竜の国の魔法使い

風結

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エピローグ

竜も羨む一日

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「あー、皆酷いや……、僕、結構頑張ったと思うんだけどなー」

 一致団結しての侍従長苛めは長々と続いて、くたくたである。

 聞かなければ良かった、などと皆口々に愚痴っていた。

 だったら最初っから聞くな~、と大声で叫びたい気分だったが、そんな元気はない。

 まぁ、エクリナスさんは氷竜スナのことは伝えなかったようで、というか、スナのことを知らないのに、皆どうして僕の仕業だと納得できるのか。と理不尽に思うが、あ~、もう考えるのも億劫だ。

 扉を開けて、中に入る。そのまま歩いていって、体の中の一番深そうな場所から持ってきた感じの溜め息と一緒に寝床に座る、つもりだったが、まったく体を支える気にならず、とすっと寝床に仰向けになる。

 靴を脱ぐのも面倒で、そのまま体から力を抜く。眠い……、けど、まだやることがある。

 今日、すっきり眠る為には、これだけはやっておかなければならないのに……。

「…………」

 かちゃ、と音がした。

 あれ? 少し眠っていたのかもしれない。

 八つ音の鐘が窓の外から聞こえてくる。外は十分に闇の勢力化に置かれている。

 危なかった。このまま眠っていたら、準備してくれている彼らに申し訳が立たないところだった。と、そこで衣擦きぬずれの音がしたので、紳士のたしなみとして注意喚起しておく。

「コウさん、話があるので、まだ寝る準備は早いですよ」
「ふぇっ!?」

 ばたっ、がたがた、ごとっ、がたんっ。とコウさんは暗い居室の中で大慌て。

 しばしの沈黙のあと、外套を着直したのだろうか、それから魔法球に明かりを灯す。

 魔法球にはすでに魔力が込められているので、魔力を少し込めるだけで明かりは点く。それが出来る程度には回復しているようだ。

「……リシェさん、何で……」
「今言った通りですよ。話があるので、ここに座ってください。ああ、それと報告も聞いておきましょうか。皆さん、許してくれましたか?」

 要求を重ねると、王様は迷った素振りを見せたものの、渋々僕の横、というには距離がある場所に腰を下ろした。

 コウさんと二人切り。

 珍しくはないし、前回そうなったのは然して前のことでもないのに。随分と久し振りなような気がする。

 懐かしい、と感じる、魔法使いの女の子の匂いと気配。

 夜はさやかに唄う。
 明かりが憩う、優しい隙間に、
 人の営みは続いて。
 人は人に重なれる生き物。
 境界を疎み、絆をくすねて、
 心を転がしながら、過ぎ去ってゆくのだろう。

 ぼすんっ、と枕が僕の顔の側面に直撃。古のへっぽこ詩人の言葉を思い出しながら浸っていた僕に、情け容赦のない一撃である。

「ふぐぅ、不法侵入者のくせに余裕綽々で変……なのが気に入らないのです。竜に千回食われろ、なのです」
「…………」

 今、「変」の後に何て言葉を続けようとしましたか。

 むぅ、僕と違ってコウさんには居心地の悪い空間らしい。子供とはいえ、あ~、いや、そうだな、そろそろ始めるとするか。

「コウさん。僕に隠していることはありませんか?」
「……そんなもの、ないのです。あっても、ないのです」
「因みに、後で隠していることがわかったら、とっても酷いことをする予定です」
「むぅ、今までいっぱい酷いことをしたのです」
「無理に聞き出そうとは思っていませんよ。ただ、確認の為に、摺り合わせをしておきたいだけです」
「…………」

 じぃ~と見詰めてみると、ぐぐぐぃ~と顔ごと逸らされた。なので、そのまま柔らかそうな耳の裏をじっくりと観察していると、コウさんの両手が、前屈みなのでまったく目立たない胸まで上がって、もそもそ、と動き出した。

