異界育ちの幻使い

yasunari311

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30話

目覚めの代償

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 ──光が、揺れていた。

 深い水の底のような暗がり。
 そこから浮かび上がるようにして、意識が戻っていく。

 瞼の裏が熱い。喉が焼けつき、胸が詰まるように重い。

 ──それでも。

 アヤトは、ゆっくりと目を開けた。

 

 視界に映ったのは、木の梁と、淡い陽光。
 障子の隙間から差し込む光が、室内を柔らかく照らしていた。

 ──ウチだ。

 鼻に届く、茶と木と薬草の香り。
 懐かしさが、身体よりも先に心を解かしていく。

 

 「……起きたのね」

 静かな声が、すぐ傍から届いた。

 

 目を向けると、母上──ギンが座っていた。
 湯呑を手に、背筋を正し、薄衣のまま、じっとこちらを見ている。
 変わらぬその姿の中で、瞳だけが、少しだけ強く光っていた。

 

 声を返そうとしたが、喉が引きつった。
 かすれた呼吸しか出ない。

 

 ギンは黙って立ち上がり、卓にあった湯を注ぐと、口元へ運んでくれた。

 ぬるい、それがちょうどいい。
 苦くて優しい湯が、喉を潤し、胸の奥に落ちていく。

 

 ようやく、声が出た。

 「……母上……」

 

 「目覚めてくれて、よかった」

 それだけ言うと、ギンはまた静かに座り直した。

 

 しばらくの沈黙。

 そののち、真っ直ぐに言葉が届く。

 

 「──その力は、危ういわ」

 

 アヤトは目を伏せた。
 分かっている。“力”なんかじゃない。代償付きの幻──制御された暴走だ。

 

 「あなたの幻装。……あれは装いじゃない。抑え込んでいるうちはいい。でも、一歩でも逸れたら、もう戻れない」

 

 拳を握ろうとしたが──すぐに力が抜けた。

 指先に、焼けつくような鈍痛が走る。

 

 「……じゃあ、ダメだったか……」

 

 掠れた声で問うと、ギンは静かに首を横に振った。

 

 「そういう話じゃないわ。
 あの力──重さも、鋭さも、父親譲りだった。あなたらしい幻の組み方で、見事だった」

 

 一呼吸、置いて。

 

 「でも、あのままあなたが崩れていたら、もう戻せなかった。……助けたのは、運でも実力でもない。たまたま、私が近くにいただけ」

 

 淡々としたその言葉に、責める色はない。
 ただの“事実”として、伝えてくれている。
 術者として。母として。

 

 アヤトは小さく頷いた。

 「……すまん、母上」

 

 ギンは、ふっと微笑んだ。

 「謝ることじゃない。……でも、“次”はちゃんと抑えて戦いなさい。そうじゃなきゃ、命が保たない」

 

 アヤトは小さく笑った。
 ──それができれば、苦労しない。

 

 ギンは湯呑を手に立ち上がり、静かに部屋を出ていった。
 戸の閉まる音が、やけに優しく耳に残る。

 

 残された静寂の中、アヤトは天井を見上げ、ふっと笑った。

 

 「……さけ、のんでくらぁ」

 

 自分でも驚くほど気の抜けた声だった。
 けれど──今日は、そういう朝でいい。

 

 父上に、ひとこと褒められた。
 それだけで、今日はなんだか、悪くない気がした。

 

 ──風が、気持ちよかった。

 母上の術で、身体はすっかり軽くなっていた。
 昨日までの反動は、すでに跡形もない。
 空気を吸うたび、肺が新しくなるような感覚。

 

 足取りも自然と軽くなっていた。

 あとは──もう決まっている。

 

 向かう先は、異界の街の一角にある居酒屋通り。
 石畳の路地に、湯気と笑い声が立ちのぼる。
 昼間から提灯が揺れ、妖たちの声が響いていた。

 

 焼かれた肉の香り。碁石が弾ける音。酔いどれた笑い声。

 妖も精も、老いも若きも、種族も関係なく、酒と肴を囲む。
 そこにあるのは、“異界そのもの”だった。

 

 アヤトは、その中の一軒に迷いなく入った。
 看板もない、木戸の古びた店──だが通には知られた隠れ処だ。

 

 戸を開けた瞬間、香ばしい匂いと笑い声が迎えてくる。

 

 「──おう、久しぶりじゃねぇか」

 

 カウンター奥から、三本角の店主が顔を出した。
 年齢も種族も不明。酔っているのか素面なのかも分からぬ、不思議な妖である。

 

 「また帰ってきたのかい。ま、座れ。良い酒がある」

 「……すまんね。じゃあ、いつもの熱燗。干し魚と焼きキノコ、それと……おまかせで何か一品」

 「へいへい。今日は“ぬた”でも出そうかね。妙に静かな日だったから、ちょうど暇してたとこだ」

 

 カウンターに腰を下ろす。
 隣では、狸の妖が酒壺を抱いてすやすやと眠っていた。
 その隣では、小鬼たちが骨占いに熱中している。

 

 ──この空気。この空間。

 戦いも修行も忘れていい、ほんのひととき。

 

 出てきた熱燗は、ふわりと湯気を立て、骨酒のような香りを漂わせていた。
 一口含むだけで、肩の力が抜けていく。

 

 「……ふぅ。やっぱ、ここだな」

 

 力も幻も、すべてを置いて──ただ、静かに酔える場所。
 それが、いちばんの“力”になる。

 

 焼き串をひっくり返していた大将が、ちらりとこちらを見た。

 

 「そういや、今日は派手だったな。山が唸ってたぜ。お前さんか?」

 「……さあ、どうだかな」

 

 アヤトは、湯気の向こうで杯を回しながら、ふっと笑った。
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