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仲良しこよし
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出仕をしはじめて、まだ三年弱だというのに、なんだってあんなに人を喰ったような顔をできるかね。
小さい頃はびゃ――びゃ――と泣きながら紘子と自分のあとにうるさいくらい付きまとってきたのに。
会議の最中だというのに、右大臣家の五男坊、三位の中将忠義は、並み居る大貴族の末席で、ふかあくため息をついた。
視線の先には、陰陽師頭 安倍清灯。
陰陽師頭へ昇進は、稀代の陰陽師と言われた、彼の父よりさらに若かった。
今上帝の、今は亡き妹君の忘れ形見を守った功績で、異例とも言える昇進だった。
春の除目は、荒れに荒れたが、本人はと言えば、周囲の羨望、妬み、嫉みに眉一つ動かさず、粛々と仕事をこなす毎日だ。
今もそう。
主上の御前で、大貴族の怒鳴る声を、聞いているんだか、聞いていないんだか。
陰陽師のみが身に着ける真っ白な直衣を着込み、少し下を向いたまま、さっきから微動だにしない。
小さい頃は、本当によく笑う子だった。
怖がりで、寂しがり屋で、どこに行くのもついてきた。
夜を怖がる彼を真ん中にして、ちい姫と一緒に、守るように眠った。
けれども……
何が起こっても冷静な、非情な、冷徹な男。
清灯のもつ異質な「力」を、宮中の人々は敏感に嗅ぎつけた。
それは、人がもつ術。
清灯がもつ「力」に守られている事実に人は安心し、その「力」に恐怖を覚える。
恐怖は暴力へといとも簡単に姿を変える。
光の加減で蒼紺に見える瞳が、悲しみに沈むのを知る人間は少ない。
「どういうことであるか! 答えよ! 陰陽師頭どの!」
忠義は、怒鳴り声のする方へのろのろと視線を移した。
赤ら顔の内大臣が、片方の手で笏を打ちつけながら、清灯を責めあげている。
好奇な視線が、白い直衣姿に集まった。
黒い束帯姿の中で、ただ一人の白い直衣は、夜の水辺に佇む鷺のようだった。
「……だから、調査中だと。何度申し上げればよろしいのでしょうか?」
「生意気な物言いを……」
怒りが内大臣の体を震わせた。
「先日の大雨での、洪水被害。奇病の発生。陰陽師を派遣したというが、誰一人戻らず、奇病は広がっているというではないか! 京に入ってきたらどうする! この責任をどうとるというのじゃ? そなたの責任であるぞ!」
立ち上がった内大臣をいさめたのは、左大臣 藤原教道 ちい姫のおじいさま。
「まあまあ。調査中というものを、どうこう言ってもしょうがあるまい……だが、陰陽師頭どの。内大臣の言うことも最もであるぞ。これから夏に向けて、流行病も心配である。悪い芽は早う摘むに越したことはないからのう」
好々爺らしい笑顔でやんわりという左大臣に、清灯は黙って頭を下げた。
「陰陽師の派遣なんてせず、そなたの、お得意の式神とやらを使えばよいではないか?」
怒り冷めやらぬ内大臣が、吐き捨てるように言った。
「……内大臣殿は、式神の使い方をご存じないらしい……」
蒼紺色の瞳が蒼天色に染まったのは一瞬。すぐに元の色に戻り、そのまま静かに目は閉じられた。
「清灯! よく我慢したな」
会議が終わると同時に、忠義は、幼馴染の背中をポンっと叩いた。
「……俺も修行が足りない。お前なんぞに見破られるようでは」
冷え冷えとした声が言い放つ。
「なんだよ――。兄ちゃんだから、わかったんじゃないかよ――」
ほめろよ――。甘えろよ――。
言い寄る大男を、少年は胡散臭げに見た。
「誰が兄ちゃんだ」
「兄ちゃんだろっつ」
ひどい……。
忠義がわざとらしく、よろよろと高欄に手をかけた。
「小さい頃、あんなに俺にひっついてきて、可愛かったのに……」
最後まで言い終わらないうちに、忠義の頬を何かが、ひゅっとかすめた。
背にしていた柱に、透明な矢のようなものが刺さっている。
それは、忠義が見ている間に、真夏の氷のように溶け始めた。
時間を巻き戻したように、柱の穴も一緒に塞がれていく。
「証拠残んないで、殺せるね」
便利だね――。
忠義がのほほんと言った。
盛大な舌打ちをして、清灯が踵を返す。
目の前に、左大臣が立っていた。
二人が同時に膝をつきながら、廊の端に寄った。
「先ほどはご苦労じゃったの」
おっほっほ
白髪の左大臣は笏で口を押さえながら、二人の耳元でささやいた。
「……紫野をお尋ねせよと。さる方よりのお言葉じゃ」
左大臣が敬語を使う相手は片手で足りる。
「大齋院様によろしくお伝えくだされ」
――たぬきじじいっ
忠義の心の声が清灯の頭に響いた。
その素直さに、心がほぐれる。
「紫野か……中将殿、一緒に行くか?」
左大臣が去ったあと、もう、宮中ではめったに聞かれなくなった明るい声で、清灯が言った。
「ちい姫のところにも寄るだろう?」
大きな尻尾を振りながら、三位の中将忠義は、陰陽師頭にまとわりつくように並んだ。