 僕から更に顔を遠ざけて、もぞもぞ。

 あ、やばい。顔がにやけそうになってしまう。久しく見ていなかった、もそもぞな謎舞踊に、何だろう、僕の中の何かが込み上げてくる。

 右に揺られて、もぞもぞ。左に傾いて、もそもそ。追加で、右にふらふら、もぞもぞ。左にちょこちょこ、もそもそ。お負けで、右にあっちっち、……とはならずに停止。

 ようやっと諦めたのか、寝惚けた竜よりも遅い速度で元の位置に向き直る。

「……魔法人形は五万体までと言われてたのですが、もっと多く造ってしまったのです」

 絶対に僕のほうは見ない、と心にでも誓っているのか、頑なに夜風に向かって話し掛ける。

 竜の国の人口より多くの魔法人形を使うべきではない。

 人の領分、という曖昧なものを守る為に決めたことだったが、今となっては、それが正しかったのか確信はない。

 コウさんの魔法を無制限に使わせることは、老師と同じく容認できないが、もっと彼女の意思を尊重すべきではなかったかと、後悔している部分もある。だからあのとき、東の竜道から地を埋め尽くす魔法人形を見て、区画で働く魔法人形の数から勘案して凡そ十万体は居るだろうと推定したが、咎め立てはしなかった。

「その、ちょっとだけ、間違った命令をしてしまって、リシェさんが外回りをしてたときなのですが、ちょっとじゃないくらい、被害がでてしまって、それを補う為に……」

 その話は初耳だが、まぁ、大したことではない。

 然てしもずいぶん歯切れが悪いが、まだ何か隠しているのだろうか。十万体以上となると、十五万か、或いは調子に乗って過剰に二十万体くらい造ってしまったのかもしれない。

「五万体というのは期間を考慮して、ぎりぎりのものでした。不測の事態は起こるものです。それで結局、何体造ったんですか?」
「……ひ」
「ひ? んー、ひゃっこい?」
「ひゃ、ひゃっこくあっちっちーな、百二十万体……なのです」
「……っ!?」

 あほかーー!! との叫びを、心の中だけに留めた僕を褒めてください。

 もじもじしながら言うから何かと思えば、ーー桁が違った。まさか予測と百万もの違いがあるとは、コウさん恐るべし。

 さて、その逸脱の魔法使いはというと、さっそく言い訳の開始である。

「だって、あれなのです、たくさん造ると、もっとたくさん造りたくなるあれなのです。どれだけ造れるのかな、っていう誘惑には逆らえなかったのです!」
「ということは、造るだけ造って、動かさなかったんですか? えっと、それはちょっと可哀想というか?」

 造られたものがその役目を果たさない。そこに感傷を抱くのは利己的だろうか。勝手に造ったのは人間のほうなのだから、その考え方自体が間違っているのかもしれないがーー。

「ち、違うのです。地上では二十万体で、師匠が強度に問題あるかもしれない、と言ってきたので、魔法建材を……あ」
「魔法建材とやらのことはいずれ聞くとして、残りの百万体はどうしたんですか?」
「……地下なのです」
「地下って、地下水路や魔工技術の施設などを造ったんですよね。他に何か造ったんですか?」

 魔法や魔工技術に関することは、概ねコウさんと、監督役であり監視役でもある老師に任せてあったが、結果報告だけは受けていた。

 思い返してみると、地下に関して報告を受けた記憶がない。確認しなかった僕が悪いのか、抜け目のある(?)王様が悪いのか。

「それは……、色々なのです。浄化施設みたいなものを造ったり……」
「ちょっと待ってください。その浄化施設って何ですか?」
「ふぁ、あう……、うー、そのなのです。魔力の濃い場所がないかと地面をずっと掘ってたのです。そうしたら、凄い深いところに溶岩がうねうねしてたので、そこに不要なものを捨てて……」
「あほかーー!!」
「っ!」

 二度目は心の中では抑え切れず、口から大声となって飛び出してきた。

「溶岩ってあれですよね。火山なんかが噴火して、溢れ出てくるやつ。で、地下の溶岩が汚染されたとして、地表に出てきた場合、問題はないんですか? 溶岩は『浄化』の機能とかがあって、それを理解した上で捨ててたんですか?」
「……そ、そこまでは考えてなかったのです」
「老師に相談は?」
「…………」
「悪いことは言いませんから、今すぐ中止してください」
「……はい、なのです」

