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七章 侍従長と魔法使い
少年の蹉跌と敗北 そして
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「何故、あの時機で下ってきた」
造次顛沛、実際に意識が躓きかけたが、あらゆる意思を総動員して、焦燥を心の内に隠したまま、ドゥールナル卿の問いに答える。
だが、それだけでは彼に対抗できそうにないので、いきなりだが核心を突いて、少しでも有利な状況になるよう試みる。
「麾下の精鋭部隊を突撃させようとしていたからです。あのーー魔法部隊を」
「っ!? なぜ貴様がサーミスールの国家機密ぐぉっつぁぎゃあぁああああおぅっ」
鉄拳。
先程より手加減が少ない。見ているこちらまで痛くなってきそうなので、直視は避ける。
ドゥールナル卿が目線で促してくるので、答え合わせをする。
「各国への表敬、というには荒っぽかったですが、サーミスールを訪れたときのことです。そちらの従者と、警備隊長が、ああ、今はあの魔法部隊に所属しているようですが、二人は『結界』を用いました。攻撃系の単調な魔法と異なり、『治癒』や『結界』には、半周期以上の修練が必要だと聞いています。特に親しいとは思えない二人が『結界』を使っていたとなれば、魔法部隊の存在に思い至ったとしても不思議なことではないでしょう」
見ると、警備隊長と思しき顔傷の男が、丁度クーさんに倒されたところだった。
僕に炎の息吹を浴びせてくれたみーには感謝である……のか?
あ~、いや、感謝はしておこう。あそこで息吹がなければ、彼らは「結界」を使わず、サーミスールの魔法部隊の存在を気取ることは出来なかったのだから。
「他にも感付いた者がいたようだ。貴卿の指示ではなかろう。大した戦術眼だ。部隊を突撃させたとして、成算はあったかどうか」
ドゥールナル卿が感心して、視線を坂の上に向ける。
釣られて振り返ると、右翼の「風吹」部隊の横に竜撃隊が突撃できる態勢を整えていた。
エンさん? いや、これは……。
ドゥールナル卿の称えに陰は感じられない。これから友好を築こうとしている相手である、出来る範囲で手の内や内情を明かしておこう。
「あれは老師の仕業ですね。竜の国の魔法団団長。魔法団と言っても、部下は魔工技術長官である、あのスーラカイアの双子の姉妹。他に、治癒術士と呪術師が加わる可能性があります。現在の我が国の魔法の要は、翠緑王であり、そして、翠緑王のみで事足ります」
過渡期、と言っていいのだろうか。まだ三国だが、国家に深く魔法が入り込んでいる。
魔法使いは、その閉鎖性や秘匿性から魔法を発展させることが叶わなかった。組合を立ち上げていれば状況は変わっていたかもしれないが、そのような奇特な人々は現れなかった。
だが、そこに国家が係われば事情は変わる。
武器の優位性を確保する為に職人を囲うように、魔法使いを支援、或いは使役することになるだろう。恐らく、国家の許で魔法は技術や技能を獲得していくことになる。
大陸の魔法使いの、個々の生活は一変するだろう。
「彼の国に加え、魔法使いの王さえ現れる。やはり、時流というべきか」
「……ストーフグレフ国のそれに、心付いていたのですか?」
「あれ程の異質な勝利だ、当然調べさせた。拾い上げた断片から確信し、対抗策を講じはしたがーー、あの王はわからぬ」
アラン・クール・ストーフグレフ王。やはり彼の王の心胆は、ドゥールナル卿をしても量れぬものらしい。
そんな相手に遣らかしてしまったことが脳裏を掠めるが、スナにお願いして氷漬けになっていてもらう。今は、百竜の炎が、瞋恚の静かな火が必要である。
「ストーフグレフ王は、魔法を、魔法部隊を気取られぬよう用いました。ですが、あなたは、ーー衆目に晒されても構わないとお考えか。その結果齎される災禍に思いが至らぬわけではないでしょう」
単純な攻撃魔法とて、数が揃えば恐ろしい火力となる。
魔法部隊の存在が公になれば、その有用性と優位性に気付いた国から急き込むように取り込んでいくだろう。そうなれば、戦争の形態も意義も変えてしまうかもしれない。
この大陸が魔法で満たされるのに、どれくらい掛かるだろう。魔法という力として、新たな方向性を見出した炎は、大陸を焼くだろう。
下手をすれば、四度目の大乱の引き金になるかもしれない。
そんなこと、許されるはずがない。
コウさんの魔法に頼っておきながら、魔法の都合の悪い面だけ否定するような考えだが、現況に鑑みてこれしか方法がないーー。
「わしが手を振り下ろしていたら、どのような帰結になるか」
質すドゥールナル卿に、僕は何も言えなくなってしまった。
彼の目には、悪意の欠片もなく、真摯に憂えている姿に、僕の内に熾った炎が霧散してゆく。
答えられず、無様に立っているだけの僕を嗤うでもなく、ドゥールナル卿は淡々と述べてゆく。
「魔法部隊の存在が知れ渡ることになろう。各国こぞって新設することになる。つまり、皆同等の力を得るということだ。然る後、キトゥルナ、クラバリッタと共に、ストーフグレフに協定乃至条約の策定を申し入れることになる。同盟国とストーフグレフ国を中心に規程を定めてしまうのだ。魔法部隊を持つのは構わない、だが、使用した際には罰則を科す。或いは、もう少し緩くても構わない。自国内の使用は許可、六名以下の人員であれば可。厳しくするのなら、国家が魔法使いとして雇えるのは二十人までとし、戦争への投入を禁じる。ここらは各国の駆け引き次第だろうが、すでに草案は用意してある。各国から選出した魔法使いで、大陸の条約違反を取り締まる組織を創設することも案の一つだ」
諄々と諭すドゥールナル卿。
僕の理解が追い付くまで時間を空けてくれるが、そうと見て取るや、容赦なく先に進んでゆく。
「ストーフグレフ国、サーミスール国、そして竜の国。情報というものは、必ず漏れる。隠して、隠して、隠し続けて、隠し切れなくなったとき、魔法を求める者たちを抑えることが能うか? 力に気付いた者から、手にした者から使ってゆけば、取り返しのつかぬ連鎖に陥ることもあろう。それから条約を締結しようとしたところで、手遅れになるやもしれん。火を撒くことと、火が撒かれることは異なる。力と意思在る国が火を撒くは、その責務を果たす為であると考えはしないか?」
「…………」
何という浅慮か。何一つ、一片の言葉さえも、返すものはない。
対策も考えず、ただ災禍を先延ばしにするだけの愚策を、その結末まで見通して練っていた相手に、得意げになって語っていたのだ。
どれほどの未熟を曝け出せば気が済むのか。
これほど恥ずかしく居た堪れない、今すぐ居室に帰って毛布を被って世界から隔離されることを大歓迎してしまう、そんな消え入りたい、逃げ出したい誘惑に駆られるが、彼の目が、ドゥールナル卿の眼差しがそれを許してくれない。
上に立つ者の怠惰を見逃してなどくれない。
このまま膝を突いて、頭を垂れたら、どんなに楽なことだろう。
「まだ時はある。話しておこうか」
クーさんとクラバリッタの精鋭の戦い、いや、決闘と言うべきか。三十人程倒したーー彼らからすれば倒された光景に目を向けて、切り出してくる。
「エクリナス様のことは、聞き及んでおろう。幼少の砌、わしは教育係に任ぜられた。優秀過ぎる部下は使い辛かったのだろうな、わしとしても、人を育てることに興味がなかったわけではない故、引き受けることにした。あの御方は、不器用だが努力を怠らぬ、誠実な、聞き訳が良過ぎて子供らしくない子供であった。父王の為に、兄に裨益せんと、どうすれば良いか考え、わしに一切の優しさを排除した厳しさを求めた。わしは求められるままに、エクリナス様にわしの持つすべてを注ぎ込んだ。
