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如月ゆすら

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3巻

3-1

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   第一章 平穏の終わりと、嵐の到来


 守りたいもののため、平穏な日々を手放す覚悟はありますか?


 石壁の暗く狭い通路を、ランプの薄明かりを頼りに駆け抜ける一行があった。窓もなく、天井も低いそれは、まるで炭鉱のトンネルを思わせる。
 先頭を二十歳前後の青年が走り、少し遅れて四十すぎの壮年の男が続く。その後ろにはフードを目深まぶかかぶった小柄な人物が二人と、三人の護衛らしき男が彼らを守るように付き従っていた。
 人の息づかいと石畳を蹴る靴音だけが聞こえる中、時折「右」、「左」といった方向を示す声がその場に響く。やがて唐突に人工の道が途切れ、足下に土の感触を感じると、彼らは動かし続けていた足をようやく止めた。
 どうやら一行が通ってきた通路は天然の洞窟に繋がっていたようで、真っ暗な中、ランプに照らされたのは黒々とした岩肌だった。突然現れた光と人間に驚いたのか、洞窟をねぐらにしていた無数の蝙蝠こうもりが音を立てて一斉に飛び立っていく。

「通路を抜けたようですね、伯爵」
「ああ、そのようだな。だが油断は禁物だ。この隠し通路が見つかるのも時間の問題。いや、すでに追手が来ているかもしれない」

 先頭の青年が安堵して言うと、伯爵と呼ばれた壮年の男は気を緩めそうな彼をすかさずたしなめた。続いて彼は背後を振り返り、後ろにいた小柄な二人へと声をかけた。

「おまえたちは大丈夫か? 辛いだろうがもう少し頑張ってくれ」
「僕は大丈夫」
「ええ。僕への心配もご無用です」

 呼吸を乱しながらも気丈に答える二人の声は、男性の、と言うには柔らかく高い。体格から考えても十を一つ、二つ越えたばかりといった年齢なのだろう。
 伯爵は少年たちの答えに満足そうにうなずくと、ランプの灯りが照らす先の闇へ、鋭い視線を向けた。

「ここからベルデの森まではそう遠くない。ひとまず森からクレセニア側に抜けるとしよう」

 ベルデの森はクレセニアとエアデルトの国境にあり、霊峰れいほうロウゼイル山の裾野に両王国をまたぐ形で広がっている。広大な未開の森は、『森の民』などと呼ばれる特殊な一族の案内なしには通り抜けることさえ困難だ。そのため地図上の国境はあるものの、実際には明確な境が存在しない。
 心許こころもとない灯りだけで慎重に歩き出した一行は、しばらくして前方に出口が現れたのに気がつく。そこには黒一色の闇とは違う、月明かりでわずかな青みを帯びた薄闇が見えた。外の様子は暗闇に慣れた目には明るくさえ映り、彼らはホッと息をつく。

「閣下、あれを!」

 一行が洞窟を出てしばらくすると、後方にいた男が切羽詰まった様子で叫んだ。伯爵は言われるまま背後に視線を移すと、大きく息を呑んだ。
 闇を引き裂くような赤い光が見える。その不自然な明るさは、木々の向こうにかろうじて見える建物の屋根を黒く浮き上がらせていた。

「館が……」

 赤に呑み込まれ、その形を崩していくやしきの姿に、少年の一人が呆然とつぶやく。その後ろでしんがりを務めていた男は、うなるように怒りの声をあげた。

「畜生! 館に火を放ったのか!!」

 やがて屋根部分は崩壊して視界から消え、彼らは天へと伸びる赤い炎を眺めながら、ただきつく拳を握りしめていた。

「……立ち止まっている暇はない。行くぞ」

 しばらくすると立ち尽くしていた彼らへ伯爵が声をかけた。その言葉に今の状況を思い出したのか、全員がハッと我に返る。

「辛いだろうが、今は耐えろ」

 自らに言い聞かせるような伯爵の苦しげな声に、他の者たちは何も言えず、そのまま後に続いたのだった。


 うっすらと空が白み始めた頃、一行はようやくベルデの森へと入ろうとしていた。
 美しい緑の森は、けれどそのたたずまいとは裏腹に人をこばみ、迷わせる。それに加え、奥地には獰猛どうもうな獣や魔物が多く生息しているのだ。

