異界育ちの幻使い

yasunari311

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39話

巫女の名は──ナギリ

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 坂道をのぼる風が、枝を揺らす。

 木漏れ日が差すなか、小さな祠の前に彼女はいた。

 

 白い装束に身を包み、艶のある黒髪を背に流している。

 静かで整った面差し。まだ若いはずなのに、その眼差しには揺るぎない落ち着きがあった。

 

「……珍しい方が、来られましたね」

 

 彼女はそう言い、深く礼をした。

 所作は端正で、無駄がない。敵意も警戒もなかった。

 

「この祠は、遥か昔──“幻”をもってこの地を救ったお方が、しばし留まった場所。

 いまはもう、直接その姿を見た者はおりません。

 けれど……その気配は、まだここに息づいております」

 

 アヤトは黙って聞いていた。

 言葉の端々に、誇りと敬意が滲んでいた。

 

「私は、この島に伝わる“幻の伝承”を守る者です。

 名を、ナギリと申します」

 

 名乗り終えたナギリは、アヤトを見つめたまま、静かに呼吸を整えるようにして言葉を継いだ。

 

「……どなたであれ、ここへ辿り着いたこと。それ自体が“縁”なのでしょう」

 

 アヤトはゆっくりと頷いた。

 そして短く名を告げる。

 

「アヤト。──名乗るほどの者でもないが、まあ、そう呼ばれてる」

 

 ナギリは微笑んだ。

 その笑みは、穏やかで、礼を尽くしたものだった。

 

「ようこそ、アヤト様」

 

 風が、ふたりの間を抜けていく。

 幻の気配は、祠とともに、島の空気に静かに溶け込んでいた。

 

 ナギリの言葉に応えるように、アヤトは視線を祠へと向けた。

 

 木造の祠は簡素で古びていたが、手入れが行き届いている。
 朽ちかけた木肌の色には、風雨とともに刻まれた“時間”の重みがあった。

 

 小さな石の台座の上に、ひとつの像が置かれていた。

 

 ──狐、だった。

 だが、その尾は尋常ではない。
 一本、また一本と分かれ、十三に枝分かれした長い尾が背後に広がっている。

 

 顔立ちは素朴で、装飾も施されていない。

 それでも、ただ“そこに在る”だけで、静かな威圧感を放っていた。

 

 アヤトは無意識に、その前で足を止めていた。

 

 「……師匠の、名残……」

 

 そのひとことに、ナギリは静かに頷いた。

 

 「この像は、島に残された記憶をもとに、代々彫り継がれてきたものです。

 ……本当に、“十三の尾”を持っておられたのですね」

 

 ナギリの声には、わずかな感嘆がにじんでいた。

 だがそれは、伝承を守る者としての、誇りに近い響きでもあった。

 

 アヤトは目を伏せ、少しだけ息を吐く。

 石像の傍には、ひとつの盃と、酒瓶が供えられていた。
 誰が、いつ置いたのかはわからない。けれど──

 

 「……あの人なら、きっと笑って受け取るだろうさ」

 

 ぽつりと、呟くように。

 アヤトの目に浮かんでいたのは、かつて見上げたあの背中だった。

 

 尾を揺らし、涼やかな声で、呆れながら笑っていた師匠の姿。

 

 今はもう届かない、その幻が──

 確かに、ここには残っていた。
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