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夏至前二日~レイとの出会い~
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「だ、だれだ?」
深緑色の長いカーテンの後ろから、たどたどしいアバダン語が聞こえた。
あたしはそのまま、ごくんと息を飲み込んだ。
カーテンの後ろから、男の子が出てきた。
年齢は、発育不良の十五才かそれ以下。
肌は薄汚れていて、元の色がよくわからない。
爪はくるくると渦巻きをかいて伸びていた。
もしゃもしゃした黒くて長い髪は腰まであり、髪で顔は半分以上隠れている。
こちらを見据える男の子の目は濃い紫色だった。
兄さんと同じその目の色を見た時、初めてあたしは、自分がどれだけ兄さんに会いたかったか思い知った。
「お、お前は誰だ?」
男の子はもう一度低い声で言った。
あたしは気を取り直して、今度はアバダン語で言い直した。
「えっと、えっと、ごめん。あたしは雪と言います。山田雪。あの、信じられないかもしれないけど、ちょっと、飛行機から落ちちゃって、鳥の背に乗ったの。で、その……この部屋に落ちたの。ベッドがあって、助かった。ほんとに。えっと……ごめんね。あれ、あなたのベッドだよね。土足でのっちゃって……窓も……割っちゃって……ごめんね」
じっとこちらを見つめたまま動かない男の子に不安を覚えてあたしは聞いた。
「あの……あたしの言葉、わかる?」
男の子はこちらから目を離さずに、ゆっくりと頷いた。
よかった。言葉は通じているようだ。
小さな低い、うなるような声が聞こえたのはその時だった。
マフラーが壊れたトラックが空から近づいてきたのかと思った。
あたしは音の出所を見つけようと忙しく首を動かした。
男の子は無言で天井を向いた。
天窓から差し込んでいた太陽の光を、大きな鳥の影が遮った。
「あ、あれ、あれ、あれ、あれに途中乗っかったの、あの、飛行機から落ちて、あの鳥の背でワンバウンド」
一塁ランナーアウト
男の子に冷ややかな目を向けられて、その後の言葉が続かない。
「ホントなの。信じないかもしれないけど、あの鳥の背に乗ってここに着いたの」
「……と、鳥じゃない」
「え?」
「あれは、と、鳥じゃない」
「え?」
羽音と鳴き声がうるさくてよく聞こえない。
男の子は聞こえるくらいの大きなため息をついて、自分の後ろにあったカーテンをおもむろに開けた。
一瞬世界が白くなった。
カーテンの向こうには、真っ青な空が広がっていた。
天井から足下までは、大きな張り出し窓になっていて、緑の稜線のはるか遠くまでよく見渡せた。景色から判断し
て、かなりの高さの建物だ。
次の瞬間、爆音が響きわたり、青い空を覆うような大きな鳥が次々と目の前を飛び去っていく。
鳥が持つ真っ黒な羽根の先からは、火花が散っており、焼け焦げた生臭い匂いが鼻についた。
羽の間の長い首と顔には、亀の甲羅のように盛り上がった突起があり、お腹の部分だけ、柔らかそうな毛が生えていた。
あの首にぶつかっていたら間違いなくここにはいなかっただろう。
「あ、あれは、アヴォイドだ。普通、ひ、人は乗せない。飛行機の話が本当の話なら、あ、あなたラッキーだ」
いつの間にか男の子がすぐ目の前に立っていた。
「あ……アヴォイドを知らないなんて……ありえない。……どこから来た?誰か頼まれた?」
男の子が目を細めた。
周囲の空気がどんより重く感じる。遠ざかっていく鳥の羽音の代わりに、蜂の羽音のようなブーンという音が耳元に鳴り響いていた。
彼に握られた右手がじっとりと汗ばんでいた。鷲のようにくるりと巻いている長く伸びた爪が皮膚に押しつけられる。
「おまえは誰だ?」
先ほどまでのおどおどした少年はどこにもいなかった。あたしを握る手に、ぎゅっと力が込められた。
