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第一章 逆行したレティシア(幼少期)
10. 不貞を疑われた弟、パトリックの誕生
しおりを挟むベリル侯爵家の屋敷に戻ってすぐ、レティシアは弟パトリックの様子を見に侯爵夫人の寝室を訪れた。
ノックをしようと手を伸ばしかけた時、中から両親の言い争う声が聞こえてきた。ハッとしたレティシアの手は、宙に浮いたまま固まってしまう。
「言い訳など聞きたく無い! 真実を話せ!」
「ずっと本当の事を申しております! この子は……パトリックは、正真正銘貴方の子です!」
「では何故この子は私にも、そしてお前にも無い色味を持っているのだ⁉︎ 黒髪黒目の子どもなど、不貞の子と疑われてもおかしくは無い!」
「それは……っ! 私にも分からないのです。でもっ、本当に私は不貞など……働いておりませんっ」
真っ黒な髪と黒い瞳で生まれた、侯爵家の長男パトリック。
銀髪で紫の瞳を持つ父ベリル侯爵と姉レティシア、そしてブルネットの髪と青い瞳を持つ母侯爵夫人ともあまりに違うその色味は、不貞の証拠だとされていた。
ちなみに、レティシアとパトリックの祖父母にも黒い色味の者はいない。
レティシアが逆行する前の世界では、パトリックがそれを理由に塞ぎ込み、何年も部屋に閉じこもっては怪しげな呪いや魔術に没頭するようになっていた。
そうなると余計にベリル侯爵家で孤立を深める事になる。
パトリックは父親から完全に居ないものとして無視されていた。そして母親も自身の不貞を疑われる原因となった息子を遠ざけるようになる。その代わりに娘であるレティシアへの偏愛が強くなり、あのような結末を迎えることになったのだ。
それでも過去でレティシアは弟を心配し、両親の目を盗んでパトリックへの接触を試みようとした事もあった。
しかしパトリックの方は姉であるレティシアの事を妬み、恨み、拒絶を示していたのだった。
「生まれたばかりのパトリックを、こんな風にお父様は忌避していたのね。だからお母様はパトリックを愛せなくなってしまったのだわ」
侯爵夫人が本当に不貞を働いているかは別として、生まれてきたパトリックに罪は無い。以前の時に、レティシアは弟を不憫に思いつつも両親に反抗するほどの勇気が持てなかった。
従順な令嬢でなければならなかったレティシアには、あの時出来る事などほとんど無かったのだ。
「何の因果かは分からないけれど、やり直す機会を与えられたのだもの。以前は弟を守れない頼りない姉だったけれど、今度こそ……」
口にしたのは決意。扉の前で佇む四歳のレティシアは、小さな拳を力強く握ると、小ぶりの唇をキュッと噛んだ。
未だ部屋の中からは、侯爵が夫人をなじる声が聞こえている。
決意を眼差しに込めたレティシアは、大きく深呼吸をする。そしてスウッと息を吸い込むと、吐き出すのと同時に声を張り上げた。
「お母様! 私の可愛い弟はどこ?」
言いつつノックもせずに重たい扉を開ける。
意識して浮かべた満面の笑み、子どもらしい表情と動きを心がけて、レティシアは夫人の寝室に足を踏み入れた。
「なっ! レティシア⁉︎」
扉を開けた一瞬で見えたのはやつれた顔で寝台に腰掛ける夫人と、険しい顔でその近くに立つ侯爵。
しかし二人とも、突然入ってきた幼い娘に驚いて扉の方を振り返り、同じように目も口も大きく開けて声を発した。
「わぁ! 私の可愛いパトリックは……ここかしら?」
以前はこの部屋に無かった赤子用の寝台が目に入るなり、レティシアは一目散にそちらへと駆け寄った。
「何てお行儀が悪いの⁉︎ レティシア! そのように駆けてはなりません!」
「だってお母様! 早く弟に会いたくて!」
夫人にキツく叱られたレティシアは気にするそぶりを見せず、ベッドに寝かされた生まれたばかりの弟を覗き込む。
柔らかな素材の寝具に包まれた赤子は、真っ黒な髪がフサフサとしている。先程までの騒ぎにも気付かずスヤスヤと眠って目は閉じていたが、その面影はやはりレティシアの知るパトリックそのものだった。
「わぁ……私の弟はやっぱり可愛いわね!」
「レティシア……」
レティシアがパトリックの誕生を心の底から喜んでいる様子を見せたものだから、言い争いをしていた両親も流石に気まずくなって、辺りにはギクシャクとした空気が流れた。
「ねぇお父様、このスッとしたお鼻はお父様にそっくりね。それに、このお口の形は私に似ているわ」
「……そうか」
「私の髪は月の光みたいな銀色で、パトリックは夜空の黒色で、二人揃うととっても素敵。ねぇ、そうでしょう?」
まだ産毛のように柔らかなパトリックの髪を、レティシアは手のひらで弄ぶようにして撫でる。
無邪気なレティシアの様子に、先程まで揉めていた侯爵も夫人も居心地の悪さを感じたようだ。
「ええ、そうね……そう。本当に素敵」
夫人は背後からレティシアを抱きしめ、声を震わせた。
「……執務に戻る。ルイーズ、しばらくはゆっくり休め」
「はい、ありがとうございます」
まだ厳しい顔つきではあったものの、侯爵は夫人に労りの言葉を述べてから部屋を後にする。
本当にレティシアが四歳の幼な子であれば、パトリック誕生による両親の不仲に気付く事もなく、過去の侯爵夫妻のように冷え切った夫婦関係がまた今日から始まるところであった。
「お母様、パトリックを産んでくれてありがとう。私、こんなに可愛い弟が生まれてとても嬉しい」
幼い娘がニコニコと可愛らしい笑顔でそう言えば、夫人は眦に涙を光らせながら、レティシアの頭にキスを落とした。
「ありがとう、レティシア」
出産を終えたばかりの夫人を休ませる為に、レティシアは短時間で自室へと戻った。
住み慣れた屋敷の廊下を歩いているはずなのに、幼い子どもの身体に成長した魂が入り込んだレティシアには全てが大きく見え、すれ違う使用人達も若々しい。
「本当に、不思議だわ」
以前には知りもしなかった、両親の不仲の根幹となる出来事。
それを目の当たりにしたレティシアは、過去では上手くいかなかったパトリックとの仲、そして冷え切っていた両親の関係をありありと思い出して痛む胸を押さえた。
「でも、これは好機よ」
レティシアが以前と違う生き方をする事で、周囲の人々にも何らかの変化が起こる可能性もあるのだ。
「何か、理由があるはず。私が回帰した事には、何か……」
今はその答えが分からずともきっとこの先で分かる時が来るだろうと、レティシアは自分に言い聞かせるようにして大きく頷くと、廊下の窓の外を見る。
そこからの景色も、今のレティシアにはすこぶる鮮やかに見えるのだった。
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