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牛車の中は意外と広かった
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長い距離に耐えられるよう、質素だが丈夫にしつらえた牛車は、のろのろと大路をわたっていた。
車の中は見かけより広く、三人座ってもまだ間が空いている。
萌黄の小袿を着た紘子は、忠義と清灯に守られるように、真ん中にちょこんと座っていた。
清灯は、白と薄青色の狩衣を。忠義は、山吹色の狩衣を着ており、彩鮮やかな車中となっていた。
「しかし、大齋院様のお声がかりとはいえ、ちい姫が僕らと一緒に宇治に行くのなんて、大納言様もよくお許しになったよな。ちい姫が東宮妃になるって話、あきらめたのかな?」
忠義が、嬉しそうに言った。
「そうだといいんだけどね」
紘子は、こめかみに手をあてながら言った。
「いつの日か、あたしのこの憑いたモノが落ちるかもって、いまだに毎日、祈祷だの護摩だのさせているところを見ると、どうなのかしらね。いずれ年を取ったら、この血に宿るモノもどっかに移動するんだろうけど、その年まで待っていたら東宮妃になんて、なれないしねえ」
「あきらめるわけないだろ。黙って座っていれば、ちい姫は、それなりにみれるしな」
清灯の言葉に、忠義は目をむいた。
この男の美的感覚はどうなっているのだろう。
ちい姫の容姿が「それなり」なら、自分の気苦労も半減したろうに。
忠義を思いっきり無視して、清灯は続けた。
「ちい姫がそこら辺の姫腹だったらよかったんだがな。今上帝ただ一人の妹の子だ。東宮に至っては、帝の又従弟にあたるお方だし。今上帝にまだ男御子がお生まれになっていない今、帝に最も近い肉親は、宮家の誰でもない。ちい姫、お前だよ。そうなると、左大臣家だけでなく、帝にとっても、ちい姫を東宮妃にってなるさ。ちい姫の産んだ男御子を次の東宮にすれば、すべて丸く収まる」
「言わないでよ」
うんざり。と言った顔で紘子は手をひらひらさせた。
「今日もね。あんたたちと出かけるのは、紫野のおばあさまのご指示だって言っても、父さま、なかなか許してくれなくて、しょうがないから形代つくって置いてきたのよ」
「形代?」
「そうよ。だって、父さまと話をしても、埒があかないんだもん」
大齋院の威光より、左大臣家の権力欲が強まってきているのを、紘子は日に日に感じていた。
大齋院もかなりの年だ。このまま何かあったら……。
紘子はぶるっと体を震わせた。
「大丈夫なのか?ばれないのか?」
「大丈夫よ。誰が作ったと思っているの? ……でも、その形代、なんでか、外側はあたしそっくりなんだけど、なんでなんだか、中身が、今どきのお姫様みたいに仕上がっちゃってさ。今頃、人形のようなあたしが、琴でもつま弾いているわよ」
「それってまずくないか? 形代ってちい姫そっくりなんだろ?」
「そりゃそうよ」
あんた、やっぱりあたしの腕をバカにしてんでしょ。
紘子は、ふくれた。
「いや。そうじゃなくてさ。え? だってさ。それって、やばくない? なあ。清灯?」
「別にいいんじゃないか?」
清灯が、もう今更、どうでもいい。と言いたげに、首をぐるりと回した。
「いくないだろ。何も良くない」
「何が?」
紘子は納得いかない。と言った風情で忠義を見た。
「だって、姿がちい姫で、中身が普通のお姫様なんだろ? 大納言様が、護摩のおかげで憑きものが落ちたとかで、留守のうちに入内でも決まっちゃったらどうすんだよ!?」
「あら。まさか……紫野のおばあさまが止めてくださるわよ……ねえ。清灯?」
「多分な。まあ、首尾よく片付ければ、五日ほどで帰れるだろ。いくらなんでもちい姫の入内の内示が一週間やそこらで決まると思えないしな」
大納言家の末姫の奇行と美しさは天下万人が知る所だ。
そして、血筋も容貌も良い宮家の血を引く姫を、内大臣、右大臣、他の家の連中が快く入内を許すはずもなく、入内には結構な根回しが必要になる。
東宮自身が強く希望した場合は別だろうが、宮中でたまに見かけるかの方は、誰の入内もかたくなに拒んでいる。
それも時間の問題なのだろうが。
何かの祟りでは。と東宮大夫が清灯に泣きついてきたが、東宮本人から一笑に付された。
何かお考えがあってのことだろうが。
やれやれ。
清灯は忠義とじゃれあっている紘子を盗み見た。
あんな男と一緒になったら最後、この女の気が休まる時はないだろう。
自分の父親の血なんて飲んでなければこんなことにも巻き込まれず、今頃恋文の返事で頭を悩ますくらいだったろうに。
「まあ。お前も気の毒にな。親父の血なんか飲まなければな」
それを聞いて、紘子は清灯を、きっと睨みつけた。
「おあいにくさま。あたしは十二分に幸せです! あたしに流れる血はあたしだけのものなの。呪われた血と呼ばれようが、奇跡の血と呼ばれようが、誰がなんと言おうと関係ない。人の都合で変わる名称なんて必要ない。あたしがあたしでいる事実は何も変わらない」
その強さがまぶしくて、清灯は、紘子から目を背けた。
何故だろうと思う。
同じ血を受けて、紘子と自分のこの違いは。
紘子のしなやかさが羨ましかった。
この胸の痛みは、嫉妬だ。
わかっている。
これは、自分の弱さ。
「呪われた姫と言われ、母宮の顔も知らずに育ってもか?」
「あんまりな言い方だぞ。清灯」