『ドゥールナルは、教育係に任ぜられた恨みから、エクリナス様をいびり殺すつもりだ』などと、噂が立つ程に教化と鍛錬を課したが、あの御方は泣き言一つ零さず、終には、わしのほうから限界を超えても求め続けるエクリナス様を止めねばならなかった。
『止める代わりに昔語りをしろ』とあの御方の我が侭ともいえぬ、唯一の我が侭だった。眠りに就かれるまでの短い間、わしの詰まらぬ過去を楽しげに聞いておられた。恐れ多いことだが、わしはエクリナス様を孫のように思うておる。若き頃には得られなかった、忠誠を尽くそうと思える主君を、この周期になって得られるとは。この老い耄れの残りの命は、あの御方の為に使おうと、エクリナス様が王になられたとき、隊長の任を受託した。
わしは見てきた。王となられた兄の為に、懸命に尽くすエクリナス様の姿を。王になられてからは、私心など、欲さえ捨て去り、民に寄り添わんとする姿を。その御姿に、生来の気質に、噂に惑わされていた者たちは蒙を啓かれ、心が晴れてゆく。
今や兆しておる。やがて、王都に、サーミスールに響き渡り、自らが如何に恵まれているか気付くであろう。これほどに善き王を頂いていることを誇りに思うであろう」
熱を帯びてきていたドゥールナル卿の昔語りが中断して、彼の視線が僕を捉える。
それは非難なのか諦観なのか、混じって濁って凝ったものが目に宿っているようだった。
「竜の国の侍従長ランル・リシェーー貴卿のことだ。エクリナス様にとって、貴卿は紛う方なき英雄であった。竜の狩場に国を造るという偉業を成し遂げ、不可避と思えた城街地との衝突を回避。然も、それを成したは、まだ周期浅き少年であるという。
『名もなき、ただの少年でさえこれだけのことが能うのだ、王である私が諦めるわけにはゆかぬ』ーーそう仰い、あの御方は顔を綻ばせた。あの御方の、あのような自然な笑顔をわしは初めて見た。恥ずかしきことだが、その笑顔を引き出すことの出来なかった自らを省み、貴卿に妬心さえ抱いたものだ。『悪質』やら『悪逆の繰り手』やらの二つ名も、彼の名声を妬んだ者の流言に過ぎぬと、傾倒振りを諌めるか悩んだものだ」
あ、いや、ちょっと待ってください、二つ名が悪い方向(?)に変化しているんですけど。いや、同盟国からの嫌われっぷりからすると、これでも増しなほうなのかな。
そしてドゥールナル卿は、世界の真理を解明した、といった風情で断言した。
「だが、その二つ名は相違なきものであった」
「…………」
「あの御方は、待っておられた。焦がれていた、と言い換えても良い。英雄の来訪をーー」
法外な事実に虚を衝かれるが、ドゥールナル卿の話は終わりではなかった。
「〝サイカ〟、ボルン・カイナスとの会合後、何故三国の王に謁見を求めず、竜の国に帰還したのだ。知っておるか? カイナス三兄弟は、城街地との衝突が避けられたことを王に告げた。それは、結果的に事後報告となった。事前の報告であっても、結果は変わらなかったろう。だが、王の頭を越えて行われたそれは、どれだけの軽視を、無礼を、侮蔑を抱えれば行えるのか。同盟国にとっての最重要課題を、取るに足らぬものと蹴飛ばす。
〝サイカ〟は争わず、とあるように、実情〝サイカ〟は国の内にあって、外にあるようなものだ。国の問題を、外で決められ、一方的に終結を告げられる。これに気を良くする王などおるまい。糅てて加えて、エクリナス様には、貴卿への憧憬があった。事が終わったあと、その報を耳にしたあの御方は、どれほどの苦渋を籠めて、この言葉を発したか」
ドゥールナル卿と、まだ見ぬサーミスール王の姿が重なる。
「『王とは、これほど軽んじられなければならないものなのか』」
静かな口調で吐露する言葉が、じわりじわりと僕の心を抉ってゆく。
「ーーあのような御姿も初めてだった。憎しみと怒りに顔を歪められ、物に当たるなど。王たる振る舞いではない。だが、それをお止めすることなど、どうして出来ようか」
「…………」
「貴卿の咎はそれだけではない。ボルン・カイナスとの会合から城街地の民の移住までを、竜の国の都合のみで行ったことだ。貴卿は考えたことがなかったか?」
問われるが、頭は麻痺しているのか、上手く機能しない。
もとから僕の答えなど期待していないのか、ドゥールナル卿は僕の瑕疵を更に述べ立てる。
「ストリチナ同盟国とは、元は十二国であったものを三国に併合することで成された。それは、三国が九国を抱えるということだ。嫌な言い方をするなら、三倍の敵を自国に引き入れたようなものだ。外から見れば、戦果ばかりが目に付こう。火種を燻らせたまま、国を形作るは容易なことではない。だが、三国は遣り遂げた。
城街地も、その為の方策の一つ。先ずは同盟国の民に、同盟が与える利益を示さねばならん。元九国が抱えていた、まつろわぬ人々を引き受け、戦禍だけでなく治安の回復。それと同時に、城街地を国の系統に取り入れ、同盟国の利益とする。二竜を追って、捕まえられたのは片方だけだったが。問題は、逃げたもう一竜だ。竜とは、城街地ーー現在の竜の民のことではない。先程言った、火種のことだ。
奴等は、城街地との衝突を利用するつもりであった。周期を経て、ようやっと民も同盟国を受け容れたというに、一度得た栄光とはここまで人を腐らせるものか。もはや民の心は離れ、騒乱を撒き散らすだけだというのに、現状では満足できぬのか。
奴らのことを、まったく理解できぬわけではない。然し、今ある秩序を乱そうとするなら、看過することなど出来ぬ。その芽が、芽吹く前に刈り取る。そして、三国で連携して事に当たるよう、以前から協議を重ねてきた。それを乱したのが貴卿だ」
僕の咎を明らかにして、無知と、顧みることのなかった愚かさを断罪する。
「竜の国の都合で動かれ、同盟国は協調を乱された。結果、わし等は間に合わなかった」
心臓が跳ねる。ここまできて、漸く理解する。
僕が何をしたのか、何もしなかったから、引き起こされたことを。
聞きたくなかった、耳を塞ぎたかった、そんなこと知らなかったと、逃げ出したかった。でも、もう遅い、何もかも遅過ぎる、遅過ぎたのだ。
「同盟国に火種は撒かれた。燃え盛り、火炎はストリチナ地方を焼き尽くすやもしれん。そうなれば、何万、何十万もの民が死ぬことになる。それはすべて、貴卿の軽挙が原因だ。いやさ、同盟国の三王はこう思っているやもしれぬな。ストリチナ地方を戦渦に陥れる為の、竜の国の侍従長の謀略だと。どうだ? 策が嵌まり、近隣国を乱し、満足か?」
感情を排して問い掛ける、ドゥールナル卿の表情が見えなかった。
見えないのは、僕が項垂れていたから。でも、見えていたとしても、心の弱い僕には、直視できなかったかもしれない。
これは何を護る為の戦いだったのか。始める前から失敗しているではないか。
コウさんの顔が、思い描かれる前に遠ざかってゆく。
もう掴めない、彼女の笑顔を思い出せない。みーと百竜が、じっと僕を見ている。何も言っていない、ただその目が語っているだけだ。
竜の国を共に造ったエンさんとクーさん、エルネアの剣に黄金の秤に、見知った人々すべてが、僕を置き去りに、何もない場所に行ってしまう。
彼らに向かって伸ばした手は、嘗て幾度も空に向かって伸ばした、その手は、何を希求して、どんな場所に辿り着きたくて、夢見たものだったのか。
ーー暗い。
何もなかった。
ドゥールナル卿も、「風吹」部隊も、同盟国の兵も、すべてがなくなった。消えて、聞こえなくて、僕自身がなくなって、感覚も欠落して。
足下に地面なんてなくて。落ちてゆく。踏み締める大地がないのに、どうして立っていられるのか。突如、重みが掛かる。どこに乗っかってきたのかもわからない。
数万人の命? 数十万の命?