「ちょ、ちょっと。痛いってば……」
「言え」
「その前に離して。」
「言え」
「……だから言ってるじゃない。あたしは雪。山田雪。日本に住んでる高校生。日本って国、知ってる? あ、知らない? アジアにある島国よ。その日本っていう国からアバダンに住んでいる兄に会いに来たの。ここ、アバダンよね。あなたアバダン語しゃべってるものね。兄に会いにアバダン行きの飛行機乗ったんだけど、途中でその飛行機から落ちちゃったの。で、ここに着いたの……なんか、ちょっと荒唐無稽な話だけど……」
あたしの声はどんどん小さくなっていった。
男の子は盛大に鼻を鳴らした。
「まさか。そんな話を信じろと? アジアにあるその島国の人間がなぜここに入れる?ここには誰も入れない。アバダン人でさえもだ。誰かが手引きをしたはずだ。誰があなたをここに入れた?」
濃い紫の瞳に浮かぶ不審なまなざしがあたしを刺すように見た。
「誰に頼まれた? 何が目的で入ってきた?」
男の子の顔が近づいてきた。紫の瞳孔がぐっと大きくなった。
蜂の羽音のような耳鳴りがどんどん大きくなっていく。
「目的もなにも、ほんとに落ちただけなんだよ」
「あなたが? ここに落ちた? よりにもよってここに? そんなはずあるわけ無い」
決めつけられたその言葉で、あたしの頭がカッと熱くなった。
「だから、落ちたの! どう言えば信じてくれんの?」
あたしは、握られていた手を思いっきり振りほどいた。
「誰に頼まれたって? 兄さんよ! 兄さんがアバダンに住んでるの。目的? 久しぶりに会いたいからって、 誕生日をアバダンで過ごしてほしいって言われたから来たの。試験があっったから母さんとは一緒に来られなかったの。初めて乗ったの! 飛行機! だから、飛行機のCAが客を途中で放り出すことがあるなんて知らなかったのよ! 飛行機から落ちたの。鳥だか何だかわかんないさっきの動物にワンバウンドしてここに着いた。ベッドと窓、めちゃめちゃにしてごめんね。すぐに帰るから! 出口どこ?」
一気に言ってから、思いっきり肺に酸素を送り込んだ。
「え? か、帰るの?」
男の子は、拍子抜けした顔をした。
「帰るわよ!もうたくさん。帰る! 日本に帰る! 出口どこなの!」
壁一面に吊り下がっているカーテンを一つずつ乱暴に開けていく。
ドアが見つからない。
「出口どこ!」
男の子は、カーテンを開けながら、部屋の中を行ったり来たりしているあたしを茫然と見ていた。
「出口はどこよ! 下に降りたいの! さっさと教えなさいよ!」
あたしの勢いに押されて男の子はさっと天井を指さした。
「あ、あそこ……」
「?」
「……あそこ」
男の子はもう一度言って、天井を仰いだ。
天井には私が落ちてきたステンドグラスの壊れた窓があるだけだった。
「……あたしが落ちてきたとこじゃない。」
教科書に載っていたアルカイックスマイルのような顔をして、男の子は頷いた。
「へー。そう。あんたはこの部屋から出る時は、あそこから出入りするの? あんたに用事がある人はあそこから入
ってくるの?」
「う、うん」
冗談半分に聞いて、答えが真顔で返ってくるとは思わなかった。
「ねえ。もしかして、監禁されてるの? 大丈夫? 一緒に逃げようか?」
「監禁って……」
彼は今度こそ二の句が継げないといった顔であたしを見た。どうやらその線はないらしい。
「き……君ホントに、ホントに何も知らずに来たんだね……ぼ、僕のことを知らない、き、君が、なぜここに入れたのか、本当にわからないのだけど……」
「あたしだってわかんないわよ。落ちてきたから入ってきたけど、どうやって出んのよ。鳥でもなけりゃ出たり入ったりできないじゃない」
「誰も出たり入ったりできないはずなんだ。ぼ、僕が、の、呪いをかけたから」
今すぐ悪魔払いをしたい。
鶏の血とか必要だったっけ?