 萎れるコウさんだが、殊勝な態度が行動に結び付くとは限らないので、注意が必要だ。

「そのことはいいでしょう。他に隠していることはありますか?」

 他にも何か口を滑らせたり、馬脚を現したりするかと思ったが、まぁ、今回の追及はこのくらいにしておいてあげよう。

 然てこそ今回の本丸、あとは一つ、竜の角の長さや太さだいじかもしれないことの確認である。

「ーーコウさん。今、何周期ですか?」

 みーの尻尾攻撃にも劣らないと思しき速度で僕の顔を、がばっと凝視すると、お菓子を食べてご満悦のふにゃふにゃ笑顔の仔竜よりも蕩けた笑顔で誤魔化そうとする。

「……はぁ」
「ーーぇっ」

 思い込み、というのは怖いものである。老師の若い容姿から、コウさんの周期は見た目通りの十三、四歳くらいかと思っていたのだが。

 老師と里長が再会したとき、違和感があった。あのとき気付くべきであったが、喉まで出掛かった答えが転び出ることはなかった。次に、老師とドゥールナル卿の再会で、遅蒔おそまきながら心付く。

 老師は「〝サイカ〟の懐剣」である。里長やドゥールナル卿と同周期であることを失念していた。いや、正確には、二つの事柄を結び付けることが出来なかった。

 「〝サイカ〟の改革」のあと、コウさんが生まれることになる村に遣って来た老師。

 死病を患っていた老師。

 そして、コウさんの誕生。

 これらは、老師がまだ若かりし頃に起こった出来事である。「〝サイカ〟の改革」が四十周期前の行いだとするとーー。
 では、切り良く聞いてみよう。

「四十歳ですか?」
「っ、まだ四十じゃないのです! ……あ、ふぃっ」

 答えとしてはこれで十分なんだけど、どうせだから、もう一歩踏み込んでみよう。

「……女性に周期を尋ねる男は、万死に値するのです」
「女性の周期は三つある、なんて聞きますが。そうすると、その一つであるところの実周期は三十九歳ですか?」
「……知らないのです」
「老師とエンさんに確認したので、だいたいわかってるんですけどね。五歳くらいまでーーえっと、そうなると十五歳……かな? の記憶は殆どないみたいなので、精神周期は二十四歳ってことでいいんでしょうか?」
「……竜に百回食われろ、なのです」

 千回から百回に減ったということは、そんなに怒っていないということだろうか。いや、まぁ、どちらにしろ竜に喰われたら、何回だろうと魔力に還元されてしまうのだけど。

 これまでコウさんは、老師やエンさん、クーさんと、少ない人数としか魔力の遣り取りをしてこなかった。

 魔力は、人の命にまで入り込み、影響を与えている。

 コウさんにとって多くの人との触れ合いは、魔力の遣り取りは、魔力を、精神を、感情を安定させて、魔力の軛から解き放つ為に必要なものだと思っていた。竜の国で竜の民と触れ合っていれば、感情に魔力が溜まることはなくなって、「やわらかいところ」対策も必要なくなると思っていたのだがーー。

 心得違いをしていたのだろうか。

「コウさんは、これまで三周期で一つ、周期を巡ってきたんですよね」
「これでわかったのです。私はリシェさんより周期が上なのです。目上を敬うのです。見た目だって、これから一周期で一つずつ周期を巡っていけるので、もう子供扱いなんてさせないのです!」

 と、頑是無さ丸出しで言われても。大人の女性として扱うには時間が必要である。いや、そんな些事よりも、これから皆と同じく周期を巡っていけるというのは朗報である。

 三周期に一つしか周期を巡れないとなると、コウさん一人が置いていかれてしまう。竜の民は受け容れてくれるかもしれないが、他国からの偏見や悪意に彼女は耐えられないだろう。

「えっと、魔力が安定して、ですか? 皆と周期を重ねていけるのは喜ばしいことですが。ん~、じゃあ『やわらかいところ』対策が解決するとかの話じゃないんですか?」
「ふぁ……、あう、大丈夫な期間は延びるかもなのですが、根本的に感情の問題なので、魔力の多寡とか安定とかには関係が薄いのです」
「あ~、つまり、コウさんの精神的な成長がなければ、解決しない問題だと?」
「私は子供じゃないのです!」
「そうですね。子供じゃないコウさんは、自分の責任は自分で取らなくてはなりません」
「ふぇ?」
「クーさんとの協議の結果。竜の毒を疫病と偽った件ですが、様々な事情を斟酌したところ、『おしおき』は一回に決定しました」
「はふ、一回だけなら……」
「ああ、これはクーさんからのお達しなのですが、『おしおき』は僕がやれ、とのことです」
「ふぇ……? っぶぇえ?!」