「森に入れば追手の危険は減る。だがその代わりに獣や魔物たちが襲いかかってくるかもしれん。皆、気を抜くな」

 伯爵の指示に、男たちは表情を引き締めて足を進めようとした。だがその時、しんがりの一人が焦ったように声をあげた。

「閣下、どうやら追いつかれたようです」

 その言葉で男たちの間に緊張が走る。魔法に長ける彼が、追手の接近を察知するためにと、来た道に魔法を仕掛けておいたのは皆知っていた。各々おのおのが伯爵へと目を向ける中、彼は心を決めたように口を開いた。

「二手に分かれる。……ノア、いいな?」

 一呼吸置いて尋ねられると、ノアと呼ばれた少年は躊躇ためらいもなくうなずいた。

「ノア!」

 思わずといった様子でもう一人の少年が声をあげると、ノアはそれに困ったような笑みを返した。

「カイン様、どうかご無事で。……伯父上、カイン様をどうか」
「ノア……」

 何も言わせないとばかりにきっぱりと言い放つノアを、もう一人の少年――カインはただ見つめることしかできなかった。

「エドマンド、おまえだけついてこい。あとの者はノアを守れ」

 すかさず了承の意を示す部下にうなずき、伯爵は呆然としているカインの腕を引いた。

「行くぞ、カイン」

 伯爵は短く告げると、その場を動こうとしないカインを強引に歩かせる。それでも後方へ顔を向けたままのカインに、ノアはしっかりと視線を合わせて微笑ほほえんだ。

「決して幸せになることを諦めないで下さい。貴方あなたの幸せが僕たちの願いです」
「――ノアッ!!」

 叫ぶカインに応えるように、ノアはもう一度微笑んで一礼する。そして次の瞬間には、くるりときびすを返し、他の者たちと共に別方向へと駆け出した。
 小さくなるノアたちの姿を、カインは伯爵に腕を引かれながらも呆然と見つめていた。そんな彼を伯爵が一喝する。

「立ち止まるな、カイン! ノアたちの気持ちを無駄にするつもりか!!」

 カインは叱責しっせきの声に一瞬顔をゆがめた後、辛い気持ちを振り切るように目を閉じた。キリキリと痛む胸から意識を逸らし、ともすれば立ち止まりそうな自身を叱咤しったする。

「……すみません、父上」

 カインは伯爵に謝罪すると、感情さえも振り切るように走り出した。


     †


 すでに陽が昇っているだろう時刻。しかし生い茂った木々の葉がわずかに見える青空を隠しているためか、森は薄暗く、陰鬱いんうつとした夜の気配が未だ濃く漂っていた。
 奥へ進むほどに鬱蒼うっそうとした様相をていする森の中を、先頭を歩く青年は迷いなく進む。

「あと少しで森を抜け、クレセニア側に出ます」

 大木にもたれかかる倒木とうぼくを避け、青年は思わず笑顔になった。『森の民』と呼ばれる特殊な一族の出自である彼は、無事に道案内役を果たせそうなことに安堵していた。

「やっとか……。ここまで来れたのは、まさしくエドマンドのおかげだな」

 労をねぎらうように、伯爵はエドマンドと呼ばれた青年をたたえる。
 ベルデの森に入って数日。道案内もそうだが、森での野営の準備から食料調達まで、彼がいなければ伯爵とカインは途方に暮れていたことだろう。
 尊敬する主人の言葉を受け、エドマンドは嬉しそうに顔を輝かせた。

「もう少し先に小さな泉があります。そこまで行けば森の出口はすぐのはずです」

 三人の間にホッとした空気が流れる。しかしそれはたやすく打ち破られることとなった。
 ――ヒュンッ
 風を切る鋭い音と共に、放たれた矢が彼らの横を通り過ぎ、鈍い音を立てて近くの大木へと突き刺さった。

