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12巻
12-3
しおりを挟む「ユーバメッレ……」
聞き覚えのない名前に、ルーナは首を傾げる。
しかし、門前払いではなく、客間に招き入れられているのならば、少なくとも家令が不審人物ではないと判断したということだ。
「どんな人だった?」
知り合いかもしれないと、ルーナはさらに尋ねる。
「はい。緋色の髪に、茶色の瞳の女性です。学院からの使者ではないのですか?」
メイドは不思議そうにルーナを見た。
(緋色の髪に茶色の目。学院の使者ってことはそれっぽい感じの人ってことだよね。……あれ、それって)
ルーナの脳裏に浮かんだのは、先日コーデリアの危機を救ってくれた女性だ。
(とりあえず、会ってみればわかることだよね)
「案内してもらえる?」
「かしこまりました」
メイドに続いて歩き出しながら、ルーナは内心さらに首を捻るのだった。
客間の扉が開かれ、中の様子がルーナの目に入る。
そこにいたのは、予想通りの人物だった。すなわち、コーデリアを助けてくれた女性だ。
軽く挨拶を交わした後、対面のソファに腰かけ、ルーナは改めて目の前の女性を凝視する。
彼女の服装は、先日と同じようなものだ。
(何故この人が……? というか、わたしの家がどうしてわかったの? ひょっとしてあの時のブレスレットを買い取れとかそういう話? あれで助かったのは確かだし、買い取るのは問題ないけど、すごい金額を請求されたらどうしよう……お小遣いで足りないなら、父様に助けてもらわないとだめだよね……)
内心で色々なことを考えながら、ルーナは相手が口を開くのを待つ。
その視線を真っ向から受け止めて、女性はにっこりと笑ってみせた。
「ふふ、久しぶりね」
「え?」
女性の第一声に、ルーナは疑問の声をあげる。
(久しぶり? え、この間からってこと? いやでも、そんな前じゃないし……)
困惑するルーナを楽しむように、彼女は悪戯っぽく片目を閉じた。
「まぁ、この姿ではわからなくても仕方ないわね」
「どういうことですか?」
ルーナは訝し気に目を眇めた。
「やっぱり気づかないかしらね。じゃあネタばらしをしましょうか」
「いったい……」
意味深な言葉を連ねる女性に、ルーナは知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せる。そんな彼女をよそに、女性が落とした爆弾は相当な威力だった。
「あたしの名前は、ノリリーナ。そう言ったらわかるかしら?」
「え、は……ええぇぇぇ!?」
一瞬呆けた後、室内にルーナの驚愕の叫びが響き渡った。
驚きが収まったところで、ルーナはまじまじと目の前の女性――ノリリーナを見つめた。
ノリリーナとルーナは、数年前に知り合っている。
獣人たちに『とこしえの賢者』と崇められる彼女。その知恵を借りようと、ルーナたちは遠く、大陸の北の果てまで出向いたのだ。
(大きなピンク鶏が、頭良さそうな女の人になってる……異世界すごい)
あの時の姿を思い浮かべながら、ルーナはノリリーナを凝視する。
魔法には〈変化〉というものがある。
まったく別人の姿に、自分を見せる魔法だ。
その魔法を使った場合、術者以上の魔力がある人間には、それが歪みとして伝わる。そのため、〈変化〉の魔法を使っていると認識できるのだ。
しかし、ルーナと対峙するノリリーナには、その歪みがまったく感じられなかった。
ノリリーナの力がルーナより勝っている、という可能性も無きにしも非ずだが、その場合であっても、ルーナならばわずかながらの魔法行使の影響を感じとることはできるはずだ。
にもかかわらず、ルーナにその不自然な歪みは認識できない。となれば、それはやはり魔法ではないということだ。
つまり、ノリリーナの現在の姿は、おそらく先日ルーナたちが会った時とは別の、もう一つの彼女自身の姿なのだ。
「えーっと、女の人だったんですね」
ようやくルーナの口から出たのは、そんな間抜けな言葉だった。