 これは四大竜どころか、八竜の息吹を間近で見たような反応である。然てしも有らず聞かねばならないことがある。

 先ずは、布を差し出しておこう。

「はい、どうぞ。周期頃の女の子(?)しゅくじょが鼻から息吹は控えましょう」
「っ、魔法使いは鼻から息吹は出さないのです!」
「その意見には同じてあげますから、一つ教えてください。『おしおき』って何をするんですか?」
「ふぉ? 知らないのです?」
「ええ、知らないので教えてください。教えてもらえないと『おしおき』が出来ないので」
「…………」

 ああ、何か考えてるなぁ。

 何やら迷っているのか、深く深く葛藤しているのか、或いは碌でもないことでも考えているのか、その百面相から推し量るのは難しい。

 竜にも角にも、見ていて飽きないので、じっくり待つことにしよう。

 ちらちらっと僕を見たり、両手の人差し指をくっ付けてくりくりしたり、それから猫のように顔をぐりぐりしたり、あ、魔力布を被って丸くなってしまった。

 そろそろ時間が気になってくる頃なのだが、と窓の外を一瞥すると、するするっと魔力布が、布に隠れている間に外套も脱いだのか、四つん這いの姿勢なので、こちらにお尻を向けたスカートの丈が、何というか、その、ね。

 みーのお尻とそんなに変わらない、と言いたいところだが、みーにはみーの、コウさんにはコウさんの良さがあるというか、ふっくらしたところとか、きゅっとしたところとか、いや、勿論スナのことを忘れたわけじゃなくて……、くっ、竜心だ、僕は竜人とか思われてるんだから、竜の心を以て、清く正しく美しく……ん?

 見ると、コウさんの頭から角が生えて、もとい小さな木の板ーー誓いの木を頭の上にそっと上げてきた。

 んー、それはどうなんだろう。まぁ、聞いてみることにする。

「誓いの木で『おしおき』をなかったことに、『おしおき』をしてないのに、したことにするのは、ちょっとお勧めできないんですけど。嘘吐きの『おしおき』で嘘が混じるのはーー。勿論、何でもすると言った手前、どうしてもと望むのならーー」
「そ、そんなことお願いしたりしないのですっ! ただ、その、あのなの……」

 要領が得ない。顔が見えないので、上やら下やら、左右に揺られているお尻で判断するしかないわけなのだが、って、わかるかーっ、じゃなくて、はぁ、もういいや直接聞こう。

「簡潔に、短くお願いします」
「ふぁ、あう、その、……ぬ」
「ぬ?」
「……脱がさないでください、なのですっ」
「…………」
「ーーっ」
「…………」
「っ、ぇ」
「…………」

 ……何ですと?

 ふぅ~、では一遍、整理しよう。

 そもそも「おしおき」が何かまだ教えてもらってないわけなのだが。と言っても予想は付いている。まだ氷焔で冒険者だった頃、クーさんに「おしおきしゅくふく」を十回されたコウさんは、膝立ちでぷるぷるしていた。

 つまり、座れなかった、ということで、どうやら臀部でんぶに深刻な衝撃を受けていたと拝察。

 脱がさないで、ということは、臀部を開放的にした上で、……まぁ、然も候ず、そういうことが行われると、……やばい、ちょっと僕の想像を超えているので、見えないがたぶん僕の背中には炎竜がくっ付いていてああそうかみーと百竜の二人が一緒で……ごぷっ。

「大丈夫ですよ。脱がなくてもクーさんは文句を言わないでしょうし、というか、脱がせたら、クーさんに千回斬られます。そんなことに誓いの木を使わないでください」

 色々なものに耐えながら、平静を装った僕の言葉を聞くなり、うっかり手で雷竜に触れてしまった間抜けな魔法使いのように、しゅばっ、と誓いの木を魔力布の中に引っ込めた。

 この王様は……。

「……お願いします、なのです。手加減したら駄目なのです。そうしたら、もう一回なので……ふぁっ! 意地悪なリシェさんは、そうやって何度も『おしおき』するつもりなのです! 卑怯者なのですっ、邪竜なのですっ、竜の尻尾でぐるぐる巻き、なのです!」

 ……この王様は。

 ……くっ、恥ずかしい、二度同じことを思ってしまった。

 ああ、コウさんのほうも羞恥心からか、言行がおかしくなっている。これはもう、さっさと終わらせてしまおう。

 靴を脱いで、寝床の上を膝立ちで移動。コウさんの横に、叩き易い位置を確保して。

 よく見ると、顔は真っ赤で、首や太腿辺りが湿っている。コウさんもいっぱいいっぱいのようだ。

 間を空けず、手を振り上げて、最終確認をする。

「コウさん、いきますよ」
「ふゅっ」

 ぐっと腕に力を入れて振り下ろす、その刹那、「おしおき」が何であるか明確に聞いていなかったことを思い出すが、全力でやらなくてはならないので、雑念を払い、痩せ気味なわりには程好く丸い、柔らかそうなお尻を、心を邪竜にして掌で思いっ切り叩く。

