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19. 居場所を整える
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私とワルターの手紙を運んでくれる美しい鳥ヴァイス。衛兵達の視線には気をつけていたけれど、まさかアルフ様がどこからか見ていたなんて。
「あの……、友人と……どうしても……」
大切な友人とのやり取りなのだと、話せば分かってもらえるのでは無いか。けれど、勝手に帝国の城へヴァイスを招き入れている事を咎められるのでは無いか。そんな相反する気持ちのせいで、胸がドクドクと嫌な音を立てて暴れている。
「とても大切なご友人なのですね。あの鳥から書簡を受け取る貴女の表情は、とても明るくごく自然なものでした。突然このような所へ連れて来てしまったのは私のせいですし。咎めるつもりはありません」
「では……これからも……よろしいのですか?」
咎めるつもりは無いという言葉にそう尋ねると、アルフ様は少しだけ困ったように眉を下げる。
その表情はどういう意味なの? やはり、勝手な事をするのは良くないのかしら。
真意を図りかねていると、先に口を開いたのはアルフ様だった。
「これからも、貴女がその友人と書簡のやり取りをする事を咎めたりなどしません。けれど、たとえ友人とはいえ、貴女にあのような表情をさせる相手がいる事に、私は胸がざわついたのです」
低くて身体の芯を蕩けさせるような声色だった。アルフ様はするりと私の耳横の髪に触れ、まるで宝物を愛でるように優しく撫でる。
「あの……」
「エリザベート王女殿下、貴女には恋慕の情を寄せる方がいらっしゃるのですか?」
「い、いいえ! そのような方……私には……ただの一度だって……いません」
妻になる相手が他の殿方に懸想をしているなどと、アルフ様の評判に関わるから聞いているのだわ。
けれど今日のアルフ様、何だかいつもと違うみたい。どうしてそんな風に私の事を優しく見つめているのかしら。それなのに、時々苦しそうにされるのは何故?
「本当に?」
「ええ……、あの場所に……別棟に……ずっと居たのです。そのような方に……出会う機会も……ありませんわ」
時々賓客を迎えた舞踏会には、体裁を保つ為に人形姫である私も呼ばれる事はあった。けれどアルント王国の貴族達は私を笑い物にしていたし、誰一人声を掛けてくる者も、踊る者も居なかった。時々他国の賓客と言葉を交わす機会はあっても、口の聞けない王女などつまらないと言われた。
「私は……ずっと……つまらない王女……だったのですから」
分かっていたはずの事を、アルフ様の前で口にするとどうしてだかとても辛い。近頃は時々目の前の立派な体躯に縋りつきたい、抱きしめて欲しいと刹那に願ってしまう事さえある。それも、アルフ様が私に向けてとても優しく接してくださるから。
「貴女はつまらない王女などでは無い。貴女の声は、私にとって救いだったのです」
「アルフ様……?」
「私は、とある音に対してだけ聴覚が異様に過敏なのです。実は……女性の高い声が苦手で。耳が痛くなり、頭痛がして、ひどい時はもっと具合が悪くなるのです。大概の場では我慢するのですが、流石にそのような状態で陛下に何度言われようとも、妻など娶ろうとも思いませんでした」
聞けば、アルフ様は他の高音に関しては大丈夫なのだと言う。剣と剣がぶつかる音や、戦での様々な音、他にも笛の音なども。高い女性の声だけが酷く耳に届くのだと。
いつからそうなのかと問えば、アルフ様がまだ幼い頃にお母様が目の前で無惨にも賊に斬られたのだと言う。その時の断末魔が耳にこびりつき、どうしても高い女の声が苦手になってしまったのだと話してくれた。
「殿下……っ! どうか泣かないでください!」
慌てた表情は初めて見たかしら。この方の色々な表情を見てみたい。
