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夏至当日~夏至祭りの市~
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森の出口に近づくにつれて、黒い森はすっかり身をひそめ、柔らかな広葉樹の森に変化していく。
「ここは『学校』への通り道にもなるから、あまり黒い森の影響を受けないんだ」
レイがそっと教えてくれた。
森を出る時に、カイは少し神経質そうに左右を確認した。
でも、一歩出てわかった。人々はあたしたちがどんな目立つカエルの着ぐるみを着て登場しても、気にもしなかったに違いない。
夏至祭りの市は、あふれるくらいの人だった。
人というか、人のようなものというか。
身長が3m近くある人や、50cmにも満たない動く土偶のような人、鶴のように首が長い二本足の建って歩く動物。毛深いという言葉では収まり切れないしゃべるクマ。全ての人が忙しそうにしゃべって、歩いて、立ち止まっていた。
広場には、たくさんの屋台が軒を連ねていた。
テレビで見たモンゴルの草原に佇むゲルのような小屋や、布で天井を覆っただけのテントが、所狭しと張ってある。
羊牛やラクダのような毛深い大きな動物は広場の端の方につながれており、土ぼこりをあげながら、興奮気味に嘶いていた。
「俺らもどこかにテントを張ろう」
ラニはそういってずんずんと市場の奥へと進んでいった。
「はぐれるなよ。マリー」
歩きながら、屋台のふかした芋に手を伸ばすマリーにカイが声をかけた。
市場はごったがえしており、あたしたちの小さなテントが張れそうな場所は、どこにもなかった。
「こっちこっち」
先に走っていったラニが、白い大きな建物の前で手招きをしていた。
「いいとこ見つけたじゃない」
マリーが嬉しそうに走った。
大きな大理石の、太い柱がある建物の階段の下に、ちょうど5人が座れるくらいのスペースがぽっかり空いている。
「このくらいなら、テントが張れそうだな」
カイはそう言うと、リュックから布の塊を出した。
土の上に広げると、瞬く間にティピーのような円錐型のテントが立ち上がった。
「とりあえず、何か食べてろ。俺はしばらく様子を探ってくる」
カイはそう言うと、雑踏の中に消えていった。
「じゃ、あたし待ってるよ。さっきレイからパンもらったし。後で行くから、先に好きなものとっておいでよ」
「いいの?」
マリーは嬉しそうにラニと顔を見合わせた。
「いってらっしゃい」
「何かおみやげ持ってくるわ」
立ち上がりながら、それでも、マリーは申し訳なさそうに言った。
「いいわよ。後で好きなものとってくるから。それより楽しんできて」
「それもそうね」
まぶしいくらいの青空の中を、マリーとラニは笑いながら走っていった。
「レイは?行かないの?」
よっこらさ。
少年にしては渋いかけ声をかけながら、レイはあたしの隣に腰かけた。
「僕はさっき見たからさ。それより、ユキ、見て」
レイは、テントの裾を引っ張り、外を指さした。
「すごい美味しそうだよ」
大理石の階段下に、厨房に続いている窓があった。
竈が四つもある、かなり大きな厨房だった。
茶色い肌をした小さなブラウニーが、忙しそうに働いている。
4つの長い手をもつブラウニーが、厨房の向こうにある庭先の屋台へと、次々と料理を運んでいた。
その料理の美味しそうなことったらなかった。
白い砂糖衣をかけた大きな茶色のケーキ。鳥のゼリー寄せ。キャラメルナッツがこぼれ落ちそうなパイ。クランベリーのフルーツケーキ。赤々と燃えた竈の中からは、糖蜜があふれ出ているパンが次々と焼きだされている。
「兄さんのお話みたい」
「ユキの兄上の?」
「うん。兄さんが寝る前によくお話ししてくれてたの。昔はおとぎ話だと思っていたの。でも、違ったんだね」
あたしは、なんでか胸がいっぱいになった。