「くそっ、追手か!」

 伯爵は叫ぶと、自分の後ろにカインをかばって剣を抜いた。それと同時に今度は複数の矢が彼らに襲いかかる。剣で矢を振り払いながら、伯爵は同じように矢を叩き落としているエドマンドに向け声を張りあげた。

「走るぞ!」
「はいっ」

 エドマンドは伯爵の指示を受け、周囲の大木に巧みに身を隠しながら走り出す。カインと伯爵も飛んでくる矢を払い落としつつ、その後に続いた。
 大木の幹や低木ていぼくの茂み、生い茂る雑草は、先ほどまで彼らにとって行先をはばむ障害でしかなかったが、今は襲い来る敵から身を守る絶好の盾になっている。そのため襲撃者は、矢を放つのを諦め追跡に専念することにしたようだ。
 執拗しつような追手の気配に、先頭を走るエドマンドは焦りを抑えられぬまま思案した。
 先ほど伯爵に告げたように、泉に辿たどり着けば森の出口まではそう遠くない。しかし今の状況でひらけた場所に出るのは、的にしてくれと言わんばかりの危険な行為だ。

(ここから迂回うかいするには危険な毒蛇の縄張りに入らなければならない。それではさらに危険が増すだけだ。ならばこのまま進んで追手をくしか……)

 エドマンドは判断を仰ぐように後方へと目を向けた。すると伯爵は、彼の判断に任せるとばかりにうなずく。

くことが出来なければ、迎え撃って血路を開くのみ!)

 そう自分を鼓舞こぶすると、エドマンドは駆ける速度を上げた。


(泉だ!)

 低木ていぼくの枝をくぐり抜けると、エドマンドはその先に小さな泉を見出した。彼は泉を背にし、近くにあった大木の陰に身を隠すと、すかさずその横に伯爵とカインも身を寄せる。

「どうやら向こうにも、案内人がいるようだ」
「ええ。そうなると我らの行き先にも見当が付いていると思われます」
「そのようだな。ここで奴らの足を止めるしかないか」

 伯爵はエドマンドの言葉にうなずくと、おもむろに防御魔法プロテクトを唱えた。

『ラノア・リール・フォルグラン・シード』

 詠唱の終わりと共に、光の障壁が膜のようになって三人の身体を包み込む。物理防御に特化したこの魔法は、しばらくの間飛んでくる矢から彼らを守ってくれるはずだ。

「魔法攻撃がないところを見ると、あちらに魔法使いはいないようだな。多勢に無勢だが、こちらが多少なりとも魔法を使えるだけましだろう」

 伯爵は自嘲するように言うと、自分の横で息を整えていたカインへ目を向けた。

「カイン、万が一の時は自分一人でも逃げろ。いいな?」
「父上!」

 伯爵の淡々とした物言いに、カインは思わず声を荒らげた。万が一の時――それは伯爵とエドマンドが死んだ時に他ならない。伯爵は自分たちを見捨ててでも逃げろとカインに命じたのだ。

「おまえだけは何があっても生き延びねばならん。それはわかるな?」

 カインは唇を噛み締める。その言葉は絶対であり、たとえ彼の心が納得できずにいようとも、逆らうことは許されない。

「エドマンド、いいな?」

 もはやカインの意見は求めてはいないとばかりに、伯爵はもう一人の青年へと顔を向けた。

「はっ」

 エドマンドが答えると、伯爵は後ろの敵の気配を探って鋭く叫んだ。

「来るぞ!」

 彼の一言が合図になったのか、茂みを掻き分ける音と共に、数人の男たちが姿を現した。前衛に立つ男たちが剣を抜き、やぶに見え隠れする後ろの男たちは弓に矢をつがえている。その矢はぐに、前方の大木へ照準が定められていた。

『リグ・ジスト・グリーク』

 伯爵の詠唱で、彼の剣が赤い炎に包まれる。魔力マナを剣へと宿らせる魔法であり、魔法剣とも呼ばれるものだ。
 対する相手側は身を隠す彼らにれたのか、弓を構えていた一人が先走り、引き絞っていたつるから指を離した。
 ビィィンと音を立てた矢が、隠れている木に突き刺さるのが三人にもわかった。