「ごめん……なさい……。きっと……とても……辛かったのでしょう……アルフ様は……お母様を……目の前で……」
アルフ様は私に同情して欲しくて話してくれた訳では無い。これから夫婦となるのだから、お互いを知り合う為に心の内とお身体の具合を話して下さったのだ。分かっているのに、次から次へと涙が溢れて止まらない。
そんな私をアルフ様はその大きな身体で優しく抱きしめて下さった。軍服からふわりと香るスモーキーな香水に、ドキリと胸が跳ねる。頭の上に感じるアルフ様の吐息が、とても熱く感じた。
「貴女のように心優しい方が、口が聞けない人形姫などと呼ばれて虐げられていた事が、私は未だに許せません。はじまりはコンラート陛下の戯れでしたが、私は貴女に出会えて心から良かったと思っています。貴女の声はとても心地良い。このように耳に不便のある私にとって、貴女は神が定めた相手なのだと思ったのです」
「でも……私……」
私のこの声は裏声で……本当はもっと醜い掠れ声なのに。耳障りなあの声は、流石のアルフ様だって嫌がるに違いないのに。
「貴女が妻となってくれると決まってから、陛下も戦と公務狂いの私がやっと妻を娶るのだと安心したようです。陛下とは乳兄弟の仲なのですが、いかんせん私に対して過干渉なところがあるので」
「そう……なのですか……」
もうとっくに泣き止んでいるというのに、なかなか抱きすくめた身体を離してくれないアルフ様に戸惑ってしまう。すると、遠くの方から近づいて来た衛兵達の視線と声を感じた。
「見ろよ、我らが将軍閣下は婚約者である王女殿下を溺愛されているようだ」
「これはますます王女殿下をしっかりとお守りしないとな」
あぁ、なるほど。アルント王国の場内で、衛兵達は人形姫である私を見くびって守ろうともしなかった。だからこの場所で、わざと目につくように私に優しくする事で、私の事を守ろうとして下さっているのだわ。
アルフ様は私の事を政略結婚相手として、相応しいのだと褒めてくださった。それだけでも十分に私の心は満たされたのに。その上私という人間の居場所をしっかりと作ろうとしてくださっている。
「アルフ様……貴方に……心から……感謝します」
「あの……、友人と……どうしても……」
大切な友人とのやり取りなのだと、話せば分かってもらえるのでは無いか。けれど、勝手に帝国の城へヴァイスを招き入れている事を咎められるのでは無いか。そんな相反する気持ちのせいで、胸がドクドクと嫌な音を立てて暴れている。
「とても大切なご友人なのですね。あの鳥から書簡を受け取る貴女の表情は、とても明るくごく自然なものでした。突然このような所へ連れて来てしまったのは私のせいですし。咎めるつもりはありません」
「では……これからも……よろしいのですか?」
咎めるつもりは無いという言葉にそう尋ねると、アルフ様は少しだけ困ったように眉を下げる。
その表情はどういう意味なの? やはり、勝手な事をするのは良くないのかしら。
真意を図りかねていると、先に口を開いたのはアルフ様だった。
「これからも、貴女がその友人と書簡のやり取りをする事を咎めたりなどしません。けれど、たとえ友人とはいえ、貴女にあのような表情をさせる相手がいる事に、私は胸がざわついたのです」
低くて身体の芯を蕩けさせるような声色だった。アルフ様はするりと私の耳横の髪に触れ、まるで宝物を愛でるように優しく撫でる。
「あの……」
「エリザベート王女殿下、貴女には恋慕の情を寄せる方がいらっしゃるのですか?」
「い、いいえ! そのような方……私には……ただの一度だって……いません」
妻になる相手が他の殿方に懸想をしているなどと、アルフ様の評判に関わるから聞いているのだわ。
けれど今日のアルフ様、何だかいつもと違うみたい。どうしてそんな風に私の事を優しく見つめているのかしら。それなのに、時々苦しそうにされるのは何故?