自分で思っているより、混乱から立ち直ってはいないらしい。
「あら、あっちの姿だって、どう見ても女でしょう」
ノリリーナが、ルーナの言葉に胸を反らして答える。
髪型、顔立ち、声。胸はささやかだが、彼女を見て男性だという人物はまずいないだろう。
ノリリーナの主張は、至極ごもっともだ。
だが、ルーナが知るノリリーナはピンクの鶏だったのだ。
北の果てにある氷の城に住む謎の生物。神獣といえなくもないが、本人が否定していたため、生物としか表現できない。
名前こそ女性のようだが、そこから性別を判断するのは難しかった。あえていえば、体色のピンクが女性っぽいといえば、そういえるかもしれないが。
「まぁ、はい、そうですね」
ルーナは、とりあえず目の前の現実だけ受け入れようと、おざなりな返事をした。そして我に返り、コーデリアの件について礼を述べる。
「あっ、先日はありがとうございました。本当に助かりました。でも、あそこにノリリーナさんがいたのってすごい偶然ですね」
「ああ、あの時ね。あんなところで再会する予定は、あたしにもなかったから驚いたわ」
「そうだったんですね。でも、助かりました」
「いいのよ」
礼を言うルーナに、ノリリーナは鷹揚にうなずいてみせた。
「それで、今日はどうしてうちに? ブレスレットの件ですか?」
願いを叶えてほしければ、対価を支払えというのがノリリーナのスタンスだ。
それを考えれば、差し出されたブレスレットについて、場合によっては買い取りの必要が出るかもしれない。相手がノリリーナであれば、先ほどのルーナの考えも、あながち間違いではなかったかもだ。
「そうねぇ。ブレスレットに関しては、同等のブレスレットを融通してくれればいいわ」
「それでいいんですか?」
「ええ。たいした魔石を使っているわけじゃないから、そんなに難しいことじゃないと思うわよ」
「わかりました」
ルーナは素直にうなずく。
覚悟はしていたものの、難しい対価を求められなかったため、ルーナは内心安堵した。
しかし、ノリリーナの話は、まだ終わってはいなかったのだ。
「実は、先日の出会いは偶然だったけど、あたしがクレセニアに来たこと自体は偶然じゃないの」
「そうなんですか?」
「ええ。あたしの用事は、ルーナ、あなたよ」
「わたし!?」
ルーナの驚きをよそに、ノリリーナは話を続ける。
「あなたに良い話を持ってきたの」
「良い、話……」
「そう。探していたでしょ、神宝」
「え、手掛かりがあったんですか?」
ルーナが身を乗り出すと、ノリリーナは真面目な顔でうなずいた。
魔族を倒す鍵となるアイテム、それが神宝だ。
事件で知り合った獣人――コットがその神宝を持っていたことにより、ルーナたちは圧倒的強者だった魔族を退けることができた。
けれど、その神宝はコットたちの一族が大切にするもので、譲ってもらうことなど到底できないものだった。
このままでは魔族に対抗することができないと悩むルーナたちに、朗報がもたらされる。
それは、未だ世界中に神宝が散らばっているかもしれないというもの。それを手に入れられれば、魔族に立ち向かえる可能性がでてきたのだ。
そのためルーナは、神宝の情報を喉から手が出るほど欲している。神宝についてノリリーナから新しい情報が得られるのは、とてもありがたいことだった。
「それはね、神宝の手掛かりが書かれた本なの」
「どんな本なんですか? ノリリーナさんは読んだんです?」
矢継ぎ早にルーナが尋ねる。けれどノリリーナは、困ったように眉を下げた。
「読んではいないわ。手にはしていないから」
「ええ?」
わけがわからず、ルーナは困惑するばかりだ。
神宝の手掛かりが書かれた本があると、ノリリーナは言う。しかしその実物を手にしたことはない。
今の時点では、ノリリーナの情報だけで、本当に本があるのか、また、その本に神宝の手掛かりがあるのか、確証はない。
本来ならば、もう少し確証のある話をしてほしいと言いたいところだ。
しかし、相手は『とこしえの賢者』ノリリーナ。