体に圧し掛かってきたのか、心に積まれていったのか、ただただ重たくて、僕の何もかもが消し飛んでしまう。
だのに、おかしい。
体に力がまったく入っていないのに、どこにも何もないのに、僕は倒れていない。
「〝サイカ〟は膝を突かず。私たちは〝サイカ〟ではないけれど、自らの行いから目を背けてはならない。最後まで立っていることが、最後まで見続けることが、最低限の義務だ。私の弟子なら、そのくらいのことわかっていると思っていたけれどね」
「……まだ弟子になった覚えはありません」
「ははっ、それは悪いね。私のほうは、もう弟子だと思っているから、疲れも厭わず『転移』で遣って来たというわけさ」
「……弟子弟子詐欺ですか」
ああ、ごめんなさい。と心中で謝っておく。先程僕の心を通り過ぎていった人々の中に老師の姿はなかった。
知らず知らず、頼っていたからだろうか。甘えていた、などとは思いたくないが、師匠とかいう存在を暗に認めて、別枠として扱っていたのかもしれない。
因みに、スナが現れなかったのは、ああ、その、こんなことを言うのは恥ずかしいのだが、もう家族のようなものだからである。
スナがどう思っているかはわからないが、氷竜が心から望まない限り、愛娘を手放す気なんてない。まぁ、その前に、氷竜を幻滅させたら、胃袋ーーがあるのかどうかわからないけど、喰われて魔力にされてしまうだろう。
スナには助けてもらってばかり。今も、スナに幻滅されるくらいなら、死んだほうが増しだ、と僕は少しおかしくなっているのかもしれないが、とりあえず、自分の足で立って、自分の頭で考えるだけの気力を与えてくれる。
「そういうわけで、ちょっとばかり弟子の尻を叩きに来たってわけさ」
「……貴様、グリン・グロウか!? 否、孫……息子か? まぁ良い、叩き潰してから洗い浚い吐かせてやる」
顔見知りなのか、親の敵とばかりに気色ばんだドゥールナル卿が長剣に手を掛けるが、
「相変わらず、気に入らない人間は姓名で呼んでいるのかな。今は、ドゥールナル卿とか呼ばれているのか? お前さんの驚いた顔が見られるのだ、長生きはするものだな」
老師の飄々とした、軽い態度と述懐が、抜き打ち寸前の、老将の手を止めさせる。
ちっ。とドゥールナル卿が舌打ちをする。
僕も驚いたが、そんなことが起こるなど天地が引っ繰り返っても有り得ないと思っていたのか、従者の少年が心の底からおったまげて、そのまま後ろに倒れて、坂道を転がり落ちてゆく。
誰も彼の心配をしない中、老師は僕の弟子入りを確定したらしく、君付けを止めて、出来の悪い弟子に教示してくれる。
「さて、リシェ。この糞馬鹿真面目な男が、国に火種が撒かれているというのに、こんなところで油を売っている暇があると思うかい?」
「えっと、それは……」
「黙れ、この糞馬鹿不真面目な男が、今頃現世に迷い出て、不貞の積み増しをするか」
この二人、仲が悪いように見えて、実は仲が好いのだろうか。いや、僕とカレンの間柄に似ているような気がしたが、やっぱり勘違いかな。
「だいたいその格好は何だ、若作りにも程がある。魔法使いの様相が破滅的に似合っていない」
「えっと、実は、老師は色々ありまして、体の中はぼろぼろみたいで、ああしていないと動くのも困難みたいで、魔法は治癒術士の親友から教わったみたいですけど……」
なぜか僕が言い訳する羽目になっているが、って、うわっ、不味いっ、ドゥールナル卿の目が、師匠が憎けりゃ弟子まで、になっている。
「まぁ良い。今は、聞くことは一つだけにしてやる」
「何かな?」
「何故スースィアを連れて行かなかった」
「ーーーー」
尋ねるドゥールナル卿の言葉には、長い周期が横たわっていて、僕には到底及びも付かない感情の縺れがあるように感じられた。
スースィアとは、亡くなった里長の伴侶であり、カレンの祖母。先程感じたドゥールナル卿の印象が、連想させる。やはり、そうなのだろうか。
「それは、お前さんのほうこそだろう。知っているぞ、里から出たとき、スースィアはお前さんを頼って、身を寄せていたのだろう」
二人の、炎を噴き出す前に爆発してしまったかのような感情の発露を、このままでは両陣に不審を撒き散らし兼ねないので、無理やり間に入って止めようと試みる。
「貴様は……」
「ドゥールナル卿! ちょっと、ちょっとだけ待ってください!」
「何だ!!」
「ぅひっ、えっと、その、ドゥールナル卿とスースィア様は、兄妹、ですよね?」
僕の問い掛け、というか、確認に、老師が間抜けな声を零す。
「……は? ーー、……は?」
「ーー貴様っ、初対面の小童ですら気付くものを、妬心に塗れて、現実さえ見えておらなんだか!」
「……やっ、ちょっと待て! 全然顔が似ていないではないか!」
「似ておらん兄妹なぞ、掃いて捨てるほどおるではないか、自らの不見識を棚に上げるでないわっ!」
「ふぐっ……」
お互い炎の吐き過ぎでやばいことになっている。ここは一度涼んでもらうことにしよう。
「ドゥールナル卿。中央の『風吹』部隊の指揮官を御覧ください。里長の孫であり、竜の国の侍従次長である彼女の名は、カレン・ファスファール。スースィア様の孫です。カレンにとって、あなたは大伯父、あなたからすると大姪になります」
意表を衝かれたドゥールナル卿は、僕の言葉のままにカレンを眺め遣って甘心する。
「そうかーー、面影があるな。……指揮官ということは、やはりお転婆なところも似てしまったということか」
ドゥールナル卿の視線を承知したらしいカレンが、にこやかに手を振る。
ああ、明らかに何かを勘違いしているようだ。
カレンは、祖母であるスースィア様のことを尊敬していた。この事実を伝えれば、彼女は思い出話を聞きに、サーミスールを訪れるかもしれない。
「リシェ。それは止めたほうが良いと思うよ。この堅物は、大姪のカレンとサーミスール王を結び付けようとか画策しているからね」
「当然だろう。これほどの良縁、然う然うありはしない。王は、政務に感けて、そちらの方面に疎くなっておられるからな、機会を逃してなるものか」
「……お前さんは、少し変わったなぁ。それもそうかーー」
四十周期。僕の生きてきた時間の二倍と半分くらい。
懐古、などと軽く言ってしまっては失礼になる。老師の眼差しは、どこに旅立っているのか、若々しい顔に古びた面差しが宿って、見えたことのない老師の、本当の姿を幻視する。
「改革に賛同せず、離れたお前さんに、わからないのは当然だが。里を離れてから三周期後、改革に向けて動き出すときには、すでに死病に侵されていた。どうせ長くない命、改革で使い果たしてしまおうと思ったが、私は生き残り、あいつは恋人も腹の子も遺して、魂を散らした。あいつは、私の命も救った。あいつから託された治癒魔法の深奥が、私だけでなく、コウを、翠緑王を生かした」
今僕が居る、この場所に至るには多くの人の係わりが必要だった。
コウさんを生かした老師、そして老師を生かす為に治癒魔法を授けたらしい親友の治癒術士。
人の綾というか、そこにスースィア様との別れが含まれていたとするなら、複雑、というのは違うか、無常、というか、……駄目だ、まだ歩き始めたばかりの僕では、到底表現のしようがない。
感慨に浸っているのか、二人を見ていて、違和感をーーそう、これは里長と老師が再会したときに感じたのと同じものだ。
あのときは、喉まで出掛かっていたが、答えに辿り着けなかった。然し、里長、ドゥールナル卿と二人続けば、幾らなんでも違和感の正体に気付く。というか、何故今まで気付かなかったのか。
見た目と思い込みというのは、案外強く人を惑わせるものらしい。まぁ、これも老師の所為だ、と責任転嫁する。
僕と違って、一度で心付いたドゥールナル卿に、軽く頭を下げる。どうやら秘匿してくれるらしい、目礼で返してくれる。
「そうか。やはり、貴様はスースィアを連れて行くべきだったのだ」
「…………」
「死病だ何だとほざくが、現にこうして貴様は生きている。独り善がりで先に手を放したのは貴様だ。死ぬまで後悔して、短い余生を生きると良い」
言葉では非難しているが、口調は穏やかなものだった。察した老師も反駁せず、過去の過ぎ去った情景に思いを致しているようだった。
「はっ、はぁ、どぅ、ドゥールナル様、……ふぃ、つ、連れてまいりました」
もう戻ってきたのかと見てみると、従者の少年に三人の騎士が同行していた。彼らは何かを運んでいるようで、ドゥールナル卿の横にゆっくりと慎重に置いた。
「同盟国に不法入国した故、こうして捕らえたわけだが、処罰をどうしたものかと迷っておる。どうも、命令されているわけではなく、自律しているよう感じられるが」
纏めて縄で縛られている六体のミニレムが、処罰と聞いて、いやんいやんと首を振って、足をばたつかせていた。
あ、何だかちょっと可愛い。
「不法入国……とは、彼らは何をしたのでしょうか? 彼らは働き者なので、何か遣らかしたのなら、その弁済に労働力として提供することを考えますが」
事が事なので下手に出てみると、憤慨したらしいミニレムたちが、足でばしばしと地面を叩き始めた。
あ、何だかちょっとむかつく。
「ああ、彼らがしたことといえば、建物の出入り口から出られないように、棒を使い扉を封鎖したり、厩を破壊してすべての馬を逃がしたり、川を大岩で塞き止め、街道に水を溢れさせて通れなくさせたり、領主の館を全焼させたりとーー」
申し訳ございませんっ!! とファタ考案の究極の謝罪体勢に移ろうとしたところで、
「まったくもって、天晴れな働き振りであった」
ドゥールナル卿の賞賛の言葉が、僕の心胆を氷竜の息吹水準で体ごと凍らせる。
え、は? えと、何ですと?