 ぱぁっーん。がちゃっ。

 小気味良い音が居室に響いて、ひぎゅっ、と可愛い声を漏らしたコウさんの声と、がちゃっ、という何かが勢いよく開くような音が重なって、ん? ……がちゃっ?

「フィア様っ! これから催し物を見に行くって、エン様と約束……」

 ああ、扉の「結界」を僕が壊したので、シャレンが入ってこられても不思議はない、と。それと、彼女に抱えられているみーは、エンさん捜索のための秘密兵器りゅーのおはなとおみみはいっとーしょーなのだろう。

 寝床の上で四つん這いの王様と、その翠緑王の臀部に触れている侍従長。

 まだ仮だが、魔法団隊長は目と口を真ん丸にして、竜の大使はおねむさんで、瞼が半分閉じている。のだが、竜鼻は王様の匂いを追って、竜目は王様の姿を捉えて、コウさんにせがむ。

「ふーう、おしりなでなでなのだー。みーちゃんもこーにおしりなでなでんしてほしーんだぞー、なでなできもちいーんだぞー。しゃーもみーちゃんとなでなでっこするのだー」

 シャレンの腕の中でわたわたする炎竜の言葉が、シャレンの頭の中に侵攻して、敗北濃厚と悟った理性の軍勢が遅滞戦闘を繰り広げた結果ーー。

「……お、お邪魔しましたーーっ!!」

 みーを投げ出して、危ないだろうに、両手で顔を覆って扉から出て行くシャレン。

 然し、何を思ったのか、再び扉から顔を覗かせて、切羽詰まった顔でこんなことを宣った。

「ごゆっくり、お楽しみください?」

 すぃ~と扉の陰に消えてゆく。と、そこで心付く。

 掌が、こう、何かほんのりとぬくい。

 触り心地が良いので、無意識に、きっとみーが撫で撫で言った所為だろう、優しく穏やかに撫ぜ回す。

 ……動いている手よりも、頭のほうが先に覚醒する。

 そういえば、シャレンの乱入で、コウさんのお尻を叩いたあと、手はそのまま臀部に置いたままだった。

「…………」
「…………」

 王様と目が合った。

 仔竜は眠りの誘惑にあっさりと陥落して、投げ出されたままの格好で、すやすや。

 そうですね、みーの様子がわかったということは、視線を逸らしたということで、その序でに、かなりの意思を投入して、女の子の臀部から手を退かす。

 ーーそういえば、右手だったっけ。遺跡でコウさんのつつましやかな胸に……。

「……、ーー」
「ーー、……」

 右手を見て。その僕の行為の理由に気付いたらしいコウさんと、また目が合ってしまったので、やけのやんぱちさんの演技でもしようかと、にっこりと笑ってあげた。

「……ぇゅっ…ぅぃゃっふぃえぇえ!!」

 ずぎゅっ……ばぎょんっっ。

 これまでの最高魔力放出かと思ったら、実は二段階で、始めの魔力に倍する途方もない魔力の塊が天井を突き破る勢いで放たれる。

 見上げると、天井に傷はない。

 それはいつも通りであるのだが、今回は魔力量が多かったのか、中々爆発する音が聞こえない。然し、それは幸いである。そこまで高く上がれば、竜の民たちからも見えるだろうから。

 窓の外から、余程高く昇ったのか、小さな破裂音が連続して届く。すると、コウさんが、ぴくんっ、と体を震わせる。

 魔法は使えないようだが、魔力の感知はできるようだ。

 「祝福の淡雪」に続いて、爆発音が響く。

 その数は十や二十では利かない。百や二百といった人の目と耳では数え切れないくらいの、それこそ竜の咆哮のようである。

「な、なっ、何の音なのです!?」
「ああ、言ってませんでしたっけ。ダニステイルの纏め役。彼を見ていて、ダニステイルの人々も彼と似たような穏やかで理性的、知性的であるのかと思っていたのですが、実はそういうわけでもなくてですね」
「それは知ってるのです。あの人たちは注意が危険なのです」
「そうですね、危険が注意です。今回の『騒乱』で、彼らに活躍の機会がなかったので困っている、と纏め役から相談を受けたので、自由に魔法をぶっ放せる機会を設けたわけです。序でなので、竜の民には、王様が快復した暁には、空を魔法で彩って知らせる、というお触れを出しておきました」