どっちが年上なんだか。
陰陽師頭は呆れたように頷いた。
小さい頃はびゃ――びゃ――と泣きながら紘子と自分のあとにうるさいくらい付きまとってきたのに。
会議の最中だというのに、右大臣家の五男坊、三位の中将忠義は、並み居る大貴族の末席で、ふかあくため息をついた。
視線の先には、陰陽師頭 安倍清灯。
陰陽師頭へ昇進は、稀代の陰陽師と言われた、彼の父よりさらに若かった。
今上帝の、今は亡き妹君の忘れ形見を守った功績で、異例とも言える昇進だった。
春の除目は、荒れに荒れたが、本人はと言えば、周囲の羨望、妬み、嫉みに眉一つ動かさず、粛々と仕事をこなす毎日だ。
今もそう。
主上の御前で、大貴族の怒鳴る声を、聞いているんだか、聞いていないんだか。
陰陽師のみが身に着ける真っ白な直衣を着込み、少し下を向いたまま、さっきから微動だにしない。
小さい頃は、本当によく笑う子だった。
怖がりで、寂しがり屋で、どこに行くのもついてきた。
夜を怖がる彼を真ん中にして、ちい姫と一緒に、守るように眠った。
けれども……
何が起こっても冷静な、非情な、冷徹な男。
清灯のもつ異質な「力」を、宮中の人々は敏感に嗅ぎつけた。
それは、人がもつ術。
清灯がもつ「力」に守られている事実に人は安心し、その「力」に恐怖を覚える。
恐怖は暴力へといとも簡単に姿を変える。
光の加減で蒼紺に見える瞳が、悲しみに沈むのを知る人間は少ない。
「どういうことであるか! 答えよ! 陰陽師頭どの!」
忠義は、怒鳴り声のする方へのろのろと視線を移した。
赤ら顔の内大臣が、片方の手で笏を打ちつけながら、清灯を責めあげている。
好奇な視線が、白い直衣姿に集まった。
黒い束帯姿の中で、ただ一人の白い直衣は、夜の水辺に佇む鷺のようだった。
「……だから、調査中だと。何度申し上げればよろしいのでしょうか?」
「生意気な物言いを……」
怒りが内大臣の体を震わせた。
「先日の大雨での、洪水被害。奇病の発生。陰陽師を派遣したというが、誰一人戻らず、奇病は広がっているというではないか! 京に入ってきたらどうする! この責任をどうとるというのじゃ? そなたの責任であるぞ!」
立ち上がった内大臣をいさめたのは、左大臣 藤原教道 ちい姫のおじいさま。
「まあまあ。調査中というものを、どうこう言ってもしょうがあるまい……だが、陰陽師頭どの。内大臣の言うことも最もであるぞ。これから夏に向けて、流行病も心配である。悪い芽は早う摘むに越したことはないからのう」
好々爺らしい笑顔でやんわりという左大臣に、清灯は黙って頭を下げた。
「陰陽師の派遣なんてせず、そなたの、お得意の式神とやらを使えばよいではないか?」
怒り冷めやらぬ内大臣が、吐き捨てるように言った。
「……内大臣殿は、式神の使い方をご存じないらしい……」
蒼紺色の瞳が蒼天色に染まったのは一瞬。すぐに元の色に戻り、そのまま静かに目は閉じられた。
「清灯! よく我慢したな」
会議が終わると同時に、忠義は、幼馴染の背中をポンっと叩いた。
「……俺も修行が足りない。お前なんぞに見破られるようでは」
冷え冷えとした声が言い放つ。
「なんだよ――。兄ちゃんだから、わかったんじゃないかよ――」
ほめろよ――。甘えろよ――。
言い寄る大男を、少年は胡散臭げに見た。
「誰が兄ちゃんだ」
「兄ちゃんだろっつ」
ひどい……。
忠義がわざとらしく、よろよろと高欄に手をかけた。
「小さい頃、あんなに俺にひっついてきて、可愛かったのに……」
最後まで言い終わらないうちに、忠義の頬を何かが、ひゅっとかすめた。
背にしていた柱に、透明な矢のようなものが刺さっている。
それは、忠義が見ている間に、真夏の氷のように溶け始めた。
時間を巻き戻したように、柱の穴も一緒に塞がれていく。
「証拠残んないで、殺せるね」
便利だね――。
忠義がのほほんと言った。
盛大な舌打ちをして、清灯が踵を返す。
目の前に、左大臣が立っていた。
二人が同時に膝をつきながら、廊の端に寄った。
「先ほどはご苦労じゃったの」
おっほっほ
白髪の左大臣は笏で口を押さえながら、二人の耳元でささやいた。
「……紫野をお尋ねせよと。さる方よりのお言葉じゃ」
左大臣が敬語を使う相手は片手で足りる。
「大齋院様によろしくお伝えくだされ」
――たぬきじじいっ
忠義の心の声が清灯の頭に響いた。
その素直さに、心がほぐれる。
「紫野か……中将殿、一緒に行くか?」
左大臣が去ったあと、もう、宮中ではめったに聞かれなくなった明るい声で、清灯が言った。
「ちい姫のところにも寄るだろう?」
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どっちが年上なんだか。
陰陽師頭は呆れたように頷いた。
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