婚約者に見殺しにされた愚かな傀儡令嬢、時を逆行する

蓮恭

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第二章 美しく成長したレティシア

62. ファブリスという男、若かりし頃のアヌビス(後編)

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――ここまで……遥か昔の過去を語ると、アヌビスは大きく息を吐き出した。豊かな髭がフワフワと揺れるほどの長いため息に、微動だにする事なく真剣に話に聞き入っていたレティシアとリュシアンも、やっと肩の力を抜く。

「分かったと思うが、アヌビスはただの人間では無い。元々この帝国フォレスティエには存在しない種族なんだ」
「そうですか……。でも、どんな種族であれアヌビス様には変わりありませんものね」

 リュシアンの言葉にレティシアは心からの言葉を返す。それを聞いたアヌビスは目元の皺を深め、口元を緩めた。しかしなかなか口を開こうとはしないアヌビスに、レティシアは確認の為に質問をする。

「そうすると、アヌビス様はファブリス・ド・アレルの姉、アリーナと婚姻を結ばれたという事なのですね」

 先程までの話の流れでは当然のようなレティシアの問いに、アヌビスはどうしてか答えようとせず、何かを深く思案しているような、思い詰めた様子になる。
 
「アヌビスに妻がいたとは……俺も知らなかったな」

 どうやらリュシアンでさえも、この話を聞くのは初めてのようだ。
 
「それじゃあアレル家の血を引く私とアヌビス様は血は繋がらないまでも、遠縁という事になるのでしょうか」

 二人の言葉にすぐに返事をする事はなく、アヌビスは皺に囲まれた金色の瞳で遠くを見つめていた。その視線はたくさんの薬草が吊るされた壁の方を向いていたが、おそらくもっと向こうの、何かを見ていたのだろう。
 しばしの沈黙がその場に落ち、レティシアとリュシアンはアヌビスが口を開くまで根気よく待った。

「……ワシとレティシア嬢は遠縁にはならんよ。ワシに妻はおらん。アリーナとは……結局夫婦になる事は叶わなかったのでな」

 やっとの事で言葉を紡ぎ出したアヌビスだったが、その悲しい内容にレティシアとリュシアンは二人して目を見開き、そして絶句した。

「ファブリスはワシを凌ぐ魔力を持った人間であった。初めて会った時、ワシはその力に驚いた。そしてこの青年にちゃんとした魔術を指南すれば、とんでもない実力を持つ魔術師になるのだろうと、そう期待した」

 アヌビスは未だ視線を壁から外す事無く、そう告げた。

「ワシの仲間……純粋に魔力を備えて魔術師として生きる者は随分と数が減っておったから、ただの人間だとしても魔術師が増える事が嬉しかったんじゃ。それに、初めて会った時のファブリスは生きる気力を失いかけていたから、何とかそれを取り戻してもらえればと……」

 レティシアもリュシアンも、口を挟む事無くアヌビスの言葉に耳を傾ける。まるで独り言のように紡がれる思い出話にはこの先の不穏さを感じさせるものがあった。

「旅から戻って来た日にファブリスが披露した魔術、薬草の使い方は驚くほどに進歩していた。その時ワシは嬉しさと同時に、恐ろしさも感じたんじゃ」
「何故……アヌビス様はファブリスの事を恐ろしく感じたのですか?」

 レティシアは不思議に思った。弟子が進歩する事が恐ろしいとは、どういう意味なのかと。
 時が違えどアヌビスの弟子という立場は、レティシアもファブリスも同じだった。だからこそ、どうしてアヌビスが恐ろしいという感情を抱いたのかを知りたかったのだ。

「ファブリスは……あまりにも生まれ持った力が強大過ぎた。ワシが何十年もかけて会得した魔術さえ、いとも簡単にやってみせたんじゃ。しかしそれは何というか、どこか危うさも兼ね備えていた。難しい魔術の周りを少しの衝撃で割れてしまう、薄い氷のような物が覆っているような……。無理矢理背伸びして作り上げているような、そんな感じというかのぅ」
「ファブリスは、早く力のある魔術師になろうと随分と無理をしていたのでしょうか」
「そうかも知れん。ワシがもっとちゃんとそばについて、時間がかかっても良いからと伝えてやれば良かったのか……。そもそも人間の時間と、我々の時間は流れゆく速さが違い過ぎるのでな、ワシはそこに思い至らなかったんじゃ」

 長命な種族であるアヌビスと、ただの人間でしか無いファブリスでは、時間の概念が違っても仕方がないのだろう。
 そういう点でも、普通はただの人間に魔力が与えられる事が無いのかも知れない。ただの人間でしか無いファブリスに、どうして多くの魔力が宿っていたのかは、結局分からなかったという。

