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21. 女王の矜持
しおりを挟む日差しが優しく窓辺を照らすある日の午後。だが、室内の空気は肌を刺すほど凍っていた。
今日は久しぶりに設けられた王太后カーラの私的な茶会が、王宮の一角で開かれている。招かれたのは代々王家に仕える名門の令嬢や、実権を握る老貴族の夫人達。
そして、その中央に控える王太后の隣席にアリシアの姿があった。
豪奢なテーブルクロス、香り高い茶葉、盛られた菓子。すべてが完璧で、美しかった。
だが、その場に居るアリシアの手はわずかに震えている。膝の上の指を組み、誰にも見えぬように押し込めていた。
今はご機嫌な様子で振る舞うカーラの笑顔の裏に、どれほどの悪意が潜んでいるかを、アリシアは誰よりも知っている。
幼い頃に冷たい言葉と冷たい掌で、何度も『存在』そのものを否定されたのだから。この部屋の装飾の一つ一つが、かつての記憶と結び付いて胸が痛む。
「アリシア、近頃は忙しかったみたいね。面会したいと何度も使いを寄越したのに会ってくれないのだもの。でも……今日はやっと女王らしく見える姿を見られて、王太后として安堵したわ」
口調はあくまで柔らかく、しかし明確に心を刺すような言葉。周囲の令嬢たちが息を呑み、夫人たちが意味深に微笑んだ。
「流石は王太后陛下、娘思いでいらっしゃる。ですが、近頃の女王陛下は民にばかり目を向けていらして。貴族の矜持を忘れてしまわれたのではなくて?」
アリシアの反対側――王太后カーラの隣に座り、ここまで扇で口元を隠していたキャスリンが、パタパタと扇ぐようにしながら言った。
いかにもわざとらしい笑みが美しい顔に浮かんでいる。
「まあまあお二人とも。お可哀想に、女王陛下には周囲の『支え』が足りないのでしょう。宰相閣下のような優秀な側近を、どうしてか遠ざけるような風潮があるとお聞きしておりますわ」
キャスリンと同じくらい社交界では影響力を持つ老貴族の夫人が落ち着いた口調で、けれどもアリシアを侮っていると分かる態度で言い放つ。
その場の空気に、軽く笑いが混じった。
ふっ、とアリシアは息を吸い込む。喉の奥が痛いほど乾いていた。脳裏には、周囲との境にある扉を無情にもきつく閉ざされた幼い日が蘇る。振り返れば誰もいなかった。孤独と冷たい視線の記憶たち。
――けれど、今は違う。
(……私はもう、一人じゃない)
テオバルトの大きくてあたたかな手を思い出す。初夜以降は毎夜眠る前、そっとアリシアの手を握ってくれるあの温もりを。
夜中に悪夢で震えれば、何も言わずに抱きしめてくれた、テオバルトの逞しい腕を。
決意を秘めたアリシアは椅子からすっと立ち上がった。ハッと息を呑む音がして、沈黙が広がる。
「お母様、ご心配には及びません。私はこのラヴァル王国の女王ですから」
ピンと背筋を伸ばし、穏やかに微笑みながら言った。
「民も貴族も、王国を支える大切な柱。どちらが欠けても、ラヴァル王国は成り立たぬと心得ております。その為に、私はこれからますます声を上げます。恐れずに、誇りをもって」
空気が一瞬、張り詰める。令嬢達が思わず喉をゴクリと鳴らしたのが耳に届いた。夫人の一人がティーカップを静かに置き、他の夫人と視線だけを交わし合う。
「私の足を引こうとする者は誰であれ、もしそれが王家の者であったとしても……決して見逃しません」
言葉は柔らかい。だが、明らかな『宣戦布告』だった。
いつも艶やかなカーラの笑顔が、ピクリと引きつる。華やかな赤い口紅を引いた唇が、ヒクヒクと引き攣っていた。
恐らくは湧き上がる怒りで顔を赤くしたキャスリンが、紅茶のカップを持ち損ねてガチャリと音を立てる。
だがアリシアは、そのまま何事もなかったかのように着席し、優しく微笑んだ。テーブルの下の手は震え、足は力が入らない。