「ねえ。あの庭に、あたし達は入れないのかしら」
よだれが落ちそうになるのを必死に飲み込みながら、あたしはレイに聞いた。
「大丈夫だよ」
レイはあたしの方を振り向いて言った。
「僕らはシーだ。この国の統治者の一族だよ。どこに入っても咎められることはないんだよ」
「ほんとに?」
「今日は夏至だ。食べ物は全部タダ。これは、今日こそホント」
レイが、にかっと笑った。琥珀の瞳がゆらりと紫に見える。
顔を傾けると、レイの髪から金色の粉がシラミのように落ちてきた。
頭の所々が、金から黒っぽい色に変わってきている。
「レイ、やっぱり髪の色が変わってきているかも」
「ああ、ユキもだな」
レイはそう言って、あたしの髪をつまんだ。
確かに、コーティングされた金色が剥がれ落ちて、下から黒色が見え隠れする。
「そろそろトネリコネリの作用も落ちてきたのかも。ばれる前に早く料理を持って来ようよ」
「何がばれるの?」
「身元。貴族の世界は案外狭いんだ。色々めんどくさいからさ。僕はまだ塔に引きこもってることにしといたほうがいいんだよ」
確かに。
一晩だけでなく、二晩も未成年者を連れまわしてしまった。
しかも、ケガまでさせて。
訴えられても、文句が言えない。
「わかった。でも、あたし達がいなくなって、テントの荷物、大丈夫かな」
「貴重品は持って行っていたよ。あとは、大したものも入ってないから大丈夫。カイの事だ、大事なものは身から離さないよ」
あの二人はわかんないけどね。
レイは笑った。
ずいぶん屈託なく笑うようになった。
おどおどした態度がすっかり消えている。
たった二晩だったけど、この子にはいい経験になったのかも。
命があったから、言えることだけど。
「じゃ、ちょっとだけ」
「こっちだ」
てっきり裏門でもあるのかと思っていたら、レイは、堂々と大理石の門から入っていく。
両開きの石扉は、羽根の生えた動物が大きく彫刻されており、市場に向かって開け放たれていた。
扉の中に一歩入って、思わず足を止めてしまった。
ゴブリンだった。
あたしが市場で見た、汚い服を着ているゴブリンではない。
赤いびろうどのベストとか、スエードのズボンとか、とかくめかし込んでいるゴブリンだ。
ゴブリンの間に、美しい男女が立っている。
その背の高い女の人は、あたしたちを見て、明らかにぎょっとした顔をした。
女の人もまた、結婚式でしか見ないような、裾がボリュームのある、ピンクのドレスに身を包んでいる。
白いタイを結んだ、フロックコートを着込んでいる男の人が、隣で眉をしかめてこちらを見ていた。
透けるような肌を持つピンクのドレスの女性は、ドレスに合わせた色の羽根飾りがついた扇で口を隠しながら、あたし達を見て何かささやいている。
「ねえ」
レイはあたしの声が聞こえないみたいに、ずんずん奥へと入っていく。
「ねえ」
あたしはレイをひっぱった。
「ねえ。レイってば」
「なんだよ」
レイはうるさそうに振り向いた。瞳の色がほとんど紫に戻っている。
「ねえ、ここ、あたし達には場違いなんじゃない?ほんとに入っていいの?」
羊牛を追いかけて、ルサールヤの湖に入って、ラミアと戦ったあたしたちの格好は、どう好意的にみてもこの場にふさわしくない。
「だーーいじょーーぶだって。あ、あっちが庭だったっけ」
レイは全く気にしない様子で、あたしの手を握った。
薄暗い部屋を抜けた階段の先に、明るい庭が続いていた。
丁寧に手入れされた植木には、色とりどりの、つつじのような花が咲きほこっている。
花と花の間を、透明な羽根のある10センチくらいの妖精が忙しそうに飛び回っていた。
真っ白な肌を持った背の高い女性たちは、美しい薄絹をまとい、楽しそうにおしゃべりしている。
その白い肌を守るためだろうか。
庭は白いレースで編まれた日よけのテントですっぽりと覆われていた。
