異界育ちの幻使い

yasunari311

文字の大きさ
31 / 51
31話

来ちゃったわ

しおりを挟む




 湯気の立つ熱燗をひとくち、ゆっくり喉に流し込む。

 ──しみる。

 肩の力が抜ける感覚に身を委ねながら、俺は箸で干し魚をつまんだ。
 絶妙な塩加減と炙りの香ばしさが、まるで疲労そのものを剥がしていくようだった。

 ──父上との修行。あの一撃。
 すべてを出し尽くした結果として、今、こうして呑んでいられる。
 悪くない。いや、むしろ、最高だ。

 

「……ちょー感謝するぜ、母上。術のおかげで、これだけ飲める」

 そう呟いて杯を置いたときだった。

 ──店の戸が、すうっと開いた。

 暖簾の隙間から差し込んだ光の中に、細く長い影が浮かぶ。

 

「これはこれは……ヨモギ様、いらっしゃいませ」

 店主がぴしゃりと背筋を正し、深々と頭を下げた。
 店内にいた数名の妖たちも、自然と静かになっていく。

 誰もが、知っている。
 そこに現れたのが、“あの”ヨモギだと。

 

 木の床を、ゆるやかな足取りが近づいてくる。

 ──来ると思ってたぜ。

 この匂い、この気配。見間違えるわけがない。
 振り返ると、狐耳の美女がこちらを見ていた。
 金色の髪は結われ、十三本の尾がしっとりと揺れている。

 

 「来ちゃったわ」

 

 それだけ言って、隣に腰を下ろした。
 尾がふわりと流れ、俺の肩先をくすぐっていく。

 昔から変わらない、この距離感。

 

「飲むのか?」

「ええ、飲むわよ。……せっかくだもの」

 師匠は笑って、店主に手を挙げた。

「熱燗、ふたつ。あと、キノコと小鉢、それと……甘いの、なにかある?」

「ございますとも。今朝とれた“月果の蜜煮”、ご用意できます」

「それでお願い。ここのは、ちゃんと甘くていいの」

 

 俺は小さく笑った。

「師匠、甘党だもんな。……修行中、よく隠れて団子食ってたの、見てたぜ」

「あら、見てたの? なら隠れる意味、なかったじゃない」

 そう言いながら、師匠は注がれた酒に口をつけた。
 ごくん、と喉が鳴る。やがて、目を細めてふっと息を吐いた。

 

「……やっぱり、異界の酒は落ち着くわね」

 

 静かに、盃を傾ける。

 肩の力の抜けたその姿を見て、俺も、もう一度盃を手に取った。

 ──今だけは、何も考えなくていい。

 強さとか、幻とか、戦いとか。
 そんなものは、酒のあとにでも考えればいい。

 

 だから俺は、もうひとくち、師匠と並んで呑んだ。

 ──ただ、それだけでよかった。

 湯呑の縁に、月果の蜜煮が添えられる。
 師匠はそれを摘まみながら、ちらと横目で俺を見た。

 

「……ところで、あの修行。ゴウマ相手に、ずいぶん暴れたらしいじゃない」

 

 口調は軽いが、目だけは冗談じゃなかった。

 

「……見てたのか」

「見てたというより──山が揺れたもの。嫌でも分かるわよ」

 そう言って、酒をくいと呷る。

 

「まったく……。あの男もあの男で、“親心”の皮を被った修羅みたいなこと、よくやるわね。……あれで加減してるんだから、笑っちゃう」

「でもまあ、俺としては……嬉しかったぜ。初めて“拳”で語れたからな」

 

 師匠は小さく笑った。

 

「──あなた、子供の頃から父親の背ばっかり追ってたものね。目付きが、そっくりになってきたわよ」

 

 俺は照れ隠しのように、熱燗を飲み干した。

 あの戦い。全てを出し切って、殴り合って、吹っ飛ばされて。
 でも──それでも、父上に届いた。

 

「……師匠の教えがなかったら、あの修行、最初の一撃で潰れてたと思う」

 

 ヨモギはふっと笑った。

 

「礼なんていらないわよ。私はただ、“あなたが壊れないように”育てただけ」

 

 それが、あの人の幻。
 嘘も演出もない、まっすぐな言葉だった。

 ──だからこそ、響いた。

 

 ふたりして、もう一杯、酒を注いだ。

 この夜はまだ、長くなりそうだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生先はご近所さん?

フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが… そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。 でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる

アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。 でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。 でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。 その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。 そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。

チート魔力を持ったせいで世界を束ねる管理者に目を付けられたが、巻き込まれたくないので金稼ぎします

桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。 交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。 そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。 その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。 だが、それが不幸の始まりだった。 世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。 彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。 さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。 金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。 面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。 本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。 ※小説家になろう・カクヨムでも更新中 ※表紙:あニキさん ※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ ※月、水、金、更新予定!

蒼き樹海の案内人

蒼月よる
ファンタジー
辺境の森で育った少年ユーリには、不思議な目がある。魔素の流れが光の粒として見えるのだ。 蒼の樹海——人を喰らう巨大な森に足を踏み入れた彼は、遺跡屋の青年カイと出会い、冒険者として歩み始める。樹海の奥に眠る遺跡、港街の裏に潜む陰謀、灰に覆われた滅びの国、そして首都に隠された世界の秘密。 仲間と共に世界を巡るうちに、ユーリは気づいていく。この世界の「魔法」も「神」も、すべてが何かの残骸なのではないか——と。 冒険・バトル・素材経済・食文化を軸に、ファンタジーの裏に潜むSF的真実へと辿り着く、全4巻の冒険ファンタジー。 この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。 ・世界観・設定の管理補助 ・プロット段階の壁打ち ・作者による執筆後の校正

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

壊獄の浄祓師

はといるか
ファンタジー
 人の悪面から生まれ落ちた穢れしモノ「穢者」  それらに対抗する力、浄力を操り穢者を排除すべく戦う「浄祓師」。  普通の高校生活を送っていた坂宮幽斗はとある事件によって浄穢の戦いに巻き込まれてしまう。  守るべきものの為に幽斗は浄祓師として戦いに身を投じていく。  

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...