彼女の住処である氷の城で、図書館のような蔵書の数々を見知っているルーナとすれば、彼女の言葉を一笑に付すことなどできない。
(世界中から書籍を集めてるノリリーナさんだもん。読んでないものでも、それを口にするなら確証があるのかもしれないよね)
ルーナはそう結論付けると、改めて口を開いた。
「ノリリーナさん、その本はいったいどこにあるんですか?」
ルーナの言葉に、ノリリーナは一瞬驚きを見せる。そして、からかうように聞き返した。
「信じるの?」
「信じちゃだめなんですか?」
あっさりと返すルーナに、ノリリーナは呆気にとられた様子で息を呑む。そんな彼女に、ルーナはクスリと笑ってみせた。
「あ、でも、対価ってなんですか? 払えるものならいいんですが」
「ふふふ、やっぱり面白い」
ノリリーナは楽し気に笑うと、ルーナを見据えて告げた。
「本はね、ヴィントス皇国にあるの」
「ヴィントス……」
クレセニアとエアデルトに並び、三大強国と称される国の一つだ。
侵略によって国土を広げてきたヴィントス皇国は、クレセニアにとって油断のならない国として認識されている。
しかも近年、ヴィントス皇国で長年在位していた皇帝が亡くなった。その後、後継者が帝位を継いだものの、情勢が乱れているのだ。
そんな国に、ルーナが足を踏み入れるのは容易なことではない。
(ヴィントス皇国か……。戦争をしているわけじゃないけど、クレセニアにとってエアデルトのような同盟国でもないし、簡単に行きますって言える国じゃないよね。それに……)
ルーナは考えをまとめつつ、一つの疑問を口にする。
「その本は、ヴィントス皇国にあるんですよね」
「そうよ」
「では、ノリリーナさんの所有物ってわけじゃないですよね」
「あたしのではないわ」
「じゃあ、ノリリーナさんに対する対価というのは、この情報についてだけ?」
「あたしに対しての対価は必要ないわ」
「そうなんですか?」
ルーナは釈然としないままつぶやく。
単なる親切でもってきた情報であれば、ありがたいと感謝するだけだ。だが、何かがひっかかるのだ。
そんなルーナの気持ちに気づいたのだろう。ノリリーナは苦笑しながら言った。
「対価は、本の所有者に払ってもらいたい」
「どういうことですか?」
「所有者――ユーリスと言うのだけど、彼を助け出してくれれば、本も一緒に持ち出せるわ。彼を助け出したら、その対価として彼が本を差し出す、ということよ。あれにとっては、それほど困るものでもないから大丈夫」
「助け出す……?」
「ええ。彼を助け出してほしい」
(本の持ち主を、助け出す? 監禁とかされてるってこと? それすごくやばい人とかじゃないよね? 暴力沙汰だとわたしが役に立てるとは思えないんだけど)
戸惑うルーナの様子に、その心中を察したのだろう。ノリリーナは軽く肩を竦めた。
「断るも自由、受けるも自由。だけど、その本はきっとあなたたちの役に立つと思うわよ。それだけは確か」
言い終わると、ノリリーナはすっくと席を立つ。そして、呆然とするルーナをよそに、部屋を出るため歩き出した。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
慌てて引き留めるルーナに、ノリリーナがドアの前で振り返った。
「何?」
「何って、助ける人の名前はわかりましたけど、その人をどこから助け出すっていうんですか?」
「ヴィントス皇国よ」
「いや、それ範囲広すぎるでしょ!」
思わず突っ込むルーナ。
「それくらいは自分でなんとかしなさいよね」
しかしノリリーナは、事も無げに言い放った。
「ええっ、ちょ、無理でしょ、ノリリーナさん!」
叫ぶルーナをよそに、さっさとドアを開けて出ていくノリリーナ。
慌てて駆け寄ったルーナだが、無情にも目の前でドアが閉まった。
ルーナは一瞬呆気にとられた後、ハッとドアノブを掴んでドアを開け放つ。だが、不思議なことに、長い廊下にノリリーナの姿はもうなかった。
「嘘でしょ……」
――あとは、そちら次第。
ドアを開けたまま呆然と佇むルーナの耳に、ノリリーナの声が聞こえた気がした。