見ると、深く刻まれた皺は、優しい形を作っている。ドゥールナル卿に頭を撫でられて、ミニレムたちがでれでれである。
彼が部下に合図すると、縄が解かれて、ミニレムたちがドゥールナル卿に次々とくっ付く。凄く懐いているように見えるのだが、一体何があったのだろうか。
働き振り、ということは、彼らの損害になっていない?
いや、でも……。と考えていると、これは困っているのだろうか、ドゥールナル卿がミニレムに体を攀じ登られながら直立不動の体勢で説明してくれる。
「先に述べたが、わし等は間に合わなかった、それは事実だ。貴卿の思惑はどうあれ、三国の足並みが乱された。然もありなん、他者に振り回されながらで上手くゆくはずもない。
そこに現れたのが彼らだ。反乱の兵を建物に閉じ込めたり、騎士の馬を逃がしたり、街道を封鎖して敵軍の合流を防いだり、敵の首魁と目されていた領主の館を焼き、資金源を断ったりと、四大竜の如き活躍振りであった。わし等が駆け付けると、右往左往した敵がおり、そして周囲には彼らの姿が。そうして、事情を知ったというわけだ」
ドゥールナル卿が手を振って合図すると、騎士たちが手分けしてミニレムを彼から引き剥がして、ミニレムに外衣を羽織らせてゆく。
見るからに仕立ての良い暗色の外衣には、ドゥールナル家の紋なのだろうか、雄々しき鷹の意匠。
「不法入国故、彼らの功績を表立って賞することは出来ん。そこで、わし個人が、感謝の意を籠めて、ミニレム殿に友好の絆として贈らせてもらう」
感激したミニレムが、再びドゥールナル卿にくっ付こうとするが、それを邪魔する者が現れる。然なきだに面倒だというのに、もう勝手に遣っていてもらおう、従者の少年とミニレムたちの、どうでもいい戦いの幕が切って落とされる。
「然して、貴卿はどうする? 竜にも角にも、グリン・グロウは後でサーミスールに強制召喚するが、貴卿のことは、あの御方から何も託っておらん」
またぞろ魔触竜発の二人。さっそく老師が噛み付く。
「ーーお前さん、場合によっては本気で竜の国を潰すつもりだったろう」
「無論だ。グリングロウ国などという戯れた名の国など、塵一つ残さず消滅させるが本懐」
「サーミスール王に惚れ込むのは良いが、王可愛さに爺が発奮しても恥ずかしいだけだぞ」
「貴卿、カレン・ファスファールに言伝を頼む。貴女の祖母に横恋慕した不貞者がおる、絶対に気を許してはならぬ、と」
「くくっ、心配いらないさ。彼女には、すでに意中の相手が居るようだよ」
「然かし。どうやら生かしておくわけにはいかぬようだ」
「ちょっ、勘違いするなっ! 私ではない!」
「それこそ心配いらん! 間違いであったとしても一向に構わぬ。天の国でスースィアや親友に千回謝ってくるが良い!」
「こらっ、弟子、助けないか!」
ぼろぼろの体を、治癒魔法の系統で無理やり動かしているらしい老師は、「懐剣」の本領を発揮できず「結界」で防いでいるが、ドゥールナル卿の膂力に任せた剣戟で「結界」に罅が入ってきている。
そう長くは持たないだろう。
ミニレムと遣り合っていたはずの従者の少年がドゥールナル卿に加勢する。
ミニレムはどうしたかというと。
少年と引き分けたらしい彼らは、老師ではなくドゥールナル卿に味方して、「結界」をがしがし攻撃していた。
……あー、さすがに可哀想なので、老師に竜の尻尾を出すことにする。
「ドゥールナル卿。サーミスール王、クラバリッタ王、キトゥルナ王に拝謁の機会を賜り、この度の一件の説明に伺いたく存じます」
「ーー三王に貴卿の言葉は届けよう。だが、託けるだけだ。王が聞き入れるかどうかは知らん」
「それで十分です、感謝を。三王の意思とは関係なく、僕のほうから会いに行くので、その旨もお伝えください」
この一件を長引かせるくらいなら、迷惑になろうと押し掛ける。
面倒な思惑や策など巡らせる間など与えない。その気概でドゥールナル卿を半ば睨み付けるように見遣ると、
「はははっ、良いだろう、承った。然様な向こうっ気は嫌いではない」
快闊に請け負ってくれる。
従者の少年の首根っこを掴んで「結界」から引き剥がすと、何事もなかったかのようにミニレムも「結界」から離れて。一列に並んで、ドゥールナル卿に、ぺこり。
軽く頷いた彼に、別れを惜しむように、とぼとぼと僕の前まで歩いてくる。
「老師。『窓』をお願いできますか?」
「はいはい、やっておくよ」
助けてあげたのだから、ちゃんと働いてくださいね。と弟子が目線で脅すと、渋々と従ってくれる師匠。
根負けしたのと、あとは少しの感謝から、師として慕うかどうかは措いて、師匠として認めてあげてもいいような気がしないでもないので、まぁいいだろう。
「風吹」部隊や交代予備の頭上に「窓」を開いて、老師が声を抑えて終結を宣言する。
「さて、昨日から続くこの騒ぎは終了です。予備、交代要員、部隊と、漸次竜の国に帰投、ではなく、帰還、いやさ、帰宅するように。良いですか、今は騒いではいけません、相手を刺激してはいけません。静かに、整然と、です。騒ぐのは、竜の湖に着いてからです。
ああ、あと動けそうにない弟子二人を幾人かで迎えに行ってやってください。ーーちょっとだけなら、うっかり触ってしまっても問題ありません」
余計なこと言わないでください。
ほら、近衛隊の人たちが誰がクーさんを迎えに行くかで揉めているし、別の意味で、誰がエンさんを引き取りに行くかで黄金の秤隊が揉めています。
まぁ、誰でもいいので、傷が深そうな団長のほうは、早く回収してあげてください。
「サーミスール王、エクリナス様のご機嫌は如何でしょうか?」
「覚悟をしておけ、としか言えん」
「そうですか。では、時間を置いて、冷静さを取り戻していただいたほうが良いかもしれません。キトゥルナから赴こうと思います」
「賭け、だな。この度の顛末で、冷静になられるか、若しくは拗らせるか。あのように癇癪を起こしたエクリナス様は始めてだ。ただ只管に、直向きであられた王が、溜め込まれていた感情を吐き出す機会を得たと喜ぶべきか」
「……、ーーはぁ」
まだまだ前途多難であることを、彼の表情から予見する。
「貴様! 竜の国の侍従長、ランル・リシェだということは先刻お見通しだ! よく聞けっ! 誇り高き僕の名ぼぁっ、ぎゃぁあああぁ~」
「さっさと戻り、帰り支度をせよ」
蹴飛ばされて転がり落ちる従者の少年の悲鳴が合図だったなどと、まったく締まらないことこの上ないが。
深刻ではない、ただの騒乱の終了を告げるには、相応しかったのかもしれない。
「風吹」部隊が退き始めると、クラバリッタの「智将」が、ダグバース卿と精兵たちが王様代理に最後の挨拶をして退いてゆく。
もうやけくそなのか、カレンはクラバリッタ兵に愛想良く満開笑顔を振り撒いていた。
クラバリッタの後退を見て、キトゥルナが、続いてサーミスールが、戦史に載ることはないだろう、この奇妙な戦いの余韻を響かせながら、それぞれ帰途につくのだった。
造次顛沛、実際に意識が躓きかけたが、あらゆる意思を総動員して、焦燥を心の内に隠したまま、ドゥールナル卿の問いに答える。
だが、それだけでは彼に対抗できそうにないので、いきなりだが核心を突いて、少しでも有利な状況になるよう試みる。
「麾下の精鋭部隊を突撃させようとしていたからです。あのーー魔法部隊を」
「っ!? なぜ貴様がサーミスールの国家機密ぐぉっつぁぎゃあぁああああおぅっ」
鉄拳。
先程より手加減が少ない。見ているこちらまで痛くなってきそうなので、直視は避ける。
ドゥールナル卿が目線で促してくるので、答え合わせをする。
「各国への表敬、というには荒っぽかったですが、サーミスールを訪れたときのことです。そちらの従者と、警備隊長が、ああ、今はあの魔法部隊に所属しているようですが、二人は『結界』を用いました。攻撃系の単調な魔法と異なり、『治癒』や『結界』には、半周期以上の修練が必要だと聞いています。特に親しいとは思えない二人が『結界』を使っていたとなれば、魔法部隊の存在に思い至ったとしても不思議なことではないでしょう」
見ると、警備隊長と思しき顔傷の男が、丁度クーさんに倒されたところだった。
僕に炎の息吹を浴びせてくれたみーには感謝である……のか?
