姫さまっ イキる!

風結

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1話  西の赤き薔薇の姫

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「ぶっはぁ~~」

 魂の底から、逃げるだけしかできなかった鬱憤うっぷんを吐き出したのは、無茶をもう二回したあとだった。

 ズタボロのドレスがずれ落ちそうになったが、あたしにも羞恥心くれぇはあっからよ、平均より少しばかり大き目の胸が露出しねぇように手で押さえる。

「上手い具合に風下に回れたようですので、さすがの森の民も追跡は不可能でしょう」
「風下って何のことだ?」
「おや、気づきませんでしたか? 彼らの追跡手段の一つは、匂いですよ。姫さまの甘やかな芳香ほうこうをクンクンして、えつってしまったのが彼らの敗因でしょう」

 昔、森の民は誇り高い戦士である、とか聞いたことがあったけどよ、どこがだよ。

 「変態戦士アンテロース」とか二つ名をーー、

「ーーーー」

 ーーすうっと、意識が凝縮して。

 須臾しゅゆ、切り取った。

 牙のばみまで見えてしまった大狼リュカオンの、ーー姿が掻き消える。

 体が理解して、力が抜けて、空気の重さすら感じて、すとんっと落ちてーー。

 立ち上がりながら、首を噛み砕こうと襲い掛かってきた、あたしの倍はあるんじゃねぇかっていう体高たいこうの、化け物じみた魔獣の後肢の付け根に、抜いた大振りのナイフを添える。

 こんな馬鹿げた自重じじゅうの魔獣に、抗うだけ無駄。力を籠めた分だけ、

 あとは何もしなくていい。相手の勢いで、勝手に切れる。

「ガアァッ!」

 ここで終わらない。迷うことなく魔獣に近接きんせつ。着地して痛みで動きを止めた大狼リュカオンの、逆の後肢にーー。

 ーーここが肝所ポイントです。下手をすると、抜けなくなって武器を奪われてしまいます。

 体重を掛けて、押し込むように突き刺し、即座に手前に向けて引っこ抜く。記憶からまろび出てきた耳障みみざわりな傅役の言葉を、痕跡すら残さなねぇくれぇに踏みにじって、大狼リュカオンから距離を取る。

「ググゥウ……」

 明らかな劣勢でも、戦意をうしなうことはねぇ。

 魔獣は、その命を確実に奪い取るまで、決して油断してはならない。なんてことを昔、どっかの物語で読んだな。

 ほんとそうだ、目が死んでねぇ。

 魔獣と戦ったのは初めてだが、あれが純粋な、殺意ですらない本能に根差す、敵意って奴なのか。

 「死眼モロス」とでも言いたくなるくれぇ、濃厚な気配を纏ってやがる。

 空気が凍ったような錯覚ーーああ、錯覚ってこたぁ、勘違ぇなんだからよ、虚勢だろうが何だろうが、図太ぇ笑みで、ぎんっ、と見返してやる。

「凄ぇな、クロは」
「私は謙遜けんそんが苦手ですので、姫さまが仰った事実に同意いたします」

 大狼リュカオンから視線を逸らさず、周囲を見澄みすます。

 もう近づく必要はねぇ。あとは遠距離から攻撃するんだが、適当なものがねぇな。

「クロが教えてくれた、内側に入り込むーーだったか? 体の前に心が動いたみてぇな変な感じだったけどよ。あと前に聞いた、大狼リュカオンの特性って奴。一撃で仕留めようとしてくるってのも、頭じゃなくて体が覚えてたって感じだな。よくもまあ、あたしに仕込んでくれたもんだ」
「姫さまこそ、謙遜なさらなくてよろしいですよ。一応は仕込みましたが、使えたのはまさしく、姫さまの努力の賜物たまものです。それに、八年前に一度だけ説明した大狼リュカオンの特徴を覚えているなど、ーーこのクロッツェ、感服脱帽敬服おみそれいたしました」

 心にもねぇことをいけしゃあしゃあと言ってくれやがる。あたしがーー玩具おもちゃが思い通りに動くのが、そんなに面白ぇか。

「ここまであたしにやらせたんだからな、あとはクロが止めを刺しやがれ」

 神聖力を散らしてみたが、特に警戒すべきそれらしい反応はねぇ。

 大狼リュカオンは単独行動と見ていいようだ。個別の魔獣の習性までは聞いたことねぇから油断はできねぇが、慎重すぎんのも駄目だ。

 ファナトラの森で魔獣が出たなんて聞いたことねぇから、調べて報告ーーって、ははっ、どこの誰に報告するってんだよ。

「これなど、お手頃な武器として、丁度良いでしょうか」

 クロは地面から露出した人の頭くれぇの岩をつかむと、……って、待ちやがれ!

 ちょっとだけ感傷的になってたあたしは、慌ててクロから離れる。

 ずぼっ。

 この傅役ばかちんはっ、野菜でも引っこ抜くように岩をぶっこ抜きやがった!

 そこには、大狼リュカオンが隠れられるくてぇの大穴がーーつまり、クロが持ち上げた岩がそんだけ大きいっていうか巨大な、いってぇ馬何頭分、いや、何十頭分か? ってくれぇ馬鹿げてて。

 ったく、周りの迷惑ってもんを考えやがれ! 逃げ遅れて土を少しかぶっちまったじゃねぇか!