「アリーナは、ワシの寿命も種族の違いも……事情を全て知った上で共に生きたいと言ってくれた女性ひとであった」
 
 アヌビスの事情を全て知った上で妻となる事を望んだアリーナは、どれほどの覚悟をしてアヌビスと生きると決意したのだろう。レティシアには想像もつかなかったが、恐らく深くアヌビスを愛していたのだろうという事は分かる。
 それほどの女性が、どうしてアヌビスの妻となる事が叶わなかったのか。

 リュシアンはずっと口をつぐんで神妙な面持ちをしている。レティシアはアヌビスの続きの言葉を待った。

「あの日……結婚式の日に、『ファブリスが特別な演出をプレゼントしてくれるの』と嬉しそうに語っていたアリーナは、制御を失った魔術が引き起こした爆発によって命を落としたんじゃ。星空の綺麗な晩に、幻想的なランプの光に照らされたアレル家の庭園で行われた家族だけの式で。先に神父の前に立っていたワシはその時、慌ててアリーナのいた場所へ駆け寄った。しかし……」

 アヌビスは声を震わせた。細い首が、ごくりと唾を飲み込んだのが分かる。枯れ枝のように痩せた手指で、顔を覆うアヌビスの姿は、普段の矍鑠かくしゃくとした様子からは想像もできないような哀愁漂うものであった。

「アリーナは……アリーナは魔術の爆風をまともに受けて命を落とした。怪我を負ったアレル夫人は泣き崩れ、子爵は呆然と立ち尽くしていた。その時……その時、ファブリスは……アリーナの近くでいたファブリスも、瀕死の状態で……ワシに……」

 いつの間にかレティシアはポロポロと涙を流していた。嗚咽を堪えるのに必死で、そんなレティシアの背中にリュシアンがそっと手を添える。リュシアンの手も、少し震えているように感じた。

「すまないと、声を出せる状態では無かったのにファブリスは何度も唇を動かして謝った。そのうちじわじわと黒い瞳から生命の光が失われていくのを、ワシは黙って見ているしか出来なかったんじゃ。助けようとする事も出来ずに、ただ謝り続けるファブリスをこの腕に抱いて見ているだけしか……」

 その時のアヌビスの気持ちを想像するだけで、レティシアは胸が苦しくて痛くて、とても耐えられそうに無いくらいの悲しみに包まれた。
 それはリュシアンも同じだろう。

 きっと誰が悪かったわけでも無い。幸せな日になるはずのその日に、大切なものが一度に失われたのだ。

「愛する人、アリーナを失ったのはこのワシのせいじゃ。ファブリス・ド・アレルという純粋で無垢な若者の命を奪うことになったのも。ワシの数百年の人生で、一番後悔しとるのはアレル子爵家の人々に出会った事じゃ。ワシさえあそこへ行かなければ、皆死ぬ事は無かったじゃろう」
「それからアヌビス様は……」
「アリーナとの約束でな、死ぬ時は帝国フォレスティエで、と。他国へ薬草採取に出かけるばかりのワシに、アリーナが約束させたんじゃ。それからずっと、アリーナの眠るこの帝国を見守りながら死ぬ時を待っておる」

 帝国フォレスティエという国が無くならないよう、アリーナの眠るこの土地を守る為、アヌビスは皇族の薬師となり何代もの皇帝達の人生を近くで見送って来たのだという。

「まぁ……ワシが死んだ後ならば、この帝国がどうなろうが知らんこっちゃ無いがのぅ。フォッ、フォッ、フォッ……! これこれ、そう泣くなレティシア。もう遠い遠い過去の話じゃよ。殿下まで、珍しく涙目になりおって」
「アヌビス! 余計な事を……っ」
「まぁまぁ、まだまだ殿下の孫の代くらいまでは生きておるつもりですからの。安心しなされ」

 いつもの明るい老人に戻ったアヌビスを、レティシアはハンカチで涙を拭いながら見つめる。きっとこれまでずっと苦しい思いを抱えて来たのだろうと思えば、そのような話をさせてしまい申し訳ないという気持ちが込み上げてくる。
 
「申し訳ありません、アヌビス様。悲しい思い出を……」
「じゃから気にするなと言うておるじゃろ。まさかレティシアとアレル子爵家に繋がりがあったとは、不思議な縁じゃのぅ。おお、そうじゃ、レティシアの弟君パトリック殿に会ってみたい。考えてみれば、もしかするとファブリスのように魔力を持っておるかも知れんぞ」
「まさか、パトリックが?」
「さぁ、その可能性はあるじゃろうの。隔世遺伝というものならば、ファブリスの力を継いでおるかも知れんぞ。もしそうならば、今度こそ正しい使い方を教えてやらねば」

 レティシアはパトリックの事を思い起こしてみるものの、そのように不思議な力があるようには思えなかったが、近頃自室に閉じこもり気味なのは気になっていた。
 まさかとは思いつつも、レティシアは近くパトリックとアヌビスを会わせることを約束したのであった。



 
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