「本当に?」
「ええ……、あの場所に……別棟に……ずっと居たのです。そのような方に……出会う機会も……ありませんわ」
時々賓客を迎えた舞踏会には、体裁を保つ為に人形姫である私も呼ばれる事はあった。けれどアルント王国の貴族達は私を笑い物にしていたし、誰一人声を掛けてくる者も、踊る者も居なかった。時々他国の賓客と言葉を交わす機会はあっても、口の聞けない王女などつまらないと言われた。
「私は……ずっと……つまらない王女……だったのですから」
分かっていたはずの事を、アルフ様の前で口にするとどうしてだかとても辛い。近頃は時々目の前の立派な体躯に縋りつきたい、抱きしめて欲しいと刹那に願ってしまう事さえある。それも、アルフ様が私に向けてとても優しく接してくださるから。
「貴女はつまらない王女などでは無い。貴女の声は、私にとって救いだったのです」
「アルフ様……?」
「私は、とある音に対してだけ聴覚が異様に過敏なのです。実は……女性の高い声が苦手で。耳が痛くなり、頭痛がして、ひどい時はもっと具合が悪くなるのです。大概の場では我慢するのですが、流石にそのような状態で陛下に何度言われようとも、妻など娶ろうとも思いませんでした」
聞けば、アルフ様は他の高音に関しては大丈夫なのだと言う。剣と剣がぶつかる音や、戦での様々な音、他にも笛の音なども。高い女性の声だけが酷く耳に届くのだと。
いつからそうなのかと問えば、アルフ様がまだ幼い頃にお母様が目の前で無惨にも賊に斬られたのだと言う。その時の断末魔が耳にこびりつき、どうしても高い女の声が苦手になってしまったのだと話してくれた。
「殿下……っ! どうか泣かないでください!」
慌てた表情は初めて見たかしら。この方の色々な表情を見てみたい。
「ごめん……なさい……。きっと……とても……辛かったのでしょう……アルフ様は……お母様を……目の前で……」
アルフ様は私に同情して欲しくて話してくれた訳では無い。これから夫婦となるのだから、お互いを知り合う為に心の内とお身体の具合を話して下さったのだ。分かっているのに、次から次へと涙が溢れて止まらない。
そんな私をアルフ様はその大きな身体で優しく抱きしめて下さった。軍服からふわりと香るスモーキーな香水に、ドキリと胸が跳ねる。頭の上に感じるアルフ様の吐息が、とても熱く感じた。
「貴女のように心優しい方が、口が聞けない人形姫などと呼ばれて虐げられていた事が、私は未だに許せません。はじまりはコンラート陛下の戯れでしたが、私は貴女に出会えて心から良かったと思っています。貴女の声はとても心地良い。このように耳に不便のある私にとって、貴女は神が定めた相手なのだと思ったのです」
「でも……私……」
私のこの声は裏声で……本当はもっと醜い掠れ声なのに。耳障りなあの声は、流石のアルフ様だって嫌がるに違いないのに。
「貴女が妻となってくれると決まってから、陛下も戦と公務狂いの私がやっと妻を娶るのだと安心したようです。陛下とは乳兄弟の仲なのですが、いかんせん私に対して過干渉なところがあるので」
「そう……なのですか……」
もうとっくに泣き止んでいるというのに、なかなか抱きすくめた身体を離してくれないアルフ様に戸惑ってしまう。すると、遠くの方から近づいて来た衛兵達の視線と声を感じた。
「見ろよ、我らが将軍閣下は婚約者である王女殿下を溺愛されているようだ」
「これはますます王女殿下をしっかりとお守りしないとな」
あぁ、なるほど。アルント王国の場内で、衛兵達は人形姫である私を見くびって守ろうともしなかった。だからこの場所で、わざと目につくように私に優しくする事で、私の事を守ろうとして下さっているのだわ。
アルフ様は私の事を政略結婚相手として、相応しいのだと褒めてくださった。それだけでも十分に私の心は満たされたのに。その上私という人間の居場所をしっかりと作ろうとしてくださっている。
「アルフ様……貴方に……心から……感謝します」
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