鶏を絞め殺しに行く前にあたしは男の子に聞いた。
「どんな呪いがかかるっていうのよ?あたし元気よ。」
「……」
男の子は不安げに自分の両手を見つめた。
「なんで、あ、あなたは入れたんだろう……僕の、ち、『力』弱くなってるかなあ」
「とにかく。監禁じゃないのね? 誰かに閉じ込められてるとか、さらわれたとかじゃないのね?」
男の子はこくんと頷いた。
「じゃあ、なんで出口ないのよ」
「……ぼ、僕が、誰にも会いたくないから」
「……あんたホントにどこから入ったの?」
男の子はまた、あたしが落ちてきた窓を見上げた。
新鮮な空気が、開けっぱなしの天窓から吹き込んできた。
呼吸が楽になっている。
いつの間にか、あの重たいまとわりつくような空気も、低い耳鳴りのような音も消えていた。
「わかった。オーケー」
あたしは何気なく、開けてないカーテンの最後の一つをゆっくりと開けた。
南無三
残念ながら、そこにも厚い窓がはめ込まれていた。
あたしはもう一度ぐるりと部屋を見渡した。
全てのカーテンを開けた部屋は四方八方の壁がガラス張りになっていて、さながら宙に浮かぶ温室のようだった。
どこを見渡しても階段に通じるようなドアは一つもない。
部屋は埃っぽく、宙を舞う埃が光を反射してきらきら光っていた。
「あんたってば、なんでこんな出口も入口もない、バカ高いとこに好きこのんで引きこもってんのよ。」
「ば、バカじゃない……う、うちは、どこにいても誰かがいるから、とても疲れるんだ……だけど、この塔の部屋だけは誰も来ることができない。とても……ら、楽なんだ。ち、小さい頃、ぼ、僕のおじいさまがくれたぼ、僕だけの塔の部屋」
あたしは絶望的な気持ちでその単語を聞いた。
「ごはんはどうしてるの? お母さんは」
彼はぱっと明るい顔をした。
「や、やっぱり母上に頼まれたの? だから、は、入れたんだね」
あたしの胸の奥がきゅっと縮まる音がした。
「誰にも頼まれてないよ。ほんとに落ちただけ。」
彼の顔から笑顔が消えた。
やれやれ。
あたしは急速に怒りが冷えていくのを感じた。
「……いつも一人で何してんの? 友達とかは?」
「と、ともだち?と……ともだち? 何それ?」
「友達って……え……何って」
ふと、彼の爪の先が、渦を巻いて伸びているのに目がいった。
年単位で切られていない爪だった。
黒い長い髪にも白いものがたくさんついている。
すえた匂いが鼻についた。
マンホールを開けたことはある?
あたしはある。
しかも、下に降りたことも。
その匂いにそっくり。
この子はいつからお風呂に入ってないのだろう?
「ねえ。とにかく二人で下に降りない?降りてから考えよう。こんな高いとこいたら落ち着かないもん」
もともとあたしは高所恐怖症だ。少しでも低いところ、地上に近いところで話をしたい。
「まずは、あたしの兄さんと母さんに会って、日本に帰れたら、あなたの窓とベッドの修理のお金を送るよ。住所と名前教えて。何年かかっても必ず送るから……ねえ、あなた、その顎、はずれない?あたしのアバダン語、そんなに変かなあ」
男の子は大きく口を開けたまま驚いていた。
そんなに驚くようなことを言った覚えはない。
「な、なんでそんなこと聞くの? 会ったばっかりでしょ?」
男の子は真っ赤になって言った。
「いや、聞くでしょ。そりゃ。」
なんて呼べばいいかわからないし。
「名前は?」
瞳の色にちなんで「すみれ君」とでも呼んで良いなら呼ぶけど、あんたヅカファンでもないでしょ?