『リグ・ロゥム』

 伯爵は木陰から慎重に顔を覗かせて敵をうかがい、短く詠唱する。低位の火系魔法は彼の意図した通り、視線の先にある長弓を燃え立たせた。

「うわぁっ」

 突然燃え出した武器に、たまらず男が声をあげる。魔法に動揺する敵に向け、伯爵は二度、三度と詠唱を繰り返し、彼らの飛び道具をすべて焼き払った。

「チッ、魔法使いか。おまえたち一斉にかかれ! 詠唱させるな!」

 リーダー格らしき男から鋭く飛ぶ指示で、男たちは動揺から立ち直る。
 魔法攻撃は武器や体術では防げない。それゆえに魔法防御のすべを持たない者にとって脅威なのだ。しかし万能に見える魔法にも弱点はある。それは詠唱の阻止、つまり術者が魔法語を唱えられなければどんな現象も起こらないという点だ。
 弓を焼かれた男たちはあっさりとそれを捨て、代わりに腰にいていた剣を抜く。そして次なる詠唱を遮るため、怒号をあげて向かってきた。
 相手の飛び道具が消えたおかげで隠れる必要がなくなり、伯爵とエドマンド、カインは木陰から泉のそばにある空き地へと飛び出した。それを見て襲撃者たちも後を追い、三人に対峙たいじするように陣形を組む。
 傭兵ようへい崩れだろうか、男たちは統制の取れた隙のない動きで身構えると、突然その中の一人が、あざけるように言い放った。

おとりの奴らといい、手間をかけさせてくれる。……まぁいい。おまえらもここで仲間の後を追うがいいさ」
「なっ……!」

 男の言葉にカインは思わず息を呑んだ。仲間――それは追手を引きつけるために別れたノアたちに違いない。

(ノアが……それに他の皆もこいつらに!?)

 動揺を隠せず愕然がくぜんとするカインの肩を、伯爵は片手で強くつかみ乱暴に揺すった。

「惑わされるな、カイン!」

 しかし伯爵の声も、今のカインには遠くぼんやりとしか聞こえてこない。うつろな眼差しで立ちすくむカインを見て取ると、伯爵は剣を構え直してエドマンドに向かって叫んだ。

「エドマンド、カインを守れ!」
「やれっ!」

 命じる声にかぶせるように、敵にも短い指示が飛ぶ。それに応えて男たちは、一気に伯爵たちとの距離を詰めた。
 雄叫おたけびをあげて迫り、振り上げられた襲撃者の剣を、伯爵はすかさず炎をまとった魔法剣で受け止める。さらに彼は反動をつけてそれを打ち返すと、次いで自身の剣を横薙よこなぎにした。すると剣が描く軌跡から、まとわれた炎が朱金しゅきんきらめきと共に敵に襲いかかる。

「グアァッ」

 隙を見て伯爵に斬りかかろうとしていた男たちは、襲い来る炎の洗礼に苦悶くもんの声をあげた。

「くそっ、これならどうだ!」

 唐突に一人の男がそう叫び、懐から卵大の石を取り出して伯爵へと投げつけた。石は伯爵のすぐ手前に落ちると、半分に割れて真っ黒な煙を四方八方に吐き出す。さらにその煙は引き寄せられるように、伯爵の剣に纏われた炎へと流れてくる。

魔力吸収マナ・ドレイン魔石ませきか!?」

 彼が気づいた時にはすでに遅く、煙は吸い込むようにすべての炎を呑み込んでいた。そして魔力を喰らいつくすと、役目を終えたとばかり唐突に消え去った。

「万が一に備えておいて正解だったな。よし今だ。かかれっ!」

 勢いづいて発せられる命令に、男たちは剣を振り上げて向かってくる。我に返ったカインや伯爵たちも応戦するが、多勢に無勢。しばらくすると形勢は明らかに敵側へと傾いていった。