お仕着せを着たブラウニーが、何本もある手を器用に使って、お盆の上にあるグラスに金色の飲物をそそいでいた。
「あれ、あのパイが食べたかったんだよ。ちょっと待ってて」
「レイ」
あたしが止めるのも聞かず、レイは駆け出して行った。
しょうがないので、近くの銀色の器に山盛りにしてある粉砂糖がたっぷりとふりかかったベーニエをつまんだ。
揚げたてのベーニエのなかから、洋ナシのような果物の香りが広がった。
美味しいわね。もうひとつ、いただこう。
あたしがベーニエの皿に手を伸ばしかけたその時、
「やだ。なんであんな子が紛れてるの?」
悪意いっぱいの声が、後ろから聞こえた。
振り返ると、女の子が二人、こちらを見ながら大きな声で話をしている。
黒い巻き毛の、美しい青い目をもつ女の子が言った。
「どこの家の者かしら。あんな時代遅れのチュニック、うちの召使にだって着せないわよ。シーの召使いを使うなら、まともな格好をさせてほしいわね」
隣にいた茶色の髪の女の子が、扇で口を隠しながら、くすくす笑った。
あたしは、ベーニエに伸ばしかけた手を引っ込めた。
あらためて周囲を見渡してみると、美しい庭に、正装した男女があふれていた。
人間のような外見の人も、そうでない人も、それぞれの体型にあわせて、男性はフロックコート。女性は絹かサテンのドレスを着ている。
あたしときたら、自分の誕生日だというのに、マールのおかみさんのおさがりの古ぼけたチュニック。
こんなに人がいるのに、アヴォイドの骨に囲まれて、一人きりになった時よりもひとりぼっちな気がした。
嫌な人はどこの世界にもいるもんだ。
そう思いながら、テントに帰ろうと踵を返した時、真っ青な顔をした女の人が倒れこんできた。
「だ、大丈夫ですか?」
体の線がこれ以上ないくらい強調された裾を引くドレスを着て、しかも白。
それなのに、その色が全く膨張色とならない、奇跡のスタイルをもつ美人だった。
「……ごめんなさい」
女の人はそういいながら、あっちにふらふら、こっちにふらふらと所在なさげに歩きまわっている。
肌が透き通るように白い。いや、ほぼ透き通っている。
さきほどのミス意地悪ズが扇の陰で笑っていた。
「いや、だめですよね。少し休んだ方がいいですよ」
あたしは女の人の細い腕をつかんだ。
腕の間から垂れていた白い糸が、つかんだ手に巻き付いてきた。
ひえ。
声にならない声を出してしまった。
「ほっときなさいよ。その人、今から糸吐くわよ。一緒にいるとマユの中に入れられちゃうわよ」
ミス黒髪意地悪が、赤い唇をつりあげながら言った。
「カイコガの王女が昼間っから糸を吐くとは」
「人前で糸を出すなんて」
「御覧なさいな。王女の糸吐きですわ」
「世にも珍しい」
「恥を知れ。宮廷も落ちたものだ」
白い女の人が苦しそうに歩き回っているというのに、誰も手を貸そうとしない。
この国では、様々な種族が、独自のルールで生きている。だから、
それを批判しない。
比較しない。
評価しない。
自分の価値観に当てはめようとしない。
彼らのルールを知らないから危険な目に合うのだ。
ルールを学び、尊重することが大切。
レイにもミールにも言われた言葉が、頭に浮かんだ。
わかったよ。それはわかった。
でも、周囲の連中が今の彼女に手を貸さないのは彼女を尊重しているからじゃない。
ただ彼女を笑っている。貶めているんだ。
それはいじめと言う。
あたしは白い女の人の手を強く握りしめた。
「休みましょう。どこか休むところ」
ざっと見回すが、どこにも椅子もない。
「どこか……だれもいない、小さな部屋に」
女の人が焦点の定まらない赤い眼で言った。
「おーーけーー。ねえ。あなた。この建物のどこかに個室はない?」
隣にいたグラスをもつ男の人に聞いた。太って赤ら顔をした男の人は驚いたようだったが、素直に答えてくれた。
「ここは夏至祭りを行う宮廷のガゼボだ。部屋などない」
ガゼボってなによ!