黙って聞いていた忠義が、みかねて間に入った。
「いいのよ。忠義……ほんとのことだもん」
忠義から見れば、紘子よりも、清灯の方が傷ついているように見えた。
車の中は見かけより広く、三人座ってもまだ間が空いている。
萌黄の小袿を着た紘子は、忠義と清灯に守られるように、真ん中にちょこんと座っていた。
清灯は、白と薄青色の狩衣を。忠義は、山吹色の狩衣を着ており、彩鮮やかな車中となっていた。
「しかし、大齋院様のお声がかりとはいえ、ちい姫が僕らと一緒に宇治に行くのなんて、大納言様もよくお許しになったよな。ちい姫が東宮妃になるって話、あきらめたのかな?」
忠義が、嬉しそうに言った。
「そうだといいんだけどね」
紘子は、こめかみに手をあてながら言った。
「いつの日か、あたしのこの憑いたモノが落ちるかもって、いまだに毎日、祈祷だの護摩だのさせているところを見ると、どうなのかしらね。いずれ年を取ったら、この血に宿るモノもどっかに移動するんだろうけど、その年まで待っていたら東宮妃になんて、なれないしねえ」
「あきらめるわけないだろ。黙って座っていれば、ちい姫は、それなりにみれるしな」
清灯の言葉に、忠義は目をむいた。
この男の美的感覚はどうなっているのだろう。
ちい姫の容姿が「それなり」なら、自分の気苦労も半減したろうに。
忠義を思いっきり無視して、清灯は続けた。
「ちい姫がそこら辺の姫腹だったらよかったんだがな。今上帝ただ一人の妹の子だ。東宮に至っては、帝の又従弟にあたるお方だし。今上帝にまだ男御子がお生まれになっていない今、帝に最も近い肉親は、宮家の誰でもない。ちい姫、お前だよ。そうなると、左大臣家だけでなく、帝にとっても、ちい姫を東宮妃にってなるさ。ちい姫の産んだ男御子を次の東宮にすれば、すべて丸く収まる」
「言わないでよ」
うんざり。と言った顔で紘子は手をひらひらさせた。
「今日もね。あんたたちと出かけるのは、紫野のおばあさまのご指示だって言っても、父さま、なかなか許してくれなくて、しょうがないから形代つくって置いてきたのよ」
「形代?」
「そうよ。だって、父さまと話をしても、埒があかないんだもん」
大齋院の威光より、左大臣家の権力欲が強まってきているのを、紘子は日に日に感じていた。
大齋院もかなりの年だ。このまま何かあったら……。
紘子はぶるっと体を震わせた。
「大丈夫なのか?ばれないのか?」
「大丈夫よ。誰が作ったと思っているの? ……でも、その形代、なんでか、外側はあたしそっくりなんだけど、なんでなんだか、中身が、今どきのお姫様みたいに仕上がっちゃってさ。今頃、人形のようなあたしが、琴でもつま弾いているわよ」
「それってまずくないか? 形代ってちい姫そっくりなんだろ?」
「そりゃそうよ」
あんた、やっぱりあたしの腕をバカにしてんでしょ。
紘子は、ふくれた。
「いや。そうじゃなくてさ。え? だってさ。それって、やばくない? なあ。清灯?」
「別にいいんじゃないか?」
清灯が、もう今更、どうでもいい。と言いたげに、首をぐるりと回した。
「いくないだろ。何も良くない」
「何が?」
紘子は納得いかない。と言った風情で忠義を見た。
「だって、姿がちい姫で、中身が普通のお姫様なんだろ? 大納言様が、護摩のおかげで憑きものが落ちたとかで、留守のうちに入内でも決まっちゃったらどうすんだよ!?」
「あら。まさか……紫野のおばあさまが止めてくださるわよ……ねえ。清灯?」
「多分な。まあ、首尾よく片付ければ、五日ほどで帰れるだろ。いくらなんでもちい姫の入内の内示が一週間やそこらで決まると思えないしな」
大納言家の末姫の奇行と美しさは天下万人が知る所だ。
そして、血筋も容貌も良い宮家の血を引く姫を、内大臣、右大臣、他の家の連中が快く入内を許すはずもなく、入内には結構な根回しが必要になる。
東宮自身が強く希望した場合は別だろうが、宮中でたまに見かけるかの方は、誰の入内もかたくなに拒んでいる。
それも時間の問題なのだろうが。
何かの祟りでは。と東宮大夫が清灯に泣きついてきたが、東宮本人から一笑に付された。
何かお考えがあってのことだろうが。
やれやれ。
清灯は忠義とじゃれあっている紘子を盗み見た。
あんな男と一緒になったら最後、この女の気が休まる時はないだろう。
自分の父親の血なんて飲んでなければこんなことにも巻き込まれず、今頃恋文の返事で頭を悩ますくらいだったろうに。
「まあ。お前も気の毒にな。親父の血なんか飲まなければな」
それを聞いて、紘子は清灯を、きっと睨みつけた。
「おあいにくさま。あたしは十二分に幸せです! あたしに流れる血はあたしだけのものなの。呪われた血と呼ばれようが、奇跡の血と呼ばれようが、誰がなんと言おうと関係ない。人の都合で変わる名称なんて必要ない。あたしがあたしでいる事実は何も変わらない」
その強さがまぶしくて、清灯は、紘子から目を背けた。
何故だろうと思う。
同じ血を受けて、紘子と自分のこの違いは。
紘子のしなやかさが羨ましかった。
この胸の痛みは、嫉妬だ。
わかっている。
これは、自分の弱さ。
「呪われた姫と言われ、母宮の顔も知らずに育ってもか?」
「あんまりな言い方だぞ。清灯」
黙って聞いていた忠義が、みかねて間に入った。
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