 ――ガキンッ
 カインは、力任せに振り下ろされた相手の剣を、自らの剣で受け止めた。彼はギリギリと近づく剣を必死に押し返す。しかしいくら剣の技量があろうとも、その身体は少年のもの。こうした力比べでは大人の、それも戦い慣れている男にかなうはずもなかった。

「くっ……」

 交差した相手の剣は、カインの頑張りも空しく、確実に彼の剣を押さえ込んでくる。

「カイン様!」

 エドマンドは叫ぶと、自分の敵を斬り伏せてカインのもとへと走った。駆けつけた彼は、カインに対峙たいじする男の背中を袈裟懸けさがけに斬る。
 男が断末魔の叫びをあげて倒れると、エドマンドはホッとしたようにカインへ声をかけた。

「大丈夫ですか、カイン様」

 助けに入ってくれたエドマンドへ、カインが礼を言おうとした、その時――

「ぐっ……」

 唐突にエドマンドがうめき声をあげ、その身体を屈める。一瞬状況が把握できないカインだったが、その腹部を見てハッと息を呑んだ。
 彼の服は赤く染まり、その脇腹を剣先が貫いていたのだ。

「エドマンド!!」

 叫び声をあげるカインの目の前で、敵が血に染まった剣を抜く。エドマンドは激痛に顔をゆがめながらも後ろへ身をよじり、自分を刺した男に剣を振り下ろした。
 相手の男がくずおれると、エドマンドは安堵したかのようにその場に膝をついた。

「エドマンド、しっかりしてくれ」

 慌てて駆け寄ったカインは、ドクドクと流れる彼の血に青くなりながら悲痛な声をあげる。カインのただならぬ様子にそちらへと目を向けた伯爵は、その瞬間顔をゆがめた。

(エドマンドがやられた今、カインだけは逃がさねば……!)

 戦いながらも咄嗟とっさに判断すると、彼は敵の剣を打ち返しながら叫んだ。

「カイン、行け!」

 伯爵の声にビクンと身を震わせたカインは、しかし逡巡しゅんじゅんしたまま動けないでいた。そんな彼をうながすように、血だらけの手が彼の腕をつかんだ――エドマンドだ。

「……行って……くだ、さい。はや……く」

 無理矢理立ち上がり、荒い呼吸の中から絞り出されたエドマンドの声は、それでもはっきりとカインの耳に届いた。エドマンドと瞳を合わせると、彼は小さくうなずき背を向ける。
 その場から駆け出すカインに気づいた襲撃者が後を追う。さらにもう一人続こうとするが、ふらつきながらも鬼気迫る様子で立つエドマンドに行く手をはばまれた。
 彼は振り下ろされた敵の剣を、避けることなくその肩で受け止める。衝撃にユラリと身体を揺らしつつも、エドマンドは最後の力を振り絞って眼前の男へ剣を突き出した。

「ぐはっ」

 刺し違えた男のうめき声を聞きながら、エドマンドは敵と共に崩れ落ちる。

「エドマンド!」

 その様子を横目で捉えた伯爵がえるように彼の名を叫んだ。
 倒れたままピクリとも動かなくなったエドマンドの姿に、伯爵は血が出るほど唇を噛みしめた。
 カインを追った一人を除けば、襲撃者は彼が対峙たいじする三人だけとなっている。しかしすでに伯爵の方も満身創痍まんしんそういだ。魔力も体力も尽きようとしていた。
 敵の男たちは伯爵の様子に勝利を確信してか、仲間のうち一人を逃げたカインの追跡に向かわせようとした。その動きを察した伯爵は、咄嗟に〈拘束〉魔法を唱える。