聞きたかったけど、時間がなかった。
いいよ。部屋がないことがわかっただけで充分。
彼女をつかむあたし右手が彼女からでてくる糸に次々とまきつけられ、動けない。
レイを探したが、どこにも見当たらない。
「もうだめ……」
あたしをつかむ白い手にぎゅっと力がこもった。
赤い眼球に、白濁した瞳孔が広がった。
次の瞬間、
赤い唇から長い細い糸が一斉にあふれでてきた。
「じょーーだんでしょーー」
女の人は膝から崩れ落ちた。
あたしは女の人を抱き上げると、一目散に来た道を引き返した。
「もう少しがまんして。すぐだから」
尋常じゃない量の白い糸が口から噴き出してくる。
口から出た長い糸が、すぐにあたしの体を包み込みはじめた。
「まって、まって、まって、まって」
あたしは門を通って階段を駆け下りた。
「どいて!」
のんびり歩いてきた30cmくらいの小人を踏みつけそうになりながら、カイのテントに飛び込んだ。
まだ動く左手でマリーのリュックを探ると、すぐにナイフが見つかった。
あたしは右手に巻かれた白い糸をざっくり切った。勢い、あたしの腕まで切れたが、痛みは感じない。
「個室だよ」
あたしが言うと、女の人が目を開けた。ほっとしたように白い目から涙があふれた。その瞬間、体中の毛穴から真っ白な糸が噴き出した。
「うげ」
とても人様に聞かすことのできない声をだして、あたしはテントから飛び出した。
小さなテントの中はみるみる白い糸で埋め尽くされていった。あたしは立ち上がることもできず、その場でしゃがみこんだ。
「ユキ、どうした?」
いつの間に帰って来たのか、マリーとラニが両手いっぱいの食べ物を持って立っていた。
「おかえり。二人とも。早かったね。えーーと、ごめんね。ちょっとテントを人に貸してて、今中に入れないんだ」
「はあ?何言ってんだよ」
あたしが止めるのも聞かずに、ラニがテントの入り口を開けた。
「開けないで」
そう言った時には遅かった。
「なんだよこれ!」
ラニが叫んだ。気持ちはよくわかる。テントの中には、大きな白いマユが細い糸に囲まれてテントの中央に吊り下がっていた。
「……あたしもよくわかんないんだよね。彼女、具合悪そうだったんだけど、自分でいいベッド、持ってたみたいだね」
あたしの冗談は通じなかったようだ。
「なんだよそりゃ。俺ら今日どこに寝ればいいんだよ」
ラニは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「だよねーーごめんね」
あたしは彼女を連れてきた申し訳なさでいっぱいになった。
「ちょっと待ってて、レイを探してくるから」
彼なら誰か知り合いとかいて、テントを借りてもらえるかもしれない。
「え、ちょっと。これ、どうすんのよ」
マリーがパンをかじりながら聞いた。
「いたずらされないように見てて」
「みててって……」
「ここは『学校』への通り道にもなるから、あまり黒い森の影響を受けないんだ」
レイがそっと教えてくれた。
森を出る時に、カイは少し神経質そうに左右を確認した。
でも、一歩出てわかった。人々はあたしたちがどんな目立つカエルの着ぐるみを着て登場しても、気にもしなかったに違いない。
夏至祭りの市は、あふれるくらいの人だった。
人というか、人のようなものというか。
身長が3m近くある人や、50cmにも満たない動く土偶のような人、鶴のように首が長い二本足の建って歩く動物。毛深いという言葉では収まり切れないしゃべるクマ。全ての人が忙しそうにしゃべって、歩いて、立ち止まっていた。
広場には、たくさんの屋台が軒を連ねていた。
テレビで見たモンゴルの草原に佇むゲルのような小屋や、布で天井を覆っただけのテントが、所狭しと張ってある。
羊牛やラクダのような毛深い大きな動物は広場の端の方につながれており、土ぼこりをあげながら、興奮気味に嘶いていた。
「俺らもどこかにテントを張ろう」
ラニはそういってずんずんと市場の奥へと進んでいった。
「はぐれるなよ。マリー」
歩きながら、屋台のふかした芋に手を伸ばすマリーにカイが声をかけた。
市場はごったがえしており、あたしたちの小さなテントが張れそうな場所は、どこにもなかった。
「こっちこっち」
先に走っていったラニが、白い大きな建物の前で手招きをしていた。
「いいとこ見つけたじゃない」
マリーが嬉しそうに走った。