あ~、いや、感謝はしておこう。あそこで息吹がなければ、彼らは「結界」を使わず、サーミスールの魔法部隊の存在を気取ることは出来なかったのだから。
「他にも感付いた者がいたようだ。貴卿の指示ではなかろう。大した戦術眼だ。部隊を突撃させたとして、成算はあったかどうか」
ドゥールナル卿が感心して、視線を坂の上に向ける。
釣られて振り返ると、右翼の「風吹」部隊の横に竜撃隊が突撃できる態勢を整えていた。
エンさん? いや、これは……。
ドゥールナル卿の称えに陰は感じられない。これから友好を築こうとしている相手である、出来る範囲で手の内や内情を明かしておこう。
「あれは老師の仕業ですね。竜の国の魔法団団長。魔法団と言っても、部下は魔工技術長官である、あのスーラカイアの双子の姉妹。他に、治癒術士と呪術師が加わる可能性があります。現在の我が国の魔法の要は、翠緑王であり、そして、翠緑王のみで事足ります」
過渡期、と言っていいのだろうか。まだ三国だが、国家に深く魔法が入り込んでいる。
魔法使いは、その閉鎖性や秘匿性から魔法を発展させることが叶わなかった。組合を立ち上げていれば状況は変わっていたかもしれないが、そのような奇特な人々は現れなかった。
だが、そこに国家が係われば事情は変わる。
武器の優位性を確保する為に職人を囲うように、魔法使いを支援、或いは使役することになるだろう。恐らく、国家の許で魔法は技術や技能を獲得していくことになる。
大陸の魔法使いの、個々の生活は一変するだろう。
「彼の国に加え、魔法使いの王さえ現れる。やはり、時流というべきか」
「……ストーフグレフ国のそれに、心付いていたのですか?」
「あれ程の異質な勝利だ、当然調べさせた。拾い上げた断片から確信し、対抗策を講じはしたがーー、あの王はわからぬ」
アラン・クール・ストーフグレフ王。やはり彼の王の心胆は、ドゥールナル卿をしても量れぬものらしい。
そんな相手に遣らかしてしまったことが脳裏を掠めるが、スナにお願いして氷漬けになっていてもらう。今は、百竜の炎が、瞋恚の静かな火が必要である。
「ストーフグレフ王は、魔法を、魔法部隊を気取られぬよう用いました。ですが、あなたは、ーー衆目に晒されても構わないとお考えか。その結果齎される災禍に思いが至らぬわけではないでしょう」
単純な攻撃魔法とて、数が揃えば恐ろしい火力となる。
魔法部隊の存在が公になれば、その有用性と優位性に気付いた国から急き込むように取り込んでいくだろう。そうなれば、戦争の形態も意義も変えてしまうかもしれない。
この大陸が魔法で満たされるのに、どれくらい掛かるだろう。魔法という力として、新たな方向性を見出した炎は、大陸を焼くだろう。
下手をすれば、四度目の大乱の引き金になるかもしれない。
そんなこと、許されるはずがない。
コウさんの魔法に頼っておきながら、魔法の都合の悪い面だけ否定するような考えだが、現況に鑑みてこれしか方法がないーー。
「わしが手を振り下ろしていたら、どのような帰結になるか」
質すドゥールナル卿に、僕は何も言えなくなってしまった。
彼の目には、悪意の欠片もなく、真摯に憂えている姿に、僕の内に熾った炎が霧散してゆく。
答えられず、無様に立っているだけの僕を嗤うでもなく、ドゥールナル卿は淡々と述べてゆく。
「魔法部隊の存在が知れ渡ることになろう。各国こぞって新設することになる。つまり、皆同等の力を得るということだ。然る後、キトゥルナ、クラバリッタと共に、ストーフグレフに協定乃至条約の策定を申し入れることになる。同盟国とストーフグレフ国を中心に規程を定めてしまうのだ。魔法部隊を持つのは構わない、だが、使用した際には罰則を科す。或いは、もう少し緩くても構わない。自国内の使用は許可、六名以下の人員であれば可。厳しくするのなら、国家が魔法使いとして雇えるのは二十人までとし、戦争への投入を禁じる。ここらは各国の駆け引き次第だろうが、すでに草案は用意してある。各国から選出した魔法使いで、大陸の条約違反を取り締まる組織を創設することも案の一つだ」
諄々と諭すドゥールナル卿。
僕の理解が追い付くまで時間を空けてくれるが、そうと見て取るや、容赦なく先に進んでゆく。
「ストーフグレフ国、サーミスール国、そして竜の国。情報というものは、必ず漏れる。隠して、隠して、隠し続けて、隠し切れなくなったとき、魔法を求める者たちを抑えることが能うか? 力に気付いた者から、手にした者から使ってゆけば、取り返しのつかぬ連鎖に陥ることもあろう。それから条約を締結しようとしたところで、手遅れになるやもしれん。火を撒くことと、火が撒かれることは異なる。力と意思在る国が火を撒くは、その責務を果たす為であると考えはしないか?」
「…………」
何という浅慮か。何一つ、一片の言葉さえも、返すものはない。
対策も考えず、ただ災禍を先延ばしにするだけの愚策を、その結末まで見通して練っていた相手に、得意げになって語っていたのだ。
どれほどの未熟を曝け出せば気が済むのか。
これほど恥ずかしく居た堪れない、今すぐ居室に帰って毛布を被って世界から隔離されることを大歓迎してしまう、そんな消え入りたい、逃げ出したい誘惑に駆られるが、彼の目が、ドゥールナル卿の眼差しがそれを許してくれない。
上に立つ者の怠惰を見逃してなどくれない。
このまま膝を突いて、頭を垂れたら、どんなに楽なことだろう。
「まだ時はある。話しておこうか」
クーさんとクラバリッタの精鋭の戦い、いや、決闘と言うべきか。三十人程倒したーー彼らからすれば倒された光景に目を向けて、切り出してくる。
「エクリナス様のことは、聞き及んでおろう。幼少の砌、わしは教育係に任ぜられた。優秀過ぎる部下は使い辛かったのだろうな、わしとしても、人を育てることに興味がなかったわけではない故、引き受けることにした。あの御方は、不器用だが努力を怠らぬ、誠実な、聞き訳が良過ぎて子供らしくない子供であった。父王の為に、兄に裨益せんと、どうすれば良いか考え、わしに一切の優しさを排除した厳しさを求めた。わしは求められるままに、エクリナス様にわしの持つすべてを注ぎ込んだ。
『ドゥールナルは、教育係に任ぜられた恨みから、エクリナス様をいびり殺すつもりだ』などと、噂が立つ程に教化と鍛錬を課したが、あの御方は泣き言一つ零さず、終には、わしのほうから限界を超えても求め続けるエクリナス様を止めねばならなかった。
『止める代わりに昔語りをしろ』とあの御方の我が侭ともいえぬ、唯一の我が侭だった。眠りに就かれるまでの短い間、わしの詰まらぬ過去を楽しげに聞いておられた。恐れ多いことだが、わしはエクリナス様を孫のように思うておる。若き頃には得られなかった、忠誠を尽くそうと思える主君を、この周期になって得られるとは。この老い耄れの残りの命は、あの御方の為に使おうと、エクリナス様が王になられたとき、隊長の任を受託した。
