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53. 最終話
しおりを挟む店じまいをした後の厨房はシンと静まり返り、ゆらゆらと揺らぐ行灯の明かりが、明日の仕込みに励む美桜と遠夜の影を壁に映し出している。
「まさか赤シャグマさんがおととさんと住んでくれるなんて、本当に思いもよりませんでした」
一定の拍子でうどんの生地を踏みながら美桜は言った。すぐ近くで、遠夜はもう一回分の生地を捏ねている。
「それは私も意外だった。赤シャグマは父を騙した山田蔵人は勿論、それ以前から赤シャグマの力を利用しようとする欲深い人間ばかり見て来た。だから人間が嫌いになったんだ」
「どうしたって人は欲深い生き物ですものね」
楽が出来るならつい楽をしたくなる。裕福になったならもっと裕福になりたいと願う。
赤シャグマは住み着いた家を栄えさせるあやかし。これまでに堕落していく人間ばかりを目にして来たから、その醜さに絶望を覚えたのだろう。
「人間嫌いと言いながら、昔から赤シャグマは産土神や山の主様よりも人間らしい所がある。それに、口は悪いが面倒見はとても良いんだ」
「ふふ……それはよく分かります。幼い頃から緋色もすごく懐いているし、赤シャグマさんも緋色には優しいもの」
こうして夫婦揃って翌日の仕込みをしている時間は、日々の取り止めのない会話をしたり息子の緋色について話す事が多く、昼間忙しくしている二人にとっては大切な意思疎通の時間である。
「そういえば、今日太三郎狸さんが私に化けてしばらくの間接客していたと山の主様が言っていたけれど、常連客の幾人かはすっかり騙されたそうですよ。流石は日本一の変化狸なだけありますね」
「はは……美桜と太三郎さんは似ても似つかないと思うが」
「それは遠夜さんだからどちらが本物か分かるのです。大概の人は見分けがつきません」
生地を踏み終えた美桜は手際良くそれを包み、寝かせる為に台に置く。
この一仕事を終えるといつも身体がぽかぽかと温まり、美桜の頬は赤く染まっていた。
「どうして私は美桜を見分けられると思う?」
そう言って笑う遠夜の表情があまりにも艶めかしく、美桜は胸がドキンと大きく高鳴ってしまう。
「わ、分かりません……っ」
夫の顔が堪らなく美しい。そんな恥ずかしい思いを悟られまいとして、パッと視線を逸らしたのがいけなかった。
「美桜、何故こちらを見ない?」
遠夜はいつの間にやら美桜との距離を詰めていて、わざと顔を覗き込むようにして様子を窺う。
ふんわりとした小麦の香りに混じって感じられる遠夜の匂いに、美桜は酔ってしまいそうだ。
「遠夜さんが美し過ぎるからです。今日は何だか特に眩しくて……真っ直ぐ見られそうにありません」
「本当に?」
「は、はい。だからあまり……近付くのは……よしてください」
気恥ずかしくて自身の夫と目も合わせられない美桜を可愛く思って、遠夜はその身体を強く抱きすくめる。
「無理だ。美桜が可愛いから」
「か、可愛くなんか……っ」
「いや、可愛い。誰よりも可愛くて愛おしいから、私はたとえ美桜が何処にいても見つけられるよ」
甘く澄み通った声が美桜の耳朶を震わせた。
それがあまりに心地良い声だったから、美桜は腰が抜けそうになるのを必死で堪える。それなのに遠夜はというと、何故か満足げに美桜の顔を眺めていたのだった。
「何処にいても……って、私は何処にも行きません」
唇を少し尖らせるようにした美桜が自分を抱く遠夜を見上げて訴えると、遠夜は目を細め薄い唇に弧を描かせる。
「そうだな。私が美桜を何処へも行かせない。これからも二人でこの店を守っていくぞ」
ゆっくりと顔を近付かせた二人の影が重なった。
夫婦となってからも幾度となく繰り返されたこの行為だが、美桜は未だに慣れない。
遠夜を前にすると胸が苦しい程に高鳴るのだって、きっと死ぬまで慣れないし、治らないだろう。
「ふふ……人間の私よりもきっとこの店のお客さん達の方が長生きだろうから、私も長生きするように頑張ります」
より一層美しく穏やかな微笑みを浮かべた美桜の決意に、遠夜は一瞬言葉に詰まらせた。
けれどもすぐにこの世の誰もがうっとりするような魅力的な笑みを返すと、美桜の耳元で何事かを囁く。
「え……っ」
遠夜が告げた秘密はあまりに突然の事で、先程までの甘い気持ちがすっかり霧散した美桜は、それは一体どういう事かと遠夜を問いただした。
けれども遠夜は悪戯な笑みを浮かべるだけで、未だ混乱する美桜の問いかけをするりと躱す。
「待って、遠夜さん! まだ話が……っ」
「さあ、もう休むぞ。明日も早い」
遠夜は美桜に行灯を手渡すと、ひょいとその身体を横抱きにする。
一見細身だがうどんを打つ事で鍛えられた逞しい体躯に、美桜の身体はすっぽりと収まった。
「遠夜さんったら!」
「分かった分かった。続きは寝床で話してやろう」
行灯の柔らかな橙色の明かりと共に二人の姿は母屋へと消え、シンと耳が痛いほどの静寂が訪れる。
しかしもうあと数時間もすれば、再びこの厨房は賑やかになるだろう。
讃岐の国のうどん好きのあやかし達の為に、これから先も麺処あやかし屋は名物夫婦の老舗として永年の時を刻むのだった。
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柚木ゆず様、感想ありがとうございます✨
いつも応援していただき、励みになっております❀.(*´◡`*)❀.
体調が万全で無い中、私の作品を読んでくださってありがとうございます!
私は普段和風ファンタジーをあまり書く事が無いのと、グルメやあやかしの要素も交えた新しい試みとなりました。
楽しんでもらえると幸いです!
そして、投票いただきありがとうございました✨
恋の芽生え・:*+.(( °ω° ))/.:+
感想ありがとうございます❀.(*´◡`*)❀.
芽生えちゃいました
この先幸せになれますように