大きな大理石の、太い柱がある建物の階段の下に、ちょうど5人が座れるくらいのスペースがぽっかり空いている。
「このくらいなら、テントが張れそうだな」
カイはそう言うと、リュックから布の塊を出した。
土の上に広げると、瞬く間にティピーのような円錐型のテントが立ち上がった。
「とりあえず、何か食べてろ。俺はしばらく様子を探ってくる」
カイはそう言うと、雑踏の中に消えていった。
「じゃ、あたし待ってるよ。さっきレイからパンもらったし。後で行くから、先に好きなものとっておいでよ」
「いいの?」
マリーは嬉しそうにラニと顔を見合わせた。
「いってらっしゃい」
「何かおみやげ持ってくるわ」
立ち上がりながら、それでも、マリーは申し訳なさそうに言った。
「いいわよ。後で好きなものとってくるから。それより楽しんできて」
「それもそうね」
まぶしいくらいの青空の中を、マリーとラニは笑いながら走っていった。
「レイは?行かないの?」
よっこらさ。
少年にしては渋いかけ声をかけながら、レイはあたしの隣に腰かけた。
「僕はさっき見たからさ。それより、ユキ、見て」
レイは、テントの裾を引っ張り、外を指さした。
「すごい美味しそうだよ」
大理石の階段下に、厨房に続いている窓があった。
竈が四つもある、かなり大きな厨房だった。
茶色い肌をした小さなブラウニーが、忙しそうに働いている。
4つの長い手をもつブラウニーが、厨房の向こうにある庭先の屋台へと、次々と料理を運んでいた。
その料理の美味しそうなことったらなかった。
白い砂糖衣をかけた大きな茶色のケーキ。鳥のゼリー寄せ。キャラメルナッツがこぼれ落ちそうなパイ。クランベリーのフルーツケーキ。赤々と燃えた竈の中からは、糖蜜があふれ出ているパンが次々と焼きだされている。
「兄さんのお話みたい」
「ユキの兄上の?」
「うん。兄さんが寝る前によくお話ししてくれてたの。昔はおとぎ話だと思っていたの。でも、違ったんだね」
あたしは、なんでか胸がいっぱいになった。
「ねえ。あの庭に、あたし達は入れないのかしら」
よだれが落ちそうになるのを必死に飲み込みながら、あたしはレイに聞いた。
「大丈夫だよ」
レイはあたしの方を振り向いて言った。
「僕らはシーだ。この国の統治者の一族だよ。どこに入っても咎められることはないんだよ」
「ほんとに?」
「今日は夏至だ。食べ物は全部タダ。これは、今日こそホント」
レイが、にかっと笑った。琥珀の瞳がゆらりと紫に見える。
顔を傾けると、レイの髪から金色の粉がシラミのように落ちてきた。
頭の所々が、金から黒っぽい色に変わってきている。
「レイ、やっぱり髪の色が変わってきているかも」
「ああ、ユキもだな」
レイはそう言って、あたしの髪をつまんだ。
確かに、コーティングされた金色が剥がれ落ちて、下から黒色が見え隠れする。
「そろそろトネリコネリの作用も落ちてきたのかも。ばれる前に早く料理を持って来ようよ」
「何がばれるの?」
「身元。貴族の世界は案外狭いんだ。色々めんどくさいからさ。僕はまだ塔に引きこもってることにしといたほうがいいんだよ」
確かに。
一晩だけでなく、二晩も未成年者を連れまわしてしまった。
しかも、ケガまでさせて。
訴えられても、文句が言えない。
「わかった。でも、あたし達がいなくなって、テントの荷物、大丈夫かな」
「貴重品は持って行っていたよ。あとは、大したものも入ってないから大丈夫。カイの事だ、大事なものは身から離さないよ」
あの二人はわかんないけどね。
レイは笑った。
ずいぶん屈託なく笑うようになった。
おどおどした態度がすっかり消えている。
たった二晩だったけど、この子にはいい経験になったのかも。
命があったから、言えることだけど。
「じゃ、ちょっとだけ」
「こっちだ」
てっきり裏門でもあるのかと思っていたら、レイは、堂々と大理石の門から入っていく。
両開きの石扉は、羽根の生えた動物が大きく彫刻されており、市場に向かって開け放たれていた。
扉の中に一歩入って、思わず足を止めてしまった。
ゴブリンだった。
あたしが市場で見た、汚い服を着ているゴブリンではない。
赤いびろうどのベストとか、スエードのズボンとか、とかくめかし込んでいるゴブリンだ。
ゴブリンの間に、美しい男女が立っている。
その背の高い女の人は、あたしたちを見て、明らかにぎょっとした顔をした。