『オル・ディガーデ』

 魔法で足を止められた男を一瞥いちべつすると、彼は残りの二人から目を離さないまま、左手で自身の左耳に垂れるピアスを乱暴に引きちぎった。

「残念だが、万が一に備えていたのは貴様らだけではない」

 低く、地を這うような声で言いながら、伯爵はニヤリと口元を歪める。

『ゼルグ・ラドゥ・シィグ』

 意外なほど短い詠唱を聞き、それが何か気づいた男たちは一斉に青ざめた。
 魔力を持つ者ならば誰もが唱える事が出来る、最も安易で、最も危険な古代魔法言語エイシェントマジックスペル。自らの限界を超え、生命力すらも魔力に変え、同時に唱えた魔法や、魔道具マジックツール魔法護符タリスマンなどに込められた魔法の発動に、そのすべてを注ぎ込む――生命と引き替えに唱える、禁断の『死の魔法』。
 襲撃者たちは恐怖に顔を歪め、魔法から逃れるべく伯爵に背を向けて走り出す。しかしそんな彼らを感情のない眼差しで見つめた伯爵は、静かに言い放った。

『――発動リーヴェ

 合図と共に伯爵の手の中にあった魔道具ピアスが、爆発するように幾筋もの光の尾を伸ばす。それは鋭い光の矢となって逃げる男たちに容易たやすく追いつき、背中からその身体を貫いた。
 悲鳴をあげる間もなく、あっけなく男たちが絶命するのを見届けると、身の内のすべての生命力を使い果たした伯爵は、静かにその場にくずおれた――


     †


 大きな木の根を飛び越し、背の高い草や低木ていぼくの茂みを掻き分けて、カインはただひたすら走る。
 それでも追手がすぐ近くまで迫っていることは、揺れる葉音や、落ち葉を踏みしめる音でわかった。

(絶対に、逃げのびる……!)

 カインは心の中で自分に言い聞かせるが、やぶを抜けたその先では、決意をぐように大きな倒木とうぼくが行く手を遮っていた。
 足を止めた彼が舌打ちして回り込もうとすると、ガサリと乱暴に低木の葉を揺らして追手が現れた。男はカインに見せつけるように短剣のやいばを舐めると、ニヤリといやらしくわらう。それを見たカインは逃げるのを諦め、男へと向き直った。

「死ね!」

 一声叫ぶと男は短剣を構え、一瞬にしてカインとの間合いを詰める。
 短剣という軽い武器の利点を生かした素早い攻撃が、何度もカインに襲いかかってくる。彼は剣でそれを防ぎつつ間合いを取ろうとするが、容易く反撃を許すほど敵は甘くなかった。
 近すぎる距離が長剣の動きを封じる。カインは男の突き出した短剣をなんとかはじいたものの、次の攻撃に対しては完全に遅れをとった。

「うくっ……」

 咄嗟とっさに身体をよじったおかげで、カインは急所に短剣を突き立てられるのをまぬがれる。だが完全に避けきれなかったやいばは、ざっくりと彼の腹部を深く傷つけていた。焼けるような激痛を感じながらも、カインは男の腹部を蹴り上げて距離を取る。そして男が体勢を整える前に短い呪文スペルを口にした。

『ウォルテ・シィム』

 魔法発動と同時に、水で出来た球体が勢いをつけて敵の顔面へと襲いかかる。衝撃に耐えきれず男が仰向けに倒れ込むと、カインはすかさず近づき、手に持った剣を男に突き立てた。
 荒い息を吐きながらも彼は慎重に男の絶命を確認する。そしてドクドクと血を流す自らの腹部に手を強く押し当て、唇を噛みしめて気の遠くなりそうな激痛に耐えた。

(こんなところで、死ぬわけにはいかない)

 ただその思いだけで、カインはよろよろと歩き出す。
 一歩踏みしめるたびに赤い血がこぼれ落ち、意識は朦朧もうろうとしていく。それでも彼はその足を止めようとはしなかった。
 どれくらい歩いたのか、カインはふらつきながら前方の低木の葉を掻き分けた。その瞬間、彼は老年の男と、その後ろに隠れるようにしてこちらをうかがう少女の姿を目に映す。

(人……敵か……)

 逃げなければという本能だけで、カインは目の前の人間から離れようときびすを返す。そして一歩踏み出した途端、無理を重ねていた身体が限界を訴えた。

(ここで、死ぬのか……)

 為すすべもなくドサリとその場に倒れ込んだカインは、薄れゆく意識の中、自分を励ます鈴を転がすような声と、優しく触れる手のあたたかさを感じていた――


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