 僕は寝床から下りて、靴を履く。そして、美味しいお菓子でも食べている夢を見ているのか、口をもにゅもにゅさせているみーを抱え上げた。

「何してるんですか? 早く行きますよ、コウさん」
「ふぇ? 行くって、どこになのです?」
「まったく。わからないなんて王様失格ですよ」
「……ぷぅ~」

 まだ心付くことが敵わない王様は、剥れながらも僕の言う通りにしてくれる。

 外套を着て、三角帽子を持って、杖は持っていないが、これはまぁいいか。

 そして扉から出ると。

「……おしゃまなシャレンさんは、こんなところで何をしていらっしゃるのでしょう?」
「はっ? ひ!? ふっ! こ、これはその、後学の為とか思ってなくて、母様はあたしの周期には、その、あっちっちだったし、あ、でもそのあと冷え冷えだったみたいだけど、エン様の為にも準備を怠らないことが正しき魔法使いとして、覚悟完竜ってことですっ!」

 扉にくっ付いて聞き耳を立てている女の子がいたので質してみると、しどろもどろで言い訳を始めるが、いや、これは言い訳じゃなくて、もう吐露である。ああ、赤裸々のほうがいいかな。

 見た目は同周期でも、実周期が異なる王様が、取り乱している女の子を抱き締めて、耳元で何事かを囁いていた。

 これが周期の功というやつだろうか、コウさんが笑い掛けると、シャレンは落ち着きを取り戻して。

 ……ぷいっ。

 僕の心を読んだらしいコウさんが睨み付けてきたので、不自然な動作で顔を逸らして、知らん振りである。

「フィア様っ、早く行きましょう!」

 初めてまみえたときのシャレンは大人しい感じだったが、これが本来の姿なのだろう、積極的で元気一杯、笑顔が似合う女の子である。

 彼女の言行からわかる、コウさんのことを王様としてだけでなく、友達として接していると。

 手を引っ張られて慌てるコウさんの姿が、何だか可愛らしく映ずる。彼女たちから遅れていることに気付いて、みーを起こさないように、いや、この際起きてもらったほうがいいか、と思い直して駆け出す。

「しゃっ、シャレンさん、どこに行くのです!?」
「何言ってるんですかフィア様っ、どこに行くかなんて、決まってるじゃないですか!」
「ふぁ……ふぇっ!」

 然し、シャレンも遠慮がない。

 一応、コウさんは病み上がりなのだから、って、そういえば、シャレンだって病み上がりだった。まぁ、シャレンの気持ちもわかるので、止めるような野暮はしない。

 翠緑宮の二階から表口の真ん中にある大岩が、どでんっ、と構えているのが見える。

 階段を下りる前から、もう聞こえている。

 そろそろ気付いてもいい頃合いだが、コウさんはシャレンに付いていくのに精一杯で、そぞろ心では覚束ないか。と後ろ姿を追っていると、竜耳がぴくっと動いて、みーが目を覚ます。

「ははっ、丁度良かったです。みー様、コウさんと一緒にぃぎっ」
「りゅうのずどんっ!」

 がふっ。

 階段を下り切っていたので、被害は最小限で済んだ。

 そういえば、前に食らいそうになったときは、まだ技名はなかったっけ。などと感慨に耽りながら、竜の頭突きが顎に直撃した僕は、床を転がりながら、見事に着地してコウさんを追い掛けていくみーを見送るのだった。