「ねえ」
あたしはゴキブリを追い詰めるようにそっと近づいた。
男の子は驚いたように後ろに飛び退いた。
「ほら。名前は?」
さらに近づくと男の子は観念したように、真っ赤な顔をしながら、漏れるような声で答えた。
「……レイ……」
あたしはにっこりした。
名前は大事。レイは古いアバダン語で「愛するわたしの子」という意味だ。
大丈夫。自信を持て。
ちなみにあたしの名前は雪。
控えめに言っても、溶けてなくなっちまえ。
「レイ君、お願い。帰らせて。あ、でも、ここから落ちる以外で」
ここは強調してもしすぎないところだ。
「お願い。あるんでしょ。帰る方法」
レイはふるふる頭を振った。
「なかったかー。って、なかったらあんたはどうやってここに入ったのよ! 飛んできたのかよ!」
冗談で言ったつもり。脊髄しか使ってない会話のつもりだった。
でも、彼はふっと窓の外を見た。
つられるように窓の外を見た。
赤い三角屋根の家がこの建物を中心にして、放射状に立ち並んでいる。
よく見ると、人形のようなモノが石畳の道に沿うように、浮かんでいる。
「あれ……人じゃない? ねえ。あれ、浮いてない? 何これ? 全国一斉スカイダイビングの日とかなの?」
そんな日がある国には死んだって行きたくない。
事故でパラシュートもなく飛行機から落ちたことのある人なら誰だってそう思うはずだ。
「す、スカイダイビング? な、なにそれ?」
男の子は首を傾げた。
「あんた、あれ見えないの? あの……飛んでる人達、だれもパラシュート開かないんだけど」
突然、男の子は無言であたしの髪をつかんだ。
「何すんのよ!」
あたしはすばやく振り払おうとした。
「……地毛なんだよね?」
男の子はあたしの手をつかんで、確認するように聞いた。
あたしは赤べこのように何度も頷いた。
「あ、あなた、入ってきた時も、飛ぼうとしなかったよね。なんで?」
いや、飛べねーもん。
彼はあたしの首振りを完璧に無視した。
「ねえ、ホントにまさかのアレ?」
「あれ?」
「飛ぶの?」
深緑色の長いカーテンの後ろから、たどたどしいアバダン語が聞こえた。
あたしはそのまま、ごくんと息を飲み込んだ。
カーテンの後ろから、男の子が出てきた。
年齢は、発育不良の十五才かそれ以下。
肌は薄汚れていて、元の色がよくわからない。
爪はくるくると渦巻きをかいて伸びていた。
もしゃもしゃした黒くて長い髪は腰まであり、髪で顔は半分以上隠れている。
こちらを見据える男の子の目は濃い紫色だった。
兄さんと同じその目の色を見た時、初めてあたしは、自分がどれだけ兄さんに会いたかったか思い知った。
「お、お前は誰だ?」
男の子はもう一度低い声で言った。
あたしは気を取り直して、今度はアバダン語で言い直した。
「えっと、えっと、ごめん。あたしは雪と言います。山田雪。あの、信じられないかもしれないけど、ちょっと、飛行機から落ちちゃって、鳥の背に乗ったの。で、その……この部屋に落ちたの。ベッドがあって、助かった。ほんとに。えっと……ごめんね。あれ、あなたのベッドだよね。土足でのっちゃって……窓も……割っちゃって……ごめんね」
じっとこちらを見つめたまま動かない男の子に不安を覚えてあたしは聞いた。
「あの……あたしの言葉、わかる?」
男の子はこちらから目を離さずに、ゆっくりと頷いた。
よかった。言葉は通じているようだ。
小さな低い、うなるような声が聞こえたのはその時だった。
マフラーが壊れたトラックが空から近づいてきたのかと思った。
あたしは音の出所を見つけようと忙しく首を動かした。
男の子は無言で天井を向いた。
天窓から差し込んでいた太陽の光を、大きな鳥の影が遮った。
「あ、あれ、あれ、あれ、あれに途中乗っかったの、あの、飛行機から落ちて、あの鳥の背でワンバウンド」
一塁ランナーアウト
男の子に冷ややかな目を向けられて、その後の言葉が続かない。
「ホントなの。信じないかもしれないけど、あの鳥の背に乗ってここに着いたの」
