サーイとサシスも呼び捨て継続が決定してしまったが。
「んで、やろーはどーすんだ?」
「どうもしなくて良い。する必要もない」
エンさんとクーさんの間で、にべなく結論が下る。あとはコウさんの判断だが。
「リシェさん。彼を放逐するのが、竜の国の採るべき手段だとは思うのですが、……他に方法はないのか……なのです」
コウさんの内でも揺れているようだ。ファタを嫌っているとしても、ただ見捨てるだけなのには抵抗がある。
然あれど、どうしてやるのが適切なのかわからない。
すると、コウさんの温情に光明を見出したのか、ファタの顔から笑みが消えて決意が漲ると、どういう通りすがりの風竜の気紛れか、床に腹這いになった。両手を真っ直ぐ伸ばして、一本の棒のようになると、手の甲と額を床につけた。
ーー炎竜の間が静まり返る。
「「「「「…………」」」」」
……ここに、新しい謝罪方法が生まれた。
人間、必死になると何をするかわからないものである。益々、みーの教育によろしくない。
「どうかお慈悲を、侍従長様」
ここまでされると、逆に助けてあげたくなくなってくるのはなぜなのか。
「翠緑王。情けを掛けられてはいけません。早急にこの者を捕らえ、組合に差しぃ……っ」
「はいはい。ちょっとややこしくなるから、カレンは少し黙っていましょうね」
カレンの後ろに回って、彼女の口を手で塞ぐ。逃れようとするので、お腹に腕を回して、抱き竦めたような感じになってしまう。刹那、カレンの体から力が抜けて、すとんっ、と床に座り込んでしまった。
顔を炎竜並みに真っ赤に、というのは言い過ぎだが、人間の顔というのはここまで赤くなるのかというくらいの紅潮具合で、炎竜に譬えた僕の感覚も強ち間違いだとは言い切れまい。
見ると、カレンは陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせているが、風竜に悪戯でもされてしまったのか、零れる吐息は言葉にならないようだ。
竜にも角にも、カレンは大人しくなったし、このままにしておこう。
フラン姉妹が殺意を込めた視線を僕に向けて、ぶつぶつと何かを呟いているが、そこは気にしない方向で。
「フィア様。組合とは、ファタさんの処遇について、竜の国として交渉するのが良いかと存じます」
「具体的には、どうするのです?」
「氷焔の資金の半分と同額となるとーー、ファタさんが使い込んだお金は膨大です。一生働いたところで返せるものではありません。また、収監されるか処刑されるかはわかりませんが、そうなれば結局お金は戻ってきません。そこで、ファタさんの身柄を竜の国が保証し、彼が稼いだ給金を返済に充てます。あと、これは元々予定していたことですが、竜地である雷竜の提供を交渉の材料とします」
僕の提案を聞いて、わずかに緩んだファタの顔が凍り付く。
徐に彼へと歩を進めていった僕が、折れない剣を抜いていたからだ。
「ファタさん。治癒魔法は使えますか?」
「つっ、使えますっ」
不穏な気配に、引き攣った声で即答するファタ。
顔から一切の表情を消して、冷徹侍従長を演じてみたが、予想以上の効果があったようだ。
その場に釘付けになった彼は、怯んだ心を隠し切れず、呼吸が浅くなって、指先が細かく震えている。
ファタのような性質の人間なら、自分を護る為の魔法を習得しているかと思ったが、当たりだったようだ。もしかしたら、「結界」も使えるかもしれない。
「治癒」や「結界」は、単純な攻撃魔法と異なり、習得に早くて半周期掛かるらしい。竜騎士の中では、ギルースさんが治癒魔法を使っているのを見たことがあるが、それ以外だと攻撃魔法しか見たことがない。
オルエルさんやザーツネルさん辺りなら、習得していそうな気はするが。とはいえ、本当の意味での治癒魔法を使える人は、殆どいないだろう。
「ーーっ、……」
……失敗した。
掌に薄く傷を付けるつもりが、緊張の為か、歩く際の反動と重なって、ざくっ、といってしまった。
鋭い剣先ではなく、もっと下にしておけばよかったと、後悔しても竜は振り返らない。ぐぁ、我慢できない程ではないが、痛くて痛いな痛いとき……。
掌とか感覚の鋭い場所の傷って凄く痛いんです、知ってましたか? などと誰とも知れない異世界の住人に心中で問い掛けて、痛みを紛らわせようとする。
ああ、これは、あとで僕が掃除しないといけないのかもしれない。絨毯にぽたぽた落ちていく血を見ながら、気が滅入る。こうなってしまったからには、演出の一部として利用しないと。
「それでは、僕の掌の傷を治してください」
ファタには理解不能だろうが、彼に選択肢はない。自らの行く末を明るくする為に「治癒」を行使して、懸命に僕の傷を癒やそうとする。
だが、僕に魔法は効かない。
「そんな馬鹿なっ! 魔法は発動しているのに、なぜ治らないっ」
ファタが僕を見上げる。
それを確認してから、血が滴る左手を彼の頬につける。ぴちゃ、という妙に耳を刺激する小さな音がして、ぬるりとした液体が塗りたくられる。
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