女の人もまた、結婚式でしか見ないような、裾がボリュームのある、ピンクのドレスに身を包んでいる。
白いタイを結んだ、フロックコートを着込んでいる男の人が、隣で眉をしかめてこちらを見ていた。
透けるような肌を持つピンクのドレスの女性は、ドレスに合わせた色の羽根飾りがついた扇で口を隠しながら、あたし達を見て何かささやいている。
「ねえ」
レイはあたしの声が聞こえないみたいに、ずんずん奥へと入っていく。
「ねえ」
あたしはレイをひっぱった。
「ねえ。レイってば」
「なんだよ」
レイはうるさそうに振り向いた。瞳の色がほとんど紫に戻っている。
「ねえ、ここ、あたし達には場違いなんじゃない?ほんとに入っていいの?」
羊牛を追いかけて、ルサールヤの湖に入って、ラミアと戦ったあたしたちの格好は、どう好意的にみてもこの場にふさわしくない。
「だーーいじょーーぶだって。あ、あっちが庭だったっけ」
レイは全く気にしない様子で、あたしの手を握った。
薄暗い部屋を抜けた階段の先に、明るい庭が続いていた。
丁寧に手入れされた植木には、色とりどりの、つつじのような花が咲きほこっている。
花と花の間を、透明な羽根のある10センチくらいの妖精が忙しそうに飛び回っていた。
真っ白な肌を持った背の高い女性たちは、美しい薄絹をまとい、楽しそうにおしゃべりしている。
その白い肌を守るためだろうか。
庭は白いレースで編まれた日よけのテントですっぽりと覆われていた。
お仕着せを着たブラウニーが、何本もある手を器用に使って、お盆の上にあるグラスに金色の飲物をそそいでいた。
「あれ、あのパイが食べたかったんだよ。ちょっと待ってて」
「レイ」
あたしが止めるのも聞かず、レイは駆け出して行った。
しょうがないので、近くの銀色の器に山盛りにしてある粉砂糖がたっぷりとふりかかったベーニエをつまんだ。
揚げたてのベーニエのなかから、洋ナシのような果物の香りが広がった。
美味しいわね。もうひとつ、いただこう。
あたしがベーニエの皿に手を伸ばしかけたその時、
「やだ。なんであんな子が紛れてるの?」
悪意いっぱいの声が、後ろから聞こえた。
振り返ると、女の子が二人、こちらを見ながら大きな声で話をしている。
黒い巻き毛の、美しい青い目をもつ女の子が言った。
「どこの家の者かしら。あんな時代遅れのチュニック、うちの召使にだって着せないわよ。シーの召使いを使うなら、まともな格好をさせてほしいわね」
隣にいた茶色の髪の女の子が、扇で口を隠しながら、くすくす笑った。
あたしは、ベーニエに伸ばしかけた手を引っ込めた。
あらためて周囲を見渡してみると、美しい庭に、正装した男女があふれていた。
人間のような外見の人も、そうでない人も、それぞれの体型にあわせて、男性はフロックコート。女性は絹かサテンのドレスを着ている。
あたしときたら、自分の誕生日だというのに、マールのおかみさんのおさがりの古ぼけたチュニック。
こんなに人がいるのに、アヴォイドの骨に囲まれて、一人きりになった時よりもひとりぼっちな気がした。
嫌な人はどこの世界にもいるもんだ。
そう思いながら、テントに帰ろうと踵を返した時、真っ青な顔をした女の人が倒れこんできた。
「だ、大丈夫ですか?」
体の線がこれ以上ないくらい強調された裾を引くドレスを着て、しかも白。
それなのに、その色が全く膨張色とならない、奇跡のスタイルをもつ美人だった。
「……ごめんなさい」
女の人はそういいながら、あっちにふらふら、こっちにふらふらと所在なさげに歩きまわっている。
肌が透き通るように白い。いや、ほぼ透き通っている。
さきほどのミス意地悪ズが扇の陰で笑っていた。
「いや、だめですよね。少し休んだ方がいいですよ」
あたしは女の人の細い腕をつかんだ。
腕の間から垂れていた白い糸が、つかんだ手に巻き付いてきた。
ひえ。
声にならない声を出してしまった。
「ほっときなさいよ。その人、今から糸吐くわよ。一緒にいるとマユの中に入れられちゃうわよ」
ミス黒髪意地悪が、赤い唇をつりあげながら言った。
「カイコガの王女が昼間っから糸を吐くとは」
「人前で糸を出すなんて」
「御覧なさいな。王女の糸吐きですわ」
「世にも珍しい」
「恥を知れ。宮廷も落ちたものだ」
白い女の人が苦しそうに歩き回っているというのに、誰も手を貸そうとしない。