「……と、鳥じゃない」
「え?」
「あれは、と、鳥じゃない」
「え?」
羽音と鳴き声がうるさくてよく聞こえない。
男の子は聞こえるくらいの大きなため息をついて、自分の後ろにあったカーテンをおもむろに開けた。
一瞬世界が白くなった。
カーテンの向こうには、真っ青な空が広がっていた。
天井から足下までは、大きな張り出し窓になっていて、緑の稜線のはるか遠くまでよく見渡せた。景色から判断し
て、かなりの高さの建物だ。
次の瞬間、爆音が響きわたり、青い空を覆うような大きな鳥が次々と目の前を飛び去っていく。
鳥が持つ真っ黒な羽根の先からは、火花が散っており、焼け焦げた生臭い匂いが鼻についた。
羽の間の長い首と顔には、亀の甲羅のように盛り上がった突起があり、お腹の部分だけ、柔らかそうな毛が生えていた。
あの首にぶつかっていたら間違いなくここにはいなかっただろう。
「あ、あれは、アヴォイドだ。普通、ひ、人は乗せない。飛行機の話が本当の話なら、あ、あなたラッキーだ」
いつの間にか男の子がすぐ目の前に立っていた。
「あ……アヴォイドを知らないなんて……ありえない。……どこから来た?誰か頼まれた?」
男の子が目を細めた。
周囲の空気がどんより重く感じる。遠ざかっていく鳥の羽音の代わりに、蜂の羽音のようなブーンという音が耳元に鳴り響いていた。
彼に握られた右手がじっとりと汗ばんでいた。鷲のようにくるりと巻いている長く伸びた爪が皮膚に押しつけられる。
「おまえは誰だ?」
先ほどまでのおどおどした少年はどこにもいなかった。あたしを握る手に、ぎゅっと力が込められた。
「ちょ、ちょっと。痛いってば……」
「言え」
「その前に離して。」
「言え」
「……だから言ってるじゃない。あたしは雪。山田雪。日本に住んでる高校生。日本って国、知ってる? あ、知らない? アジアにある島国よ。その日本っていう国からアバダンに住んでいる兄に会いに来たの。ここ、アバダンよね。あなたアバダン語しゃべってるものね。兄に会いにアバダン行きの飛行機乗ったんだけど、途中でその飛行機から落ちちゃったの。で、ここに着いたの……なんか、ちょっと荒唐無稽な話だけど……」
あたしの声はどんどん小さくなっていった。
男の子は盛大に鼻を鳴らした。
「まさか。そんな話を信じろと? アジアにあるその島国の人間がなぜここに入れる?ここには誰も入れない。アバダン人でさえもだ。誰かが手引きをしたはずだ。誰があなたをここに入れた?」
濃い紫の瞳に浮かぶ不審なまなざしがあたしを刺すように見た。
「誰に頼まれた? 何が目的で入ってきた?」
男の子の顔が近づいてきた。紫の瞳孔がぐっと大きくなった。
蜂の羽音のような耳鳴りがどんどん大きくなっていく。
「目的もなにも、ほんとに落ちただけなんだよ」
「あなたが? ここに落ちた? よりにもよってここに? そんなはずあるわけ無い」
決めつけられたその言葉で、あたしの頭がカッと熱くなった。
「だから、落ちたの! どう言えば信じてくれんの?」
あたしは、握られていた手を思いっきり振りほどいた。
「誰に頼まれたって? 兄さんよ! 兄さんがアバダンに住んでるの。目的? 久しぶりに会いたいからって、 誕生日をアバダンで過ごしてほしいって言われたから来たの。試験があっったから母さんとは一緒に来られなかったの。初めて乗ったの! 飛行機! だから、飛行機のCAが客を途中で放り出すことがあるなんて知らなかったのよ! 飛行機から落ちたの。鳥だか何だかわかんないさっきの動物にワンバウンドしてここに着いた。ベッドと窓、めちゃめちゃにしてごめんね。すぐに帰るから! 出口どこ?」
一気に言ってから、思いっきり肺に酸素を送り込んだ。
「え? か、帰るの?」
男の子は、拍子抜けした顔をした。
「帰るわよ!もうたくさん。帰る! 日本に帰る! 出口どこなの!」
壁一面に吊り下がっているカーテンを一つずつ乱暴に開けていく。
ドアが見つからない。