「クゥ……」

 諦めることなく機会を窺ってた大狼リュカオンの敵意が、粉々に砕け散った。

 魔獣から、表情が消えた。いや、表情が固まった、のほうが正しいか。

 命の最後の一欠ひとかけらまで燃やし尽くすと言わしめた魔物が、灰と化しちまうほど、無慈悲なのか無残なのか、現実に打ちのめされて。

 どずんっ。

 最期まで出来の悪い剥製はくせいのように、命なきもののように動かなかった。

 巨岩が魔獣を潰す間際に、跳躍する。

 着地すると、まだ地面が揺れてるのか、ふらついちまって。まあいいか、ってことで、そのまま座り込む。

「びゃあ~」
「ぅあー」

 魔獣じゃねぇ、警戒しなくていいかわいい奴らがやってくる。

 殺伐さつばつとしたたくましい鳴き声を上げながらぞろぞろと、って、おいおい、どんだけいやがんだよ。こんな群れに遭遇したのは初めてだ。魔獣といい猫どもといい、森で何かあったのか?

 最初に体をこすりつけてきたぶちを持ち上げて、頭の上に乗せてやる。

 あとはわらわらと、って、こらっ、つめ立てんな! だ~っ、順番で撫でてやっから喧嘩すんなって!

僭越せんえつながら、姫さま。丸見えなので、着替えられたほうがよろしいのでは?」

 娘の成長を喜ぶ父親のような目で見てきやがった。

 限界だったのか、ぽろり、とか、ぱっくり、とかしてやがるけど、もうどうでもいいや。かろうじてドレスと呼べそうなボロを剥ぎ取って、になる。

 クロの目を見ればわかる。傅役こいつはあたしを女として見てねぇだけじゃねぇ。人間が、服を着てねぇ動物を見ても何も感じねぇように、あたしとクロの間には、どうしようもねぇへだたりがある。

「猫ども、頼むわ」
「ごわぁ~」
「あ~ぅ」

 もう動くのも億劫おっくうだからよ、魔獣と戦った際に手放した「小薔薇」袋を持ってきてもらう。お礼に、薄汚れた白猫と黒猫をーーもしかしてつがいかーー胸でぎゅ~としてやる。

 おぉ~う、嫌そうにわたわたしてやがんのに、本気で逃げねぇとこが可愛すぎんぜさいこうだぜ

「相も変わらず、家猫には嫌われるのに、野生の猫には好かれていますね。口惜くちおしいことです。未だにその謎を解明できないとは……」

 演技も一級品。あたしじゃなきゃ騙されてる。

 苦悩する傅役の姿がムカついたからよ、逆に問い詰めてやる。

「あたしだって解明できてねぇよ。クロが何者か、吐きやがれ。吐かねぇと、猫どもに粗相しっこさせんぞ」

 城下町に視察あそびに行くときの、変装用の服を着る。目立つ赤髪を隠す帽子は、今はらねぇな。

 森を抜けてきたってのに不自然なくれぇに清潔な、きっちり、かっきりしたよそおい。

 クロの邪心を見抜いてるのか、猫どもは「結界」でも張ってあるみてぇに近寄らねぇ。家猫、野生の猫に限らず、傅役こいつが動物に好かれてんのを見たことがねぇ。

「私の正体ですか? そうですね、金銀財宝でも、どばっと積んでください。そうしたら教えて差し上げましょう」

 あたしが持ってるのは、もしものために「小薔薇」袋に忍ばせておいた数枚の金貨だけだ。もう王女じゃないあたしを嘲笑あざわらうために現実を直視させたーーって、そりゃ穿うがちすぎか。

 そもそもクロは、金に困ってねぇ。じゃなくて、価値を見出してねぇってか、そんなタマじゃねぇってか。

 ーーでもまあ、。あとで覚えてやがれよ。

「クロ」

 頭の上の、臨時の「猫王」を下ろしてやると。阿吽あうんの呼吸とか言いたかねぇけど、あたしの願い通りに、クロはすいっと腕を横に振った。

 それだけで、巨岩がごろりと転がってーー適者生存、自然の摂理って奴だな、あたしは目をそむけずに、潰れておぞましい肉塊になった大狼リュカオンに祈りを捧げる。

 偽善だろう何だろうがどうでもいい、あたしがしたいからするんだ。

「ほれ、腹いっぺぇ食いな」

 仕留めた片割れのあたしが許可を出すと、猫どもは喜び勇んで大狼リュカオンに群がる。

「姫さま」
「わかってんよ。『浄化』だろ」

 耳に胼胝タコだ。む場所が違ぇってことなのか、病気をもらっちまうことがある。

 初期段階なら「浄化」が有効だからよ、「治癒」と併行して覚えさせられた。てかクロの奴は、神聖術が使えねぇ癖に、司祭以上に教え方が上手ぇって、どうなってやがんだよ。

「ゔゃ~」

 お礼のつもりか、残ってた「猫王」があたしの足に体をすりすり。わっしゃわっしゃと過剰撫で撫でしてかわいがってやってから、仲間(?)の許に送り出してやる。

 ーー考えんのはあとだ。まだ早ぇ。一度せきを切れば止まんなくなる。

 この場所には見覚えがある。そう遠くねぇから、あたしは「古戦場」まで無言で歩いていった。
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