わしは見てきた。王となられた兄の為に、懸命に尽くすエクリナス様の姿を。王になられてからは、私心など、欲さえ捨て去り、民に寄り添わんとする姿を。その御姿に、生来の気質に、噂に惑わされていた者たちは蒙を啓かれ、心が晴れてゆく。
今や兆しておる。やがて、王都に、サーミスールに響き渡り、自らが如何に恵まれているか気付くであろう。これほどに善き王を頂いていることを誇りに思うであろう」
熱を帯びてきていたドゥールナル卿の昔語りが中断して、彼の視線が僕を捉える。
それは非難なのか諦観なのか、混じって濁って凝ったものが目に宿っているようだった。
「竜の国の侍従長ランル・リシェーー貴卿のことだ。エクリナス様にとって、貴卿は紛う方なき英雄であった。竜の狩場に国を造るという偉業を成し遂げ、不可避と思えた城街地との衝突を回避。然も、それを成したは、まだ周期浅き少年であるという。
『名もなき、ただの少年でさえこれだけのことが能うのだ、王である私が諦めるわけにはゆかぬ』ーーそう仰い、あの御方は顔を綻ばせた。あの御方の、あのような自然な笑顔をわしは初めて見た。恥ずかしきことだが、その笑顔を引き出すことの出来なかった自らを省み、貴卿に妬心さえ抱いたものだ。『悪質』やら『悪逆の繰り手』やらの二つ名も、彼の名声を妬んだ者の流言に過ぎぬと、傾倒振りを諌めるか悩んだものだ」
あ、いや、ちょっと待ってください、二つ名が悪い方向(?)に変化しているんですけど。いや、同盟国からの嫌われっぷりからすると、これでも増しなほうなのかな。
そしてドゥールナル卿は、世界の真理を解明した、といった風情で断言した。
「だが、その二つ名は相違なきものであった」
「…………」
「あの御方は、待っておられた。焦がれていた、と言い換えても良い。英雄の来訪をーー」
法外な事実に虚を衝かれるが、ドゥールナル卿の話は終わりではなかった。
「〝サイカ〟、ボルン・カイナスとの会合後、何故三国の王に謁見を求めず、竜の国に帰還したのだ。知っておるか? カイナス三兄弟は、城街地との衝突が避けられたことを王に告げた。それは、結果的に事後報告となった。事前の報告であっても、結果は変わらなかったろう。だが、王の頭を越えて行われたそれは、どれだけの軽視を、無礼を、侮蔑を抱えれば行えるのか。同盟国にとっての最重要課題を、取るに足らぬものと蹴飛ばす。
〝サイカ〟は争わず、とあるように、実情〝サイカ〟は国の内にあって、外にあるようなものだ。国の問題を、外で決められ、一方的に終結を告げられる。これに気を良くする王などおるまい。糅てて加えて、エクリナス様には、貴卿への憧憬があった。事が終わったあと、その報を耳にしたあの御方は、どれほどの苦渋を籠めて、この言葉を発したか」
ドゥールナル卿と、まだ見ぬサーミスール王の姿が重なる。
「『王とは、これほど軽んじられなければならないものなのか』」
静かな口調で吐露する言葉が、じわりじわりと僕の心を抉ってゆく。
「ーーあのような御姿も初めてだった。憎しみと怒りに顔を歪められ、物に当たるなど。王たる振る舞いではない。だが、それをお止めすることなど、どうして出来ようか」
「…………」
「貴卿の咎はそれだけではない。ボルン・カイナスとの会合から城街地の民の移住までを、竜の国の都合のみで行ったことだ。貴卿は考えたことがなかったか?」
問われるが、頭は麻痺しているのか、上手く機能しない。
もとから僕の答えなど期待していないのか、ドゥールナル卿は僕の瑕疵を更に述べ立てる。
「ストリチナ同盟国とは、元は十二国であったものを三国に併合することで成された。それは、三国が九国を抱えるということだ。嫌な言い方をするなら、三倍の敵を自国に引き入れたようなものだ。外から見れば、戦果ばかりが目に付こう。火種を燻らせたまま、国を形作るは容易なことではない。だが、三国は遣り遂げた。
城街地も、その為の方策の一つ。先ずは同盟国の民に、同盟が与える利益を示さねばならん。元九国が抱えていた、まつろわぬ人々を引き受け、戦禍だけでなく治安の回復。それと同時に、城街地を国の系統に取り入れ、同盟国の利益とする。二竜を追って、捕まえられたのは片方だけだったが。問題は、逃げたもう一竜だ。竜とは、城街地ーー現在の竜の民のことではない。先程言った、火種のことだ。
奴等は、城街地との衝突を利用するつもりであった。周期を経て、ようやっと民も同盟国を受け容れたというに、一度得た栄光とはここまで人を腐らせるものか。もはや民の心は離れ、騒乱を撒き散らすだけだというのに、現状では満足できぬのか。
奴らのことを、まったく理解できぬわけではない。然し、今ある秩序を乱そうとするなら、看過することなど出来ぬ。その芽が、芽吹く前に刈り取る。そして、三国で連携して事に当たるよう、以前から協議を重ねてきた。それを乱したのが貴卿だ」
僕の咎を明らかにして、無知と、顧みることのなかった愚かさを断罪する。
「竜の国の都合で動かれ、同盟国は協調を乱された。結果、わし等は間に合わなかった」
心臓が跳ねる。ここまできて、漸く理解する。
僕が何をしたのか、何もしなかったから、引き起こされたことを。
聞きたくなかった、耳を塞ぎたかった、そんなこと知らなかったと、逃げ出したかった。でも、もう遅い、何もかも遅過ぎる、遅過ぎたのだ。
「同盟国に火種は撒かれた。燃え盛り、火炎はストリチナ地方を焼き尽くすやもしれん。そうなれば、何万、何十万もの民が死ぬことになる。それはすべて、貴卿の軽挙が原因だ。いやさ、同盟国の三王はこう思っているやもしれぬな。ストリチナ地方を戦渦に陥れる為の、竜の国の侍従長の謀略だと。どうだ? 策が嵌まり、近隣国を乱し、満足か?」
感情を排して問い掛ける、ドゥールナル卿の表情が見えなかった。
見えないのは、僕が項垂れていたから。でも、見えていたとしても、心の弱い僕には、直視できなかったかもしれない。
これは何を護る為の戦いだったのか。始める前から失敗しているではないか。
コウさんの顔が、思い描かれる前に遠ざかってゆく。
もう掴めない、彼女の笑顔を思い出せない。みーと百竜が、じっと僕を見ている。何も言っていない、ただその目が語っているだけだ。
竜の国を共に造ったエンさんとクーさん、エルネアの剣に黄金の秤に、見知った人々すべてが、僕を置き去りに、何もない場所に行ってしまう。
彼らに向かって伸ばした手は、嘗て幾度も空に向かって伸ばした、その手は、何を希求して、どんな場所に辿り着きたくて、夢見たものだったのか。
ーー暗い。
何もなかった。
ドゥールナル卿も、「風吹」部隊も、同盟国の兵も、すべてがなくなった。消えて、聞こえなくて、僕自身がなくなって、感覚も欠落して。
足下に地面なんてなくて。落ちてゆく。踏み締める大地がないのに、どうして立っていられるのか。突如、重みが掛かる。どこに乗っかってきたのかもわからない。
数万人の命? 数十万の命?