決断を任されたルーナは、混乱しながら何度も頭の中でその言葉を反芻するのだった。
第二章 ヴィントス皇国へ
思いがけずノリリーナと再会したルーナ。
もっとも彼女が名乗るまで、コーデリアを助けてくれた女性と、ピンクの鶏であるノリリーナはまったく結びついていなかったのだが。
そうして驚愕の再会をした彼女は、ルーナが求めていた神宝の手掛かりをもたらしてくれた。しかし、そのためにすべきことが問題だった。
神宝の行方。それを示す本があるとノリリーナは言う。
そして、それを得たいのであれば、本を所有している人物を救出すること。それが、ノリリーナの提案だった。
だが、該当の人物がいるのはヴィントス皇国だ。
問題の一つは、単純にルーナの立場である。
これまでもあちこちの国を訪れているルーナだが、本来貴族令嬢――それも公爵令嬢ともなれば、国内の移動であっても簡単なことではない。
これまでそれが許されてきたのは、明確な理由があったことと、同行者のおかげだった。
しかし、今回の場合はこれまでのようにはいかないだろう。同行者として思い浮かぶ面々は、揃って多忙な者たちである。さらに、自分自身にしても、この時期に学校を長期に休むような名目上の理由もなかった。
次にあげられる問題は、距離だ。
クレセニアからヴィントスに行くとなると、一か月以上の行程が必要になるのだ。
そして、最後にして最大の問題は、クレセニア王国とヴィントス皇国との関係だ。
兄弟国と称されるほど良好な関係を築くエアデルトとは違い、ヴィントス皇国とクレセニア王国の関係は、円満とはほど遠い。
現在交戦中というわけではないが、国家間の交流は最小限といった状況だ。
その理由は、ヴィントス皇国の先々代の君主にある。
四十年ほど前のことだ。当時の皇帝が突如、大陸の制覇を目標に掲げて近隣の小国に攻め入り、国土を広げ始めたのだ。
クレセニア王国とヴィントス皇国は、直接領土が接しているわけではない。しかし、周辺の小国を呑み込んでいった後の狙いは明らかだった。
結局、クレセニア、エアデルトを中心に、ヴィントス皇国に反発する小国が連合を組んで戦ったため、かの国の野望は打ち砕かれた。しかし、両国の間には、少なくない禍根が残ったのだった。
その先々代の皇帝が亡くなった後、後継となった前皇帝。彼は、父親のような苛烈な人物ではなく、それ以上領土を広げることにも無関心だった。
だからといって、クレセニアとの関係を修復しようとしたわけではない。それどころか、クレセニアと親しい小国に対し、その敵国にあえて援助するなど、遠回しに敵対しているといってよかった。それらの事情から両国の関係は、今現在でも良好とは言えないままなのだ。
ルーナがいくつかの条件をクリアしたとしても、おいそれと出かけられる国ではないのだ、ヴィントス皇国は。
(どうしたらいいのかな……)
ルーナは、大きなため息をついた。
ノリリーナが帰ってから数時間。その間に様々な方法を考えてみたが、これといって良い案は浮かばないままだ。
ルーナは、それまで座っていたソファから立ち上がると、続き部屋になっている寝室へ向かった。
そして書き物机に近づき、鍵のついた抽斗に手を伸ばす。
鍵穴と彼女の右手中指にある指輪が触れた瞬間、カチリと鍵が開く音がした。そのまま抽斗を引けば、あっさりと中身が現れる。
マホガニーでできた、長方形の箱。
ルーナは、それを慎重に手に取り、そのまま机の上に置いた。
抽斗と同じように、指輪で箱の鍵を開錠する。中にあったのは、小ぶりの短杖。リカール王国で手に入れた神宝だ。
(これが、魔族に対抗するための武器)
時間が経とうとも忘れられない、魔族との邂逅。
圧倒的なその力を前に、ルーナたちが生き延びることができたのは、運と、そして魔族自身の気まぐれに他ならない。
しかし、そんな恐ろしい相手であろうとも、相手が問答無用で襲ってくる以上、自分たちを守るために対峙しなければならないのだ。
だからこそ、神宝は必要だ。
けれど、現在は魔族が実在することすら疑わしく思っている者が大半を占める。