この国では、様々な種族が、独自のルールで生きている。だから、
それを批判しない。
比較しない。
評価しない。
自分の価値観に当てはめようとしない。
彼らのルールを知らないから危険な目に合うのだ。
ルールを学び、尊重することが大切。
レイにもミールにも言われた言葉が、頭に浮かんだ。
わかったよ。それはわかった。
でも、周囲の連中が今の彼女に手を貸さないのは彼女を尊重しているからじゃない。
ただ彼女を笑っている。貶めているんだ。
それはいじめと言う。
あたしは白い女の人の手を強く握りしめた。
「休みましょう。どこか休むところ」
ざっと見回すが、どこにも椅子もない。
「どこか……だれもいない、小さな部屋に」
女の人が焦点の定まらない赤い眼で言った。
「おーーけーー。ねえ。あなた。この建物のどこかに個室はない?」
隣にいたグラスをもつ男の人に聞いた。太って赤ら顔をした男の人は驚いたようだったが、素直に答えてくれた。
「ここは夏至祭りを行う宮廷のガゼボだ。部屋などない」
ガゼボってなによ!
聞きたかったけど、時間がなかった。
いいよ。部屋がないことがわかっただけで充分。
彼女をつかむあたし右手が彼女からでてくる糸に次々とまきつけられ、動けない。
レイを探したが、どこにも見当たらない。
「もうだめ……」
あたしをつかむ白い手にぎゅっと力がこもった。
赤い眼球に、白濁した瞳孔が広がった。
次の瞬間、
赤い唇から長い細い糸が一斉にあふれでてきた。
「じょーーだんでしょーー」
女の人は膝から崩れ落ちた。
あたしは女の人を抱き上げると、一目散に来た道を引き返した。
「もう少しがまんして。すぐだから」
尋常じゃない量の白い糸が口から噴き出してくる。
口から出た長い糸が、すぐにあたしの体を包み込みはじめた。
「まって、まって、まって、まって」
あたしは門を通って階段を駆け下りた。
「どいて!」
のんびり歩いてきた30cmくらいの小人を踏みつけそうになりながら、カイのテントに飛び込んだ。
まだ動く左手でマリーのリュックを探ると、すぐにナイフが見つかった。
あたしは右手に巻かれた白い糸をざっくり切った。勢い、あたしの腕まで切れたが、痛みは感じない。
「個室だよ」
あたしが言うと、女の人が目を開けた。ほっとしたように白い目から涙があふれた。その瞬間、体中の毛穴から真っ白な糸が噴き出した。
「うげ」
とても人様に聞かすことのできない声をだして、あたしはテントから飛び出した。
小さなテントの中はみるみる白い糸で埋め尽くされていった。あたしは立ち上がることもできず、その場でしゃがみこんだ。
「ユキ、どうした?」
いつの間に帰って来たのか、マリーとラニが両手いっぱいの食べ物を持って立っていた。
「おかえり。二人とも。早かったね。えーーと、ごめんね。ちょっとテントを人に貸してて、今中に入れないんだ」
「はあ?何言ってんだよ」
あたしが止めるのも聞かずに、ラニがテントの入り口を開けた。
「開けないで」
そう言った時には遅かった。
「なんだよこれ!」
ラニが叫んだ。気持ちはよくわかる。テントの中には、大きな白いマユが細い糸に囲まれてテントの中央に吊り下がっていた。
「……あたしもよくわかんないんだよね。彼女、具合悪そうだったんだけど、自分でいいベッド、持ってたみたいだね」
あたしの冗談は通じなかったようだ。
「なんだよそりゃ。俺ら今日どこに寝ればいいんだよ」
ラニは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「だよねーーごめんね」
あたしは彼女を連れてきた申し訳なさでいっぱいになった。
「ちょっと待ってて、レイを探してくるから」
彼なら誰か知り合いとかいて、テントを借りてもらえるかもしれない。
「え、ちょっと。これ、どうすんのよ」
マリーがパンをかじりながら聞いた。
「いたずらされないように見てて」
「みててって……」
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※小説家になろうにも掲載中です。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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