体に圧し掛かってきたのか、心に積まれていったのか、ただただ重たくて、僕の何もかもが消し飛んでしまう。
だのに、おかしい。
体に力がまったく入っていないのに、どこにも何もないのに、僕は倒れていない。
「〝サイカ〟は膝を突かず。私たちは〝サイカ〟ではないけれど、自らの行いから目を背けてはならない。最後まで立っていることが、最後まで見続けることが、最低限の義務だ。私の弟子なら、そのくらいのことわかっていると思っていたけれどね」
「……まだ弟子になった覚えはありません」
「ははっ、それは悪いね。私のほうは、もう弟子だと思っているから、疲れも厭わず『転移』で遣って来たというわけさ」
「……弟子弟子詐欺ですか」
ああ、ごめんなさい。と心中で謝っておく。先程僕の心を通り過ぎていった人々の中に老師の姿はなかった。
知らず知らず、頼っていたからだろうか。甘えていた、などとは思いたくないが、師匠とかいう存在を暗に認めて、別枠として扱っていたのかもしれない。
因みに、スナが現れなかったのは、ああ、その、こんなことを言うのは恥ずかしいのだが、もう家族のようなものだからである。
スナがどう思っているかはわからないが、氷竜が心から望まない限り、愛娘を手放す気なんてない。まぁ、その前に、氷竜を幻滅させたら、胃袋ーーがあるのかどうかわからないけど、喰われて魔力にされてしまうだろう。
スナには助けてもらってばかり。今も、スナに幻滅されるくらいなら、死んだほうが増しだ、と僕は少しおかしくなっているのかもしれないが、とりあえず、自分の足で立って、自分の頭で考えるだけの気力を与えてくれる。
「そういうわけで、ちょっとばかり弟子の尻を叩きに来たってわけさ」
「……貴様、グリン・グロウか!? 否、孫……息子か? まぁ良い、叩き潰してから洗い浚い吐かせてやる」
顔見知りなのか、親の敵とばかりに気色ばんだドゥールナル卿が長剣に手を掛けるが、
「相変わらず、気に入らない人間は姓名で呼んでいるのかな。今は、ドゥールナル卿とか呼ばれているのか? お前さんの驚いた顔が見られるのだ、長生きはするものだな」
老師の飄々とした、軽い態度と述懐が、抜き打ち寸前の、老将の手を止めさせる。
ちっ。とドゥールナル卿が舌打ちをする。
僕も驚いたが、そんなことが起こるなど天地が引っ繰り返っても有り得ないと思っていたのか、従者の少年が心の底からおったまげて、そのまま後ろに倒れて、坂道を転がり落ちてゆく。
誰も彼の心配をしない中、老師は僕の弟子入りを確定したらしく、君付けを止めて、出来の悪い弟子に教示してくれる。
「さて、リシェ。この糞馬鹿真面目な男が、国に火種が撒かれているというのに、こんなところで油を売っている暇があると思うかい?」
「えっと、それは……」
「黙れ、この糞馬鹿不真面目な男が、今頃現世に迷い出て、不貞の積み増しをするか」
この二人、仲が悪いように見えて、実は仲が好いのだろうか。いや、僕とカレンの間柄に似ているような気がしたが、やっぱり勘違いかな。
「だいたいその格好は何だ、若作りにも程がある。魔法使いの様相が破滅的に似合っていない」
「えっと、実は、老師は色々ありまして、体の中はぼろぼろみたいで、ああしていないと動くのも困難みたいで、魔法は治癒術士の親友から教わったみたいですけど……」
なぜか僕が言い訳する羽目になっているが、って、うわっ、不味いっ、ドゥールナル卿の目が、師匠が憎けりゃ弟子まで、になっている。
「まぁ良い。今は、聞くことは一つだけにしてやる」
「何かな?」
「何故スースィアを連れて行かなかった」
「ーーーー」
尋ねるドゥールナル卿の言葉には、長い周期が横たわっていて、僕には到底及びも付かない感情の縺れがあるように感じられた。
スースィアとは、亡くなった里長の伴侶であり、カレンの祖母。先程感じたドゥールナル卿の印象が、連想させる。やはり、そうなのだろうか。
「それは、お前さんのほうこそだろう。知っているぞ、里から出たとき、スースィアはお前さんを頼って、身を寄せていたのだろう」
二人の、炎を噴き出す前に爆発してしまったかのような感情の発露を、このままでは両陣に不審を撒き散らし兼ねないので、無理やり間に入って止めようと試みる。
「貴様は……」
「ドゥールナル卿! ちょっと、ちょっとだけ待ってください!」
「何だ!!」
「ぅひっ、えっと、その、ドゥールナル卿とスースィア様は、兄妹、ですよね?」
僕の問い掛け、というか、確認に、老師が間抜けな声を零す。
「……は? ーー、……は?」
「ーー貴様っ、初対面の小童ですら気付くものを、妬心に塗れて、現実さえ見えておらなんだか!」
「……やっ、ちょっと待て! 全然顔が似ていないではないか!」
「似ておらん兄妹なぞ、掃いて捨てるほどおるではないか、自らの不見識を棚に上げるでないわっ!」
「ふぐっ……」
お互い炎の吐き過ぎでやばいことになっている。ここは一度涼んでもらうことにしよう。
「ドゥールナル卿。中央の『風吹』部隊の指揮官を御覧ください。里長の孫であり、竜の国の侍従次長である彼女の名は、カレン・ファスファール。スースィア様の孫です。カレンにとって、あなたは大伯父、あなたからすると大姪になります」
意表を衝かれたドゥールナル卿は、僕の言葉のままにカレンを眺め遣って甘心する。
「そうかーー、面影があるな。……指揮官ということは、やはりお転婆なところも似てしまったということか」
ドゥールナル卿の視線を承知したらしいカレンが、にこやかに手を振る。
ああ、明らかに何かを勘違いしているようだ。
カレンは、祖母であるスースィア様のことを尊敬していた。この事実を伝えれば、彼女は思い出話を聞きに、サーミスールを訪れるかもしれない。
「リシェ。それは止めたほうが良いと思うよ。この堅物は、大姪のカレンとサーミスール王を結び付けようとか画策しているからね」
「当然だろう。これほどの良縁、然う然うありはしない。王は、政務に感けて、そちらの方面に疎くなっておられるからな、機会を逃してなるものか」
「……お前さんは、少し変わったなぁ。それもそうかーー」
四十周期。僕の生きてきた時間の二倍と半分くらい。
懐古、などと軽く言ってしまっては失礼になる。老師の眼差しは、どこに旅立っているのか、若々しい顔に古びた面差しが宿って、見えたことのない老師の、本当の姿を幻視する。
「改革に賛同せず、離れたお前さんに、わからないのは当然だが。里を離れてから三周期後、改革に向けて動き出すときには、すでに死病に侵されていた。どうせ長くない命、改革で使い果たしてしまおうと思ったが、私は生き残り、あいつは恋人も腹の子も遺して、魂を散らした。あいつは、私の命も救った。あいつから託された治癒魔法の深奥が、私だけでなく、コウを、翠緑王を生かした」
今僕が居る、この場所に至るには多くの人の係わりが必要だった。
コウさんを生かした老師、そして老師を生かす為に治癒魔法を授けたらしい親友の治癒術士。
人の綾というか、そこにスースィア様との別れが含まれていたとするなら、複雑、というのは違うか、無常、というか、……駄目だ、まだ歩き始めたばかりの僕では、到底表現のしようがない。
感慨に浸っているのか、二人を見ていて、違和感をーーそう、これは里長と老師が再会したときに感じたのと同じものだ。
あのときは、喉まで出掛かっていたが、答えに辿り着けなかった。然し、里長、ドゥールナル卿と二人続けば、幾らなんでも違和感の正体に気付く。というか、何故今まで気付かなかったのか。
見た目と思い込みというのは、案外強く人を惑わせるものらしい。まぁ、これも老師の所為だ、と責任転嫁する。
僕と違って、一度で心付いたドゥールナル卿に、軽く頭を下げる。どうやら秘匿してくれるらしい、目礼で返してくれる。
「そうか。やはり、貴様はスースィアを連れて行くべきだったのだ」
「…………」
「死病だ何だとほざくが、現にこうして貴様は生きている。独り善がりで先に手を放したのは貴様だ。死ぬまで後悔して、短い余生を生きると良い」
言葉では非難しているが、口調は穏やかなものだった。察した老師も反駁せず、過去の過ぎ去った情景に思いを致しているようだった。
「はっ、はぁ、どぅ、ドゥールナル様、……ふぃ、つ、連れてまいりました」
もう戻ってきたのかと見てみると、従者の少年に三人の騎士が同行していた。彼らは何かを運んでいるようで、ドゥールナル卿の横にゆっくりと慎重に置いた。
「同盟国に不法入国した故、こうして捕らえたわけだが、処罰をどうしたものかと迷っておる。どうも、命令されているわけではなく、自律しているよう感じられるが」
纏めて縄で縛られている六体のミニレムが、処罰と聞いて、いやんいやんと首を振って、足をばたつかせていた。
あ、何だかちょっと可愛い。
「不法入国……とは、彼らは何をしたのでしょうか? 彼らは働き者なので、何か遣らかしたのなら、その弁済に労働力として提供することを考えますが」
事が事なので下手に出てみると、憤慨したらしいミニレムたちが、足でばしばしと地面を叩き始めた。
あ、何だかちょっとむかつく。
「ああ、彼らがしたことといえば、建物の出入り口から出られないように、棒を使い扉を封鎖したり、厩を破壊してすべての馬を逃がしたり、川を大岩で塞き止め、街道に水を溢れさせて通れなくさせたり、領主の館を全焼させたりとーー」
申し訳ございませんっ!! とファタ考案の究極の謝罪体勢に移ろうとしたところで、
「まったくもって、天晴れな働き振りであった」
ドゥールナル卿の賞賛の言葉が、僕の心胆を氷竜の息吹水準で体ごと凍らせる。
え、は? えと、何ですと?