「出口どこ!」
男の子は、カーテンを開けながら、部屋の中を行ったり来たりしているあたしを茫然と見ていた。
「出口はどこよ! 下に降りたいの! さっさと教えなさいよ!」
あたしの勢いに押されて男の子はさっと天井を指さした。
「あ、あそこ……」
「?」
「……あそこ」
男の子はもう一度言って、天井を仰いだ。
天井には私が落ちてきたステンドグラスの壊れた窓があるだけだった。
「……あたしが落ちてきたとこじゃない。」
教科書に載っていたアルカイックスマイルのような顔をして、男の子は頷いた。
「へー。そう。あんたはこの部屋から出る時は、あそこから出入りするの? あんたに用事がある人はあそこから入
ってくるの?」
「う、うん」
冗談半分に聞いて、答えが真顔で返ってくるとは思わなかった。
「ねえ。もしかして、監禁されてるの? 大丈夫? 一緒に逃げようか?」
「監禁って……」
彼は今度こそ二の句が継げないといった顔であたしを見た。どうやらその線はないらしい。
「き……君ホントに、ホントに何も知らずに来たんだね……ぼ、僕のことを知らない、き、君が、なぜここに入れたのか、本当にわからないのだけど……」
「あたしだってわかんないわよ。落ちてきたから入ってきたけど、どうやって出んのよ。鳥でもなけりゃ出たり入ったりできないじゃない」
「誰も出たり入ったりできないはずなんだ。ぼ、僕が、の、呪いをかけたから」
今すぐ悪魔払いをしたい。
鶏の血とか必要だったっけ?
鶏を絞め殺しに行く前にあたしは男の子に聞いた。
「どんな呪いがかかるっていうのよ?あたし元気よ。」
「……」
男の子は不安げに自分の両手を見つめた。
「なんで、あ、あなたは入れたんだろう……僕の、ち、『力』弱くなってるかなあ」
「とにかく。監禁じゃないのね? 誰かに閉じ込められてるとか、さらわれたとかじゃないのね?」
男の子はこくんと頷いた。
「じゃあ、なんで出口ないのよ」
「……ぼ、僕が、誰にも会いたくないから」
「……あんたホントにどこから入ったの?」
男の子はまた、あたしが落ちてきた窓を見上げた。
新鮮な空気が、開けっぱなしの天窓から吹き込んできた。
呼吸が楽になっている。
いつの間にか、あの重たいまとわりつくような空気も、低い耳鳴りのような音も消えていた。
「わかった。オーケー」
あたしは何気なく、開けてないカーテンの最後の一つをゆっくりと開けた。
南無三
残念ながら、そこにも厚い窓がはめ込まれていた。
あたしはもう一度ぐるりと部屋を見渡した。
全てのカーテンを開けた部屋は四方八方の壁がガラス張りになっていて、さながら宙に浮かぶ温室のようだった。
どこを見渡しても階段に通じるようなドアは一つもない。
部屋は埃っぽく、宙を舞う埃が光を反射してきらきら光っていた。
「あんたってば、なんでこんな出口も入口もない、バカ高いとこに好きこのんで引きこもってんのよ。」
「ば、バカじゃない……う、うちは、どこにいても誰かがいるから、とても疲れるんだ……だけど、この塔の部屋だけは誰も来ることができない。とても……ら、楽なんだ。ち、小さい頃、ぼ、僕のおじいさまがくれたぼ、僕だけの塔の部屋」
あたしは絶望的な気持ちでその単語を聞いた。
「ごはんはどうしてるの? お母さんは」
彼はぱっと明るい顔をした。
「や、やっぱり母上に頼まれたの? だから、は、入れたんだね」
あたしの胸の奥がきゅっと縮まる音がした。
「誰にも頼まれてないよ。ほんとに落ちただけ。」
彼の顔から笑顔が消えた。
やれやれ。
あたしは急速に怒りが冷えていくのを感じた。
「……いつも一人で何してんの? 友達とかは?」
「と、ともだち?と……ともだち? 何それ?」
「友達って……え……何って」
ふと、彼の爪の先が、渦を巻いて伸びているのに目がいった。
年単位で切られていない爪だった。
黒い長い髪にも白いものがたくさんついている。
すえた匂いが鼻についた。
マンホールを開けたことはある?