けれども何て事ない顔を心掛け、口を開く。
「それに、私には頼もしい夫がおりますゆえ。今後、ご心配は無用です」
その一言に場の空気が確かに変わったのを、アリシアはひしひしと感じていた。
冷たく不穏な雰囲気で終えた茶会の後、アリシアは軍務に出ているテオバルトの帰りを今か今かと待ち侘びる。
今日あった出来事を話したくて話したくて堪らなかった。
テオバルトと出会って以降、アリシアは蝶が硬い蛹の皮を破って美しい羽を広げるような、目覚ましい変化を遂げている。
浮かれている、といえばそうかも知れない。周囲から見れば、滑稽に映る事だってあるだろう。
だけどもこれまで傀儡として生きて来たアリシアは、十九歳になって初めて『生きている』実感を得たのだ。
だからこそ、まだ人間として未熟でも仕方がないこと。それでも懸命に努力するアリシアの姿を笑えるのは、人の姿をしながらも人の心を持たない冷たい人間だ。
テオバルトと二人で城下町に降りた時、老婆に言われた言葉がはじまりの原動力となってアリシアを突き動かしていた。
――「……女王様、見ただけで済ませるのかい?」
長い時を生きた老婆には、アリシアがお飾りの女王だと分かったのかも知れない。
いや、たとえ分かっていなかったのだとしても、女王アリシアに対する期待は、老婆の眼差しに決して含まれていなかった。
小さな村に住む貧しい老婆は、諦めと共に悪態をついただけ。
アリシアは全てを諦めた人間というものをよく知っていた。だからこそ、老婆のような思いを持つ民を救いたいと心に刻んだのだ。
「テオバルト……っ!」
聞き慣れた重たい足音が扉の向こうまでやって来た。アリシアは我慢出来なくなって扉の方へと駆ける。しかしテオバルトが扉を開ける方が早かった。
「そんなに慌てて、どうした?」
「あなたに、話したい事があるんです!」
跳ねるようにして言葉を紡ぐアリシアに、テオバルトは驚いた顔をして、すぐにフッといつもの笑みを浮かべる。
「ほう、話してみろ」
そう言われて、アリシアは深呼吸をしてから、カーラ達との茶会での一件を詳細に語り始めた。
その間テオバルトは静かに頷きながら、アリシアの話に耳を傾ける。
実はテオバルトは、すでにその出来事を知っていたのだ。
密かにカーラの元へ送り込んでいた間諜から、茶会での出来事について詳細な報告を受けていた。
さらにその報告の際、偶然ではあったがアレクサンドルも同席していた。アレクサンドルはこれまでであれば絶対にしなかったようなアリシアの勇敢な行動にまずは驚き、やがてカーラの今後の動向に警戒を示した。
それに関してはテオバルトも同じ考えであり、今後も水面下で情報を集め、必要ならば即座に対応できるよう準備を進めるというので同意したのだ。
けれどテオバルトは今日の事をアリシアに告げるつもりはない。自らの意志で行動し、その結果を自信として積み重ねていくことが、自尊心の低かったアリシアにとって成長につながると考えていたからだ。
「そうか、よくやったな。上出来だ」
「テオバルトのおかげです。あなたの存在があったから、私は王太后の前でも決して逃げ出さず、自分の言葉を発する事が出来た。本当に、ありがとうございます」
「そんな事くらいで礼なんか言うなよ」
テオバルトは穏やかな声でそう言いながら、アリシアの手を優しく握る。小さな手がまだ少し震えているのを感じ取り、その勇気を心から称賛するかのように。
「流石は英雄の女だな」
くすぐったいような低い声で耳元に囁かれ、アリシアは頬を真っ赤に染め上げる。
けれどもテオバルトの言葉と温もりに心から安心し、すぐに微笑んだ。
彼女の中で、テオバルトへの信頼と愛情が更に深まるのを感じた出来事だった。
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