【完結】偽りのα、真実の恋 ー僕が僕として生きるためにー

天音蝶子(あまねちょうこ)

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4.図書館の午後 ― 微睡(まどろみ)の距離 ―

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 昼下がりの陽光が、図書館の高い窓から静かに差し込んでいた。
 光は磨かれた床に淡い模様を描き、紙の匂いとインクの香りがほのかに混じり合っている。
 定期試験が近づく頃、教室はどこか落ち着かない空気に包まれていた。

「リオン、一緒に勉強しようぜ!」

 αのクラスメイトたちが声をかけてくる。
 笑顔で誘ってくれているのに、胸の奥がひやりと冷えた。
 ——長い時間、彼らの近くにいたら……。
 抑制剤の効果が切れかけている自分の体が、もし何かを感じ取ってしまったら。
 そんな想像だけで、指先がわずかに震えた。

「ごめん。今日はもう予定があって……」

 曖昧な笑みを浮かべて断ろうとした、そのとき。

「リオンは俺と約束してるんだ。悪いな」

 背後から聞こえた低い声に、振り返る。
 ノアが、いつもの無表情のまま立っていた。

 その声には不思議な安定感があり、周囲のざわめきを静めてしまう。
 クラスメイトたちは少し驚いたように目を見交わし、「そっか、じゃあまた今度」と笑っ去っていった。
 残されたリオンは、小さく息を吐いた。

「……助かった、ノア」

「いや。勉強、付き合うよ。お前、兄貴ほど筆記は得意じゃないだろ?」

 図星を突かれて、リオンはむっと唇を尖らせた。

 ——確かに、兄ほど完璧にはできない。

 けれど、それを知られているのが少し恥ずかしい。
 ノアの口元がかすかに笑う。

「図書館でやろう。あそこなら静かだし、人も少ない」

「……わかった。ありがとう」

 図書館の奥、小さな自習室。
 二人掛けの机に並んで座ると、外の喧騒が嘘のように遠のいた。
 ページをめくる音と、鉛筆が紙を滑る音だけが部屋に満ちる。

 リオンは教科書の字を追いながら、ノアの横顔にちらりと目をやった。
 真剣な眼差し、長い指先、ページを押さえる仕草。
 そのすべてが整っていて、息が詰まりそうになる。

 ——近い。

 少し動くたびに、微かなαの香りが漂ってくる。
 透明な熱が、胸の奥にゆっくりと広がった。

「リオン、ここ。間違ってる」

 ノアが手を伸ばし、ペン先でノートを指す。
 その指が自分の手にかすかに触れ、思わず身体が跳ねた。

「……っ、ごめん」

「そんなに構えるな。俺、食べたりしない」

  くすりと笑う声に、リオンは視線を落とす。

「わかってる……でも、僕、うまく隠せてるかな」

 小さな声で漏らした不安に、ノアは静かにペンを置いた。

「大丈夫。誰も気づかない。俺がそばにいる限り、誰にも嗅がせない」

 その言葉に、胸の奥で何かがゆるんだ。
 恐れと安堵がせめぎ合い、呼吸が浅くなる。

  ——この人は、どうしてこんなにも優しいのだろう。

 それが嬉しくて、同時に、少し怖かった。

 窓の外で風が木々を揺らす。
 その音が、鼓動の速さと重なった。

 ノアが再び教科書に目を落とすと、沈黙の中に穏やかな時間が流れ出す。
 ほんの少し、彼の肩に触れる距離で。
 リオンは、胸の奥に広がるあたたかなざわめきを、そっと抱きしめた。

 ——この静けさが、永遠に続けばいい。

 でも、そんな願いが叶わないことも、もう知っている。
 どこか物憂げな秋の陽が、ふたりのノートの上に静かに降り注いでいた。
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