 「竜饅事件」の顛末の所為なのか、みーとの関係は元通りのようである。

「相変わらず愉快なことしてるな、侍従長」
「主役、ではないが、功労者の一人なんだから、しゃんとしていないと。ーーこれがリシェ君が見たかった情景なのかな」

 見上げると、オルエルさんとザーツネルさんが居て。差し出された、笑顔の彼らの手を取って立ち上がる。

 彼らの横には老師が居て、「遠観」を発動させたようだった。弟子たちを眩しげに見遣った老師は、魔法に集中する為か、微笑んだまま瞼を閉じた。

 熱気を感じる。

 みーの炎にも負けないくらいの、とんでもない息吹の予感。

 翠緑宮の入り口で、クーさんがコウさんを肩車している。

 一人でも多く、竜の民の姿が見えるようにと。たくさんの竜の民が、魔法使いを、王様を見られるようにと。

 みーを肩車しているのはエンさんである。

 ちゃっかりとエンさんと手を繋いでいるシャレンはさすがである。

「良かった! フィア様はお元気だ!」
「みー様もよ。あ、手を振ってくれてるわ!」
「姫様っ! みー様っ! これも炎竜様のご加護じゃっ!」
「竜の国っ、グリングロウ国に栄光あれっ!」
「おおぅ、御二人が御無事で良かったー!」
「「「「「みー様~っ!」」」」」
「「「「「フィア様~っ!」」」」」
「「「「「っ」」」」」
「「「「「!」」」」」
「「「「「!!」」」」」

 あ~、も~、しっちゃかめっちゃかだ。

 小高い丘の上にある翠緑宮から、平地に坂、道に、建物の上にと、竜の民がひしめき合っている。

 後ろからでもコウさんの戸惑いが伝わってくるようだ。まだ、自分が見ている光景が信じられないのだろうか。

 ダニステイルの人々の夜空を飾る魔法の光群は、翠緑王の快復の合図。

 それを知った竜の民がじっとしていられるはずがない。

 揺るぎない確信。ずっと彼らと歩んできたからわかる。

 どうだろう。女の子がなりたかった王さまには、きっとこんな光景は見られなかった。

 手を差し伸べて、歩いてきた、その一つの帰結。細やかかもしれない、繰り返して、通り過ぎて、振り返って、続いていく時間のほんの一粒、一欠けらにしか過ぎないけど。

 道が重なって、ここに居て、色褪せることのない確かなものを響かせているのは、紛れもなく僕たちなのだ。

 コウさんが竜の民に応えて、おっかなびっくりといった体で手を振ると、爆発ぼっかんした。そう思えるくらいの、歓声。

 翠緑宮の中からも、表口に集まってきた竜の民の声で溢れている。

 実は、僕は苦労性なのだろうか。いや、これが現実の光景だと、頭のどこかでは信じていないから、余計なことを考えてしまうのだろうか。

 こんなときだというのに、このお祭り騒ぎのあと、群衆を安全に解散させるにはどうしたらいいのか、などと考えている。

 横にカレンが並ぶ。いつも通り、彼女の後ろのフラン姉妹が僕を蹴飛ばして邪険にするが、それも長くは続かず、鳴り止まぬ竜の民の声に耳と心を震わせているようだ。

「……、ーー」

 ーーあのとき、魔法使いに気付いて欲しかった。

 ただ知って欲しかった、諦めて欲しくなかった。

 魔法使いが見てきたものを僕も見て、王様が知ったことを僕も知って、女の子が諦めなかったから僕も諦めなくて。

 思い出す、初心を忘れていたような気がして。

 そうだった、初めは、コウさんの為の国を造るつもりで、竜の狩場に遣って来たのだった。

 でも、魔法使いはおっちょこちょいで、魔法以外では抜けたところも多くて、頼りなくて乱暴で、って、まぁ、自然と口に出てきてしまうくらいなので。

 今もコウさんの為の国を目指しているかと問われれば、とりあえず過去の自分を殴りにいきたくなってくる。

 誰かの為なんておこがましい。誰かの為、というのは畢竟、自分の為である。

 そう思っていたが、それも違うのかもしれない。自分の為なんて、そんな軽いものじゃない。

 竜の民の姿から、あやふやだったそれに、手が届きそうなーーん? あれ、僕を見ている?

「くぁー、侍従長だ! どうする? このまま竜の国に置いておいていいのか!?」
「このままではフィア様やみー様がたぶらかされてしまうぞ!」
「でも竜人よ! 私たちじゃどうにもできないわっ」
「大丈夫じゃ、いずれ竜の裁きが下ろうぞ!」
「レイさんは俺の嫁!」