そんな中で、魔族への警戒を説き、さらにそれに対抗できるであろう神宝の重要性を説いたところで、こちらの頭を疑われるのが関の山だろう。
それでも、『怖さ』を知っているからこそ、ルーナたちは自分たちだけでもと、できることを模索しているのだ。
神宝は、現状魔族に対する唯一の武器。
魔族の思惑がわからない今、ルーナたちにとって、彼らより先んじて神宝を入手することができるかどうかは、とても重要だ。
そのため、神宝の手掛かりに繋がることであれば、どんな些細なことでも手に入れておきたい。
(救出うんぬんの前に、『ヴィントスへどうやって行くべきか』だよね。さすがの父様も、ヴィントス行きは全力で阻止してくるだろうし。ノリリーナさんのこととか、父様であっても全部正直に話すのは無理だよね……)
ルーナには秘密が多すぎる。
リュシオンやカイン、フレイルや兄たち。彼女の秘密を知っている人物たちを頼ればと思うが、数年前と違い皆成人している。そのため、それぞれ立場があって気軽に出かけられるような状態ではないのだ。ノリリーナから聞いたことも伝えるだけ伝えてはあるが、それだけだ。
(リューだって、リカールに行った後は大変だったもんね……)
ルーナは、その時の情景を思い浮かべて顔を引き攣らせた。
成人した王太子として多忙を極めているリュシオンだ。そんな彼がひと月近くを留守にできたのは、ひとえに彼の優秀な側近たちのおかげだろう。しかし、無事に事件を解決して戻ったリュシオンは、留守にしたツケを払うように、普段に輪をかけて忙しくしていた。当時のやつれた様子には、ルーナも大いに同情したものだ。
そして、大前提としてそれらは、リュシオン自身の命がかかっているという状況だからこそ許されたものだ。ルーナの我儘で一緒に来てほしいなどと言えるはずもない。
(とりあえず、すぐにでも出発できるなら、一か月はこの長期休暇を当てられるけど……)
はぁっと嘆息した時、静かな室内にノックの音が響いた。
ルーナはロッドを片付けると、隣の部屋に戻る。
「入ってきて」
廊下に向けて声をかけると、一拍置いてドアが開いた。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
「父様が?」
「はい。書斎の方でお待ちでございます」
「わかりました。すぐ行くわ」
ルーナは廊下で待つメイドに答えると、そのまま部屋を出る。
(もう帰宅してるなんて、珍しいよね……)
多忙な父アイヴァンは帰宅も遅く、邸にいたとしても、顔を合わせるのすら難しいことも多い。
そんな彼が日の暮れる前に帰宅するなど、かなり珍しいことだった。
首を傾げつつ、ルーナは父の待つ書斎に辿り着く。
「父様、ルーナです」
「ああ、入っておいで」
アイヴァンの声に、ルーナは書斎の扉を開けた。部屋に入ってすぐ立ち止まる彼女に、アイヴァンは奥の書斎机から声をかける。
「ルーナ、そこへ座りなさい」
「はい」
父親に促され、ルーナは素直に応接セットのソファに腰かける。それまで書斎机に向かっていたアイヴァンは、そこから立ち上がると彼女の向かいに腰を下ろした。
「何かあったのですか?」
書斎に呼び出されての話となれば、雑談では済まない用件だ。
ルーナは不安を押し隠し、目の前の父に尋ねる。そんな娘の気持ちを察したのか、アイヴァンは疲れたような笑みを浮かべた。
「心配するようなことではないよ」
ルーナはコクンとうなずくと、再び父が口を開くのを待った。
「実はな……ネイディア殿下のことなのだ」
「ネイディア様の?」
意外な名前を耳にし、 ルーナは首を傾げる。
リュシオンの異母妹である、ネイディア・ヨナ・クレセニア。身体の弱さから、公の場に出ることも少なく、王家の中でも影の薄い存在だ。
彼女の母である亡きキーラ王妃とリュシオンの間には深い確執があったため、ネイディアとリュシオンも、異母とはいえ兄妹でありながら、疎遠だった。
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