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30話
目覚めの代償
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──光が、揺れていた。
深い水の底のような暗がり。
そこから浮かび上がるようにして、意識が戻っていく。
瞼の裏が熱い。喉が焼けつき、胸が詰まるように重い。
──それでも。
アヤトは、ゆっくりと目を開けた。
視界に映ったのは、木の梁と、淡い陽光。
障子の隙間から差し込む光が、室内を柔らかく照らしていた。
──ウチだ。
鼻に届く、茶と木と薬草の香り。
懐かしさが、身体よりも先に心を解かしていく。
「……起きたのね」
静かな声が、すぐ傍から届いた。
目を向けると、母上──ギンが座っていた。
湯呑を手に、背筋を正し、薄衣のまま、じっとこちらを見ている。
変わらぬその姿の中で、瞳だけが、少しだけ強く光っていた。
声を返そうとしたが、喉が引きつった。
かすれた呼吸しか出ない。
ギンは黙って立ち上がり、卓にあった湯を注ぐと、口元へ運んでくれた。
ぬるい、それがちょうどいい。
苦くて優しい湯が、喉を潤し、胸の奥に落ちていく。
ようやく、声が出た。
「……母上……」
「目覚めてくれて、よかった」
それだけ言うと、ギンはまた静かに座り直した。
しばらくの沈黙。
そののち、真っ直ぐに言葉が届く。
「──その力は、危ういわ」
アヤトは目を伏せた。
分かっている。“力”なんかじゃない。代償付きの幻──制御された暴走だ。
「あなたの幻装。……あれは装いじゃない。抑え込んでいるうちはいい。でも、一歩でも逸れたら、もう戻れない」
拳を握ろうとしたが──すぐに力が抜けた。
指先に、焼けつくような鈍痛が走る。
「……じゃあ、ダメだったか……」
掠れた声で問うと、ギンは静かに首を横に振った。
「そういう話じゃないわ。
あの力──重さも、鋭さも、父親譲りだった。あなたらしい幻の組み方で、見事だった」
一呼吸、置いて。
「でも、あのままあなたが崩れていたら、もう戻せなかった。……助けたのは、運でも実力でもない。たまたま、私が近くにいただけ」
淡々としたその言葉に、責める色はない。
ただの“事実”として、伝えてくれている。
術者として。母として。
アヤトは小さく頷いた。
「……すまん、母上」
ギンは、ふっと微笑んだ。
「謝ることじゃない。……でも、“次”はちゃんと抑えて戦いなさい。そうじゃなきゃ、命が保たない」
アヤトは小さく笑った。
──それができれば、苦労しない。
ギンは湯呑を手に立ち上がり、静かに部屋を出ていった。
戸の閉まる音が、やけに優しく耳に残る。
残された静寂の中、アヤトは天井を見上げ、ふっと笑った。
「……さけ、のんでくらぁ」
自分でも驚くほど気の抜けた声だった。
けれど──今日は、そういう朝でいい。
父上に、ひとこと褒められた。
それだけで、今日はなんだか、悪くない気がした。
──風が、気持ちよかった。
母上の術で、身体はすっかり軽くなっていた。
昨日までの反動は、すでに跡形もない。
空気を吸うたび、肺が新しくなるような感覚。
足取りも自然と軽くなっていた。
あとは──もう決まっている。
向かう先は、異界の街の一角にある居酒屋通り。
石畳の路地に、湯気と笑い声が立ちのぼる。
昼間から提灯が揺れ、妖たちの声が響いていた。
焼かれた肉の香り。碁石が弾ける音。酔いどれた笑い声。
妖も精も、老いも若きも、種族も関係なく、酒と肴を囲む。
そこにあるのは、“異界そのもの”だった。
アヤトは、その中の一軒に迷いなく入った。
看板もない、木戸の古びた店──だが通には知られた隠れ処だ。
戸を開けた瞬間、香ばしい匂いと笑い声が迎えてくる。
「──おう、久しぶりじゃねぇか」
カウンター奥から、三本角の店主が顔を出した。
年齢も種族も不明。酔っているのか素面なのかも分からぬ、不思議な妖である。
「また帰ってきたのかい。ま、座れ。良い酒がある」
「……すまんね。じゃあ、いつもの熱燗。干し魚と焼きキノコ、それと……おまかせで何か一品」
「へいへい。今日は“ぬた”でも出そうかね。妙に静かな日だったから、ちょうど暇してたとこだ」
カウンターに腰を下ろす。
隣では、狸の妖が酒壺を抱いてすやすやと眠っていた。
その隣では、小鬼たちが骨占いに熱中している。
──この空気。この空間。
戦いも修行も忘れていい、ほんのひととき。
出てきた熱燗は、ふわりと湯気を立て、骨酒のような香りを漂わせていた。
一口含むだけで、肩の力が抜けていく。
「……ふぅ。やっぱ、ここだな」
力も幻も、すべてを置いて──ただ、静かに酔える場所。
それが、いちばんの“力”になる。
焼き串をひっくり返していた大将が、ちらりとこちらを見た。
「そういや、今日は派手だったな。山が唸ってたぜ。お前さんか?」
「……さあ、どうだかな」
アヤトは、湯気の向こうで杯を回しながら、ふっと笑った。
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