 ……あ~、何だっけ。僕は、竜の民このひとたちの姿に、何かに届き得たような気がしたわけだが、うん、どうやら一時の気の迷いだったようだ。

 竜にも角にも、最後に叫んだ竜の民の顔は覚えた。あとでじっくりと話し合う必要があるようだ。

 僕への似たり寄ったりの罵倒の連呼が続くかと思いきや、エンさんがみーを上空に投げ放ったので、僕への関心など、ぽいっ、と捨て去って、皆さん愛しの炎竜に首っ丈。

 「人化」を解いて、仔竜の姿に戻ったみーは、エンさんから言われたのだろうか、大広場に向かって飛んでゆく。

 さすがエンさんである。意図してかどうかはわからないが、これで群衆を分断して危険を減らすことが出来る。とはいっても、それだけでは足りないので、最後は僕が竜の民を脅して、夜も遅いことだし、適度なところで解散してもらうことになるのだが。

 足音がして、カレンが僕の手に触れようとしていて。フラン姉妹の怯えた声のあとに、スナが、いや、レイのようだ、氷竜が僕とカレンの間に入って腕を絡めてくる。

「ふふっ、人間というのは面白いのですわ。父様と一緒に居れば、これからも娘を飽きさせずにいてくれるのですわ?」
「これから竜の国は安定していくはずだし、今回のようなことは御免被りたいところなんだけど。でも、無理なのかなぁ」

 直感というやつだろうか、前途多難な道筋が、魔法使いの向こう側から、おいでおいでと手招きしているように見えてしまった。

 ときどき見える王様の横顔は、今日の星空のように澄んでいて、正面からそれを見ている竜の民に嫉妬しそうになってしまう。

「父様の大好きな娘が予言してあげますわ。父様は、平坦な道なんて歩けないのですわ。いいえ、私が歩ませてあげないのですわ」
「まぁ、うん、愛娘の願いを叶えるもの父親の義務ってわけだね。どうか、お手柔らかにお願いします」
「あら、知らないのですわ? 竜の手はとっても硬いのですわ。でも父様なら壊れないことを保証してあげますわ」

 絡めてくる腕と、僕に向けてくれる笑顔くらいに優しくて柔らかいことを希望します。

 レイがまたぞろカレンを焚き付けて、遣り始めてしまう。百竜相手には善戦したようだが、まだまだスナには役不足なようだ。

 喧騒の中、ふと、コウさんの姿が離れていくように見えて。

 僕は遠ざかる情景に語り掛けていた。

 おうさま。見ていますか、おうさま。
 あなたに憧れた女の子は、あなたとは反対の王様になりました。
 ひとりぼっちになれなかったから。
 おうさまは気付けなかったけど、皆がひとりぼっちになんてさせないから、
 女の子はきっと大丈夫です。
 おうさま。僕の望みは叶ったのでしょうか。
 おうさま、ではなく、魔法使いの女の子になってしまったけど、
 あのときの想いは偽りではありません。

 ーー夜がめたような気がして、見澄ませば、景色は元通り、コウさんも女の子、いや、これからは大人の女性として形容、認識したほうがいいのだろうか。

 う~ん、ごめんなさい、僕のほうからは無理そうだ。

 「やわらかいところ」対策のこともあるし、子供扱いが嫌なら、コウさんのほうから矯正きょうせい、いやさ、成長してもらうということで。

 コウさんの許に歩いてゆく。

 僕にくっ付いているレイも一緒に。レイを追ってくるカレンを追ってフラン姉妹も。それから、竜の民の皆が王様の許に集ってゆく。

「ははっ、やっぱり駄目だったみたいだね」

 予想通りだったので、思わず失笑してしまった。

 コウさんに向かって、仔竜が一目散に飛び込んできて、直前の「人化」で、ぽすんっ。

「ふゃっ、みーちゃん、そんな勢いで飛んできたら危ないですよ~」
「やうやうやうやうやうっ、こーこーこー、こーがいないとやなのだー」

 大広場に飛んでいったものの、コウさんが居なくて寂しかったのだろう、あっさりとご帰還である。

 コウさんにぎゅ~と抱き付いたかと思うと、安心したのだろうか、それとも限界だったのか。

 見ているだけで、心がほんわかしてきそうな寝顔である。

 寝た仔竜には勝てない。というわけで、老師が「遠観」の「窓」でみーの寝顔を竜の民にお届け。

 当然、みーを起こすような不届き者が、竜の国に居ようはずもなく。

 侍従長の脅しよりも、「竜の寝顔」のほうがよっぽど効くようだ。

 はふぅ、……ああ、みーの魔法ねがおにやられたみたいで、瞼が重たくなってきた。

 みーの魔法は絶大で、竜の民にも効果抜群。

 こうして、竜の国らしく、今日も竜も羨む(?)一日が終わりを告げるのだった。


                      はーう、つづくのだー
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