見ると、深く刻まれた皺は、優しい形を作っている。ドゥールナル卿に頭を撫でられて、ミニレムたちがでれでれである。
彼が部下に合図すると、縄が解かれて、ミニレムたちがドゥールナル卿に次々とくっ付く。凄く懐いているように見えるのだが、一体何があったのだろうか。
働き振り、ということは、彼らの損害になっていない?
いや、でも……。と考えていると、これは困っているのだろうか、ドゥールナル卿がミニレムに体を攀じ登られながら直立不動の体勢で説明してくれる。
「先に述べたが、わし等は間に合わなかった、それは事実だ。貴卿の思惑はどうあれ、三国の足並みが乱された。然もありなん、他者に振り回されながらで上手くゆくはずもない。
そこに現れたのが彼らだ。反乱の兵を建物に閉じ込めたり、騎士の馬を逃がしたり、街道を封鎖して敵軍の合流を防いだり、敵の首魁と目されていた領主の館を焼き、資金源を断ったりと、四大竜の如き活躍振りであった。わし等が駆け付けると、右往左往した敵がおり、そして周囲には彼らの姿が。そうして、事情を知ったというわけだ」
ドゥールナル卿が手を振って合図すると、騎士たちが手分けしてミニレムを彼から引き剥がして、ミニレムに外衣を羽織らせてゆく。
見るからに仕立ての良い暗色の外衣には、ドゥールナル家の紋なのだろうか、雄々しき鷹の意匠。
「不法入国故、彼らの功績を表立って賞することは出来ん。そこで、わし個人が、感謝の意を籠めて、ミニレム殿に友好の絆として贈らせてもらう」
感激したミニレムが、再びドゥールナル卿にくっ付こうとするが、それを邪魔する者が現れる。然なきだに面倒だというのに、もう勝手に遣っていてもらおう、従者の少年とミニレムたちの、どうでもいい戦いの幕が切って落とされる。
「然して、貴卿はどうする? 竜にも角にも、グリン・グロウは後でサーミスールに強制召喚するが、貴卿のことは、あの御方から何も託っておらん」
またぞろ魔触竜発の二人。さっそく老師が噛み付く。
「ーーお前さん、場合によっては本気で竜の国を潰すつもりだったろう」
「無論だ。グリングロウ国などという戯れた名の国など、塵一つ残さず消滅させるが本懐」
「サーミスール王に惚れ込むのは良いが、王可愛さに爺が発奮しても恥ずかしいだけだぞ」
「貴卿、カレン・ファスファールに言伝を頼む。貴女の祖母に横恋慕した不貞者がおる、絶対に気を許してはならぬ、と」
「くくっ、心配いらないさ。彼女には、すでに意中の相手が居るようだよ」
「然かし。どうやら生かしておくわけにはいかぬようだ」
「ちょっ、勘違いするなっ! 私ではない!」
「それこそ心配いらん! 間違いであったとしても一向に構わぬ。天の国でスースィアや親友に千回謝ってくるが良い!」
「こらっ、弟子、助けないか!」
ぼろぼろの体を、治癒魔法の系統で無理やり動かしているらしい老師は、「懐剣」の本領を発揮できず「結界」で防いでいるが、ドゥールナル卿の膂力に任せた剣戟で「結界」に罅が入ってきている。
そう長くは持たないだろう。
ミニレムと遣り合っていたはずの従者の少年がドゥールナル卿に加勢する。
ミニレムはどうしたかというと。
少年と引き分けたらしい彼らは、老師ではなくドゥールナル卿に味方して、「結界」をがしがし攻撃していた。
……あー、さすがに可哀想なので、老師に竜の尻尾を出すことにする。
「ドゥールナル卿。サーミスール王、クラバリッタ王、キトゥルナ王に拝謁の機会を賜り、この度の一件の説明に伺いたく存じます」
「ーー三王に貴卿の言葉は届けよう。だが、託けるだけだ。王が聞き入れるかどうかは知らん」
「それで十分です、感謝を。三王の意思とは関係なく、僕のほうから会いに行くので、その旨もお伝えください」
この一件を長引かせるくらいなら、迷惑になろうと押し掛ける。
面倒な思惑や策など巡らせる間など与えない。その気概でドゥールナル卿を半ば睨み付けるように見遣ると、
「はははっ、良いだろう、承った。然様な向こうっ気は嫌いではない」
快闊に請け負ってくれる。
従者の少年の首根っこを掴んで「結界」から引き剥がすと、何事もなかったかのようにミニレムも「結界」から離れて。一列に並んで、ドゥールナル卿に、ぺこり。
軽く頷いた彼に、別れを惜しむように、とぼとぼと僕の前まで歩いてくる。
「老師。『窓』をお願いできますか?」
「はいはい、やっておくよ」
助けてあげたのだから、ちゃんと働いてくださいね。と弟子が目線で脅すと、渋々と従ってくれる師匠。
根負けしたのと、あとは少しの感謝から、師として慕うかどうかは措いて、師匠として認めてあげてもいいような気がしないでもないので、まぁいいだろう。
「風吹」部隊や交代予備の頭上に「窓」を開いて、老師が声を抑えて終結を宣言する。
「さて、昨日から続くこの騒ぎは終了です。予備、交代要員、部隊と、漸次竜の国に帰投、ではなく、帰還、いやさ、帰宅するように。良いですか、今は騒いではいけません、相手を刺激してはいけません。静かに、整然と、です。騒ぐのは、竜の湖に着いてからです。
ああ、あと動けそうにない弟子二人を幾人かで迎えに行ってやってください。ーーちょっとだけなら、うっかり触ってしまっても問題ありません」
余計なこと言わないでください。
ほら、近衛隊の人たちが誰がクーさんを迎えに行くかで揉めているし、別の意味で、誰がエンさんを引き取りに行くかで黄金の秤隊が揉めています。
まぁ、誰でもいいので、傷が深そうな団長のほうは、早く回収してあげてください。
「サーミスール王、エクリナス様のご機嫌は如何でしょうか?」
「覚悟をしておけ、としか言えん」
「そうですか。では、時間を置いて、冷静さを取り戻していただいたほうが良いかもしれません。キトゥルナから赴こうと思います」
「賭け、だな。この度の顛末で、冷静になられるか、若しくは拗らせるか。あのように癇癪を起こしたエクリナス様は始めてだ。ただ只管に、直向きであられた王が、溜め込まれていた感情を吐き出す機会を得たと喜ぶべきか」
「……、ーーはぁ」
まだまだ前途多難であることを、彼の表情から予見する。
「貴様! 竜の国の侍従長、ランル・リシェだということは先刻お見通しだ! よく聞けっ! 誇り高き僕の名ぼぁっ、ぎゃぁあああぁ~」
「さっさと戻り、帰り支度をせよ」
蹴飛ばされて転がり落ちる従者の少年の悲鳴が合図だったなどと、まったく締まらないことこの上ないが。
深刻ではない、ただの騒乱の終了を告げるには、相応しかったのかもしれない。
「風吹」部隊が退き始めると、クラバリッタの「智将」が、ダグバース卿と精兵たちが王様代理に最後の挨拶をして退いてゆく。
もうやけくそなのか、カレンはクラバリッタ兵に愛想良く満開笑顔を振り撒いていた。
クラバリッタの後退を見て、キトゥルナが、続いてサーミスールが、戦史に載ることはないだろう、この奇妙な戦いの余韻を響かせながら、それぞれ帰途につくのだった。
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