あたしはある。
しかも、下に降りたことも。
その匂いにそっくり。
この子はいつからお風呂に入ってないのだろう?
「ねえ。とにかく二人で下に降りない?降りてから考えよう。こんな高いとこいたら落ち着かないもん」
もともとあたしは高所恐怖症だ。少しでも低いところ、地上に近いところで話をしたい。
「まずは、あたしの兄さんと母さんに会って、日本に帰れたら、あなたの窓とベッドの修理のお金を送るよ。住所と名前教えて。何年かかっても必ず送るから……ねえ、あなた、その顎、はずれない?あたしのアバダン語、そんなに変かなあ」
男の子は大きく口を開けたまま驚いていた。
そんなに驚くようなことを言った覚えはない。
「な、なんでそんなこと聞くの? 会ったばっかりでしょ?」
男の子は真っ赤になって言った。
「いや、聞くでしょ。そりゃ。」
なんて呼べばいいかわからないし。
「名前は?」
瞳の色にちなんで「すみれ君」とでも呼んで良いなら呼ぶけど、あんたヅカファンでもないでしょ?
「ねえ」
あたしはゴキブリを追い詰めるようにそっと近づいた。
男の子は驚いたように後ろに飛び退いた。
「ほら。名前は?」
さらに近づくと男の子は観念したように、真っ赤な顔をしながら、漏れるような声で答えた。
「……レイ……」
あたしはにっこりした。
名前は大事。レイは古いアバダン語で「愛するわたしの子」という意味だ。
大丈夫。自信を持て。
ちなみにあたしの名前は雪。
控えめに言っても、溶けてなくなっちまえ。
「レイ君、お願い。帰らせて。あ、でも、ここから落ちる以外で」
ここは強調してもしすぎないところだ。
「お願い。あるんでしょ。帰る方法」
レイはふるふる頭を振った。
「なかったかー。って、なかったらあんたはどうやってここに入ったのよ! 飛んできたのかよ!」
冗談で言ったつもり。脊髄しか使ってない会話のつもりだった。
でも、彼はふっと窓の外を見た。
つられるように窓の外を見た。
赤い三角屋根の家がこの建物を中心にして、放射状に立ち並んでいる。
よく見ると、人形のようなモノが石畳の道に沿うように、浮かんでいる。
「あれ……人じゃない? ねえ。あれ、浮いてない? 何これ? 全国一斉スカイダイビングの日とかなの?」
そんな日がある国には死んだって行きたくない。
事故でパラシュートもなく飛行機から落ちたことのある人なら誰だってそう思うはずだ。
「す、スカイダイビング? な、なにそれ?」
男の子は首を傾げた。
「あんた、あれ見えないの? あの……飛んでる人達、だれもパラシュート開かないんだけど」
突然、男の子は無言であたしの髪をつかんだ。
「何すんのよ!」
あたしはすばやく振り払おうとした。
「……地毛なんだよね?」
男の子はあたしの手をつかんで、確認するように聞いた。
あたしは赤べこのように何度も頷いた。
「あ、あなた、入ってきた時も、飛ぼうとしなかったよね。なんで?」
いや、飛べねーもん。
彼はあたしの首振りを完璧に無視した。
「ねえ、ホントにまさかのアレ?」
「あれ?」
「飛ぶの?」
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黒ハット
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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